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16話
しおりを挟むあの少女とは挨拶に来た時以来、ほとんど口をきくことはない。使用人の扱いに冷たい方ではないが、テオドールはキースの手のついた娘、という認識の少女に軽い嫌悪感を持っている。
少女はそこに広がった、土だらけのなにか白いものを拾い集め、そして、小走りになって その小道を後にした。
――使用人同士のいさかいか。
拉致もない、と思ったが、そのままにしておくと公爵家の矜持に関わる。
彼はベルを鳴らし、執事を呼び、今見たことを彼に話した。
しかし、夕方になって執事が彼女に問いただしたところ、なにもない、との返事があったと聞いてテオドールはさらに不快になった。
その頃、イルネギィアは自室で泥だらけになったソレを洗っていた。
先に執事さんが来て、なにかトラブルを抱えていないかと聞かれた。
慌ててなにもない、と答えたが、彼は妙な顔をしていた。
…どうしよう。こんなこと、男の人には言えないもの。
そして、たらいに水を注ぎ、こすりあわせる。その――ドロワーズを。
「あああ、嫌がらせなら別のものを泥だらけにして欲しかったっ」
「なんだって?」
ギクリとした。声の主が戻っているとは思わず大きな声で愚痴ってしまったことを後悔した。いつもは続き部屋とは言え勝手にイルネギィアに与えられた侍女部屋に入ることはないのに、ひょこ、とキースは彼女の後ろに立つ。
かがんでたらいに手を突っ込み下着を洗っている彼女の後ろから彼は覗き込む。
そして、ヒョイとソレを手に取った。そうだ、この主はこういうことが平気な人だったのだ。
「返して下さいっ」
慌てて立ち上がる。
「…嫌がらせ? 洗濯室の女中は責任を問おう」
「お、お願いです。違うんです。あたしが自分で洗おうと思って籠に入れたままにしていたんですっ。だから、目を離したあたしがいけないんです。と、いうか、お願い、広げないでぇぇぇっ」
こっちのが嫌がらせですー! とほぼ半泣きでイルネギィアは言う。
うん、そうかもね、と彼は不快を顔に出してようやくソレを返してくれた。
「なぜ、すぐ僕に言わないの。今日が初めてではないの?」
「そんな、言えませんっ。下着がなくなったなんて、殿方には」
ため息しながらキースは言う。
「ここのハウスキーパーのミセスに言っておこう。探そうと思えば探せるけど、きみは犯人をどうしたい?」
聞かれて濡れたドロワーズを抱きしめ、イルネギィアは答える。
「…ことを大きくしたくないです。恥ずかしいので…」
「――だろうね。悪質だ」
女の子が下着を盗まれたと大声で言えないことを見越しての嫌がらせなのだ。キースにとっては自分の保護下にある少女が被害にあったのだ。不愉快極まりない。
「とにかく、下着は買いに行こう。ついでにペチコートも新しくしようか」
「キース様のそういうところイヤぁっ」
一人で買いに行きますと わめくイルネギィアを馬車に押し込め、キースは彼女を街に連れ出した。
イルネギィアはこの件は、これで終わるだろうと思っていた。
思っていたのはイルネギィアだけだったが。
「うう、あんな恥ずかしいことはありません…」
眼前で真っ赤になってことの次第を話すイルネギィアに気の毒にと言ったのはバレリーだった。
「私も経験あるわ。私の場合は扇を隠されたの。社交界にデビューしてしばらく続いたわね。今も厭味を言う人がいるわ」
顔をあげ どうして、とイルネギィアが口を開く。
あの兄弟は目立つもの、とバレリーは言う。
「あたしの場合もそういうものなのでしょうか…」
嫌な思いをする、とは聞いていたが。
「女の嫉妬は怖いのよ。キースが同伴者が必要なときは私を伴うことが多いの。彼はあまり貴族の令嬢には近づかないから。テオもそうね。彼は女性関係に慎重なの。だから、公爵家の麗しい兄弟を天秤にかける悪女と見られているわ」
現在進行形よ、と笑う。
恐ろしいのですね、とイルネギィアは ぐ、と胸元で拳を作った。
「キースはきっと犯人を知っているのでしょうね」
人の心を覗ける魔力を持つ〝魔法使い〟。彼はこの事態を静観するのだろうか?
