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第2部 魔王って? 獣王って? 天使って?

第10話 召喚獣アプスー登場

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 それでも、初めてこの城に来た昨日と比べれば、霧は少しは薄くなっていた。きっと、霧を張る魔法担当の人たちが、バッタの大群のせいでそれどころじゃなくなったんだろう。

 少し遠くにうっすらと黒い煙が太く立ち上るように見えたのが、扇のように横に大きく広がって、ぐんぐんとこちらに迫ってくる。
 もしかしてあの暗い煙か雲みたいなのが、ことごとくバッタ!? 
 だとしたらさっきの廊下どころじゃない。何百万、いやきっと何千万、何億の襲来だ。

 いっそう重いという羽音が辺りを包んで望楼が振動する。とんでもない数のバッタが楼に当たってるんだ。
 虫が当たって建物全体が振動するとか、ありえねー。
 もちろんバッタたちは顔にも手足にも遠慮なくバシバシ当たってくる。ああ鬱陶うっとおしいやら気持ち悪いやら!
 羽音はますます大きく周囲に充満し、巨大な耳鳴り、地鳴りのようになった。
 こんな事態になるまで何も把握してないとしたら、ゼブルさんって本当に宰相として有能なのか? ちょっと疑問になってきた。
 それとも、やっぱり何かの思惑があるのか。

 とうとう私は我慢できず、ゼブルさんに向かって怒鳴った。

「さっきから、どうしてそんなに落ち着いてるんですか!?」
「おや、何か怒っておられますかな?」
「当たり前でしょう! こんなことになってるのに、いちいち飛蝗(ヒコウ)や蝗害(コウガイ)のダジャレめいた説明とか、その普段通りのふざけた冷静さは、いったい何なんですか?」



「え?」
「バッタの大群は、いきなり魔族やヒトを傷付けたり喰らったりする訳ではない。せいぜい、あうっ、モガッ」
「どうしたの!?」
「ん、ゴクッ、い、いや、バッタが一匹、口に飛び込んで来ただけです。もう大丈夫。しっかり噛み砕いて飲み込みましたから、消化にも良い筈です。しかし決して美味しいものではないですなあ」
「はあ」
「まあ、被害があるとすれば食糧を喰い荒らされる程度でしょうが、それも頑丈な貯蔵庫に厳重に保管してありますので、バッタ共が入り込む事はできないでしょうから」
「でも、城の辺りでこれなら、街や畑もとんでもないでしょう。特に今はまだ作物の刈り入れの最中じゃないんですか?」
「あっ!」

 これだ。でも、本当に忘れてたの? なーんか怪しいなあ。
 とにかく今はそれどころじゃない。
 私は早口で言った。

「心の声さんが言ってたよ。ゼブルさんって元は風を呼ぶ魔人なんでしょう。その能力ですぐにバッタの群れを吹き飛ばして!」
「いやいや、大昔は確かにそうだったのですが、風の力はもう何百年も使っていないので、いささか自信がありませんなあ。
 それよりもアスラ様の方が余程適任ではありませんかな。ティアマト様の気象魔法を御覧になったのでしょう? ここはひとつ、それに倣って軽ーく能力の片鱗を発揮して頂ければ」
「風の魔法は見てませんって! それに、言ったでしょう、私って手加減するのが苦手なんですよ。無理して試せば、もしかしてとんでもない暴風になって、かえって被害が大きくなるかも」

 こんな調子で、ゼブルさんこそ、いやいやアスラ様こそって、二人で互いに不毛に押し付け合ってると、ん? おや? 少し風が出てきて、すぐに適度な強風になってバッタたちを吹き飛ばし始めたぞ。
 そしてそして、おお、大河の流れが変わるみたいに、これほどの密度の、あれだけの恐ろしい数のバッタが一斉に東に向かって、それこそ暗雲がすっかり晴れるように飛び去って行くじゃないですか!

「やったあ! ゼブルさん、さすがです」
「いや、わたくしは何も」
「違うよ。僕だよ」
「え、誰? おわーっ!」

 振り向くと、

「初めまして。僕の名はアプスー」

 びっくりしたけど、かっくいー!! 
 ほとんど翼もはばたかせないで優雅に空中に浮かんでる。
 でもこのドラゴンさん、色は違うけど、どことなくティアお婆さんに似てるぞ。

 え? 同じドラゴンなんだから人間から見たら全部が似てるだろうって?
 違う違う。目も口元も耳も、身体つきも、みーんな千差万別。
 だって、ダンジョンでいろんなドラゴンと戦った経験があるからわかるもの。
 人間と見れば襲って来る、凶暴な、言葉も話せない低位種ばっかりだったけど、それでも顔つきからして敵意や凶悪さの表れ方が全部違った。
 目の吊り上がり具合とか、口の裂け具合とか、耳のとがり方の感じとか。

