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第3話(最終話) 先生、私、大食いするから見ていてください
しおりを挟む初めてのことなのに、夢うつつのままことは進んでいき、すべてを収め切った先生の腰が性急に動き始めると私は快楽に喘いでいた。
痛みなんてない。身体の奥底から気持ちよさが湧き上がってくる。突きあげながらも腹を触る先生の指使いが強い愛撫となって、もはや身体は空中に浮かび、先生と絡み合う。
私と先生の接合した部分に電気がはしっている。ひときわ大きく打ち込まれ、頭のなかで火花が散った。
悦びにあふれた内蔵が、大量の情報を私の脳に送り込んでくる。
健康な肉体、優秀な遺伝子、素晴らしい学習能力、豊かな愛情。
ひと突きされるごとに、彼の肉体と精神の分析が私の脳内で披露される。すごい、人間として、いや男として惚れ惚れする。
恋がやって来たのは強いまなざしに射られた時だったのかもしれない、いま、愛の種子は彼の指で私の中に埋め込まれている。いつしか両脚が彼の腰にからまっていた。
「あああっ」
私は何度も絶頂に達しては、唇だけを動かした。声が出ないのだ。そこではっと気がつく、これは夢?
無理に目を開けると、私は診察台の上で上掛けをかけて眠っていた。
先生はパソコンに向かってなにやら打ち込みをしている。さっきのドイツ語の続きだ。
(あれ? 私……先生と、どうなった?)
脚を擦り合わせてみると、下着はちゃんと履いている。額や首周りには汗をかいていた。
さっきあったことは現実のような気もするが、女性器に痛みは感じないし、第一、あの橘先生が診察室でことに及ぶなどということはありえない。あぁっ、私の夢! 私の妄想! エッチすぎる!
混乱する頭のまま、身体を起こそうとすると空っぽの胃が盛大に鳴り、先生が振り返った。
「目が覚めましたか? 疲れているときにすみません。せっかくなので満腹の状態でレントゲン画像を撮らせて貰いたいんです。ホテルのルームサービスをここに持ってきてくれるそうです。メニュー表の最初から始めるので、嫌いな物があったら言ってください」
先生の態度はクリニックに入る前とまったく変わらない、ペッパー君の口上だ。
すん、と浮かれた気持ちが冷静になる。なーんだ。すごく素敵だったのに……。
がっかりしながらも、私の視線は先生の動きにつられてしまう。形のよい指が示すパソコンの画面は、華やかなメニュー表に切り替えられた。
「おいしそう……」
モニターには、目にも華やかな料理画像が並んでいる。
タルタルソースがかけられた海老フライ、色とりどりのカリフォルニアロール、牛リブロインステーキのお重、特製のビーフバーガー、どれもこれも手が込んでいて飾りつけも綺麗だ。だけど……。
「高いっ。先生、この上品なカレー四千円もするし、ハンバーガーだって三千円も? 私なら二、三口で食べちゃいます。もったいない」
私が本気を出したら、このメニューの端から端まで食べきって、いくらかかるかわからない。これからコンビニに行って、店頭のものを買い占める方が合理的だ。
「もったいなくないです」
先生がキリっとした表情を見せた。
あら? かっこいい!