「あたしはあまり大事にしたくないのですが…」
「ええ、わかるわ。でも、使用人の中に盗みを働く者がいたらその管理は主人にあるのよ。怠慢は許されないわ…」
言ってバレリーは窓の外に視線を渡してピクリとなる。
なにか? とイルネギィアもつられて窓を見た。
そこにはテオドールが赤毛のエミリーと歩いている。エミリー嬢は彼に夢中のようだ。イルネギィアはバレリーを見る。
バレリーは気にしないで、と呟く。
知っているのでしょう? と。
それに逡巡したが、イルネギィアは はい、と答えた。
知っているのはバレリーの気持ちだけ。
どうしてこんな素敵な侯爵令嬢をテオドールが受け入れないのだろう。魔力もちではないからと聞いている。でも、それがそんなに大切なこと?
そう思うと軽くテオドールに腹が立った。言わないが。
バレリー様はキース様ではいけないのだろうか? とすら思う。でも、この凛とした美しい人に憂いの瞳をさせるのはあの金の髪の王子様なのだ。
どうして、王子様はこの姫君ではいけないの?
その二日後、同じことが起きた。
イルネギィアは切り刻まれたレースの高価なドロワーズを見下ろし呆然としている。レースの断面は刃物を使ったのだろう。鋭い切り口が恐ろしい。背にはテオドールが腕を組み、いかにも面倒なという顔をして立っている。おそるおそる振り向くとキースがこちらに駆けてきていた。
キースがミセスにことの次第を話したというのでイルネギィアは安心していた。それでも洗濯室を使うときは注意していたのだ。それで乾燥させるのも部屋で、と思っていたのにその部屋から盗まれたのだ。
これが大事だというのはもう隠しきれない。
イルネギィアの部屋は主人たるキースの部屋へも入れる続き部屋だ。キースの部屋が荒らされる可能性だってあったのだ。
「イリー」
蒼白なイルネギィアの肩を抱いてキースが声をかけた。
「大丈夫か?」
イルネギィアはこくりと頷く。
テオドールが低い声でキースに言う。
「お前の使用人の管理不行き届きにこちらは迷惑している。どうする気だ?」
え、とイルネギィアは顔をあげた。
テオドールの言葉を反芻する。
――確かに盗まれたのはあたしの不注意かもしれない…。けれど…。
イルネギィアはその空色の瞳でテオドールを見上げた。
それにテオドールはまた眉をひそめる。
「テオ。貴方が二度 目撃していて放置していたことの方が責められるべきじゃないか?」
「放置などしていない。遠目で誰かわからなかったし、今度はすぐここに来た。だからこの娘をここに呼び出したんだ」
「出来れば犯人を確保して欲しかったね」
キースが言う。
テオドールはキースを睨む。
イルネギィアはのろのろと切り裂かれた下着を拾い上げた。恥ずかしくてたまらなかった。ギュと胸元に握りこむ。ちょうど慌てたハウスキーパーがそこに来た。も、申し訳ありません、とテオドールに彼女は頭をさげる。テオドールはハウスキーパーにも監督不行き届きを言い捨てた。――彼の中では使用人の犯行であることは決定事項らしい。
そう思うとさらに腹が立った。
こんなことをする人にも。された自分にも。そして、目の前でいかにも不快をあらわにしているテオドールにも。
キースが行くよ、とイルネギィアを促した。
「待て、どうする気だ?」
キースがそう投げかけたテオドールを見る。無機質な目。人形のような弟の視線にテオドールは眉間に皺を寄せた。
「もう、ないよ。こんなこと。一人、客人が帰ることになるけど」
それだけ言ってキースはイルネギィアの手を取って歩き出す。
テオドールはそれに唇を噛んだ。
そして、集まった家人に言う。
「…あいつがああ言うのならその通りになる…。大事にしなくていい。職場を辞する者がいたら特に理由は問いただすな…」
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