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見聞録
嘘つきさんは甘い蜜を吸っていたい ⑨
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「ということで、慣れないだろうけど、しばらく我が家で過ごしてください。あ、紹介が遅れましたが、私はリアトリスです。こちらは夫のイグナシオ」
馬鹿馬鹿しい口論をやっと終えたリアトリスが、努めてにこやかにトリクシーに話しかけた。
リースはリアトリスの愛称であることが、そこでようやく判明する。
「は、はぃっ! 存じ上げています」
トリクシーは緊張と恐怖のあまり、呂律の回らない口でなんとか返事をした。
そんなトリクシーの様子に、リアトリスは気持ち多めに瞬きする。
「今更だけど、イオの認知度ってすごいね。まんま有名人」
「好きで有名になったわけじゃない」
ありのままを述べるリアトリスに、イグナシオはむっとなる。
リアトリスの常識が欠如している発言に、周囲はこっそり苦笑したり、忍び笑いしていた。リアトリスの世間知らずを知らないトリクシーだけが、頭に疑問符を浮かべている。
「はいはい。で、彼女はトリクシーよ。ほら、しばらく世話になるんだから、しゃんとしなさい」
「よ、よろしくお願いしますっ」
会話の流れを本流に戻し、ソランジュがトリクシーに助け舟も出す。内心ソランジュに感謝しながら、トリクシーは勢いよく頭を下げた。
「こちらこそよろしくお願いします」
代表でリアトリスも丁寧にお辞儀を返す。
その対応には、トリクシーはますます混乱が増すかのようだった。
今厨房内には、トリクシーにとって錚々たる顔ぶれが揃っている。リアトリスとて、その例外ではない。
偽りの身分しか持たないトリクシーに、リアトリスがこれほど寛大な対応を取るなど、トリクシーは未だ信じられない気分だった。
「そろそろ帰ろうなの~。ヤナが一人で寂しがってるはずなの~」
「そうですね。お暇しましょうか」
「だな」
フデリンドウの提案に、リアトリスとイグナシオはこくり頷く。
厨房内にいる面々に別れの言葉を告げて、フデリンドウ・リアトリス・イグナシオ・トリクシーの四人は帰宅すべく外に出ようとした。
「ちょっと」
おっかなびっくりで最後尾をついていくトリクシーを、ソランジュが例の魔法をかけて呼び止める。トリクシーとソランジュの二人だけに、例の魔法が展開される中で、ソランジュは真顔で告げた。
「リースに少しでも変なことしたら容赦しないから」
それは、暗に命はないと脅迫しているに他ならない。
ソランジュの単なる脅しではない本気に、トリクシーの両腕が一気に粟立つ。
「し、しないわよっ!」
カチカチと歯を鳴らせながらも、トリクシーは自分の意思をはっきり告げた。
ともすれば、ソランジュはあっという間に母性溢れる慈愛の顔になる。どうやら、トリクシーの返事は及第点だったようだ。
「賢明な判断ね」
それでも、わざとらしい善人の表情と声色とは裏腹に、ソランジュはどす黒いオーラを漂わせていた。それにトリクシーは小さく「ひぃ」と悲鳴を上げる。
魔法が解除されるな否や、トリクシーは転がるようにリアトリスたちの後を追った。
リアトリスだけが何も知らないまま、四人は家路を歩いて行く。
一行の姿が暗闇に完全に溶け込むと、ソランジュとエリーとテネヴも、【ムーンダスト】にいた面々に別れを告げた。ソランジュたちは、【ムーンダスト】の向かいにある家に、ゆったりした足取りで帰る。
「ったく。ど~して本物が偽物を匿うんだか。おかしいったらありゃしない」
「だね」
ソランジュの呆れに、エリーもテネヴも首をがくがく振って同意した。
* * *