 でも、このドラゴンさんは目が綺麗に澄んでて、頬が龍種にしてはふくよかで、とにかく優しそうな、人(?)の良さそうな、見ようによってはちょっと間の抜けた感じ。

(おい、最後の部分はちょっと……)

「あ、こちらこそ初めまして。私、アスラです」
「うん、知ってるよ。困ってる時は助けてあげてって、ティアマトに頼まれてたからね」
「あ、そうなんだ。本当に凄く助かった。ありがとう!」
「喜んでくれたなら僕も嬉しいよ」
「で、ということはティアお婆さんのお知り合い?」
「知り合いって言うか、弟で夫だよ。つまりブラザーでありハズバンド」
「えーっ、姉弟で夫婦!?」
「そうだよ。別に珍しい事じゃないと思うけど。だって『ぎりしゃ神話』のゼウスとヘーラーだって姉と弟だし、『ちゃいな』の創世神話の伏犠ふくぎ女媧じょかも、『二ホン神話』のイザナギとイザナミも兄妹、いや姉弟だったか、とにかくブラザーあんどシスターだよ。
 確か『かぐや姫』も元々の話では、月の世界で兄妹婚をしたのが罪に問われて、地球に一定期間追放されたんじゃなかったかな。それに、大昔のいろんな国の王様は圧倒的に近親婚が多いでしょ」

「(見かけと違うドラゴンの博識にちょっと驚いて)へえ、そうなんだ。詳しいねえ」
「でしょう。えへん」
「意外だなあ」
「ん、どういう意味?」
「あ、何でもない。気にしないで」
「もしかして君、かな?」

「(慌てて話題を変えて)でも、島に行った時には会わなかったよね」
「(見た目通りの善良さなので、たやすく誤魔化されて)うん。だって 僕は召喚獣だから、常に姿を見せてる訳じゃないんだ。決して夫婦仲が悪くて別居してるんじゃないよ。くれぐれも誤解しないでね」
「はぁ」
「それはそうと、街の方に行かないでいいの? あちこちから煙が出てるけど」
「え?」

 見ると、風でバッタだけじゃなく霧もすっかり吹き飛ばされて、確かに街の方向から幾筋も煙が立ち上っているのがわかった。

「さあ、僕の背中に乗って」
「え、いいの? ドラゴンって、人間に背中に乗られるのを嫌うんじゃなかったっけ」
「君たちは別。それに今は緊急事態だしね。遠慮しないで」
「ありがとう!」
「ではアプスー様、わたくしも久し振りに失礼致します」
「え、ゼブルさん、もしかして知り合い?」
「はい。以前、ガイア様の使いでティアマト様の島に伺った時に何度かお会い致しました。それで、どうしても一度背中に乗せて頂きたかったので、大量に様々な手作りケーキをこしらえて参上して、御二方にお願いしたところ、寛大にもアプスー様が御引き受け下さって」
「ああ、そうだったね。ゼブルの作るお菓子は凄く美味しいんだよね」

 へえ、そうなんだ。
 ゼブルさんにそんな特技があるなんて、またまた意外!

「乗った? じゃあ行くよ」

 白銀色のドラゴンさんは、ぶわっとその巨体を浮かせて、一気にかなりの上空に達した。
 ここからだと街全体が見渡せて何が起こってるかがよくわかる。
 煙だけじゃない。何か所も火に包まれて、あちこちが大規模な火災だ。
 ん? 街を守る城壁の周りを取り囲んで、地平線までを覆うような途方もない数の軍勢らしきものが。あれがきっと獣王の集めた大軍だな。

「じゃあ、様子が分かったら、今度は大通りの中心に急降下」

 垂直に感じるほどの鋭い角度で高速ダイヴ。
 しっかり掴まってはいるけれど、それでも風圧で身体が浮いて飛ばされそうだ。
 ちょっと怖いけど楽しぃ―――っ!
 すぐに地面が迫って急ブレーキ。
 私は勢い余って背中から転げ落ちた。

「大丈夫?」
「あたた、うん、何とかね。でも、これは……」

 目の前には、身の丈20フィートもありそうなキマイラの死骸が横たわっていた。
 あちこち破裂した胴体と四肢はたぶん野牛、それから尻尾はと見ると、気色悪い舌を出した蛇がまだうねうね動いてる。そして、半分吹っ飛んだ恨めし気な表情の首はタテガミのあるライオンだ。
 そこら中の家の屋根や窓から火が上がって、通りの景色も煙でかすむほどだ。
 それに、あっちにもこっちにも黒灰色のネズミの大集団。1匹1匹がかなり大型で、そいつらが露店に並んだ食べ物をむさぼったり、家々の軒先を遠慮なく走り回ったりしてる。

 何だこの惨状は!? ありえねー。
 とにかく、まずは消火だ。
 私は白銀ドラゴンさんに向かって大声で言った。

「雨を降らせて! この火事を全て消し止めるほどの大雨を。できるよね!」
「まかしとき」

 ドラゴンさんはにっこり笑って、それからちょっと空を仰ぎ見た。
 すると、さっきからの風で雲も吹き飛ばされた真っ青の空が、どんどん厚い雲で覆われて、大粒の雨が降り始め、すぐに叩きつけるような豪雨になった。
 火はどんどん勢いを弱め消えていく。凄い!

