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第八章理事会前夜
第八章第一節(背信行為)
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第八章
一
日本へ期限付き撤兵を迫った「十月理事会」の決議案は、芳澤の反対票ただひとつによって否決された。日本は土俵際で踏みとどまったかたちとなったが、英・仏・伊の現職外務大臣が揃い踏んで臨んだ理事会決議案が不成立になったとあって、聯盟の威信に深い爪痕を残したのは否めなかった。
そればかりか、フランスの新聞界は米国オブザーバーの出席を巡る芳澤の主張を全面的に支持し、またイギリスの新聞は理事会の強引な議事運営に“もの言い”を付けた。
終わってみれば、独りブリアン議長のみが悪者扱いとなった感すらある。施肇基と蒋介石が高みの見物を決め込む傍らで、日本と聯盟理事会は互いを深く傷つけ合った。
十一月に控える次の理事会へ向けて体制の立て直しが不可避なのは、誰の目にも明らかだった。
英仏の新聞など比べものにならないほど、日本の新聞は口を極めてブリアン議長を罵った。だが実際のところ、理事会をあそこまで混乱させたのは本当に彼の不手際のせいだったのだろうか……。
胸に手を当てれば、違う方面に思い当たる筋はいくつもある。
何も起こらなければ見送られるはずだった十月の臨時理事会が開かれたのは、関東軍が錦州への“都市爆撃”を敢行したからにほかならない。しかも事態がどんどん悪化するにつれて、「撤兵する」と約束したはずの日本軍はさらに満洲の奥地へと占領地を広げていった。あまつさえ、日本政府は九月の時点でひと言も触れなかった「撤兵の条件」なるものを持ち出して、「それが解決しなければ撤兵はできない」と言い出した。
話がおかしくなったのは、そうした予定外の出来ごとが積み重なったからではなかったか? 少なくとも表面だけをあげつらうならば、日本側の言動は「背信行為」とのそしりを受けても致し方なかった。
錦州爆撃を理由に召集された臨時理事会だっただけに、初っ端から日本への風当たりは強かった。
満洲の情勢はなお予断を許さず、日本政府は「自国民の生命財産の安全が依然危機に瀕している」と繰り返した。だからこそ、「九月に約束した“撤兵”を容易にするための『数個の大綱』に関して日華直接交渉が必要だ」と提起した。
あくまで後講釈になるが、こうして見れば日本政府の問題点は途中から「撤兵の条件云々」を言い出したことにではなく、そもそも九月の理事会に際して安易に「撤兵」を口にしたことであろう。
ではなぜ政府はかくも無責任なことを軽々に公言したかといえば、それはひとえに満洲の情勢を大甘に見ていたからである。
確かに外務省は、満洲の問題を軽く見過ぎていた。居留民たちが日々持ち込んでくる民事の係争に、奉天総領事は“お役所仕事”で対処した。そうして未決着のままとなった事案は三百五十件とも四百件とも言われるまで積み上がった。それどころか、「政府はもっと満洲の問題に本腰で取り組んで欲しい」と上京してきた満洲青年聯盟の陳情団の訴えに幣原外相はまるで耳を貸さず、むしろ説教までして追い返したのであった。
事変が起こってこの問題が国際舞台へと持ち出された後も、外相は国際聯盟を蚊帳の外に置いて「問題解決は二国間の直接交渉で行う」と言い張った。
日華間の問題は確かに複雑だから、係争は当事国どうしの直接交渉でしか片の付けようがない。だが国際社会はお節介なので、当事者の片方がそれでよくとも相手側が不満足ならば黙ってそれを見過ごしてはくれない。
資料に目を通しながら、ふと筆者は「日本の外交はそのくらいのことすら分からなかったというのだろうか?」といぶかりたくなった。
一
日本へ期限付き撤兵を迫った「十月理事会」の決議案は、芳澤の反対票ただひとつによって否決された。日本は土俵際で踏みとどまったかたちとなったが、英・仏・伊の現職外務大臣が揃い踏んで臨んだ理事会決議案が不成立になったとあって、聯盟の威信に深い爪痕を残したのは否めなかった。
そればかりか、フランスの新聞界は米国オブザーバーの出席を巡る芳澤の主張を全面的に支持し、またイギリスの新聞は理事会の強引な議事運営に“もの言い”を付けた。
終わってみれば、独りブリアン議長のみが悪者扱いとなった感すらある。施肇基と蒋介石が高みの見物を決め込む傍らで、日本と聯盟理事会は互いを深く傷つけ合った。
十一月に控える次の理事会へ向けて体制の立て直しが不可避なのは、誰の目にも明らかだった。
英仏の新聞など比べものにならないほど、日本の新聞は口を極めてブリアン議長を罵った。だが実際のところ、理事会をあそこまで混乱させたのは本当に彼の不手際のせいだったのだろうか……。
胸に手を当てれば、違う方面に思い当たる筋はいくつもある。
何も起こらなければ見送られるはずだった十月の臨時理事会が開かれたのは、関東軍が錦州への“都市爆撃”を敢行したからにほかならない。しかも事態がどんどん悪化するにつれて、「撤兵する」と約束したはずの日本軍はさらに満洲の奥地へと占領地を広げていった。あまつさえ、日本政府は九月の時点でひと言も触れなかった「撤兵の条件」なるものを持ち出して、「それが解決しなければ撤兵はできない」と言い出した。
話がおかしくなったのは、そうした予定外の出来ごとが積み重なったからではなかったか? 少なくとも表面だけをあげつらうならば、日本側の言動は「背信行為」とのそしりを受けても致し方なかった。
錦州爆撃を理由に召集された臨時理事会だっただけに、初っ端から日本への風当たりは強かった。
満洲の情勢はなお予断を許さず、日本政府は「自国民の生命財産の安全が依然危機に瀕している」と繰り返した。だからこそ、「九月に約束した“撤兵”を容易にするための『数個の大綱』に関して日華直接交渉が必要だ」と提起した。
あくまで後講釈になるが、こうして見れば日本政府の問題点は途中から「撤兵の条件云々」を言い出したことにではなく、そもそも九月の理事会に際して安易に「撤兵」を口にしたことであろう。
ではなぜ政府はかくも無責任なことを軽々に公言したかといえば、それはひとえに満洲の情勢を大甘に見ていたからである。
確かに外務省は、満洲の問題を軽く見過ぎていた。居留民たちが日々持ち込んでくる民事の係争に、奉天総領事は“お役所仕事”で対処した。そうして未決着のままとなった事案は三百五十件とも四百件とも言われるまで積み上がった。それどころか、「政府はもっと満洲の問題に本腰で取り組んで欲しい」と上京してきた満洲青年聯盟の陳情団の訴えに幣原外相はまるで耳を貸さず、むしろ説教までして追い返したのであった。
事変が起こってこの問題が国際舞台へと持ち出された後も、外相は国際聯盟を蚊帳の外に置いて「問題解決は二国間の直接交渉で行う」と言い張った。
日華間の問題は確かに複雑だから、係争は当事国どうしの直接交渉でしか片の付けようがない。だが国際社会はお節介なので、当事者の片方がそれでよくとも相手側が不満足ならば黙ってそれを見過ごしてはくれない。
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