「おばあちゃんもイオも、転移陣で先に帰っていても良かったんですよ」
シェンの村の南の出入り口から歩いて少ししたところで、リアトリスがぽつり呟く。
「そんなことできるか。何かあったらと思うと心配でたまらない」
「こんな短い距離で一体何があるってんですか」
夫の過保護ぶりに、リアトリスはほとほと呆れた。
「私も一応トリクシーが(結界を)通れるかどうか、この目で見たいの~」
「さいですか」
好奇心を露わにするフデリンドウに、リアトリスは眉を下げるばかり。
トリクシーはといえば、これから待ち構えているであろうなんらかの試練を、まだかまだかと緊張しながら窺っていた。
シェンの村から歩いて約五分かそこら。
四人の目の前には、二件の家が立っていた。
トリクシーが緊張の糸をずっと張り詰めたまま、まさかまさかで目的地に到着してしまう。知らず知らずのうちに、トリクシーに課せられた試練は無事終了していた。
「大丈夫だと思ってたけど、無事悪人除けの結界を通り抜けられたね」
「なの~」
「え・・・・・・」
トリクシーが無事結界を通過できた時点でいう会話を、家のまでリアトリスとフデリンドウがのほほんとする。
あっけなくもすでに試練を終えた事実を知らされ、トリクシーは緊張の糸がぷつり切れた。ただただ呆然とする。
そんなトリクシーを尻目に、リアトリスは何やら考え込む。
「これから何かと顔を合わせるだろうから、おじいちゃんとも顔合わせした方がいいですよね? 家族モンスターたちは明日でいっか」
リアトリスの意見に、フデリンドウとイグナシオが軽く頷く。
フデリンドウがたったか右側の家の玄関のドアに向かい、すぐさま取っ手を掴んだ。
ようやく我に返ったトリクシーが、「心の準備がまだっ!」と胸の内で叫んでももう遅い。
「ヤナ~。ただいまなの~」
ドアを開けたフデリンドウが、ルンルン気分で帰宅を報告する。
「おかえり。・・・・・・だいぶ遅かったな」
家の方から、不機嫌な老人の声が飛んで来た。声の主が誰だか予想がつき、トリクシーの心臓はバクバクし始める。
「ただいま」
「ただいまです、遅くなりました」
とっとと家の中に消えていったフデリンドウとは違い、イグナシオとリアトリスは玄関前で挨拶した。
「あ~、ヤナ~。外ににせ~じょがいるの~。しばらくリースとイオの家で匿うの~」
「・・・・・・は?」
家の中で、フデリンドウなりに簡潔な説明をしていた。
それを聞いた老人が、あまりにも間抜けな声を出している。
「そのですね、おじいちゃん。実は ―― 」
フデリンドウの説明を補足すべく、リアトリスが一生懸命事のあらましを老人に伝えた。
ときおり、フデリンドウとイグナシオも口を挟み、説明は数分で終わる。
「で、こちらにいるのが、その彼女なんです」
リアトリスにおいでおいでされ、トリクシーは己を奮い立たせて、玄関前に向かった。玄関前に立てば、トリクシーの眼前に老人が待ち構えている。
少し地黒な肌をした老人だ。まっすぐ伸びている髪は、後ろになでつけるように一つに結われている。長めに伸ばし整えられた髭は、髪と一緒で赤茶色だ。
老人の紺色の瞳に値踏みされるように一瞥される中、トリクシーはぺちっと己の右太ももを右手で叩く。
「と、トリクシーと申します。不束者ではございますが、何卒よろしくお願い申し上げます」
やや早口で言い終わるなり、トリクシーはまたもや深々と頭を下げた。本日一番、トリクシーの心臓が早鐘を打っている。
「ふんっ。リースたちが決めたことなら致し方あるまい。好きにしろ。ただし、くれぐれも俺たちの手を煩わせるな」
「は、はいっ!」
不承不承ながら、老人はトリクシーの滞在許可を認めたようだ。
最悪の展開にならなかったことに、頭を下げっぱなしのまま、トリクシーは安堵する。
「夜も遅い。リンは早く風呂に入れ。リースたちも早く寝ろ」
