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第六章(十月理事会)

第六章第三十二節(潮目)

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                三十二

 「少しは聯盟の顔も立てるべき」との声は、欧州各地に駐在する同僚の大使たちからも上がってきた。
 
 ロンドンの松平大使は本省へ向けて、「我が方があくまで態度を固執こしつし聯盟を窮地きゅうちに追いやれば、ワシントン会議以来蓄積してきた国際協調や世界平和の確立に対する我が国の信用をすべて投げ打つこととなり、国際的な孤立を招くのは避けられない」と警鐘を鳴らす。

 シベリア出兵時、ウラジオストーク派遣軍の政務部長を務めた松平恒雄まつだいらつねおは、自らの経験を踏まえて「こうした問題は長引けば長引くほど撤兵の実行がますます困難になる。これはシベリア出兵の末期において当時政府および軍部の経験したところである」と、問題の早期解決を訴える。パリの栗山茂くりやましげる臨時代理大使も、「この潮時しおどきを利用して理事会に局面打開の機会を与える方が得策ではないか」と協調路線を具申した。
 幣原外相はなおも、「遠隔の地にあって事情にうとい政治家が欧州の一部局における問題のごとく簡単に取扱うべきことではない。とくに理事会は充分な認識を持つべき」と片意地かたいじを張るが、その底意そこいはぐらつき始める。
 
 すると、折よくヨーロッパの新聞が芳澤の法律論を支持する論調を展開しはじめた。日本の軍事行動を「強圧的」となじった聯盟側の、日本に対する処置こそがまさに「強圧的」になっていくのを、新聞記者たちは見逃さなかった。
 その急先鋒きゅうせんぽうとなったのが、ブリアン議長のお膝下ひざもとであるフランスの新聞界だった。芳澤が展開した米国オブザーバー招致しょうちへの批判を、聯盟規約に照らして「まったくの正論」と称賛しょうさんし、自国の外相を攻撃した。それをきっかけに聯盟理事会側へ反省を促す所論しょろんも現れた。
 イタリア各紙は「民国側は日本軍が撤兵すれば排日運動も収まると言うのみで、日本が求める条約尊重に対し何ら態度を明らかにしていない」と、理事会のかたよりをただし、英国の『デイリー・メール』には「聯盟各国、極東の事件に武力干渉か」との見出しすら踊った。

 これらに加えて、日本が決して満洲への「領土的野心」など抱いていないことが各国理事にも浸透していくに従って、理事会の険悪な空気も幾分いくぶん和らいできた。ローマの吉田大使はこの流れを踏まえ、「聯盟の自業自得じごうじとくとして冷視すべきときではない。むしろ聯盟の面目めんもくを立てる案を我が方から案出すべき」と本省の尻を叩いた。
 徐々にだが、形勢は変わりつつあった。その一方で、理事会が長引くにつれて各国外相に一日も早く帰国しなければならないとの焦燥感もただよい始めた。

 ヨーロッパ方面では一般輿論も加わって、「ドラモンド総長の三案」に対する日本側の回答を、今かいまかと待ち望んだ。するとえて待ち人をじらすかのように、東京からの回訓は返って来なかった。

 二十一日朝、レジェがオテル・メトロポールへ来訪してきた。
 芳澤が「『事務総長の三案』に対する回訓は、早くとも本日午後になる」と告げると、レジェは少し困った顔をした。
「実は……、ブリアン外相は本日中にも理事会秘密会合を開きたい意向なのです」
「それは困る。本国からの回訓が来ない以上、小官らも責任ある態度を表明し難いのは、外交官である以上貴職にもお分かりでしょう」
 レジェはいよいよ困った顔をして、「外相がそう言う以上、いかんともし難い」と言い残して帰って行った。
 
 芳澤は前のめりの議長を何とか引き留められないかと思案しつつ、東京へ向けて「明日二十二日には公開理事会が開かれる可能性もあり、遅くとも明日早朝までには訓令をいただかなければ、欠席裁判の如き不利益な決議が行われる恐れがある」と催促の電報を打った。
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