風紋(Sand Ripples)~あの頃だってそうだった~

宗像紫雲

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第五章(乱石山)

第五章第五節(来賓2)

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                 五

「奉天へ帰るとこいつが使えんで困るわ」
 先だって吉林へ取材に行ってきた田中香苗たなかかなえが財布から紙幣を取り出し、しげしげと眺めた。

 吉林官帖きつりんかんちょうである。
 中華大陸には昔から統一通貨というものがない。基調は銀本位制だが、内陸部や地方部へ行けば銅本位が一般的だった。取り分け紙幣となると、各地の軍閥が銘々勝手に発行してきたから、ほとんど収拾のつかないほど多種多様なものが併存していた。
 満洲だけを見ても、奉天をはじめとした遼寧省では奉天票ほうてんひょう大洋票だいやんひょうが流通しているが、一歩吉林省へ入ると圧倒的に銅本位通貨の吉林官帖きつりんかんちょうが主流となる。その吉林官帖もハルビンへ持って行けば使えなくなり、すべての取引は哈大洋はるたいやんで行われる。この哈大洋はるたいやんは銀本位通貨だから鉄道沿線で広く使われ、近年は吉林省や黒龍江省でも通用するようになってきた。それでも黒龍江省の奥地へ行けば、やはり銅本位の不換紙幣である黒龍江官帖こくりゅうこうかんちょうでないと使えない。
 この時代の満洲における通貨は、主要なものだけでも十一種類。発行高順では奉天票が最も多く、次いで吉林官帖、大洋票、黒龍江官帖と続いた。

「ホンマ、東北四省のあちこちで使える金が違うっちゅうのは困りもんですわ」
 支局で一番年の若い横田高明よこたたかあきも当惑した経験の持ち主だった。
「もっとも、日本もご維新までは東国とおごくが金本位で西国さいごくが銀本位やったし、各藩には藩札はんさつというものがあったんやから、ヒトのことばかりは言えんがの」
 田中は自分の言葉を自分で打ち消しつつ、お金にまつわる知識を“ひけらかそう”というよこしまな考えを起こした。
「しかし藩札は奉天票や吉林官帖と違って兌換紙幣だかんしへいですぜ。しかも発行量はきちんと管理されておった」
 横田はなかなかこの方面への造詣ぞうけいが深いらしい。田中はは図らずも墓穴ぼけつを掘ったかたちとなった。
「そやかて、これほど貨幣制度にまとまりのない国もほかになかろうて」
 話はいよいよ大きくなった。貨幣制度ときたからには黙っている訳にはいかないとばかりに、西村も参戦してきた。
「通貨の統制がとれていないところに乗じて、歴代の為政者いせいしゃなり軍閥なりが民衆から搾取さくしゅやら苛斂誅求かれんちゅうきゅう※なりを繰り返してきたっちゅうのが、何より今回の事変の遠因えんいんやろうて」
「軍閥の多くはいくさに勝って財政に敗れるのを常としてきましたからなぁ」
 ここぞとばかりに洸三郎も加わって、話に花が咲いた。
 ※苛斂誅求=租税の容赦ない取り立て。

「まあともかく、奉天票に関しては早急に何とかせなあかん。去年の春に張学良が北平へ進出して、官銀号かんぎんごう筋のもんが大豆なんぞの特産品を買い占めよった際に随分と乱発されたからのぅ」
 墓穴を掘った田中はすっかり聞き手に回り、一家言を持った者たちが熱くなってきた。
「その点は奉天票ばかりやなく吉林官帖も同じことですわ。通貨の暴落が良民りょうみんたちをいかに苦しめているかを新聞で書いてやりませんか?」
 横田の思い付きに西村が乗ったようだ。次長の村田の方を向いて賛意を得ようとしたが、支局の幹部はとくに表情を変えなかった。

「そや、砲火ほうかがやや静まって『満蒙独立政府』の樹立やら、『独立国家』の建設だのという声が沸き起こった。これらがものになるか、画餅がべいに帰するかは予断し難いとしても、張家ちょうけ二代の暴政にしいたげられてきた無辜むこの民衆や商人たちを救わねばならん。そのためには先ず、経済をどうにかせにゃならん。搾取さくしゅの温床となった通貨の不統一を何とかせにゃならん」
「軍閥だけとはちゃいますよ」
 西村に刺激されて洸三郎も話に一石を投じてきた。
「我々邦人居留民の間では朝鮮銀行券までが流通して、金本位と銀本位が入り混じっとるやないですか。これもどちらかへ統一せねばならんでしょう」
「そりゃ、世界の趨勢すうせいを見れば金本位にならざるを得ないやろうが」
 聞き役になったはずの田中が「それくらいは判る」という風に口を挟んできた。

「それがそうでもないんですわ」
 横田と洸三郎の声がちょうど重なった。
「おととしの株価暴落以来、アメリカもフランスもしこたまきんを貯めこんでおります。世界の金本位制のなかで、肝心の“金の偏在”という問題が起こっとるんです」
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