「はいなの~」
「はい。おじいちゃんとおばあちゃんへのお土産は、明日の朝渡しますね。では、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
「ああ」
リアトリスにイグナシオが続き、ヤナギが最後に締めくくれば、一家の寝る前の挨拶も一通り済んだ。
トリクシーが再度ぺこぺこ頭を下げれば、フデリンドウの夫への挨拶も無事終了。
三人は左に佇む家に、ようやく入る。
「う~ん。やっと帰って来れた~」
家の中に入り、リアトリスは思い切り伸びをした。実に開放感を滲ませている。
一方、トリクシーは違和感を覚えていた。どうしても耐えられなくなり、トリクシーはおずおずと口を開く。
「あのう。使用人の方はいらっしゃらないんですか?」
トリクシーの質問に、リアトリスとイグナシオは顔を見合わせた。それが解除されると、リアトリスが質問の答えをようやく述べる。
「いないよ。え~と、もしかして、トリクシーもお嬢様だったりする?」
「いえっ! 先に述べたように、私は戦争孤児ですし、なんの身分も持っていません」
不安そうに見つめるリアトリスに、トリクシーは両手と首をぶんぶん動かす。正確には偽物の聖女という肩書は持っているが、トリクシーは自分の身の回りの世話を自身でできないわけではない。
「そう? ならいいんだけど。一応我が家は、自分のことはなるべく自分でって方針なんだ。だから悪いけど、そうしてもらえると助かります」
「はい、もちろんです」
リアトリスには威圧感がないからか、トリクシーは打てば響くような受け答えをした。
そんなトリクシーに気をよくしたのか、リアトリスがにこやかな顔になる。
「今日はもう遅いし、また明日以降うちのことはいろいろ教えるね」
「はい」
「今日のところは、ゆっくりお風呂に浸かって、疲れを癒してくれればいいかな。客室は二階、しばらくはそこを使ってね。えっと、まずはお風呂にする? それとも先に部屋を見る?」
「じゃ、じゃあ、先に部屋に案内してもらってもいいでしょうか?」
「分かった。着いてきて」
そうして、リアトリスに先導され、トリクシーは二階の客室に案内された。
無言のイグナシオも、二人に付き添っている。
「本当に一部屋、お借りしていいんですか?」
「うん。何部屋かあるから、気に入った部屋を使ってね」
「じゃあ、ここにしますっ!」
試しに一番最初に案内された部屋が、トリクシーは気に入ったらしい。
家具も一通り揃った、埃一つない客室。貧困を知って育ったトリクシーには、十分すぎるほどだった。
偽物の聖女として今までも様々な宿に泊まったが、トリクシーにはどこだって文句や不満を漏らしたことなどない。
「気に入ってもらえて良かった」
「はい。故郷では孤児のみんなとぎゅうぎゅう詰めで暮らしてたから、一人部屋って未だに憧れてて。だけど、ここまで誰かがいた気配がないと、ちょっと落ち着かないですね・・・・・・」
テンションが上がったからか、トリクシーの口も円滑になる。
しかしながら、数秒後、トリクシーはバツが悪い顔になった。
「すみません、つい口が滑って・・・・・・」
「いいんだよ、それくらい。それに、私も前世自分の部屋って呼べるものがなかったから、気持ちは分かるかな」
リアトリスが目を細めて小さく言った。
「え? 前世って・・・・・・」
「あれ? 言ってなかったけ? 私、転生者なんだ。前世の記憶があるの」
「そう、なんですね」
リアトリスの語る真実に、トリクシーはなるほどと納得する。
二人の中々途切れそうにない会話を見越して、イグナシオが口を挟んだ。
「おじいさんも言ってたが、もう夜遅い。早く風呂に入って寝ないか?」
「そうだね。すぐお湯溜めるから、トリクシーが先に入って」
