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50話

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「いやーーーー!! とって、とってぇぇぇーーーーーーー!! 魔獣はいやーーーーーー!!!」

絹を裂くような女の悲鳴、とはこの事か。
唖然とした私たちを尻目に、少女の姿の精霊は、一気に元の姿、木の上までの高さに戻り、その毛皮のドレスを翻す。

ハッ、思わずフリーズしたけど、精霊にとっては己にかみつく魔獣は脅威。これは、アンダリュサイト女子爵、騎士の本分真っ当したらん。

「いざ、参りますわ、姫!」
「おい、アイアンディーネ」

スマラルダスが私を止めようとした。

「見ていてくださいませ、スマラルダス。空晶と開発した技ですの」

そう言って、私は暴れる精霊に向かって駆け出し、背中からバリと六本の足、じゃなく魔剣を出した。
そして、お腹からシュルと細い糸のような剣を出し、それを勢いよく精霊の胸元まで飛ばす。

「ぎ、ぎゃーーー! 蜘蛛ーーーー!」
「違いますわ、姫。魔剣を糸状にしたものです。ささ、落ち着いて。今首元まで登って、魔獣を退治してさしあげますから」

精霊の胸元に鍵爪状に変形した魔剣の切っ先を引っ掛け、私は地面から飛び上がりぶらんと宙に浮く。そして、勢いを利用し、上空から降りている、精霊の透けたドレスに背中の六本の魔剣でしがみつく。それを動かし、かさりかさりと精霊の体を這い始めた。
これは、森で空晶と語らう時に、見上げるのが大変なので編み出したのだ。アカハナトナカイに乗れば上空までひとっ飛びだけど、彼らはその存在をまだ秘匿せにゃならんし。
魔剣は魔力の具現化なので、もしやと思って試してみたら、魔法的存在の精霊のドレスの裾から這い上がることができたのだ。
空晶はそれをちゃーんと褒めてくれたのだ。

「うむ、可愛いそなたの考えは悪くない」

--とな。悪くない、悪くない、と言われたのだ。ふふふ。

「…が、少々気味が悪いのう」

と続けて呟かれたのは置いといて。
見上げると、精霊は真っ青な顔をして震えている。
これは、いけない。魔獣を早く退治せねば。

私は背中の六本足を動かして笑顔を作り、勢いよくドレスを這い出した。ガサガサガサと。

「お待ちあれ~」

「もーむーりーーーーぃぃっっ!!!」




****




「うっく、ひっく…。えぐえぐ」

「あー…、すまない。精霊よ。もう魔獣はいないぞ」

「ううう、ありがとう…。でもその子は野人、野人よ…」

「ま。やじんに足は六本もありませんことよ」

「お前は黙っていろ、アイアンディーネ」

スマラルダスが呆れたように私に言う。
私の眼前で座り込み、小さく人型サイズに戻った精霊がぐすぐすとまだ泣いている。
もー。甘やかされすぎじゃないー?

あのあと、スマラルダスが私が彼女にひっかけた糸状の魔剣をシルバートの刃で断ち切り、強制的に私を彼女から引き離した。
さすがの私の魔剣も、数百年かけて育った、魔剣シルバートの硬度に抗えず、それこそ糸の切れた凧のようにフラ~と私の体は空に泳いだ。
勿論、そんなことはスマラルダスはおりこみ済みで、私はスピネル君の風魔法でフォローされ、優しく着地。一緒に魔獣も落ちてきたので、折角なので魔剣に吸収。
みよんと背中の魔剣を伸ばし、魔獣に突き刺しジュワっと吸い取った。

それを見ていた精霊と冒険者が引いていたのは心外だな。冒険者クンよ、魔獣討伐はキミ達の仕事でもあるんだぞ。
「呪われていませんから」と笑顔で冒険者に言っていたスピネル君の一言も傷ついたぞ。私、乙女なのに。

「こんちゅうの持つ、こう、宇宙的な でふぉるめはなかなか理解されませんわ…」
「お前の美的感覚には文句は言わない。だが、好んで生理的嫌悪感ある動きをするなよ…。俺でも嫌がらせかと思ったぞ」
「違いますーー!」

