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二人で散歩……たまに毒母。
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夏も近付く八十八夜?古いかな?でも
ちょっと暑さを感じるな、と思う。
今日は土曜日。明日は学校休みだ!
制服、洗濯した後に何しよ?とソワソワして
嫌な宿題を見ないふりして
六畳の一人部屋で、漫画見てたら
呼鈴ブザーが鳴った。すぐ、自分の部屋を出て、
叔父の部屋に走る。
「何?おじじ。」
と、たまにそんな呼び方をする、私。
(このとき叔父30代後半よく怒らなかったなと思う。)
叔父は、リモコン式ベッドで
いつものように体を起こし、TVを見ていた。
引き戸タイプのドアを開けて入ってきた
私を見てニコニコスマイル。
ベッドの横にはいつでも乗れるように
電動式車椅子がある。相変わらずでかくてゴツい。
でも、ベッドにいる叔父もでかいし、ゴツい。
でも、足だけは、細く、そして動くことは、ない。
腕は上まで挙がるが、指は一切動かない。
短いけど太い、まるで赤ちゃんの手のようにぷにぷにしていた。なぜなら、
叔父曰く、神経が断絶したかららしい。
要介護の体になったのは関西に住んでいたとき、仕事中の事故だったという話しだ。
脊髄損傷、という大ケガ。
でも元々、負けず嫌い、
そして前向きなポジティブ思考であった叔父。
事故の後、
落ち込んでも仕方ないと頭を切り替え、
リハビリにつぐリハビリを得て、約半年ぐらいで
手押しの車椅子で病院を抜け出すぐらい力を付け、
毎日といって良いほど、通い詰めた中華屋さんでも
ラーメン餃子を六人前頼み、
それも食べ尽くすほど元気になったらしい。
体重も増加するほどに。
(病院も容認していたと言っていたけど、
ホントかな?)
「宿題終わったか?」
「TV見たくなるから部屋でするっていってただろ?。」
「えーと…」
それを聞かれて、私は、目が泳ぐ。
「……やっぱりな、また漫画読んでたな」
「終わらしてから読めよ。
やるべきことをやらないと、
後に自分が損するんだぞ」
といつもの、説教が始まりそうだった。
私は、無言で、
十二畳ある広さの部屋に入り
(ベッド下はフローリング)
ベッドの高さに隣接した、六畳の和畳に
向かい合わせで正座になった。
決して嫌じゃない、待ってる間。
これは、ここに住むようになっての定番。
「そういえば、おばさんは?」
突如、聞いてきた。
おばさんとは、
叔父の姉である私の母のことである。
実質、叔父の介護人だ。
でも、叔父との折り合いが悪く
日頃言い争いもよく勃発し、
名前で呼ぶときもあるが、
最近は嫌味のように母のことを
「おばさん」と、そう呼ぶ。
別段、私は気にしない。むしろ、同意。
それに、離婚した父は、
たまに会いにいったとき、
母のことを、ババアとバカにしたように
揶揄してた。
それほど、性格に問題あり、の人なのだ。
「部屋にいるよ、珍しく。」
私は伏し目がちに言った。
ニコニコスマイルは、苦笑いおじじに変わる。
「今から三人で夜散歩しようか?」
そんな顔をしていても、声は柔らかい口調。
「昼間暑かったから、外に出る気分じゃなかったけ
どな。だから、まあ、とりあえず、
おばさんに声かけてきてくれるか?ブザー押しても
来ないし。あいつは。」
と、説教タイムに入るかと思ったら、
介護人あるまじき、姿勢に呆れつつも、
母もお誘い夜散歩の提案をしてきたおじじ。
「えー…」
お母さんとか、…嫌だな。
私の顔にも出ているのがわかっているはずだけど、
そこは、譲らないようだ。