「いえ、その、私は最後で構いません」
「そう? じゃあ、先に私たちが入っちゃうね」
一番最初に湯浴みするのに反対の意を唱えるトリクシーに、リアトリスは何かしら事情があるのだろうと察した。
一方、イグナシオはリアトリスとは異なる事情を察する。トリクシーが自分からそう切り出したがゆえに、イグナシオは余計なことを言わなくて済んだと、ホッとしていた。
それからイグナシオとリアトリスが湯浴みを済ませ、トリクシーがお風呂に入る番となる。
入浴剤を入れられた気持ちぬるめのお湯に浸かれば、トリクシーの身も心もほぐれていく。
風呂場は一階にあり、二階へ戻るにも一階の居間を横切る必要がある。
風呂上がりのトリクシーを、リアトリスとイグナシオが居間で待ち構えていた。
「温かい飲み物を作ったんだけど、飲まない?」
「あ、えと、では、お言葉に甘えて」
無下に誘いを断ることもできず、トリクシーはお風呂上りに飲み物を振る舞われることになる。
マグカップに入っている飲み物は、ホットミルクのようだった。
一口飲んで、トリクシーは首を傾げる。
その疑問に、リアトリスがすぐに気づいた。
「これね、少しだけ豆で作られた飲み物を入れてるの。体にいいし、寝る前に飲むとよく眠れる効果があるんだ」
「そうなんですね。道理で少しだけ、癖があると思いました」
「うん。もし苦手だったから、無理して飲まなくていいから」
「いえ、そこまでではないです」
初めて口にするホット豆乳ミルクは、トリクシーにそこまで敬遠されることなく、喉を通っていく。
お風呂上り、熱すぎないホットドリンクを口にしたこともあってか、トリクシーはすっかり癒された。
マグカップをリアトリスと一緒に片付け、トリクシーは二階の部屋のベッドに直行する。ベッドの中に身を置けば、すぐに睡魔がやって来た。
怒涛の一日の疲れを消し去るように、トリクシーはこんこんと眠り続けたのだった。
馬鹿馬鹿しい口論をやっと終えたリアトリスが、努めてにこやかにトリクシーに話しかけた。
リースはリアトリスの愛称であることが、そこでようやく判明する。
「は、はぃっ! 存じ上げています」
トリクシーは緊張と恐怖のあまり、呂律の回らない口でなんとか返事をした。
そんなトリクシーの様子に、リアトリスは気持ち多めに瞬きする。
「今更だけど、イオの認知度ってすごいね。まんま有名人」
「好きで有名になったわけじゃない」
ありのままを述べるリアトリスに、イグナシオはむっとなる。
リアトリスの常識が欠如している発言に、周囲はこっそり苦笑したり、忍び笑いしていた。リアトリスの世間知らずを知らないトリクシーだけが、頭に疑問符を浮かべている。
「はいはい。で、彼女はトリクシーよ。ほら、しばらく世話になるんだから、しゃんとしなさい」
「よ、よろしくお願いしますっ」
会話の流れを本流に戻し、ソランジュがトリクシーに助け舟も出す。内心ソランジュに感謝しながら、トリクシーは勢いよく頭を下げた。
「こちらこそよろしくお願いします」
代表でリアトリスも丁寧にお辞儀を返す。
その対応には、トリクシーはますます混乱が増すかのようだった。
今厨房内には、トリクシーにとって錚々たる顔ぶれが揃っている。リアトリスとて、その例外ではない。
偽りの身分しか持たないトリクシーに、リアトリスがこれほど寛大な対応を取るなど、トリクシーは未だ信じられない気分だった。
「そろそろ帰ろうなの~。ヤナが一人で寂しがってるはずなの~」
「そうですね。お暇しましょうか」
「だな」
フデリンドウの提案に、リアトリスとイグナシオはこくり頷く。
厨房内にいる面々に別れの言葉を告げて、フデリンドウ・リアトリス・イグナシオ・トリクシーの四人は帰宅すべく外に出ようとした。
「ちょっと」