ううう、美的感覚の低さは私のコンプレックスなのに~。
スマラルダスめ~。

「まあまあ、気を取り直してくださいませ。スマラルダス。アイアンディーネ様。それより」

ブルーレースが間に入って、チラと精霊に視線を向ける。
おお、そうだ。大事な話をしなくては。

私は身だしなみを整え、座り込んだままの精霊に跪く。

「大変失礼しました。それで、先ほどの契約のお話ですけれども」

「ううう、少し考え直させて…。いったん保留にしてちょうだい…」

言うと精霊は立ち上がり、その姿をまた元の大きさに戻してスゥと消えるように夜に溶けていった。
そして、私の左手にある精霊印もまた、元の形状に戻っていた。

こっちが持ち帰りにされてしまった…。






(ううむ、ちょっと失敗しちゃったかな?)

私は前夜の精霊への対応を少々行き過ぎたと反省していた。

(この間、冒険者ダイヤモンドの新刊読破した、その熱が残っていたのは否めなかったわ)

私は思わず立ち上がり、右手を そや! とフェンシングのように突き出した。

夕べは結局深夜に宿に戻り、宿屋の主人が騒ぎを知って、町長にも連絡していた。
町の中まで、精霊の叫び声は響いていたらしい。
そら、あの高さで絶叫されたら響き渡るわ。

なので、状況を一通り説明するハメになり、私の代わりに残されたスマラルダスは夕べはろくに寝ていないと思う。
私? 子供は早寝しなくちゃいけません、というブルーレースの主張でスピネル君と伴にあのあとすぐ床に入りました。
…まあ、私がいたら、ややこやしくなっていたかもね。


ともあれ、今日、セルカドニー侯爵領へ出立だけれど、予定は少し遅れて昼過ぎに出ることになった。
スマラルダスは朝にまた町長と昨日の騒ぎの説明のため出かけているので私は宿の自室で待機中。
ブルーレースとスピネル君は荷物の整理をしている。

私は少しだけ、後悔していた。
精霊が弱虫だったとは言え、泣かせてしまったので。

(フロウライト村の子供達とケンカはしょっちゅうだったけど、あれはあいつらが悪かったから胸は痛まなかったし)

アイアンディーネ・ザ・ジャイアンは実力主義なのだ。
魔力なしの余計者、と言われて下向くだけの女じゃないのさ。
おかげで、友達は出来なかったけど。

室内を落ち着かなくウロウロしていると、ドアがノックされ、そこにアンダリュサイト村のリンゴを数個、籠に入れたスピネル君が微笑んでいた。




私とスピネル君は夕べ訪れた、エレスチャレの小さな森に来ていた。
夕べの道をまた、この先の池まで 二人で辿っている。
手には、彼が用意した、アンダリュサイト村の高級リンゴの入った籠がある。

「かってに部屋から抜け出して怒られないかなぁ…」
「最初に提案したのはブルーレースです。彼女も孤児院で小さい子の面倒をよく見ていますから。--ケンカは長引かせないのが一番ですよ」

私はかるく唇を噛んだ。

「でも、精霊印はもう元のかたちにもどっているんだよね」
「帰り際、スマラルダスが精霊の名前を聞いています。堂はありませんが、エレスチャレの町長に聞いたところ、この先の池は精霊の信仰対象らしいです。会えなくても、彼女の好物のリンゴを供えて帰りましょう」
「うん…。あのね、悪気はなかったんだよね…」
「ええ。ただ、虫の嫌いな人からみたら、服についた拳大の女郎蜘蛛が顔に向かって突進してきたら…怖いでしょう?」
「す、すまん…。それはたしかに怖いです…」

虫嫌いじゃなくても怖い。
うう、私が全面的に悪いな、これ。



池に辿り着くと、スピネル君と私は顔を見合わせ、教えてもらった精霊の名前を呼んだ。

雲母きらら様」

私たちの声が消えたあと、周囲は静まり返っていた。
何度か、呼びかけたが、精霊の現れる気配はなかった。

(仕方ないか…)

私はスピネル君とまた顔を見合わせ、池のふちにリンゴの籠を置くと立ち上がった。
ふと見上げると、光のゆらめきを感じた。
池の水面が波打ち、そこに昨日見た、少女の精霊、雲母がいた。



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