巡り巡って
母が、叔父の介護するということに承諾し、
一緒に暮らすことになった。
母子家庭だったのもあり、必然的に私も
同居することになったのである。が、
この母、子供に対して毒がつく、ネグレクト母。
ましてや、介護が、うまくいくわけがなかった。
叔父にとって年の離れた姉の性格が
キツイのは知っていたが、叔父が子供の頃、
一緒に住んでいた記憶があまりなく、詳しく
解らなかったのが、全ての間違いだった。
最初は、母も猫を被ってうやうやしく
介護をしていたと思う。私が見ても。
二人で住んでいたときとは違う、と。
変わったんだと、思った。
夜も家にいたし、ご飯も作る。
でも、最初だけだった。そんなもん、
続く訳がなかった。
食費として渡した6万も散財するようになった。
(叔父の名誉のため、光熱費、電話代、
新聞等は別で払っていたし、たまにボーナスの
ようにお金を渡す。)
私と二人で住んでいたときと、
同じようにギャンブルと飲み食いに使い、
またそれを、足りないと、請求したりするので、
さすがに叔父はぶちギレて、
電動式車椅子に乗って暴れまくり
母をゴツい車椅子で押さえ付けて応戦。
結果、母の足は青たんと、
傷だらけ。
強いぞ!おじじ!私は、気持ち拍手喝采。
(怖かったけど。おじじが。)
母は、泣いてた。反省ではなく
多分、あのとき、悔し泣きだったと思う。
そしてそれも先月の話だ。今月は始まったばかり。
私は、食費代を払う日にちを知っていた。
もし、お金があるときは、夜家にいない。
家にいるということは、お金がない、
ということである。夕御飯も作っていたが、
とてつもなく、機嫌が悪かった。
そして、準備だけして、
たまには手伝え、気が利かないバカ娘と、
文句言って自分の和室の部屋に入って言った。
そういえば、土曜日の今日、三時間授業(当時)だったので、
お昼帰って来ると、
インスタントラーメンだけ置いてあった。
母はいなかったが、何かあったと悟った。
だから、あの態度に納得。
叔父は、何も言わなかったし、
先月のような大きなバトルはなかったと思うけど
また、日を待たず母がやらかしたのだ、
それでも叔父は、優しい。
こうやって、笑顔で母を夜散歩に
誘って行こう。という。
仲直りをしようというところか。
今考えても、かなりの人格者だったと思ってる。
「お母さんに聞いてくるよ。」
叔父のそんな気持ちを汲んで、
八つ当たりされるの覚悟で重い腰をあげて立ち上がった。
すると、部屋の、引き戸入り口が
半分開く。いかにもうっと惜しい苦虫顔で
母が現れた。
「何?何か用?」
言い方に一つ一つにトゲが
生えているような口調。これは、さっき呼鈴ブザーに気付いていたということだ。
呆れながらも、散歩のお誘いを
伝えようとした。
「今、おじじが…」
「外が丁度晴れて涼しそうだし、
星を見ながら、夜の散歩しないか
?三人で。」
と、私が聞こうとしたとき、叔父が、
口を挟み、結局、母に訪ねた。
もちろん、不機嫌モードの母。
「…勝手に行け!」
薄い唇を歪ませ、
いかにも面倒臭い憎たらし顔をして、
引き戸をバーンと力任せに閉めて部屋を出ていった。
叔父が笑顔だったのが無表情になる。
そして、比較的大きな二重瞼の
眼が怒りでつり上がる。
男にしては長い睫毛も、それで
揺れている気がする。
普段は、冷静沈着で、
母のように、怒鳴ったりしないが
怒りの沸点が超えてしまうと、
手がつけられなくなる。
また、暴れたらヤバい。
すぐ、行動に移す。
「ねぇ、おじじ、あんまり夜遅く
なるとよくないよ。
だから、準備して行こうよ。
さっき私の部屋から窓開けて見たら星結構出てたよ。」
