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一章、アリヤ

八話、疑心暗鬼には救われてほしいという願いさえ悪意としか映らない

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◆◆◆
 記念すべき一日目を終えたアラカは、その後珍しく実家に帰宅してその日を終えようとしていた。

「……」

「あれ、お嬢様……?」

 アリヤが物音に瞳を開けると、窓の外でアラカが歩いていく姿が見えた。

 純白のネグリジュの上に、数少なく残っていた男の頃の灰コートを羽織る。

「(何処いくんだろ……)」

 ふと気になり、アリヤは起きて上着を羽織る。

「(どんどん街を歩いてく……治安が悪い方に)」

 幸い、夜の街は怪異の影響で人出少ない。

「おい、あの子」
「あん? ぁ……」

 加えて夜の街にいる人も大半がアラカに対して罪悪感を覚えてる。
 ゆえに特に絡まれる危険性はなさそうだった。

「(街の……ここは、廃墟?)」

 アラカはもう文明から置き去りにされた街の側面へと足を踏み入れる。

 廃墟の一つを目指して、もしくは何処でもよかったのか。
 アラカは廃墟の一つに足を踏み入れた。

 「(……ここは)」

 アリヤもそれを追うように廃墟へ恐る恐る足を踏み入れる。

「……?」

 荒廃した世界がそこにあった。廃墟は錆び付いた天井の穴から差し込む月の光に照らされて幻想的な世界が生み出されていた。

 現代のようで、幻想のような
 荒廃を思わせ、神秘を孕んでいる。

 ————陰鬱な美しさ。

「やあ、アリヤ」


 そこでアリヤは、己の主の疲れ切った声を聞いた。

 顔珍しくまともに綴られた言葉は、何処かやつれていて、何処か艶やかさを覚える。


「こんばんはだよ」


 錆びれたコンテナの上で、髪を弄る白銀の少女。
 廃墟には無相応な美しさを、それでいてこれ以上なく似合っている組み合わせだ。


「愛の神様に免じてペンを貸してはくれないか」


 右の瞳が真紅に染まっている、そんな中でアリヤを見下ろしていた。

  ——初めて見るアラカだった——


「あはは、ごめんね。
 あまりにも月の光が綺麗なものだから少しだけふざけてみた」

 しかしふふっ、と笑んで手をふらり、と妖艶に振った。
 幼いのに妖艶で、疲れていて、瞳が壊れ切っている。

 まさに陽と隠ギャップ、それがひどく魅力的に見えた。

「フランス民謡……月の光に、ですか?」

「嗚呼、そうだよ」


 月の光に導かれるように男女が一つの家の戸に消える。そんな歌だ。


「青年リュバンが消えた家と呼ぶには、少しばかり廃れ過ぎかな」


 疲れたように穴の空いた天井を眺めて、そうぽつりと呟く。
 そしてそれは彼女なりの誘い文句なのだろう。

 それに応えるようにアリヤは笑んだ。


「ふふ、ありがとう」


 アラカは首元へ手を掛け、一つの首飾りを服の中から取り出した。


「これ、わかるかな。
 毎朝、僕が飲んでいる薬が中に入っているんだ」

 アラカは身体を後ろに倒して、首飾りを月へ掲げるように照らす。

 ガラス造りの首飾りは、月を背にある錠剤を透かして見せる。

「毒だよ」

 アリヤは息を飲む。
 知らなかった事実は、当たり前に人の心を突き刺すのだから。


「僕の身体では死ぬことはあまりないけどさ。
 飲んでいると、少しだけ休めるんだ…意識が、生命維持に咲かれるから、ね」


 ————何を思い出すから、とは続けなかった。

 その答えを、共に知っているから。

 ふわり、と妖精のようにコンテナから舞い降りる。
 男性の頃のコートが羽もように柔らかくはためく。

「……ーー」

 とん……と、妖精を降りたかのように小さく地を叩く音が聞こえる。
 アリヤは見惚れたようにその姿を眺める。

「自分の心は自分が一番分かる、と世の人は言うけれど僕には皆目分からないよ」
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