おっかなびっくりで最後尾をついていくトリクシーを、ソランジュが例の魔法をかけて呼び止める。トリクシーとソランジュの二人だけに、例の魔法が展開される中で、ソランジュは真顔で告げた。
「リースに少しでも変なことしたら容赦しないから」
それは、暗に命はないと脅迫しているに他ならない。
ソランジュの単なる脅しではない本気に、トリクシーの両腕が一気に粟立つ。
「し、しないわよっ!」
カチカチと歯を鳴らせながらも、トリクシーは自分の意思をはっきり告げた。
ともすれば、ソランジュはあっという間に母性溢れる慈愛の顔になる。どうやら、トリクシーの返事は及第点だったようだ。
「賢明な判断ね」
それでも、わざとらしい善人の表情と声色とは裏腹に、ソランジュはどす黒いオーラを漂わせていた。それにトリクシーは小さく「ひぃ」と悲鳴を上げる。
魔法が解除されるな否や、トリクシーは転がるようにリアトリスたちの後を追った。
リアトリスだけが何も知らないまま、四人は家路を歩いて行く。
一行の姿が暗闇に完全に溶け込むと、ソランジュとエリーとテネヴも、【ムーンダスト】にいた面々に別れを告げた。ソランジュたちは、【ムーンダスト】の向かいにある家に、ゆったりした足取りで帰る。
「ったく。ど~して本物が偽物を匿うんだか。おかしいったらありゃしない」
「だね」
ソランジュの呆れに、エリーもテネヴも首をがくがく振って同意した。
* * *
「おばあちゃんもイオも、転移陣で先に帰っていても良かったんですよ」
シェンの村の南の出入り口から歩いて少ししたところで、リアトリスがぽつり呟く。
「そんなことできるか。何かあったらと思うと心配でたまらない」
「こんな短い距離で一体何があるってんですか」
夫の過保護ぶりに、リアトリスはほとほと呆れた。
「私も一応トリクシーが(結界を)通れるかどうか、この目で見たいの~」
「さいですか」
好奇心を露わにするフデリンドウに、リアトリスは眉を下げるばかり。
トリクシーはといえば、これから待ち構えているであろうなんらかの試練を、まだかまだかと緊張しながら窺っていた。
シェンの村から歩いて約五分かそこら。
四人の目の前には、二件の家が立っていた。
トリクシーが緊張の糸をずっと張り詰めたまま、まさかまさかで目的地に到着してしまう。知らず知らずのうちに、トリクシーに課せられた試練は無事終了していた。
「大丈夫だと思ってたけど、無事悪人除けの結界を通り抜けられたね」
「なの~」
「え・・・・・・」
トリクシーが無事結界を通過できた時点でいう会話を、家のまでリアトリスとフデリンドウがのほほんとする。
あっけなくもすでに試練を終えた事実を知らされ、トリクシーは緊張の糸がぷつり切れた。ただただ呆然とする。
そんなトリクシーを尻目に、リアトリスは何やら考え込む。
「これから何かと顔を合わせるだろうから、おじいちゃんとも顔合わせした方がいいですよね? 家族モンスターたちは明日でいっか」
リアトリスの意見に、フデリンドウとイグナシオが軽く頷く。
フデリンドウがたったか右側の家の玄関のドアに向かい、すぐさま取っ手を掴んだ。
ようやく我に返ったトリクシーが、「心の準備がまだっ!」と胸の内で叫んでももう遅い。
「ヤナ~。ただいまなの~」
ドアを開けたフデリンドウが、ルンルン気分で帰宅を報告する。
「おかえり。・・・・・・だいぶ遅かったな」
家の方から、不機嫌な老人の声が飛んで来た。声の主が誰だか予想がつき、トリクシーの心臓はバクバクし始める。
「ただいま」
「ただいまです、遅くなりました」
とっとと家の中に消えていったフデリンドウとは違い、イグナシオとリアトリスは玄関前で挨拶した。
「あ~、ヤナ~。外ににせ~じょがいるの~。しばらくリースとイオの家で匿うの~」
「・・・・・・は?」
