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第4話 あなたの傍にいるために
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アイドルグループ『スターライトガールズ』の超新星アイドル・結城凛々――本名、御剣刀子。
新人でありながらわずか三ヶ月でグループのセンターにまで出世した彼女が、音楽番組の本番中に足を捻挫したのが二週間前。
その頃には捻挫もすっかり治って、ダンスレッスンにも再び参加できるようになった。
刀子がレッスンを終えて、ロッカールームのドアノブに手をかけたときである。
「――結城のやつさあ、ホントうざいよね」
ピク、と刀子の手が止まった。
声はロッカールームの中から聞こえる。……同じ『スターライトガールズ』の、メンバーの声。
「『高校卒業までの遊びのつもり』とか言ってたけど、私達よりあとから来たくせにセンター横取りしていってさ。ドン引きするほどレッスンしてるし、やる気あるのかないのかハッキリしろって感じ」
「今日ダンスレッスンしてたの見たから、もう捻挫治っちゃったんだね。いっそ骨折でもすればよかったのに」
「アンタ、もっと強く突き飛ばしたほうが良かったんじゃないの?」
「わ、私、わざとやったわけじゃ……」
臆病な性格のメンバーは、悪口を言っているアイドルに強く言えないらしい。
「あーあ、早く芸能界辞めてくんないかな、アイツ」
言葉の刃は、何度も何度も刀子の心を突き刺した。
――彼女自身、周りのメンバーから鬱陶しがられているだろうとは思っていた。
ただ、実際にそれを聞いてしまうと、刀子の背筋になにか冷たいものが走った。
刀子は、ドアノブにかけた手を離して、そっとその場を立ち去った。
普段の刀子なら、そのままロッカールームに殴り込んで、メンバーと言い争いもできたかもしれない。
しかし、刀子は鞘香にも悪口を言われたことを相談できず、自分の胸の中にしまうことしか出来なかった。
プロデューサーに迷惑をかけたくない。プロデューサーの大好きなアイドルがこんなにも醜いものだとは知られたくない。
刀子は、トイレの中で少し泣いた。
***
それから数日後のことである。
刀子は沈んだ気持ちで学校の教室に入った。
「あ、刀子!」
刀子が芸能界入りする前からの親友が、刀子を見た途端大声を出す。
「おはよ。……どうしたの?」
「見てよこれ! アンタ盗撮されてるよ!」
「え……?」
親友が突きつけてきたスマホの画面に映っているのは、アイドル関連のまとめサイトのようだった。
そこに表示されている写真は、グラビアやブロマイドの仕事で撮られたものではなく――おそらく体育の時間の、体操着姿の写真。
「は!? 何これキモッ!」
「ねー! 気持ち悪いよね! 有名税とかよく言うけどこれはないわ!」
しかもそのサイトには、ファンたちの心無い下品な言葉が並べられていた。
――……吐き気がする。
刀子はもはやアイドルもファンも信じられなくなった。
次の日から、彼女は不登校になり、アイドルとしての仕事もすべて拒絶した。
そんなに私が嫌いなら、もうアイドルなんて辞めてやる、という意思表示のようであった。
だから、刀子を心配して家を訪ねてきた鞘香のことも、一度は「帰って」と追い返した。
それでも毎日家を訪れる鞘香に根負けして、刀子は彼女を家に上げた。
「……そっか。辛い思いさせてごめん」
刀子から事情を聞いた鞘香は沈痛な面持ちで謝罪した。
「別に太刀川さんが謝ることじゃないでしょ。メンバーに嫌われてたの知ってたし、アイドルってこんな汚くてドロドロしたものだと思ってなかった。もっとキラキラしたものだと勝手に夢見てたのは私なの」
鞘香にそんな顔をしてほしくなくて、刀子はわざとあっけらかんとした態度を取る。
しかし、そんな演技はドラマの仕事では通用しても、プロデューサーを欺くことは出来ないらしい。
「刀子。刀子はファンに勇気を与える存在になりたいんじゃなかったの?」