私には先生の生体が少しわかってきた。研究の過程で目標に向かうときだけ、覇気にあふれてロボット味が消えるのだ。
「美味しいものに反応して食が進むのなら、ホテルの料理はちょうどいい。だから満腹の手前と胃を拡張したところ、さらに別腹のレントゲンを撮らせてください」
「何十万円とか……もっと、かかるかもしれないですよ」
こんなことで散財させてしまうことに気が引ける。私は唇を尖らせた。
一品だけ食べても空腹はしのげるのにと思う。お金のかかる子だと思われるのもイヤだ。
「いくらかかっても構いません。僕ひとりでたくさん食べるところを見るなんて贅沢です」
それでも食い下がってコンビニごはんを提案しようと口をひらいたところで、クリニックのドアベルが鳴った。
「最初の料理が来たようです」
私が寝ている間に打ち合わせは済んでいたらしい。ボーイさんとレストランの給仕さんがふたりでワゴンを押してやって来ると、うやうやしく礼をしてテーブルを作ってくれる。
白いテーブルクロスに一輪挿しの赤いバラ。輝くカトラリーが並べられて着席した私と先生の前で、二個並んだドーム型のステーキウォーマーが開かれた。
「わぁ、いい匂い。おいしそう」
夢みたいなセッティングに、私の堅実な提案はどこかに飛んで行ってしまう。
皿の上には焼き目も麗しい神戸牛サーロインが載っていた。これは一皿二万円のやつだ。
「僕もできるところまでは、ご相伴にあずかります」
一緒に食べてくれることにほっとする。それならデートっぽい。
「はい、いただきますっ」
ぺろりと平らげてしまうと、次々にステーキがやって来る。フィレにプライムリブアイ、ラムチョップ。先生は二皿目のステーキでストップしてしまったけれど、私のエンジンはすっかり温まっていた。
サンドイッチが五種類つづいたあとに、パスタが三種、ピザを食べたら海老フライを始めとする特選メニューに入る。
「満腹です。ここで拡張の指令を出します」
自己申告すると、先生は私の腹部のレントゲンを撮った。
レントゲン室から戻って、すぐに運ばれてきたステーキ重に手をつける。
ほかほかご飯の上のステーキから、甘辛いタレの匂いが立って最高に美味しそう。
内臓は例のごとくエキストラの場所を作り出して、肉とお米をきっちり収納する。
新しいオーダーを運ぶボーイさんの顔ぶれが変わった。きっとクリニックで行われているフードファイトの噂を聞きつけて持ち場を交代して見物に来ているのだろう。メニューはとっくに一周してしまっていた。
「こもれびさん、甘いものと出前のラーメン、どっちが別腹に効きますか?」
終始ごきげんで私の食べるところを見ていた先生が二択を迫った。
「出前なんて取れるんですか?」
ルームサービスしかないから、こんなに豪華なフードファイトになっているのかと思っていた。出前が取れるなら、全部ラーメンでも……いや、やはりホテルの食事はおいしかった。先生と一緒にバラの花を挟んで食事ができたのも素敵だった。
「深夜までやっているラーメン屋の、醤油ラーメンが美味しいです。もちろん味噌、とんこつ、タンタン麺も人気です。まとめて頼んでいいですか?」
ラーメンと聞いたとたんに別腹が動きだし、先生がしゃがんで膨らんだ腹に耳を当てる。
「胃が動いて場所を空けた。これが別腹か……」
上から見る頭がまん丸で、てっぺんにつむじがある。かわいいなと思ったとたんにお腹がぐるると音を立てた。これは別腹じゃなくって子宮が反応した音だ。
「下の方が鳴っている」
失礼、と声をかけてから、先生の指がぐっと内臓を押す。すると腹鳴は発情期の猫さながらになり、私は恥ずかしさに顔を背けた。
――やだ、先生。私また妄想しちゃう。
「さっき触診したときから、こもれびさんの内臓がなにか言いたそうだ」
私は勇気を振り絞る。さっきのエッチな妄想夢が私の背中を押していた。
「先生が、好きって……言ってます」
しゃがみこんでいた先生が、ゆっくりと顔を上げた。
あ、あ、あれ? 真っ赤っか?
「光栄です。僕も……今日、診察に来てもらえるって思うと嬉しかった」
立ち上がった先生が、すっと手を差し出した。
「僕たちはいいパートナーになれると思います。よろしく」
「はい……んんっ?」
勢いよく手を握り返したけれど、先生の言うパートナーってなに?
伴侶? 恋人? それともフードファイト?
