13 / 45
13 誘惑と防御
しおりを挟む
王妃のそばにいた女官たちが、新しく泡立てたショコラを運んでこようとしたのか、銀盆を手に席を離れた。
ヴェルサイユでは、ショコラは王妃の親しい取り巻きだけが許される贅沢。
銀の器のふちには王家の百合の紋章が刻まれており、侍女たちはそれを倒さぬよう慎重に歩く。
そんな“儀式”めいた動作すら、宮廷の日常だ。
その一瞬の“隙”を逃さず、マリアンナがアラン中尉のほうへしなやかに歩み寄る。
「まあ……近衛隊士官様。王妃陛下をお守りするお立場、いつ拝見しても本当にりりしいこと」
アランは、感情の読めない笑みだけを返す。
宮廷の男達がよく使う『感情の底を閉ざした、儀礼用のほほえみ』だ。
近衛士官は王妃と同じ空間に立つため、表情の揺れはゆるされない。
「恐縮です、ヴィルヌーヴ嬢。
ご身分ある令嬢が、警護の者に声をかけられるなど――宮廷礼法上、あまりおすすめできません」
これは牽制だ。
だけど、ヒロインは下がらない。
マリアンナはわざと歩幅をあやまったふりをし、アランの肩へ軽く寄りかかるように身体をかたむけた。
「きゃっ……失礼を……」
ヴェルサイユでは、令嬢が男性へ『うっかり』触れるのは、ひそかな誘惑の合図。
公衆の面前でこれをするのは、計算ずくの女だけだ。
宮廷ではありふれた芝居だが、王妃の私的サロンでこれをやるのは無礼に近い。
周囲はおたがいに視線を交わし、空気がわずかに張りつめる。
だけど、アランは――冷え切っていた。
彼は右足を半歩引き、軍務で鍛えた正確さで距離をとる。
マリアンナの体重は、彼に触れない。
これも、王妃の近衛士官が教え込まれる“対処法”のひとつ。
軽率なウワサを避けるため、女性との接触は決して許されない。
「ご安心ください。お怪我はありませんね?」
表情は崩さず、声の温度も変わらない。
“職務中です”という態度のまま。
マリアンナの手は宙に浮いたまま。
彼女の頬に険しさが浮かぶ。
……マリアンナ、避けられたわね。
アランは追撃するように、王妃のほうへ静かに視線をむけた。
その意味は明白だ。
“ここは王妃の前。軽率なふるまいは、つつしめ”。
「王妃陛下の御前で、不用意に警護兵へ近づかれますと、あなたが誤解される可能性がございます。どうかお気をつけて」
“あなた”が誤解される。
それは礼儀正しい表現でありながら、実質的には 『不適切な行為はおやめください』の拒否と通告。
マリアンナの唇が、わずかに引きつる。
その様子を遠くから見ていた私は、扇子の陰で密かに息をついた。
アラン中尉……
マリアンナの“誘惑”を完全に読んでいたのね。
アランは最後に軽く会釈し、マリアンナから視線をはずす。
その背中は、“王妃の近衛士官は、いかなる誘惑も受けない”という職務の誇りを語っていた。
◇
お茶会がおわり、サロンを出たあと、私は長い廊下を歩きながらため息をついた。
この廊下は、王や王妃、高位貴族たちが生活するアパートメント(居住区画)をつなぐ、細長い通路だ。
ヴェルサイユのアパートメント廊下は、表の金装飾とは対照的に、地味でもある。
幅は狭く、石床の上に敷かれた細長い赤い敷物は、踏みしだかれて色が薄い。
両側には使用人が出入りする小扉が等間隔にならび、燭台の光だけが、かすかに廊下を照らす。
ヴェルサイユでは、ショコラは王妃の親しい取り巻きだけが許される贅沢。
銀の器のふちには王家の百合の紋章が刻まれており、侍女たちはそれを倒さぬよう慎重に歩く。
そんな“儀式”めいた動作すら、宮廷の日常だ。
その一瞬の“隙”を逃さず、マリアンナがアラン中尉のほうへしなやかに歩み寄る。
「まあ……近衛隊士官様。王妃陛下をお守りするお立場、いつ拝見しても本当にりりしいこと」
アランは、感情の読めない笑みだけを返す。
宮廷の男達がよく使う『感情の底を閉ざした、儀礼用のほほえみ』だ。
近衛士官は王妃と同じ空間に立つため、表情の揺れはゆるされない。
「恐縮です、ヴィルヌーヴ嬢。
ご身分ある令嬢が、警護の者に声をかけられるなど――宮廷礼法上、あまりおすすめできません」
これは牽制だ。