家の中で、フデリンドウなりに簡潔な説明をしていた。
それを聞いた老人が、あまりにも間抜けな声を出している。
「そのですね、おじいちゃん。実は ―― 」
フデリンドウの説明を補足すべく、リアトリスが一生懸命事のあらましを老人に伝えた。
ときおり、フデリンドウとイグナシオも口を挟み、説明は数分で終わる。
「で、こちらにいるのが、その彼女なんです」
リアトリスにおいでおいでされ、トリクシーは己を奮い立たせて、玄関前に向かった。玄関前に立てば、トリクシーの眼前に老人が待ち構えている。
少し地黒な肌をした老人だ。まっすぐ伸びている髪は、後ろになでつけるように一つに結われている。長めに伸ばし整えられた髭は、髪と一緒で赤茶色だ。
老人の紺色の瞳に値踏みされるように一瞥される中、トリクシーはぺちっと己の右太ももを右手で叩く。
「と、トリクシーと申します。不束者ではございますが、何卒よろしくお願い申し上げます」
やや早口で言い終わるなり、トリクシーはまたもや深々と頭を下げた。本日一番、トリクシーの心臓が早鐘を打っている。
「ふんっ。リースたちが決めたことなら致し方あるまい。好きにしろ。ただし、くれぐれも俺たちの手を煩わせるな」
「は、はいっ!」
不承不承ながら、老人はトリクシーの滞在許可を認めたようだ。
最悪の展開にならなかったことに、頭を下げっぱなしのまま、トリクシーは安堵する。
「夜も遅い。リンは早く風呂に入れ。リースたちも早く寝ろ」
「はいなの~」
「はい。おじいちゃんとおばあちゃんへのお土産は、明日の朝渡しますね。では、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
「ああ」
リアトリスにイグナシオが続き、ヤナギが最後に締めくくれば、一家の寝る前の挨拶も一通り済んだ。
トリクシーが再度ぺこぺこ頭を下げれば、フデリンドウの夫への挨拶も無事終了。
三人は左に佇む家に、ようやく入る。
「う~ん。やっと帰って来れた~」
家の中に入り、リアトリスは思い切り伸びをした。実に開放感を滲ませている。
一方、トリクシーは違和感を覚えていた。どうしても耐えられなくなり、トリクシーはおずおずと口を開く。
「あのう。使用人の方はいらっしゃらないんですか?」
トリクシーの質問に、リアトリスとイグナシオは顔を見合わせた。それが解除されると、リアトリスが質問の答えをようやく述べる。
「いないよ。え~と、もしかして、トリクシーもお嬢様だったりする?」
「いえっ! 先に述べたように、私は戦争孤児ですし、なんの身分も持っていません」
不安そうに見つめるリアトリスに、トリクシーは両手と首をぶんぶん動かす。正確には偽物の聖女という肩書は持っているが、トリクシーは自分の身の回りの世話を自身でできないわけではない。
「そう? ならいいんだけど。一応我が家は、自分のことはなるべく自分でって方針なんだ。だから悪いけど、そうしてもらえると助かります」
「はい、もちろんです」
リアトリスには威圧感がないからか、トリクシーは打てば響くような受け答えをした。
そんなトリクシーに気をよくしたのか、リアトリスがにこやかな顔になる。
「今日はもう遅いし、また明日以降うちのことはいろいろ教えるね」
「はい」
「今日のところは、ゆっくりお風呂に浸かって、疲れを癒してくれればいいかな。客室は二階、しばらくはそこを使ってね。えっと、まずはお風呂にする? それとも先に部屋を見る?」
「じゃ、じゃあ、先に部屋に案内してもらってもいいでしょうか?」
「分かった。着いてきて」
そうして、リアトリスに先導され、トリクシーは二階の客室に案内された。
無言のイグナシオも、二人に付き添っている。
「本当に一部屋、お借りしていいんですか?」
