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第十五章リース=ロスの幣制改革

第十五章第四節(本位銀流出)

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                 四

「この週末、孔祥熙こうしょうき宋子文そうしぶんが漢口で蒋介石と会談したとのことですが……」
 今年一月、吉田の許へ南京政府経済調査部長の宋子文が接触してきた。宋は日本公使館を介して吉田の意見を聞くために部下の張福運を使わした。その報告に興味を惹かれた宋は後日、自ら面会を求め、両者は急速に親交を結ぶようになった。

「ええ、財政顧問のアーサー・ヤングや金融経済界の重鎮も加わって、今後の政府の政策を占う重要な会議となった模様です」

 二月二十八日から二日間、南京政府は揚子江中流域の漢口で貨幣会議を開いた。
 財政難にあえいだ南京政府は前年の十一月、財政部長の孔祥熙と中央銀行(「中央」という名の民間銀行)総裁の宋子文が独断で上海の香港上海銀行に二千万ポンドの融資を申し込んだ。
 香上ホンシャン銀行は案件の性格を踏まえて英政府に相談。ロンドン政府は熟慮の上で、「国際収支の赤字基調など構造的問題を解決しないまま安易な借款をしたところで、資金を使い果たせば元の木阿弥もくあみだ。しかも、借款により関税収入は長期にわたり担保として抑えられ、民政発展の障害になる」との理由から申し出を断った。
 英国に断られた孔と宋は米国に伺いを立てるが、これもにべなく断られる。そこで今回の会議となった。

 一九二九年を一〇〇とした米国の物価指数は、大恐慌により三二年には五〇へと半減する。これに反し、二六年を一〇〇とした上海物価指数は三一年に一二六・七以上へと逆に上昇する。同じく二九年から三一年までに世界の輸出総額は四十三パーセントも減少したのに対し、民国の減少率は一〇・五パーセントに止まった。
 高橋財政によって日本経済は過去十三年間続いたデフレーションから脱却し、世界に先駆けて不況を克服したことは知られる筋によく知られている。だが意外と知られていないが、銀本位の中華民国も国際銀相場の下落による自国通貨安という恩恵を享受して、好景気に沸いていたのだ。

 経済の好調は銀の輸入量にも表れる。二二年時六千三百万元余りだった銀の輸入超過額は、二九年には約一億七千万元に上り、三〇年も一億三千七百万元を数えた。通貨準備としての銀が増えれば通貨発行余力が生まれ、経済活動はさらに活発になる。

 元来は国内産業の対外競争力が脆弱で構造的に輸入超過の中華民国は、貿易収支が赤字基調にある。
 それを華僑をはじめとした在外移民からの送金や、キリスト教宣教師らが運営する病院や学校に要する資金、国内に駐留する外国軍隊の経費や近海を通過する外国船への石炭の供給などで埋めて国際収支尻を黒字化してきた。しかもこれを原資に銀を輸入するという好循環を演出してきた。

 米人の宣教師だけでも、毎年約三百万ドルの送金を受けているのだ。これらは全て米国内での寄付によって賄われたのだが、民国への外貨流入に大きく寄与した。そうしたこともあって、米国の対民国政策には常にこれらキリスト教宣教師の影が透けて見えた。
 ところが世界恐慌のあおりを受けて在外移民からの送金が細り、外国政府や宣教師らの資金供給も十分でなくなると、国際収支はみるみる悪化した。

 その結果、決済に要する本位銀が流出するはめになった。
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