だけど、ヒロインは下がらない。
マリアンナはわざと歩幅をあやまったふりをし、アランの肩へ軽く寄りかかるように身体をかたむけた。
「きゃっ……失礼を……」
ヴェルサイユでは、令嬢が男性へ『うっかり』触れるのは、ひそかな誘惑の合図。
公衆の面前でこれをするのは、計算ずくの女だけだ。
宮廷ではありふれた芝居だが、王妃の私的サロンでこれをやるのは無礼に近い。
周囲はおたがいに視線を交わし、空気がわずかに張りつめる。
だけど、アランは――冷え切っていた。
彼は右足を半歩引き、軍務で鍛えた正確さで距離をとる。
マリアンナの体重は、彼に触れない。
これも、王妃の近衛士官が教え込まれる“対処法”のひとつ。
軽率なウワサを避けるため、女性との接触は決して許されない。
「ご安心ください。お怪我はありませんね?」
表情は崩さず、声の温度も変わらない。
“職務中です”という態度のまま。
マリアンナの手は宙に浮いたまま。
彼女の頬に険しさが浮かぶ。
……マリアンナ、避けられたわね。
アランは追撃するように、王妃のほうへ静かに視線をむけた。
その意味は明白だ。
“ここは王妃の前。軽率なふるまいは、つつしめ”。
「王妃陛下の御前で、不用意に警護兵へ近づかれますと、あなたが誤解される可能性がございます。どうかお気をつけて」
“あなた”が誤解される。
それは礼儀正しい表現でありながら、実質的には 『不適切な行為はおやめください』の拒否と通告。
マリアンナの唇が、わずかに引きつる。
その様子を遠くから見ていた私は、扇子の陰で密かに息をついた。
アラン中尉……
マリアンナの“誘惑”を完全に読んでいたのね。
アランは最後に軽く会釈し、マリアンナから視線をはずす。
その背中は、“王妃の近衛士官は、いかなる誘惑も受けない”という職務の誇りを語っていた。
◇
お茶会がおわり、サロンを出たあと、私は長い廊下を歩きながらため息をついた。
この廊下は、王や王妃、高位貴族たちが生活するアパートメント(居住区画)をつなぐ、細長い通路だ。
ヴェルサイユのアパートメント廊下は、表の金装飾とは対照的に、地味でもある。
幅は狭く、石床の上に敷かれた細長い赤い敷物は、踏みしだかれて色が薄い。
両側には使用人が出入りする小扉が等間隔にならび、燭台の光だけが、かすかに廊下を照らす。
0
あなたにおすすめの小説
生まれ変わりも楽じゃない ~生まれ変わっても私はわたし~
こひな
恋愛
市川みのり 31歳。
成り行きで、なぜかバリバリのキャリアウーマンをやっていた私。
彼氏なし・趣味は食べることと読書という仕事以外は引きこもり気味な私が、とばっちりで異世界転生。
貴族令嬢となり、四苦八苦しつつ異世界を生き抜くお話です。
※いつも読んで頂きありがとうございます。誤字脱字のご指摘ありがとうございます。
私はざまぁされた悪役令嬢。……ってなんだか違う!
杵島 灯
恋愛
王子様から「お前と婚約破棄する!」と言われちゃいました。
彼の隣には幼馴染がちゃっかりおさまっています。
さあ、私どうしよう?
とにかく処刑を避けるためにとっさの行動に出たら、なんか変なことになっちゃった……。
小説家になろう、カクヨムにも投稿中。
悪役令嬢だけど、私としては推しが見れたら十分なんですが?
榎夜
恋愛
私は『花の王子様』という乙女ゲームに転生した
しかも、悪役令嬢に。
いや、私の推しってさ、隠しキャラなのよね。
だから勝手にイチャついてて欲しいんだけど......
※題名変えました。なんか話と合ってないよねってずっと思ってて
悪役令嬢が睨んでくるので、理由を聞いてみた
ちくわ食べます
恋愛
転生したのは馴染みのない乙女ゲームの世界だった。
シナリオは分からず、登場人物もうろ覚え、タイトルなんて覚えてすらいない。
そんな世界でモブ男『トリスタン』として暮らす主人公。
恋愛至上主義な学園で大人しく、モブらしく、学園生活を送っていたはずなのに、なぜか悪役令嬢から睨まれていて。
気になったトリスタンは、悪役令嬢のセリスに理由を聞いてみることにした。
死亡予定の脇役令嬢に転生したら、断罪前に裏ルートで皇帝陛下に溺愛されました!?
