Ich liebe dich~世界でいちばん身勝手なラブソング~

二一

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Promise

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 クラウスはパーティの終わったその足で空港に向かっていた。ドイツで行われる講演会に招かれていたからだ。
 レナード夫妻はそのまま新婚旅行に向かうのだろう。旅立つレナードに置いて行かれる気分を味わいたくなくて、クラウスは明朝出立みょうちょうしゅったつでも間に合う旅程を無意味に早めた。
 自分たちは終わったわけじゃない。新しい人生を始めただけだ。
 無意識の言い訳は、繰り返されるほどに情けなく響く。
 空港で合流したマネージャーとともに飛行機に乗り込む。わずか1時間ほどのフライトでミュンヘンに到着すると、クラウスは市街を一望できる老舗ホテルのベッドに倒れ込んだ。
 もう時刻は0時を過ぎている。
 ぽっかりと空いた空虚に、いくつものメロディが反響していた。
 余興として悲愴、第二楽章を演奏しようとも考えた。レナードがこよなく愛していた曲だったからだ。それでも、クラウスはそれを第二楽章で止められない確信があった。クラウスにとって第二楽章は、愛しい相手を想う幸せな時間だ。そして第三楽章で想いが破れてしまう。クラウスは、その幸せが破れる瞬間をなかったことにはできないのだ。
 だから、ワールドツアーでの聴衆は涙を流したのかも知れない。無意識に溢れ出したクラウスの叫びに呼応したのだ。
「……情けない」
 とっくに覚悟なんか決めていたはずだ。今さら落ち込むことじゃない。
 ただ、あたりまえにあった温もりが消えてしまった寂しさにまだ慣れないだけだ。きっとすぐに慣れる。慣れなければ、生きていけない。
 眠らなければという理性を嘲笑うように、思考はどんどん冴え渡っていく。余計なことばかり考えてしまう自分を、必死になだめすかした。
 ピアノのある家でも借りて滞在すればよかった。無心に弾いていればなにも考えなくて済むのに。
 それでも、いつのまにかうつらうつらとしていた頭の隅に、硬質な電子音が聞こえたような気がした。ぼんやりと暗がりを見つめ、それがクラウス自身の携帯端末だと気づいて、ノロノロと立ち上がった。画面には国外からの着信であることだけが表示されている。
 こんな時間に誰だろう。時差のある国からだろうか。思い当たる相手もなく、クラウスは静かに応答ボタンをタップした。
「あ……」
 聞き慣れた声が、どこか遠く離れた場所でクラウスの名を叫んでいる。息が止まるかと思った。
「……レナード。新婚初夜に電話なんかするものじゃない」
 冷静に諭してから、窓の外が白んできていることに気づいた。もしかすると、レナードのいる国も、一夜が明ける瞬間なのかも知れない。
 誰かの隣で寝たのだろうレナードを想像して、決めたはずの覚悟がクラウスの胸を突き刺した。
『あんなものを聴かせておいて白々しいことを! どうして……!』
 どうして突き放した? レナードは絞り出す声で泣いていた。
 やはり、レナードには分かってしまうのだ。クラウスのピアノが奏でる本当の声が。
 あんな想いをぶつけるくらいなら、なぜ一緒に逃げてくれなかったのだ。自分はいつだってその覚悟を決めていたのに。レナードがクラウスの裏切りをなじった。そう、クラウスはレナードの想いを踏みにじったのだ。正しいかどうかを切り離せば、これはまさしく裏切りだった。
 だけど、これほどの未練がありながらも、その裏切りに後悔はしていない。矛盾する本音はクラウス自身を惑わせる。
「こんなこと、信じてもらえないだろうが……私はレナードの血が受け継がれていくところを見たかったんだ」
 愛しく想うのと同じくらい、彼の血が絶えることに耐えられなかった。絶やすことなんかできるはずがなかったのだ。レナードのすべてが愛おしい。その想いも、その肉体も、その家族も、どれひとつとして失うことは許せなかった。
『俺は、クラウス、おまえに求められたかった。俺を失いたくないと言って欲しかった。俺だけがいればそれでいいと求められたかった』
 レナードの言葉に笑みが浮かぶ。レナードは気づいていないのだ。クラウスは、レナードのすべてを求め、手に入れている。
 だけど、気づいていないのなら、もっと貪欲に求めてもいいだろうか。
「求めることが許されるなら、私は……」
 贅沢な望みが腹の底から溢れ出る。レナードが静かに次の言葉を待っていた。
「もし、私が先に死に近づいたなら、何を置いても駆けつけてくれるか? この世界で最期に見るのはレナードがいい」
 それから――。
「それでも生き続けて、またひとりとひとりに戻ったなら、そのときは……」
『クラウス!!』
「そのときは、あの家に帰ってもいいだろうか?」
 涙が声を震わせた。
 もし、ゆるされるならもう一度、あの温もりを――。
 ああ、未練が断ちきれない。手放した宝物が、いつかまたこの手に戻ることを願ってやまない。
『俺より先に死ぬなど許すものか! おまえは、この俺を裏切ったんだ。一生ひとりで過ごせばいい! ……ひとりでいてくれ……!』
 自分たちは、なんて傲慢なのだろう。
 傲慢で悲しい生きものだ。
「音楽家は古今東西恋愛には向かない生きものだよ」
 だから、愚かにも愛してはいけない相手に心を奪われる。そして、その心を解き放つように愛を歌う。
 それでも、愛してしまった。
 最期はせめて愛しい人に見送られたい。
「約束を……」
たがえるな』
 必ず帰ってくると。
「必ず」
 いつか、その手を取って、ともに――。
 空が朝を呼び込んだ。美しい街並みが朝焼けに輝いている。
 身勝手な愛の言葉が溢れそうになった。
「『あ……』」
 同時に口を開き、同時に閉じた。
 愛してる――。
 その言葉は、いつか、ふたたび抱き合える日に。
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