と、しどろもどろな感じで、
ほんとは、窓の外なんて見てなかったのに
その場は、そういった。
叔父が表情を崩せず
私をじろりと
睨み付けていたように見えたが、
すぐ通常の朗らかな表情に戻り、
「そうだな、俺はすぐ車椅子に乗
るからおまえは、
服と靴下準備して介助よろしくな」
「うん、わかった」
私もすぐ、
叔父の服をタンスから出した。
すると、おじじの行動は早い。
リモコン式のベッドを倒さず
両腕の力だけで、動かない足を
まっすぐに寄せながら、
車椅子までお尻を持ち上げ、
背中から後退するように移動する。
指が動かないのに
(正確には肘から下の神経が麻痺
。鈍痛はあるとのこと。)
上腕二頭筋の神経は残っていたのと、
元々体育会系のハングリー精神みたいなものとを、
リハビリで鍛え上げ、
結構重い体重を持ち上げることが
出来るようだった。
車椅子の両方には介助用の
手すりが取り付けてあり、
左右の手を添え、後は両腕の力で
体を押し上げ、
後ろに下がれば車椅子の座席に
フィットする。
移動まで計って見ると、6分ぐらいだった。
不自由な体なのに、
いつみても、その早さに
目を見張る。
私も釣られてしまい、
急いでシャツを着せようと
腕を通すと、力ない指が
服の袖に引っ掛かり、
痛い!と叱られた(感覚がある部分があるので)
「ごめんなさい。」
と謝れば、
「謝れば済むことじゃないことも
あるからこの失敗は覚えて置けよ。」
「介助や介護はな……。あ、外行こうか。」
と、説教タイム、いや、躾タイムが、
長くなりそうなのに自分で
気付いたのか言葉を打ち切った。
玄関の引き戸を開け、空を見ると、
良かった、
満天の星が広がってた。
さっき外晴れてるよ、と
嘘を言ったのが、怒らないかも
知れないけど、雲ってたら
なんか気まずい。
なんかいろいろ、ほっとした。
スロープを二人で降りて、外を歩く。
当時、家の周りは街灯が少なかった。
まだ、開拓地で家が
ポツポツとしか建物がなかったのだ。
叔父所有の平屋の一戸建ては、その一つ。
でも外灯等の明かりが少ないと、夜空の星屑が
落ちてきそうなぐらい、いっぱい散らばっている。
それに微風ながらも、丁度良いぐらいの涼しさ。
電動式車椅子は、私のとろい歩き為に
同じ歩幅に合わせ
右の10センチの棒状のレバーを
親指と人差し指の間に入れ、操作する。
さっきの母の不機嫌の原因を叔父から、
切り出した。
私が朝学校に行った後、叔父にまたお金の無心を
したということだった。月の生活費を渡したのは
ついこの間。今回さすがに呆れ、
声が出なかったらしい。先月の大喧嘩からの
今月の体たらくだ。考えられない母の態度だ。
「だったら、お金渡したの?」
心配になって聞いた。
「渡すわけないだろ。」
ぶるぶると、力ない手首を降って
そう、返答した。
「まあ、さすがに、俺がこの間暴れたからビビって
強くは、出なかったけどな。」
母の予想では、要介護になっている自分の弟が
何にでもお金を出すと思っていたらしい。
なぜなら本当に弱者になったと思っていたから。
予想外だったのが、おじじの応戦が意外にも、
太刀打ち出来ないほど力があったということだ。
(健常者の頃は腕っぷしの強さが半端なく、地元で売られたケンカ負けなしだったと後に
おじじの同窓生から私は聞いた)
でも、結局、わかってくれてないのだ。
散歩に誘ったのも、一緒に仲良く暮らすための
仲直りのつもりだったのだと思う。
でも、あの人は、わからないと思う。
母の愚行はこれからもずっと続くのかと……。
考えると気分が滅入る。
そして歩きながらおじじ熱弁。お金は大事。
お金を期間内で守らず使えば困るのは、当たり前。