「千疋屋のホールケーキも予約してあるんです。ラーメンのあとに食べましょう」
「フルーツのあの?」
「そうです、てんこ盛りの。何台いけるかな?」
先生のさわやかな笑顔に騙されちゃいけない。そうだったサイコパスだった。でも、千疋屋! いつもショーケースの前で立ち止まって眺めている。あの光り輝くフルーツのケーキ! うれしすぎる。
「いまなら、5台ぐらいかな? ……ウソです10台いけます」
「いいですね」
先生は受話器を取ると、ケーキの追加注文を始めた。
変わっているけど、好き。ついて行きます、先生!
***
「テレビをご覧の皆様。全日本フードファイター王者決定戦が開幕します」
渋い声で司会をするのは、ベテラン俳優の城之崎マモルさんだ。
全国ネットのテレビ局、それぞれのテーブルの前にはネームプレートが設置されて、舞台の背景には世界中の食品を扱った名画のレプリカが飾られている。
赤いじゅうたんに凝った照明。予算のかかった人気番組のオープニングは、司会者も現場の雰囲気も大げさなほどエレガントだ。
男女混合で対決する長寿大食い番組の撮影には、マリモ様を引退に追いやった新人として私もノミネートされていた。
――どうしよう、緊張する……。
人見知りのあがり症で、ずっとテレビは無理って言ってきたのに、景子さんの説得で出場した女王決定戦以来、たえまなく出演依頼が来ている。だけどこの大会には、男性ファイターもいる。タキシードを着た城之崎さんの背中が遠くなったり近づいたりして見える。手のひらに汗がにじみ、胃が小さく縮み上がる。
おまけに最初の食材はお豆腐だという。お豆腐……好きだけど、味の変化が少なくておいしく食べられるか不安になる。緊張しすぎて食欲が沸かない。
末席で肩をすぼめていた私は、視線を感じて顔をあげた。
――先生! 見てる! ……私のお腹。じゃなくって、私の顔?
真っ直ぐに立っている先生の潔い視線が、私の表情をじっと見ていた。胃がぽっと温まる。
そう、今回の医療立ち合いも橘先生なのだ。先生の射るようなまなざしは、私の内臓を奮い立たせる。
大食い大会の医療立ち合いといえば橘先生、それはマリモ様の告白から定着した評判だ。
「死ぬかと思ったのに、先生がスーッとお腹を撫でたら落ち着いたんです。命の恩人!」
いまやタレントとして大活躍のマリモ様が軽妙なトークで説明するのを、私は誇らしさとともに一種の焦燥感を覚えながら聞いた。
先生の手の威力を絶賛してくれるのはうれしいけれど、私と彼だけが理解しあえていたらいいのに、なんて独占欲もある。恋する心は揺れ動くのだ。
――ま、片想いかもしれないけどね。
「では、最初の対決。京都老舗料理店の湯豆腐、私の大好物です。どうぞお運びして」
城之崎さんが素敵な低音で呼びかけると、上品な着物姿のお運びさんが、コンロに乗った土鍋をワゴンに乗せてやってくる。
スタジオ中に出汁の匂いが漂い始めた。さすが大物俳優のお墨付き!
(ああ、これ、おいしい匂い。食べたい、たくさん食べたい)
先生の視線で温まっていた胃が、急激に収縮を始めた。これは絶好調のきざしだ。
そっと先生を盗み見ると、なんともいえない優しい笑顔で笑っていた。
笑顔は私に向けられている。ロボットくんでもお医者さんでもなくって、ひとりの男性の顔。
空っぽの胃袋の上で心臓がきゅん、とときめく。
「お豆腐、おいしそう。いただきまーす」
両手を合わせ、ぎゅっと目を閉じて木製のスプーンを取る。内臓はお豆腐、早く、と待ちわびている。木綿豆腐をすくって、かつお節と醤油のだし汁につけて食べる。
「おいしいっ」
震えがくるおいしさに、内臓は激しく活動をはじめた。先生の目がきらっと光って、私のお腹を見すえる。
いまや、あの目が私を励まし、奮い立たせる。
行ける、先生と一緒ならどんな大会でも戦える。次々と運ばれてくるお豆腐をしっかりと味わいながら、私は世界の舞台を思い描いていた。
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