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第六章(十月理事会)
第六章第十三節(アンヴィバレント)
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十三
関東軍が推し進める“政略”は、紛れもない内政干渉に当たる。だから舞台裏における工作など一切表へ出せるものではない。
軍事力を使わずに政略で問題の解決を図る。当初の方針を変えた関東軍が目的を達しようとする上で、どうしても“力の誇示”が欠かせなくなった。そうして見せつけた“力”こそが、聯盟の目には日本政府が公約した「事変不拡大」方針を、出先の軍隊が一方的に反故にしたように映った。さらにはその見方のみが報道を通じて世界中へばらまかれたのだった。
“こちらを立てればあちらが立たぬ”――。
何ともアンヴィバレントな状況に日本や聯盟が陥りもがくのをよそに、満洲の揉めごとの大もとを作った張本人である張学良の策動には、誰も目を向けなかった。日華双方の主張の食い違い、関東軍と陸軍中央の認識のズレ、国際社会と日本政府の対立……。すべての矛盾はここから発しているのだが、張学良の責任を問う声は一切上がらなかった。
「外相もご承知のように、華人は国際問題を処理する際に第三者を巧妙に利用するのが常です。今度の事件でもし彼らが聯盟の助力を得るのに成功すれば、今後将来にわたって日華間に起こる幾多の問題も、すべて同ように聯盟へ提起してくることになるでしょう」
芳澤がレディング外相の訴えに耳を貸さなくなったように、外相ももはや何も返してこなかった。手ごたえのなさを悔やみつつ、芳澤は日本代表部のあるオテル・メトロポールへと戻って行った。
途中、モンブラン橋を渡る道すがら、ふと振り返ると、この街を見下ろす小高い丘の上にサン・ピエール大聖堂の尖塔が夕日を浴びて天を指しているのが見えた。一一六〇年に着工し一二三二年に完工したこの寺院は、宗教改革で知られるジャン・カルヴァンが三十年にわたって説教をしたところである。
「崇める神は違えども、天を敬う心に違いはない」
そう自分に言い聞かせ、いつかは分かり合える日が来るだろうと淡い期待を抱いた。
錦州爆撃が仇となって、理事会は日程を一日繰り上げることとなった。
十三日正午からパレ・ウィルソンで開かれた「第二期理事会」には、ドラモンド総長の呼びかけに応じて英・仏・伊の外相が揃って出席してきた。多忙を極める外相が顔をそろえるからには、聯盟としてもダラダラと日程を引っ張る訳にいかない。翌年には初めて“聯盟”が主催する軍縮会議が開かれる予定もあって、理事会は何らかの結論を導き出さざるを得ないはずである。現下の情勢を踏まえるならば、日本側は相当不利な立場に立たされるに違いなかった。
理事会は冒頭、スペイン代表のマダリアーガが立って、同国のレルー外相が内政上の都合により出席できなくなった旨を告げ、議長の座を次回当番国となるフランス代表へ譲りたいと申し出た。指名を受けたブリアン外相は、快くこれを引き受けた。
ブリアン議長は議事に先立ち、日華双方の言い分をひと通り紹介し、米国政府も満洲事変に高い関心を寄せているとして、スチムソン国務長官から寄せられた「聯盟の採択に全面的に協力する」との覚書を紹介した。
これに続いて、理事会開催を強く求めた施肇基代表が演台に立った。
「事変勃発以来、民国側は反撃への本能を抑制し、力のおよぶ限り国内にいる日本人の安全の保護に任じ、そして難きを忍んで事件解決の一切を聯盟の公正な採決に委ねているのである。これはすべて、友誼の精神をもって本件を解決せんと切望するからにほかならない」
施肇基博士は冒頭から聯盟の権威を持ち上げ、議場の同情を集めることに余念がなかった。相変わらず見事な修辞である。
「にもかかわらず、日本軍は民国が希望した十月十四日までに撤兵を完了しないばかりか、錦州爆撃のごとき暴虐行為を敢えてしたのである」
案の定、錦州爆撃は日本叩きの格好の口実となった。
次いで彼はギリシャ、ブルガリア事件を持ち出して、当時のブリアン議長が「自衛行為の名のもとに外国の領土へ軍隊を駐屯させるべきではない」と宣言したことや、これに対して日・英・仏代表が賛同したのを引き合いに、「理事会はなぜ、その時の決議をここに援用し得ないのか」と嘆いてみせた。