六角
恋愛
「え、私が…断罪?処刑?――冗談じゃないわよっ!」
前世の記憶が蘇った瞬間、私、公爵令嬢スカーレットは理解した。
ここが乙女ゲームの世界で、自分がヒロインをいじめる典型的な悪役令嬢であり、婚約者のアルフォンス王太子に断罪される未来しかないことを!
その元凶であるアルフォンス王太子と聖女セレスティアは、今日も今日とて私の目の前で愛の劇場を繰り広げている。
「まあアルフォンス様! スカーレット様も本当は心優しい方のはずですわ。わたくしたちの真実の愛の力で彼女を正しい道に導いて差し上げましょう…!」
「ああセレスティア!君はなんて清らかなんだ!よし、我々の愛でスカーレットを更生させよう!」
(…………はぁ。茶番は他所でやってくれる?)
自分たちの恋路に酔いしれ、私を「救済すべき悪」と見なすめでたい頭の二人組。
あなたたちの自己満足のために私の首が飛んでたまるものですか!
絶望の淵でゲームの知識を総動員して見つけ出した唯一の活路。
それは血も涙もない「漆黒の皇帝」と万人に恐れられる若き皇帝ゼノン陛下に接触するという、あまりに危険な【裏ルート】だった。
「命惜しさにこの私に魂でも売りに来たか。愚かで滑稽で…そして実に唆る女だ、スカーレット」
氷の視線に射抜かれ覚悟を決めたその時。
冷酷非情なはずの皇帝陛下はなぜか私の悪あがきを心底面白そうに眺め、その美しい唇を歪めた。
「良いだろう。お前を私の『籠の中の真紅の鳥』として、この手ずから愛でてやろう」
その日から私の運命は激変!
「他の男にその瞳を向けるな。お前のすべては私のものだ」
皇帝陛下からの凄まじい独占欲と息もできないほどの甘い溺愛に、スカーレットの心臓は鳴りっぱなし!?
その頃、王宮では――。
「今頃スカーレットも一人寂しく己の罪を反省しているだろう」
「ええアルフォンス様。わたくしたちが彼女を温かく迎え入れてあげましょうね」
などと最高にズレた会話が繰り広げられていることを、彼らはまだ知らない。
悪役(笑)たちが壮大な勘違いをしている間に、最強の庇護者(皇帝陛下)からの溺愛ルート、確定です!
オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!
みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した!
転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!!
前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。
とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。
森で調合師して暮らすこと!
ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが…
無理そうです……
更に隣で笑う幼なじみが気になります…
完結済みです。
なろう様にも掲載しています。
副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。
エピローグで完結です。
番外編になります。
※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。
転生したら悪役令嬢だった婚約者様の溺愛に気づいたようですが、実は私も無関心でした
ハリネズミの肉球
恋愛
気づけば私は、“悪役令嬢”として断罪寸前――しかも、乙女ゲームのクライマックス目前!?
容赦ないヒロインと取り巻きたちに追いつめられ、開き直った私はこう言い放った。
「……まぁ、別に婚約者様にも未練ないし?」
ところが。
ずっと私に冷たかった“婚約者様”こと第一王子アレクシスが、まさかの豹変。
無関心だったはずの彼が、なぜか私にだけやたらと優しい。甘い。距離が近い……って、え、なにこれ、溺愛モード突入!?今さらどういうつもり!?
でも、よく考えたら――
私だって最初からアレクシスに興味なんてなかったんですけど?(ほんとに)
お互いに「どうでもいい」と思っていたはずの関係が、“転生”という非常識な出来事をきっかけに、静かに、でも確実に動き始める。
これは、すれ違いと誤解の果てに生まれる、ちょっとズレたふたりの再恋(?)物語。
じれじれで不器用な“無自覚すれ違いラブ”、ここに開幕――!
本作は、アルファポリス様、小説家になろう様、カクヨム様にて掲載させていただいております。
アイデア提供者:ゆう(YuFidi)
URL:https://note.com/yufidi88/n/n8caa44812464
悪役令嬢、隠しキャラとこっそり婚約する
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢が隠しキャラに愛されるだけ。
ドゥニーズは違和感を感じていた。やがてその違和感から前世の記憶を取り戻す。思い出してからはフリーダムに生きるようになったドゥニーズ。彼女はその後、ある男の子と婚約をして…。
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる