風紋(Sand Ripples)~あの頃だってそうだった~

宗像紫雲

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第十六章・成都

第十六章第三節(反対運動)

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                 三

 三週間ほどして、内地で諸々もろもろの準備を整えた岩井が戻ってくると、満面の笑みを浮かべた洸三郎が待っていた。

「喜んでくださいっ、岩井さん。本社への転勤の内示が出たのですが、最後の仕事ということで四川取材を許されました」
「おお、それは良かった。君が一緒に来てくれるなら、大船に乗ったようなものだ。いや、よかった、よかった!」
 岩井も心から喜んでくれた。しかもこのとき大毎は、実に大盤振る舞いをした。洸三郎のみでなく現地法人の『上海毎日新聞』から深川経次ふかがわけいじ編集長も随行することとなった。そして揚子江を遡上して三峡渓谷さんきょうけいこくへと至り、さらに重慶じゅうけいから秘境の四川までの紀行文を連載することになった。

 岡山の旧制六校から京都大学へ進んだ洸三郎に対し、深川は熊本の旧制五校を出て東京大学へ進学。しばらく文士として活動した後、新聞記者に転じてきた。彼の筆致は読者に好評で、名文家として名を馳せていた。
 深川は洸三郎より三つ年上だが、決してそれを笠に着るところがなかった。もとより洸三郎も“人懐っこい”性格だったから、二人はすぐに打ち解け合った。岩井と深川も従前からの知り合いで、かくて秘境巴蜀への旅は“仲良し三人組”の珍道中となることになった。

 ところが--である。
 南京政府は七月十九日、「商埠地ではない成都へ総領事館を置く日本の意図は、民国の主権を侵害する経済侵略にほかならない」との理由を挙げて岩井商務書記官に総領事館再開に反対の意向を申し入れてきた。
 この理屈は一見正しく聞こえるが、事実に照らせば奇妙なものだ。そもそも大正七年に総領事館を構えたときも、成都は商埠地ではなかった。しかも今回、フランスがすでに総領事館を再開しており、日本も同じ流れに乗ったに過ぎない。ただフランスは南京政府の要請に応じて「領事」の呼称を取り下げ、重慶領事館の出張所という位置づけに変更した。この時点で日本のみが“既得権”を主張して南京側と対立する構図となっていた--。

 どうして南京政府は既存の領事館再開に反対を言い出したのか--?
 ここである疑念が立った。
 蒋介石しょうかいせきは共産軍の討伐に際して成都に総司令部を構えた。古から「沃野千里、天府之土」と言われてきたように、四川は土地が豊かで天然資源に恵まれている。
 もし、外からの圧力により交通や通商を遮断されても、自力で生きていくことができる土地柄だ。そこで、日本を仮想敵として将来「もしも」のことが起こったなら、首都を南京から成都へ移す計画があるらしい--。

 その後「支那事変」が起こって実際に首都を移した場所は、成都ではなく手前の重慶だった。しかし成都でも街のいたるところへ防空壕を掘ったり、通りの辻々に迷彩を施した爆弾の模型を据え付け、市民の防空意識を高揚させたのは事実である。

 ともあれ日本政府は民国側の申し出を一蹴し、総領事館再開を強行することにした。すると、上海の各大学にいる四川出身学生らを使嗾して、総領事館反対運動を展開しはじめた。
 これが重慶や成都へも飛び火して、岩井一行の行く前から「何としても阻止する」という気運が盛り上がった。
何とも幸先の悪い旅路である。そんなこととは露知らず、深川と洸三郎は先発組として船上の人となった。
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