それに、無意味な贅沢に使って
苦しんでいるのは自分自身の責任だ、
それなのに、その事を見ないふりして、
またお金を借りては、
無駄に使い、また借りるの繰り返し。
返せば良いと、それを何度も続ければ、
自転車操業と同じ。
「今、この俺の家に住んでいるから良いが、
前は、大変だっただろう?しわ寄せは、
お前にきてたはずだよな。」
私は星を見上げながら、
心地よい風に当たりながら思い出す。
いつも、私は同じ服を着ていた。
穴の空いたものを自身で縫ったガタガタの靴下。
その寝間着のような私服でも、
破れて穴が空いても縫っていた。
お風呂に何日も入ってない、ぼさぼさの埃っぽい髪。
それでも、娘には無関心だった。
そういえば、母は、風呂嫌いだったけど、
服も顔も身綺麗にしてたっけ。
毎日と、いって良いほど夜遊びに出掛け、
散財してたと、いうわけだ。
今の生活は、前より変貌した。確かに母は
変わらない、というか、持ち金が増え、
相変わらず昼ギャンブル、夜飲み屋か、友達の家に
酒持って散財。
でも、私は、破れて穴が空いた靴下を履くことも、
同じ服を着続けることは、無くなった。
下着にも困らない。
(これも叔父が、母親を叱責してくれたおかげで、
請求すれば渋々渡すようになったから。)
お風呂にも毎日入れるようになった。
そして、こうやって昼とたまに夜、
風に当たりながらの散歩も楽しい。
躾タイムだけではなく、
学校、友達、嫌いな勉強の話。
(学校の成績が悪いから、躾タイムも始まるけど。)
好きなTVの話も、する。
かつて、母親とこんなに話を
したこと無いに等しかったから、嬉しかった。
中学二年生でありながらも、
充実して生活をさせて、もらっていると感じてた。
あの頃、叔父の優しさと、時に厳しい言葉も、
今振り返ると、波乱に満ちた人生を
若いながら歩んできた、心の広さなのだろう、と。
憶測する。
そして、散歩は、おじじと私の道に、
一筋の光を差してもいくけども
所々、ひび割れてそれに
つまずきながら、歩んで行く。
変わることもなかった毒母とともに。
ちょっと暑さを感じるな、と思う。
今日は土曜日。明日は学校休みだ!
制服、洗濯した後に何しよ?とソワソワして
嫌な宿題を見ないふりして
六畳の一人部屋で、漫画見てたら
呼鈴ブザーが鳴った。すぐ、自分の部屋を出て、
叔父の部屋に走る。
「何?おじじ。」
と、たまにそんな呼び方をする、私。
(このとき叔父30代後半よく怒らなかったなと思う。)
叔父は、リモコン式ベッドで
いつものように体を起こし、TVを見ていた。
引き戸タイプのドアを開けて入ってきた
私を見てニコニコスマイル。
ベッドの横にはいつでも乗れるように
電動式車椅子がある。相変わらずでかくてゴツい。
でも、ベッドにいる叔父もでかいし、ゴツい。
でも、足だけは、細く、そして動くことは、ない。
腕は上まで挙がるが、指は一切動かない。
短いけど太い、まるで赤ちゃんの手のようにぷにぷにしていた。なぜなら、
叔父曰く、神経が断絶したかららしい。
要介護の体になったのは関西に住んでいたとき、仕事中の事故だったという話しだ。
脊髄損傷、という大ケガ。
でも元々、負けず嫌い、
そして前向きなポジティブ思考であった叔父。
事故の後、
落ち込んでも仕方ないと頭を切り替え、
リハビリにつぐリハビリを得て、約半年ぐらいで
手押しの車椅子で病院を抜け出すぐらい力を付け、
毎日といって良いほど、通い詰めた中華屋さんでも
ラーメン餃子を六人前頼み、
それも食べ尽くすほど元気になったらしい。
体重も増加するほどに。
(病院も容認していたと言っていたけど、
ホントかな?)
