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四章、ウェルテル

六話、ロッテ

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「妊娠、したら捨てられ、て……浮浪者、に……首を、絞められて、殺された……あんな、惨めな、ガキなんかじゃ……ないんだ……」

 拳を握りしめ、心の底からの悪意を絞り出すように呟く。

 これが真実。死想と呼ばれる少女の真実生前であった。

 怪異。その正体不明の異能持ちの正体とは、こういうものだ。

「(有り体に言って、不幸な子供たちが変質した存在。
 能力を持っても、全員が全員……悪意のままに、無差別に人を殺す。
 平和そうに生きてるという、それだけでも君らにとっては酷く虫唾が走るものだから、ね)」

 だからこそ、アラカは怪異たちへ強い敵意を表すことはなかった。

 コードレスや、    さんが良い例だろう。
 そのらの人間よりも、怪異の方が共感できる面が多かった。それだけなのだ。

「ええ、たしかに僕は対して強くもないし。こうして負けてしまった弱者です」

 ナイフへ魔力を纏わせて、死想の攻撃を弾く。

「だが、その上で君もまた弱いんだよ」

 ナイフの切先を死想へ向ける。

「傷付いた分だけ、涙の数だけ強くなれる?
 ——そんなわけないでしょう」

 一歩、前へ進む。
 飛んでくるレーザーを首を横にずらして避ける。

「泣いて喚いても……泣いて喚くだけの人間に、明日なんて来ないのですよ。
 僕に来なかったように、ね」

 一歩、前へ進む。
 雷鳴を瓦礫を蹴り飛ばして防ぐ。

「泣いて喚いて何もしないで雛鳥みたいに口開いてる阿呆には、明日なんて来ないんですよ」

 一歩、前へ進む。
 剣が顕現され、投擲されるも見切ってナイフで破壊する。

「明日が来るのは涙の数だけ世界を殺してやると誓った人間だけ。
 気に食わない今日を殺し続けてやると、戦い続けた化け物だけです……」

 一歩、前へ進む。
 一歩、前へ進む。
 一歩、前へ進む。

 破壊を、破滅を、混沌を全てを相対して処理をする。

「その点では、君の方が上手ですね。
 自分の自由を奪った人間を……みんな殺したというその意思……とても、素敵だと思います……真似をしたいと、思うほど」
「ぁ……」

 目の前に立ち、二人は見つめ合う。
 背丈がほぼ同じ二人は、姉妹と言われても納得してしまうほどに愛らしい。

「だというのに、自分を大きく見せることばかり……自分以外の全てが、敵に見えているのでしょうね」
「……っ、んなの、知るかあああああああ!!」

 苦し紛れに死想はアラカへと至近距離からの日本刀で刺突をして————アラカはそれを喰らい、肩を貫かれた。

「……けほっ」

 口から血を噴き出して、アラカは確かに負傷をしたのだと死想は知る。
 死想の頬に付いた血の返り血が、その生温かさがそれを証明した。

「……は、はは……! 弱者が、弱者の分際で……! 舐めプする、から」

 攻撃があたった。それに困惑した死想が困惑しながら勝利を宣言し——胸ぐらを掴まれた。

「それだけ、ですか」

 血を噴き出して、肩を貫かれているのに平気で声を出して、その疲れ切った瞳で死想を恐怖させた。

 狂気に至るほどの……慈愛で、そう告げる。

「過去、僕は負けました。
 潜伏型の怪異に、周囲の人間を手玉に取られて、僕の悪い噂を流されて、その果てで……誰も彼もが僕を痛め付けた」

 ぽつりぽつり、と零すように語り始める。
 心臓の近くを貫かれてなお、ただ優しい悪意を胸に。

「その日に、誓ったのですよ。
 ————あの怪異を殺し、このような作戦があっても即座に見抜いてやる、と……」

 思えば、全てがそれを表していたのだろう。
 ————狂気の本質を知っていること
 ————権謀術数を学ぶこと。


「権謀術数、行動主義心理学、パブロフにエリック・バーンにアルバート・メラビアン。人の心に関するものは腐るほど読み漁った。
 それを以って、二度目は起こさせないと誓いました。
 ————何がなんでも、強くなってみせます」

 そしてそんな言葉を前に死想が震える。

「貴女はどうしますか。
 ただその場で足踏みすることだけで、満足なのですか」

 一歩二歩、後ろに下がる。肩に突き刺さる刀が自重に耐えきれず血に落ちる。

 くるりと、周りアラカは手を差し伸べて。

「さあ君、取り給え、だよ。この安っぽい飴玉のような賭けに乗るかな?」
 安っぽい挑発。それを侮辱だと受け取ることもできる。
 どうせ嘘だ、と馬鹿だ、と言い返せる。

 だが目の前の少女は、それをやり続けている。

 心が壊れてもなお、前に進み続けている。

「……っ……私に……強者シラノになれ、と?
 そのために、歩き続けろと?」

 何処かキレ気味で問いかけ返す死想に、アラカはただ優しく……されども残酷に返した。

「ああ、そうだよ。成長は苦しくて、悲しくて、吐きそうで、死にそうな地獄でしかない。
 僕は君に、地獄を歩いて欲しい。君だけじゃない、怪異全てに、そんなことを希うよ」 

 雨が消え、その世界は救世主の出現が如くに照らされる。

 その姿は畏敬を齎し、
 その聖性はただ薄汚れていて、
 その声は、聖母のように美しかった——

「終わらぬ地獄のその先で————至高の花《ロッテ》を捧げましょう」

 その宣言は只々華やかで……天使と呼ぶに値する神聖さを秘めていた。
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