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第十四章上海事変

第十四章第四節(市井の人々)

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 日増しに悪化する情勢に業を煮やしたのは、市井しせいの人々だった。

 昭和六(一九三一)年時点における上海の日本人は、二万四千二百三十五人を数えた。その多くが共同租界の東側に広がる虹口ホンキュウに暮らし、ちょっとした日本人街を形成した。
 十月九日には邦人居留民たちの“町内会”で構成する連合団体の「各路聯合会」が臨時総会を開き、二日後の十一日に北四川路きたしせんろ沿いの北部小学校で「第一回居留民大会」を開催することとなった。
 
 「帝国政府は日支諸懸案の徹底的解決および不法かつ暴戻ぼうれいなる対日経済絶交を根絶するため、すみやかに強硬かつ有効なる手段を講ぜられたし」
 
 会場には約六千人が詰めかけ、決議文を採択したが、ほとんどの参加者はそれで満足などできなかった。
 会場を後にした群衆は続々と北四川路へ流れ出て、通り沿いの旅館に掲げられた「抗日救国会宣伝隊北四川路出張所」の看板に激昂した。すぐさま旅館の主人を呼び出すと、看板を撤去させた……。

 それまでは良かったが、さらに北へ進んだ一隊は映画館付近に貼られた抗日宣伝ビラを引き剥がそうとして、華人の集団と衝突し大乱闘に発展する。
 そこへ駆けつけた公安局巡警が邦人群衆に拳銃を向けたため、辺りには一時不穏な空気が漂った。

 その後、日本の陸戦隊が出動して仲裁に入り、激高した邦人たちも渋々しぶしぶ上げた拳を下ろしたが、この乱闘で日本人三人が負傷を負った。
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