風紋(Sand Ripples)~あの頃だってそうだった~

宗像紫雲

文字の大きさ
237 / 466
第十一章調査員派遣

第十一章第九節(国権回復運動)

しおりを挟む
                                                  九

 多門二郎たもんじろう第二師団長の追撃が始まった直後の十八日、パリの新聞は早くも「日本軍がチチハルを占領」と大見出しに掲げた。

 その反響は大きく、多くの理事たちが「このような情勢の下で『五大綱交渉』を行うなど、保障占領下で交渉を強要するにひとしい!」と、激しく日本を論難した。
 いったんは改善したと思われた理事会の対日感情は再び悪化して、ブリアン議長ですら「聯盟としても行くところまで行くしかない」など投げやりなセリフを、二度も吐いた。

 理事会に漂いはじめた暗雲を見て取った芳澤は、すぐさま幣原外相へ宛てて「大綱交渉に対する理事会の諒解を取り付けるのが難しくなったから、視察員の受け入れを『大綱協定』問題と切り離して承諾してほしい」と泣きついた。
 だが日本の国論はもはや、その種の妥協を許すほど穏やかなものではなくなっていた。

 もともと国民党政府による「国権回復運動」は、上海や南京など同党の勢力圏となる揚子江沿岸の諸都市で猛威を振るっていた。
 事変が勃発するとこれら方面の排日・排日貨はさらに勢いを増し、「対日経済断交」を掲げて一切の通商を途絶したのみならず、邦人居留民への生活物資の供給すら拒否しはじめた。そして党の指示に従わない華人商人を吊るし上げたりリンチにかけたりと、常軌を逸した非道な振る舞いが蔓延していった。

 これらの事情が内地へ伝わると、“こだま”のように日本の対華感情も悪化して、それに乗じた扇動家たちがさらに大衆を煽り立てるという悪循環が起こっていたのだ。
 十一月十八日付の幣原外相からの訓電は、その苦境を良く言い表している。

 「我が国論は各階級を通して対華強硬論に一致し、ことに従来なら満洲の問題に関して比較的冷淡だった一般民衆までが、今や過去二大戦争※1当時の状況を彷彿させるものがある(中略)。
  政府においては(中略)国論の極端化を防止するのに努めるのはもちろんだが、みだりにこれを抑え込もうとすれば国民の対華感情はたちまち国内へと転じ、一部の極端な者たち※2の策動とも相まって、由々しき事態を惹起する危険性を孕んでいる」
 ※1日清、日露戦争の意。
 ※2「三月事件」、「十月事件」など軍部内外の政治改革派を指す。

 また訓電が「これら国内の事情により政府対軍部および、軍中央部対出先軍憲の関係にも極めて微妙な影響を及ぼし云々」と、関東軍対軍中央部の軋轢あつれきにも言及している点は要注意だ。中央が関東軍の“先走り”を抑えようとすれば、その反動は却って国内の空気を不穏な方向へ走らせてしまう。
 「この点は、目下政府の最も苦心しているところである」--と。

 聯盟との“折り合い”を望む芳澤へ向けて外相は、「交渉の成立を急ぐあまり、安易にこれまでの主張を曲げて妥協すれば、後日これを実行する段になって言ったことを守れなくなる。それでは国家の威信に与える影響はより深刻である」とにべもなかった。
 本国から色よい返事を得られなかった芳澤は、理事会へ視察員派遣問題に対する日本側の回答期限を延ばしてもらうよう申し出た。その一方で再度幣原外相を説得し、再度政府の回答を請訓した。
 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

電子の帝国

Flight_kj
歴史・時代
少しだけ電子技術が早く技術が進歩した帝国はどのように戦うか 明治期の工業化が少し早く進展したおかげで、日本の電子技術や精密機械工業は順調に進歩した。世界規模の戦争に巻き込まれた日本は、そんな技術をもとにしてどんな戦いを繰り広げるのか? わずかに早くレーダーやコンピューターなどの電子機器が登場することにより、戦場の様相は大きく変わってゆく。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

処理中です...