さらには、日本の軍事行動は聯盟規約や不戦条約の蹂躙であり、それを放置したままでは明年の軍縮会議の成果もむなしく終わるだろうと結んだ。
関東軍が推し進める“政略”は、紛れもない内政干渉に当たる。だから舞台裏における工作など一切表へ出せるものではない。
軍事力を使わずに政略で問題の解決を図る。当初の方針を変えた関東軍が目的を達しようとする上で、どうしても“力の誇示”が欠かせなくなった。そうして見せつけた“力”こそが、聯盟の目には日本政府が公約した「事変不拡大」方針を、出先の軍隊が一方的に反故にしたように映った。さらにはその見方のみが報道を通じて世界中へばらまかれたのだった。
“こちらを立てればあちらが立たぬ”――。
何ともアンヴィバレントな状況に日本や聯盟が陥りもがくのをよそに、満洲の揉めごとの大もとを作った張本人である張学良の策動には、誰も目を向けなかった。日華双方の主張の食い違い、関東軍と陸軍中央の認識のズレ、国際社会と日本政府の対立……。すべての矛盾はここから発しているのだが、張学良の責任を問う声は一切上がらなかった。
「外相もご承知のように、華人は国際問題を処理する際に第三者を巧妙に利用するのが常です。今度の事件でもし彼らが聯盟の助力を得るのに成功すれば、今後将来にわたって日華間に起こる幾多の問題も、すべて同ように聯盟へ提起してくることになるでしょう」
芳澤がレディング外相の訴えに耳を貸さなくなったように、外相ももはや何も返してこなかった。手ごたえのなさを悔やみつつ、芳澤は日本代表部のあるオテル・メトロポールへと戻って行った。
途中、モンブラン橋を渡る道すがら、ふと振り返ると、この街を見下ろす小高い丘の上にサン・ピエール大聖堂の尖塔が夕日を浴びて天を指しているのが見えた。一一六〇年に着工し一二三二年に完工したこの寺院は、宗教改革で知られるジャン・カルヴァンが三十年にわたって説教をしたところである。
「崇める神は違えども、天を敬う心に違いはない」
そう自分に言い聞かせ、いつかは分かり合える日が来るだろうと淡い期待を抱いた。
錦州爆撃が仇となって、理事会は日程を一日繰り上げることとなった。
十三日正午からパレ・ウィルソンで開かれた「第二期理事会」には、ドラモンド総長の呼びかけに応じて英・仏・伊の外相が揃って出席してきた。多忙を極める外相が顔をそろえるからには、聯盟としてもダラダラと日程を引っ張る訳にいかない。翌年には初めて“聯盟”が主催する軍縮会議が開かれる予定もあって、理事会は何らかの結論を導き出さざるを得ないはずである。現下の情勢を踏まえるならば、日本側は相当不利な立場に立たされるに違いなかった。
理事会は冒頭、スペイン代表のマダリアーガが立って、同国のレルー外相が内政上の都合により出席できなくなった旨を告げ、議長の座を次回当番国となるフランス代表へ譲りたいと申し出た。指名を受けたブリアン外相は、快くこれを引き受けた。
ブリアン議長は議事に先立ち、日華双方の言い分をひと通り紹介し、米国政府も満洲事変に高い関心を寄せているとして、スチムソン国務長官から寄せられた「聯盟の採択に全面的に協力する」との覚書を紹介した。
これに続いて、理事会開催を強く求めた施肇基代表が演台に立った。
「事変勃発以来、民国側は反撃への本能を抑制し、力のおよぶ限り国内にいる日本人の安全の保護に任じ、そして難きを忍んで事件解決の一切を聯盟の公正な採決に委ねているのである。これはすべて、友誼の精神をもって本件を解決せんと切望するからにほかならない」
施肇基博士は冒頭から聯盟の権威を持ち上げ、議場の同情を集めることに余念がなかった。相変わらず見事な修辞である。
「にもかかわらず、日本軍は民国が希望した十月十四日までに撤兵を完了しないばかりか、錦州爆撃のごとき暴虐行為を敢えてしたのである」
案の定、錦州爆撃は日本叩きの格好の口実となった。
次いで彼はギリシャ、ブルガリア事件を持ち出して、当時のブリアン議長が「自衛行為の名のもとに外国の領土へ軍隊を駐屯させるべきではない」と宣言したことや、これに対して日・英・仏代表が賛同したのを引き合いに、「理事会はなぜ、その時の決議をここに援用し得ないのか」と嘆いてみせた。
さらには、日本の軍事行動は聯盟規約や不戦条約の蹂躙であり、それを放置したままでは明年の軍縮会議の成果もむなしく終わるだろうと結んだ。
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