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第七章嫩江(ノンコウ)
第七章第一節(三寒四温)
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第七章
一
十月に入ってからもしばらく小春日和に恵まれたので、このまま穏やかな秋空が続くものと思われた。ところが二十四日の夜半になって北西から襲ってきた低気圧が、急激に気温を押し下げた。
街行く人々は慌てて箪笥の奥からセーターやオーバーコートを引っ張り出し、荒々しい冬の訪れに身構えた。
長春にはその晩から初雪がちらつき、夜が明けると奉天も白銀の世界と化していた。振り返って見れば、冬の訪れは例年より四、五日早かった。
十一月を目前に、天候はなお一層不安定になった。うららかな日脚に心身を緩ませたかと思えば、木枯らしに身を硬くする日が予告なく訪れる。
俗に春先の日和を「三寒四温」というが、元来これは朝鮮半島から満州へかけた地方における、冬の天候をあらわす言葉だ。師走に入れば三寒と四暖が見事に繰り返すようになるが、それまでは天の気まぐれに身を任すしかない。
ともあれ、その日は日が暮れるとともにぐっと気温が下がり、零下十度を下回った。
洸三郎と写真班の石川忠行は凍てつく夜空の下、覚束ない月明かりを頼りに線路道を急ぎ足で歩いていた。顔を覆った布の下から時おり白い息が洩れ、闇夜に融けてなくなった。
目を凝らせばはるか彼方まで続くなだらかな稜線が、闇をすかして薄っすらと浮かんでくる。そうして澄んだ空気がせっかく視界の先を伸ばしてくれるというのに、見るべきものとて何もない。
この地方の土壌はソーダ質で樹木の繁殖には適さないから、四方を見渡しても灌木程度の茂みがまばらにあるばかりで立木の類は見当たらない。ただただ平坦な道が地平線の彼方まで続いていた。
目指す聯隊本部はまだ八キロほど先にある。見通しの良さが行く先をさらに遠く感じさせた。東蒙古の荒涼とした大地に、砂利を踏む音だけが鈍くくぐもった。
石川が枕木に蹴つまずいてよろけた。その度に洸三郎が「何や、ふらふらしなさんな」と冷やかしを入れる。その直後に洸三郎が蹴つまずいて、石川が「しっかりせなあかん」とやり返す。さっきから同じ掛け合いの繰り返しなのに、二人は飽きもせず悪態をつき合った。
支局を出てすでに三日が経つ。伸び放題となった無精ひげに覆われた洸三郎の顔はやつれ、眼光だけが妙に浮き上がった。大きな体躯に不似合いな童顔を曇らせ、大きな体をユサユサ揺すって歩く姿はさも苦し気で、見るものの哀れすら誘った。片や瘦せぎすでか細く見える石川は、生来の薄いヒゲとも相まって出発時とほとんど変わらない顔をしている。その飄々とした姿がむしろ頼もしさすら感じさせた。
一
十月に入ってからもしばらく小春日和に恵まれたので、このまま穏やかな秋空が続くものと思われた。ところが二十四日の夜半になって北西から襲ってきた低気圧が、急激に気温を押し下げた。
街行く人々は慌てて箪笥の奥からセーターやオーバーコートを引っ張り出し、荒々しい冬の訪れに身構えた。
長春にはその晩から初雪がちらつき、夜が明けると奉天も白銀の世界と化していた。振り返って見れば、冬の訪れは例年より四、五日早かった。
十一月を目前に、天候はなお一層不安定になった。うららかな日脚に心身を緩ませたかと思えば、木枯らしに身を硬くする日が予告なく訪れる。
俗に春先の日和を「三寒四温」というが、元来これは朝鮮半島から満州へかけた地方における、冬の天候をあらわす言葉だ。師走に入れば三寒と四暖が見事に繰り返すようになるが、それまでは天の気まぐれに身を任すしかない。
ともあれ、その日は日が暮れるとともにぐっと気温が下がり、零下十度を下回った。
洸三郎と写真班の石川忠行は凍てつく夜空の下、覚束ない月明かりを頼りに線路道を急ぎ足で歩いていた。顔を覆った布の下から時おり白い息が洩れ、闇夜に融けてなくなった。
目を凝らせばはるか彼方まで続くなだらかな稜線が、闇をすかして薄っすらと浮かんでくる。そうして澄んだ空気がせっかく視界の先を伸ばしてくれるというのに、見るべきものとて何もない。
この地方の土壌はソーダ質で樹木の繁殖には適さないから、四方を見渡しても灌木程度の茂みがまばらにあるばかりで立木の類は見当たらない。ただただ平坦な道が地平線の彼方まで続いていた。
目指す聯隊本部はまだ八キロほど先にある。見通しの良さが行く先をさらに遠く感じさせた。東蒙古の荒涼とした大地に、砂利を踏む音だけが鈍くくぐもった。
石川が枕木に蹴つまずいてよろけた。その度に洸三郎が「何や、ふらふらしなさんな」と冷やかしを入れる。その直後に洸三郎が蹴つまずいて、石川が「しっかりせなあかん」とやり返す。さっきから同じ掛け合いの繰り返しなのに、二人は飽きもせず悪態をつき合った。
支局を出てすでに三日が経つ。伸び放題となった無精ひげに覆われた洸三郎の顔はやつれ、眼光だけが妙に浮き上がった。大きな体躯に不似合いな童顔を曇らせ、大きな体をユサユサ揺すって歩く姿はさも苦し気で、見るものの哀れすら誘った。片や瘦せぎすでか細く見える石川は、生来の薄いヒゲとも相まって出発時とほとんど変わらない顔をしている。その飄々とした姿がむしろ頼もしさすら感じさせた。
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