「宿題終わったか?」
「TV見たくなるから部屋でするっていってただろ?。」
「えーと…」
それを聞かれて、私は、目が泳ぐ。
「……やっぱりな、また漫画読んでたな」
「終わらしてから読めよ。
やるべきことをやらないと、
後に自分が損するんだぞ」
といつもの、説教が始まりそうだった。
私は、無言で、
十二畳ある広さの部屋に入り
(ベッド下はフローリング)
ベッドの高さに隣接した、六畳の和畳に
向かい合わせで正座になった。
決して嫌じゃない、待ってる間。
これは、ここに住むようになっての定番。
「そういえば、おばさんは?」
突如、聞いてきた。
おばさんとは、
叔父の姉である私の母のことである。
実質、叔父の介護人だ。
でも、叔父との折り合いが悪く
日頃言い争いもよく勃発し、
名前で呼ぶときもあるが、
最近は嫌味のように母のことを
「おばさん」と、そう呼ぶ。
別段、私は気にしない。むしろ、同意。
それに、離婚した父は、
たまに会いにいったとき、
母のことを、ババアとバカにしたように
揶揄してた。
それほど、性格に問題あり、の人なのだ。
「部屋にいるよ、珍しく。」
私は伏し目がちに言った。
ニコニコスマイルは、苦笑いおじじに変わる。
「今から三人で夜散歩しようか?」
そんな顔をしていても、声は柔らかい口調。
「昼間暑かったから、外に出る気分じゃなかったけ
どな。だから、まあ、とりあえず、
おばさんに声かけてきてくれるか?ブザー押しても
来ないし。あいつは。」
と、説教タイムに入るかと思ったら、
介護人あるまじき、姿勢に呆れつつも、
母もお誘い夜散歩の提案をしてきたおじじ。
「えー…」
お母さんとか、…嫌だな。
私の顔にも出ているのがわかっているはずだけど、
そこは、譲らないようだ。
巡り巡って
母が、叔父の介護するということに承諾し、
一緒に暮らすことになった。
母子家庭だったのもあり、必然的に私も
同居することになったのである。が、
この母、子供に対して毒がつく、ネグレクト母。
ましてや、介護が、うまくいくわけがなかった。
叔父にとって年の離れた姉の性格が
キツイのは知っていたが、叔父が子供の頃、
一緒に住んでいた記憶があまりなく、詳しく
解らなかったのが、全ての間違いだった。
最初は、母も猫を被ってうやうやしく
介護をしていたと思う。私が見ても。
二人で住んでいたときとは違う、と。
変わったんだと、思った。
夜も家にいたし、ご飯も作る。
でも、最初だけだった。そんなもん、
続く訳がなかった。
食費として渡した6万も散財するようになった。
(叔父の名誉のため、光熱費、電話代、
新聞等は別で払っていたし、たまにボーナスの
ようにお金を渡す。)
私と二人で住んでいたときと、
同じようにギャンブルと飲み食いに使い、
またそれを、足りないと、請求したりするので、
さすがに叔父はぶちギレて、
電動式車椅子に乗って暴れまくり
母をゴツい車椅子で押さえ付けて応戦。
結果、母の足は青たんと、
傷だらけ。
強いぞ!おじじ!私は、気持ち拍手喝采。
(怖かったけど。おじじが。)
母は、泣いてた。反省ではなく
多分、あのとき、悔し泣きだったと思う。
そしてそれも先月の話だ。今月は始まったばかり。
私は、食費代を払う日にちを知っていた。
もし、お金があるときは、夜家にいない。
家にいるということは、お金がない、
ということである。夕御飯も作っていたが、
とてつもなく、機嫌が悪かった。
そして、準備だけして、
たまには手伝え、気が利かないバカ娘と、
文句言って自分の和室の部屋に入って言った。
そういえば、土曜日の今日、三時間授業(当時)だったので、
お昼帰って来ると、
インスタントラーメンだけ置いてあった。
母はいなかったが、何かあったと悟った。
だから、あの態度に納得。
叔父は、何も言わなかったし、
先月のような大きなバトルはなかったと思うけど