「またまた、ありがとう!!」
「どういたしまして。この位、お安い御用だよ。御馳走なら1食分」
「え?」
「だってティアマトが言ってたよ。君は料理が上手なんでしょう。だから会えるのを楽しみにしてたんだ。あ、ちなみに僕はヴィーガンだからね。食材は植物性のものだけで頼むよ」
「はぁ……」

 ここでやっとゼブルさんがドラゴンさんの背中から降りてきて、私たちを取り囲んで警戒してる住民と衛兵さんたちに叫んだ。

「はあはあ…… このドラゴン殿は御味方です! はあ…… わたくしたちが来たからには、も、もう大丈夫。あ、安心して下さい!」

 急降下の短い間、顔をうつ伏せて必死にドラゴンさんの背にしがみついて、横顔は表情を失くして青ざめてたもんね。ぷぷぷ。
 きっと、以前に乗せてもらった時と段違いの高速だったせいで恐怖して、それが地上でも続いて足腰が立たなかったんだろう。
 だって、何とか降りてはきたけど、まだ息が荒い。

 すると衛兵さんの一人、丈夫そうな鎧を着て兜を被った隊長さんらしき人が、ゼブルさんと分かって、駆け寄って来て大声で言った。

「ゼブル様、有難うございます! 助かりました」
「わ、わたくしはまだ何もしておりません。はあはあ、れ、礼ならそちらのアスラ様とアプスー様に申し上げて下さい。しかし、な、なぜ火事などに?」
「ガイア様がおやりになったのです」

 はあ?

「イナゴの大群が」
「い、イナゴではない。飛蝗、つまりトビバッタです」
「あ、は、はい。そのトビバッタの大群を焼き払おうと、ガイア様が空に向けて大規模の火炎魔法をお使いになり、燃えたイナゴ……」
「イナゴではない、バッタです。何度も訂正させないで下さい」
「その燃えたバッタの群れが家々の屋根に降り注いで火災に。我が隊がちょうど消火作業を行っているところでありましたが、何しろ火勢が強く」

 あちゃー、ガイアさんがやらかしたのか。
 ありえ…… いや、あの人ならむしろ充分にあり得そう。

「このキマイラとねずみは?」
「街に芸人の1団が参っていたのですが、バッタの来襲の少し前に、芸を見せていた犬や子熊などの動物が突然に変化、巨大化して暴れ始めたのです。そこに倒れている1頭はガイア様が爆裂魔法でお仕留めになったものです。
 他にも10頭以上が街のあちこちに散らばって住民を襲っておりましたが、そちらは近衛軍10小隊が駆けつけて現在対処中であります。
 鼠の方は、バッタの大群と殆ど時を同じくして大量に姿を現したところから判断して、やはり獣王軍の仕業かと思われます。混乱に乗じてどこからか街に入り込んだものかと」
「それで、ガイア様は今どこに居られるのですか?」
「南面の城壁の上にて獣王軍の本体と対峙たいじしておられます。すぐにアスラ様もゼブル様も来られて何とかするであろうと仰せになって、こちらは我々に任せて急行されたのです。
 ただ、獣王軍の来襲が急であったのと、街の混乱の収拾に兵を取られて、なかなかまだ兵力が整わない御様子です。それから人質も……」
「分かりました。この豪雨で火災はすぐにおさまるでしょうが、街の警備兵は引き続き住民の救助、退避と、消火の確認に努めるように。鼠はわたくしが何とかします。それからアスラ様」

 おお、テキパキとした指示! 宰相さんの本領発揮だ。
 さっきは無能とか考えてごめんなさい。

(そこまで思っておったのか?)

 まあ半分はね。

(残りの半分は)

 何か私に言えない計画があるのかって、今でも疑ってる。

(…………)

「貴女様はすぐにガイア様の所に向かって下さい。わたくしも鼠を片付け次第、すぐに参ります」
「わかりました」
「それからアプスー様も、と言いたいところですが、そろそろ召喚の時間切れですな」
「そうだね。アスラちゃんだったよね、御馳走楽しみにしてるからね。食材は植物性のものだけで頼むよ。またねー!」

 そして白銀ドラゴンさんは手を左右に振りながら姿を薄くし、透明になり、消えていった。え、えっ!?

 驚く私にゼブルさんが言う。

「召喚については後で御説明します。今はまずガイア様の所へ!」

 う、うん、そうだね。
 とにかく私は城壁へと飛んだ。
 でも、あの隊長さん、人質とか言ってたっけ。
 それに、ゼブルさん一人で鼠の大群を何とかするって、どうやって?


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