アカガネ

南下容喙

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第1話 赤金の海、黒鉄の嵐

​瀬戸内の夕景は、精錬されたばかりの銅のように赤く輝いていた。ここは吉備国有数の銅の精錬所上水島。“アカガネ”と呼ばれる合金を浪速に卸すのを生業にしている。

上水島を出航した運搬船『瑞穂丸』の甲板で、五郎は海図を広げ、指先で緻密な航路をなぞっていた。

​「予定より半刻遅れている。風を読み違えたか。……おい、帆の角度をあと三分絞れ。計算上これで遅れは取り戻せる」
​二十代半ばの五郎の声には一切の迷いがない。
彼は自らの論理を疑わず、効率こそが正義だと信じていた。

横で舵を握る徳次が
「若旦那、この先の潮目は理屈じゃねえ、嫌な風が吹いてやがる」と抗議した。

この島は五郎と同じく瀬戸内海の犬島から働きに来た男ばかりだ。彼らは「海と共に生きる」とか言い出すような奴らだった。

五郎は一蹴した。
​「風は空気の流れだ。感情で動くものじゃない。…来るぞ」

​だが、現れたのは「風」ではなく「影」だった。
​水平線の向こう、沈みゆく太陽を背にして、異様に巨大な安宅船が四隻、まるで海からせり上がるように姿を現した。船首には、血のように赤い鬼の面が掲げられている。
​温羅(うら)の一団だ。

​「迎撃態勢をとれ! 荷を死守しろ! この銅は吉備の、いやこの国の経済を回す血だ!」
​五郎は即座に指示を飛ばした。しかし、温羅のやり方は五郎の「合理的予測」を遥かに超越していた。

​「ぎゃあぁぁ!」
​またたく間に接舷され、仲間の悲鳴が上がる。五郎が必死に組織を立て直そうと叫ぶ中、敵船の甲板から一人の巨漢が飛び降りてきた。

​身の丈は二メートルを超え、髪は縮れた赤茶色。肌は精錬所の炉の火に焼かれたような土色をしている。それこそが、吉備の海を恐怖で支配する「温羅」当人であった。

​温羅は、五郎が命の次に大事にしていた銅の塊を、まるで石ころのように片手で掴み上げた。
​「……これが、上水島の『宝』か。軽いな。人の欲の重さにも満たぬ」

​「待て! それは契約された荷だ! 奪えば物流が死ぬ、お前たちも困るはずだ!」
​五郎は必死に説得を試みた。だが、温羅は一瞥もくれず、巨大な鉄槌を一振りした。その風圧だけで五郎は甲板に叩きつけられる。

​「小僧。理屈で腹は膨れぬ。このアカガネこそが、俺たちの理(ことわり)だ」

​温羅の合図とともに、浪速へ届くはずだったアカガネと鉄製農具のまでもが、次々と敵船へと運び出されていく。

五郎が築き上げようとした「完璧な物流計画」は、圧倒的な武力と掠奪という非合理の前に、文字通り木っ端微塵に砕かれた。

​沈みゆく船の甲板で、五郎は冷たい海水に浸かりながら、遠ざかる温羅の影を睨みつけた。

​(…力だ。論理を支えるには、奴らをねじ伏せる圧倒的な力が要る。吉備へ行く。あそこの『鉄』を、私の『理屈』の武器にしてやる…)
​喉の奥まで込み上げる、屈辱と銅の錆びた味。
それが五郎の覚悟を鋼へと叩き上げていくのであった。
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