「うん。何部屋かあるから、気に入った部屋を使ってね」
「じゃあ、ここにしますっ!」
試しに一番最初に案内された部屋が、トリクシーは気に入ったらしい。
家具も一通り揃った、埃一つない客室。貧困を知って育ったトリクシーには、十分すぎるほどだった。
偽物の聖女として今までも様々な宿に泊まったが、トリクシーにはどこだって文句や不満を漏らしたことなどない。
「気に入ってもらえて良かった」
「はい。故郷では孤児のみんなとぎゅうぎゅう詰めで暮らしてたから、一人部屋って未だに憧れてて。だけど、ここまで誰かがいた気配がないと、ちょっと落ち着かないですね・・・・・・」
テンションが上がったからか、トリクシーの口も円滑になる。
しかしながら、数秒後、トリクシーはバツが悪い顔になった。
「すみません、つい口が滑って・・・・・・」
「いいんだよ、それくらい。それに、私も前世自分の部屋って呼べるものがなかったから、気持ちは分かるかな」
リアトリスが目を細めて小さく言った。
「え? 前世って・・・・・・」
「あれ? 言ってなかったけ? 私、転生者なんだ。前世の記憶があるの」
「そう、なんですね」
リアトリスの語る真実に、トリクシーはなるほどと納得する。
二人の中々途切れそうにない会話を見越して、イグナシオが口を挟んだ。
「おじいさんも言ってたが、もう夜遅い。早く風呂に入って寝ないか?」
「そうだね。すぐお湯溜めるから、トリクシーが先に入って」
「いえ、その、私は最後で構いません」
「そう? じゃあ、先に私たちが入っちゃうね」
一番最初に湯浴みするのに反対の意を唱えるトリクシーに、リアトリスは何かしら事情があるのだろうと察した。
一方、イグナシオはリアトリスとは異なる事情を察する。トリクシーが自分からそう切り出したがゆえに、イグナシオは余計なことを言わなくて済んだと、ホッとしていた。
それからイグナシオとリアトリスが湯浴みを済ませ、トリクシーがお風呂に入る番となる。
入浴剤を入れられた気持ちぬるめのお湯に浸かれば、トリクシーの身も心もほぐれていく。
風呂場は一階にあり、二階へ戻るにも一階の居間を横切る必要がある。
風呂上がりのトリクシーを、リアトリスとイグナシオが居間で待ち構えていた。
「温かい飲み物を作ったんだけど、飲まない?」
「あ、えと、では、お言葉に甘えて」
無下に誘いを断ることもできず、トリクシーはお風呂上りに飲み物を振る舞われることになる。
マグカップに入っている飲み物は、ホットミルクのようだった。
一口飲んで、トリクシーは首を傾げる。
その疑問に、リアトリスがすぐに気づいた。
「これね、少しだけ豆で作られた飲み物を入れてるの。体にいいし、寝る前に飲むとよく眠れる効果があるんだ」
「そうなんですね。道理で少しだけ、癖があると思いました」
「うん。もし苦手だったから、無理して飲まなくていいから」
「いえ、そこまでではないです」
初めて口にするホット豆乳ミルクは、トリクシーにそこまで敬遠されることなく、喉を通っていく。
お風呂上り、熱すぎないホットドリンクを口にしたこともあってか、トリクシーはすっかり癒された。
マグカップをリアトリスと一緒に片付け、トリクシーは二階の部屋のベッドに直行する。ベッドの中に身を置けば、すぐに睡魔がやって来た。
怒涛の一日の疲れを消し去るように、トリクシーはこんこんと眠り続けたのだった。
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隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
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