また、日を待たず母がやらかしたのだ、
それでも叔父は、優しい。
こうやって、笑顔で母を夜散歩に
誘って行こう。という。
仲直りをしようというところか。
今考えても、かなりの人格者だったと思ってる。
「お母さんに聞いてくるよ。」
叔父のそんな気持ちを汲んで、
八つ当たりされるの覚悟で重い腰をあげて立ち上がった。
すると、部屋の、引き戸入り口が
半分開く。いかにもうっと惜しい苦虫顔で
母が現れた。
「何?何か用?」
言い方に一つ一つにトゲが
生えているような口調。これは、さっき呼鈴ブザーに気付いていたということだ。
呆れながらも、散歩のお誘いを
伝えようとした。
「今、おじじが…」
「外が丁度晴れて涼しそうだし、
星を見ながら、夜の散歩しないか
?三人で。」
と、私が聞こうとしたとき、叔父が、
口を挟み、結局、母に訪ねた。
もちろん、不機嫌モードの母。
「…勝手に行け!」
薄い唇を歪ませ、
いかにも面倒臭い憎たらし顔をして、
引き戸をバーンと力任せに閉めて部屋を出ていった。
叔父が笑顔だったのが無表情になる。
そして、比較的大きな二重瞼の
眼が怒りでつり上がる。
男にしては長い睫毛も、それで
揺れている気がする。
普段は、冷静沈着で、
母のように、怒鳴ったりしないが
怒りの沸点が超えてしまうと、
手がつけられなくなる。
また、暴れたらヤバい。
すぐ、行動に移す。
「ねぇ、おじじ、あんまり夜遅く
なるとよくないよ。
だから、準備して行こうよ。
さっき私の部屋から窓開けて見たら星結構出てたよ。」
と、しどろもどろな感じで、
ほんとは、窓の外なんて見てなかったのに
その場は、そういった。
叔父が表情を崩せず
私をじろりと
睨み付けていたように見えたが、
すぐ通常の朗らかな表情に戻り、
「そうだな、俺はすぐ車椅子に乗
るからおまえは、
服と靴下準備して介助よろしくな」
「うん、わかった」
私もすぐ、
叔父の服をタンスから出した。
すると、おじじの行動は早い。
リモコン式のベッドを倒さず
両腕の力だけで、動かない足を
まっすぐに寄せながら、
車椅子までお尻を持ち上げ、
背中から後退するように移動する。
指が動かないのに
(正確には肘から下の神経が麻痺
。鈍痛はあるとのこと。)
上腕二頭筋の神経は残っていたのと、
元々体育会系のハングリー精神みたいなものとを、
リハビリで鍛え上げ、
結構重い体重を持ち上げることが
出来るようだった。
車椅子の両方には介助用の
手すりが取り付けてあり、
左右の手を添え、後は両腕の力で
体を押し上げ、
後ろに下がれば車椅子の座席に
フィットする。
移動まで計って見ると、6分ぐらいだった。
不自由な体なのに、
いつみても、その早さに
目を見張る。
私も釣られてしまい、
急いでシャツを着せようと
腕を通すと、力ない指が
服の袖に引っ掛かり、
痛い!と叱られた(感覚がある部分があるので)
「ごめんなさい。」
と謝れば、
「謝れば済むことじゃないことも
あるからこの失敗は覚えて置けよ。」
「介助や介護はな……。あ、外行こうか。」
と、説教タイム、いや、躾タイムが、
長くなりそうなのに自分で
気付いたのか言葉を打ち切った。
玄関の引き戸を開け、空を見ると、
良かった、
満天の星が広がってた。
さっき外晴れてるよ、と
嘘を言ったのが、怒らないかも
知れないけど、雲ってたら
なんか気まずい。
なんかいろいろ、ほっとした。
スロープを二人で降りて、外を歩く。
当時、家の周りは街灯が少なかった。
まだ、開拓地で家が
ポツポツとしか建物がなかったのだ。
叔父所有の平屋の一戸建ては、その一つ。
でも外灯等の明かりが少ないと、夜空の星屑が
落ちてきそうなぐらい、いっぱい散らばっている。
それに微風ながらも、丁度良いぐらいの涼しさ。
電動式車椅子は、私のとろい歩き為に
同じ歩幅に合わせ
