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第十六章・成都
第十六章第七節(実力阻止)
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七
漢口を出た一行が宣昌を経て三峡渓谷の山紫明水を堪能していた頃、巴蜀の風雲は急を告げていた。
予定から一日遅れの八月十七日、重慶へたどり着いた岩井英一書記官ら一行を迎えたのは、激しい排日抗日の嵐だった。十八日付の地元新聞が一行の到着を報道すると、学校をはじめ各種団体が国民党の県本部に押しかけ反対集会を開いた。
深川経次は上海の同僚へ宛てて、このときの様子をこう書き送った。
「この絶好のチャンスを利用して大いに四川を探るはずのところが、実際ここへ着いてみると、甚だしくそれが難事であることを知った。それどころか成都の領事館再開もなかなか容易にはできそうもない。重慶では物凄い反対でもが行われている。僕らが外出すると石を投げつけるありさまだ。辻々には例の抗日ビラと領事館反対の貼り札で賑やかなことだ。岩井四川省即日退去などというのが領事館の付近に堂々と貼り出されている」
日本政府の当初の態度は「既得権」をかさに着て、強引に押し通そうというものだった。だが四川省当局は、岩井らへの護照発給を拒否し、飛行機のチケットも売らないという実力行使で行く手を阻んだ。
毎度のことながら、地方政府が中央の指示なしにこのようなことはしない。つまり、一行が先へ進みたければ南京の政府を説得しろと言うサインである。重慶領事の糟谷廉ニは上海の川越茂大使へ、南京政府に働きかけて通行の許諾を取り付けて欲しいと請訓した。
「成都領事館の件は、現地の治安が悪化したので一時閉鎖していたのを再開するに過ぎない。今さらこの問題を白紙に戻そうなど、あまりに馬鹿げているではないか!」
川越から指示を受けた南京の須磨弥吉郎総領事は、国民党外交部の徐謨政務次長に対して高圧的な態度で臨んだ。既成の事実を覆されるのは、役人の最も嫌うところである。
前年の幣制改革以来、南京政府内では欧米派の権勢が増して対日侮蔑の空気が露わになった。それに加えてこの年の二月、雪の降る東京で陸軍最大のクーデター「二・二六事件」が起こった。大陸には「日本は内政が混乱しているから、民国へ圧力をかける余裕などない」といったムードがみなぎった。
「すでに申し上げた通り、成都は商阜地ではないため領事館の開設は国内法に照らして違法となります。フランス政府は民国の要請を受け入れ、『領事』の呼称は使わないことで合意しました。もし貴国が領事館再開の延期なさるなら、喜んで政府へ取り次ぎましょう」
須磨の虚勢を見て取った徐謨は、敢えてそっけない返事を返した。互いの関係が冷え込むと歯車はどんどん逆回転を繰り返す。そうして自らの動力によって事態をさらに悪化させていく。
「領事館再開が国内法に触れるのならば、いっそのこと成都を商阜地にすればいいではないか」
須磨は自分でも虚しいと知りつつ、“負け惜しみ”を返すしかなかった。
漢口を出た一行が宣昌を経て三峡渓谷の山紫明水を堪能していた頃、巴蜀の風雲は急を告げていた。
予定から一日遅れの八月十七日、重慶へたどり着いた岩井英一書記官ら一行を迎えたのは、激しい排日抗日の嵐だった。十八日付の地元新聞が一行の到着を報道すると、学校をはじめ各種団体が国民党の県本部に押しかけ反対集会を開いた。
深川経次は上海の同僚へ宛てて、このときの様子をこう書き送った。
「この絶好のチャンスを利用して大いに四川を探るはずのところが、実際ここへ着いてみると、甚だしくそれが難事であることを知った。それどころか成都の領事館再開もなかなか容易にはできそうもない。重慶では物凄い反対でもが行われている。僕らが外出すると石を投げつけるありさまだ。辻々には例の抗日ビラと領事館反対の貼り札で賑やかなことだ。岩井四川省即日退去などというのが領事館の付近に堂々と貼り出されている」
日本政府の当初の態度は「既得権」をかさに着て、強引に押し通そうというものだった。だが四川省当局は、岩井らへの護照発給を拒否し、飛行機のチケットも売らないという実力行使で行く手を阻んだ。
毎度のことながら、地方政府が中央の指示なしにこのようなことはしない。つまり、一行が先へ進みたければ南京の政府を説得しろと言うサインである。重慶領事の糟谷廉ニは上海の川越茂大使へ、南京政府に働きかけて通行の許諾を取り付けて欲しいと請訓した。
「成都領事館の件は、現地の治安が悪化したので一時閉鎖していたのを再開するに過ぎない。今さらこの問題を白紙に戻そうなど、あまりに馬鹿げているではないか!」
川越から指示を受けた南京の須磨弥吉郎総領事は、国民党外交部の徐謨政務次長に対して高圧的な態度で臨んだ。既成の事実を覆されるのは、役人の最も嫌うところである。
前年の幣制改革以来、南京政府内では欧米派の権勢が増して対日侮蔑の空気が露わになった。それに加えてこの年の二月、雪の降る東京で陸軍最大のクーデター「二・二六事件」が起こった。大陸には「日本は内政が混乱しているから、民国へ圧力をかける余裕などない」といったムードがみなぎった。
「すでに申し上げた通り、成都は商阜地ではないため領事館の開設は国内法に照らして違法となります。フランス政府は民国の要請を受け入れ、『領事』の呼称は使わないことで合意しました。もし貴国が領事館再開の延期なさるなら、喜んで政府へ取り次ぎましょう」
須磨の虚勢を見て取った徐謨は、敢えてそっけない返事を返した。互いの関係が冷え込むと歯車はどんどん逆回転を繰り返す。そうして自らの動力によって事態をさらに悪化させていく。
「領事館再開が国内法に触れるのならば、いっそのこと成都を商阜地にすればいいではないか」
須磨は自分でも虚しいと知りつつ、“負け惜しみ”を返すしかなかった。
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