魔法使いと栗色の小鳥

宵川三澄

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1話

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足取りが重い。
フィリシアは思った。
重いのは当然だった。
今年の畑の収穫は少ない。隣国アジェラとの諍いはまだ続くらしい。
また税が上がる。自分が街でお針子をしているが、その給金だけでは体を壊した父と弟妹たちの生活を支えてはいけない。
なのに今年も税を払うあてがない――。

ため息が舞う。

秋の黄金の季節なのに。

硬いレンガの道を曲がる。
このまま直進すれば、春をひさぐ女たちの宿にたどり着く。
猥雑な街の気配に怯えるが、今更、なにを失うのか、と己を奮い立たせる。
家族を守れるのは 今、自分しかいないのだ。>

ふと、後ろから人の視線を感じて振り向いた。

道に立っていたのは一人の青年。
フィリシアはいぶかしむ。顔見知りではないだろう。
青年は一目見たら忘れられない容姿をしている。世話になっている仕立て屋の客ならさすがにわかる。出来れば、知り合いに見られるのは避けたい。今日、話を決めてそれから仕立て屋に挨拶に行けばいいと思っている。おかみには蔑まれると思うが、それも今更。

彼女は自分の背中にかかる銀の髪に触れた。山岳地帯に住む少数民族の証だ。混血化が進んで彼女のように銀色の髪を持つ者は近年はまれになったが、もともと、この髪を持つ者はその貧しさから侮蔑の対象だ。この近辺ではあまり歓迎されない。

今の王家の祖はこの山岳民族だったのよ――

亡くなった母の言葉を思い出す。それが母の誇りだったがフィリシアはあまり興味がなかった。青い空と澄んだ空気は愛していたが、それもこれも現実の重みを受け止めてからの話だ。
そして、青年から視線を外す。
唇をキュと引き結び、まっすぐ面をあげて フィリシアはその淡い色の瞳を眼前に伸びる落ち葉とゴミが転がる道の先を見つめた。

一歩、と歩みだす。

しかし、いきなりガクンと体の重心がバランスを崩した。

誰かがフィリシアの腕を掴んだのだ。

慌てて彼女はその左手を掴んでいる人物を注視する。
彼女は驚いた。
先に自分を見ていた青年が彼女の腕を掴んでいる。

彼はまたじっと彼女を見ている。
彼女は青年のその様子に怯えるが、彼は腕を放す気はないようだ。

「あの、なにか…?」

青年の灰色の瞳が自分を検分しているのがわかる。
フィリシアは強く腕をひこうとしたが、彼の言葉にぎくりとした。

「身を売るなら、もっとお金になる話を僕としないか?」


フィリシアは街で一番高い宿にいた。
清潔で調度品も高価そうだ。彼女の一ヶ月の給金では、この花瓶ひとつも買えないだろう。大きく開いた窓からは白く雪が積もった山頂が望める。この美しい風景を見るために王都から来る貴族を迎えるための部屋だろう。

「座って」

彼女を部屋に招きいれた青年は扉を閉めて彼女をソファに座るよう促した。言われるままに腰掛けた二人掛けのソファは驚くほど柔らかく、彼女の身を沈めた。それにフィリシアは軽く悲鳴を上げた。
田舎者丸出しのフィリシアに くすり、と青年は笑った。
緊張と、あげく笑われてしまったフィリシアは青年をまともに見ることが出来ない。
彼は丸いテーブルの上に珈琲を二つ置き、フィリシアの近くにミルクと砂糖のつぼを置いた。
一瞬、貴族ではないのか とフィリシアは思った。
だが、ううん、と否定する。
彼の身に着けているもの、そして珈琲を置いたとき、チラリと見えた手首の青い刺青が彼を特別な人間だと推察させる。

多分、きっと…。
この「お金になる話」は身を売るより恐ろしいものかもしれない。

青年はカップを口につけると さて、と呟いた。
どう話そうか少し考えているみたいだ。
声は優しい。
髪は王都では珍しくない黒髪で、長めの前髪がその整った眉をすこし隠している。灰色の切れ長の目。眼鏡が知的だ。鼻筋も通っていて、唇はあつすぎず、薄すぎず。肌は陶磁のようだ。
彼は驚くほど整った顔をしていて、背も高すぎなかった。人に脅威を与える風体ではないのだ。むしろ、少し線の細さが生身の男ではないような。そう、どこか人形のようなのだ。濃い紺色のフロックコートに身を包んでいたが今はそれは脱いで掛けられている。白いシャツとベスト。そして藍色のタイ。そっけないが紳士の出で立ちだ。仕立ての仕事をしているので、その品物が何気なくてもしつらえのいいものだとフィリシアにはわかる。
そのそっけなさが彼の美しさを品のいいものにしているのだろう。

そんな彼の口から出てきたのはひどく生々しい話だったが。

「そうだね、単刀直入に言おうかな…。
僕は、女性を求めている。正式な妻でなく」

フィリシアは顔をあげた。
そうだ、これはお金の入る話なのだ、と自分の夢想を打ち砕く。

「愛人…ですね。この街の滞在期間中のお相手でよろしいのですか?」

フィリシアの切り返しに彼は軽く瞠目した。

「思ったより きみ、現実的なんだ」
「お金に困っています」
フィリシアの口数は少ない。
そして彼は続ける。
「いや、期間はもっと長い。僕が死ぬまでくらいかな。僕はきみの人生を買いたいと言っているんだ」
え、とフィリシアは彼を見やる。
「家族は? そのために売春宿に身を売ろうとしていたんだろう?」
家族のことは聞かれたくないと思った。だいたい、ただの愛人ならこんな田舎で会った娘に話をふるなんておかしい。この青年にならいくらでも女性がまとわりつくだろう。その魅力が彼にないとも思えない。そして、ふと気づく。
「…どうして、最初から私が…、宿に身を売ろうとしていたことに気がついたんですか」

そんなにも顔に悲壮感が醸されていたのだろうか?
そして、今、彼は家族のためにと言わなかったか。
「僕はそういうのがわかるから」
言いながら、彼は右手のシャツの袖をめくった。
キズひとつないその腕に、青いふくろうの刺青があった。
――ああ…。フィリシアは呟く。
「…魔法使い…」
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