右の10センチの棒状のレバーを
親指と人差し指の間に入れ、操作する。
さっきの母の不機嫌の原因を叔父から、
切り出した。
私が朝学校に行った後、叔父にまたお金の無心を
したということだった。月の生活費を渡したのは
ついこの間。今回さすがに呆れ、
声が出なかったらしい。先月の大喧嘩からの
今月の体たらくだ。考えられない母の態度だ。
「だったら、お金渡したの?」
心配になって聞いた。
「渡すわけないだろ。」
ぶるぶると、力ない手首を降って
そう、返答した。
「まあ、さすがに、俺がこの間暴れたからビビって
強くは、出なかったけどな。」
母の予想では、要介護になっている自分の弟が
何にでもお金を出すと思っていたらしい。
なぜなら本当に弱者になったと思っていたから。
予想外だったのが、おじじの応戦が意外にも、
太刀打ち出来ないほど力があったということだ。
(健常者の頃は腕っぷしの強さが半端なく、地元で売られたケンカ負けなしだったと後に
おじじの同窓生から私は聞いた)
でも、結局、わかってくれてないのだ。
散歩に誘ったのも、一緒に仲良く暮らすための
仲直りのつもりだったのだと思う。
でも、あの人は、わからないと思う。
母の愚行はこれからもずっと続くのかと……。
考えると気分が滅入る。
そして歩きながらおじじ熱弁。お金は大事。
お金を期間内で守らず使えば困るのは、当たり前。
それに、無意味な贅沢に使って
苦しんでいるのは自分自身の責任だ、
それなのに、その事を見ないふりして、
またお金を借りては、
無駄に使い、また借りるの繰り返し。
返せば良いと、それを何度も続ければ、
自転車操業と同じ。
「今、この俺の家に住んでいるから良いが、
前は、大変だっただろう?しわ寄せは、
お前にきてたはずだよな。」
私は星を見上げながら、
心地よい風に当たりながら思い出す。
いつも、私は同じ服を着ていた。
穴の空いたものを自身で縫ったガタガタの靴下。
その寝間着のような私服でも、
破れて穴が空いても縫っていた。
お風呂に何日も入ってない、ぼさぼさの埃っぽい髪。
それでも、娘には無関心だった。
そういえば、母は、風呂嫌いだったけど、
服も顔も身綺麗にしてたっけ。
毎日と、いって良いほど夜遊びに出掛け、
散財してたと、いうわけだ。
今の生活は、前より変貌した。確かに母は
変わらない、というか、持ち金が増え、
相変わらず昼ギャンブル、夜飲み屋か、友達の家に
酒持って散財。
でも、私は、破れて穴が空いた靴下を履くことも、
同じ服を着続けることは、無くなった。
下着にも困らない。
(これも叔父が、母親を叱責してくれたおかげで、
請求すれば渋々渡すようになったから。)
お風呂にも毎日入れるようになった。
そして、こうやって昼とたまに夜、
風に当たりながらの散歩も楽しい。
躾タイムだけではなく、
学校、友達、嫌いな勉強の話。
(学校の成績が悪いから、躾タイムも始まるけど。)
好きなTVの話も、する。
かつて、母親とこんなに話を
したこと無いに等しかったから、嬉しかった。
中学二年生でありながらも、
充実して生活をさせて、もらっていると感じてた。
あの頃、叔父の優しさと、時に厳しい言葉も、
今振り返ると、波乱に満ちた人生を
若いながら歩んできた、心の広さなのだろう、と。
憶測する。
そして、散歩は、おじじと私の道に、
一筋の光を差してもいくけども
所々、ひび割れてそれに
つまずきながら、歩んで行く。
変わることもなかった毒母とともに。
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十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
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