「……あんなキャッチフレーズ、自己紹介のために言わされただけだもん。ファンなんかどうだっていいよ」
それは本心だった。あの写真を撮ったのがファンかどうかはわからないが、まとめサイトに下品な書き込みをしたのは一部のファンであろう。しかし、一部とはいえ嫌悪感をもよおすには充分であった。
「そんなこと言っちゃダメ。アイドルはファンを何より大事にするべきだよ」
「だって、アイドルオタクって挙動不審で気持ち悪いし、握手会の時の手汗すごいし……」
「それだけみんな緊張してるってことでしょ。ファンにとってアイドルは偶像。ファンの思う理想の姿を常に見せること」
「アイドルってめんどくさいわね」
「そうよ、めんどくさいわよ。でもこの道を選んだのはあなたよ、刀子。アイドルになった以上、その責務を果たしなさい」
「……はぁい」
母親に叱られた子供のように、刀子は身を縮める。
「私は私の責務を果たさなくちゃね。ネットに出回った写真はなるべく削除申請を出すし、盗撮した奴は訴える。一度ネットに晒された写真はそう簡単には消えないけど……」
「ううん、太刀川さんの気持ちだけで充分嬉しい。ありがとう、こんな職務放棄するような奴を心配してくれて」
「だって、刀子は私の大切な子供みたいなものだから」
「何それ、私アンタみたいな親知らないんだけど」
「わはは」
鞘香はおどけたように豪快に笑う。刀子を元気づけようとしている、笑わせようとしている。その心遣いが、刀子は嬉しかった。
「……それに、子供扱いされるの気に入らない」
「刀子?」
刀子は鞘香の手を撫でた。すべすべしている。そのまま恋人繋ぎのように指を絡める。
「太刀川さん……鞘香さん。私、鞘香さんのことが好き」
「え?」
「女同士の恋愛の仕方はよくわからないけど、勉強するから、だから、」
「ちょ、ちょっと待って落ち着いて」
鞘香は顔を寄せてくる刀子の唇に、人差し指を当てる。
「刀子、一時の感情に身を任せて自分を安売りするのは良くない。あなたは落ち込んでるときに優しくされたからほだされただけだよ」
「そんなことない。鞘香さんが私を信じてくれるように、私も鞘香さんのことをいつの間にか好きになってた。今気づいたの」
「あー……」
鞘香は気まずそうに頭をかく。
「……ダメだよ。きっとあなたは後悔する」
「じゃあこの気持ちをどこに向ければいいのよ! 私だってファンに愛想振りまくだけの量産型機械になりたいわよ!」
「刀子……」
「鞘香さん、苦しいよ……この心を捨てたい……」
刀子は精神的に不安定になっていた。しかし、自分が鞘香という女性に恋していることを『気の病』とは思いたくなかった。
アイドルは偶像。しかし、アイドルとはいえ刀子はひとりの人間である。自分だって心は持っているし他人に恋だってするのだ。何人ものアイドルが繰り返し通ってきた道である。
心臓が痛いとでも言うように、刀子は胸を手で押さえて切なげな目で鞘香を見る。
その顔に、鞘香も心を痛めているような苦悶の表情を浮かべた。
「……ごめん。刀子の気持ちには応えられない」
「私が、アイドルだから……?」
「私は、刀子をトップアイドルにしたいって夢がある。刀子ならきっとなれるし、そのためなら私は刀子の盾にだってなる」
「トップアイドルなんて私は望んでないよ。高校生の間のバイトみたいなもんだと思ってたし。それは鞘香さんのエゴでしょ」
「……そう、だね」
刀子の言葉に、痛いところを突かれた、という顔をする鞘香。
刀子は、芸能界の頂点などどうでもいい。鞘香の傍にいられればそれでいい。
しかし、自分が芸能界を辞めたら鞘香との接点が無くなってしまうのもまた事実であった。
「……ま、付き合ってあげてもいいけど」
「いいの?」
刀子の申し出に、鞘香は意外そうな顔をする。
「ただし、本当にトップアイドルになれるかどうかは保証しないわよ。それは鞘香さんのプロデューサーとしての腕次第なんだから」
「もちろん! 私も頑張るよ」
「……それに……アイドルとしてなら鞘香さんの近くにいられるし……」
「なんか言った? 声が小さくてよく聞き取れなかったんだけど」
「別に聞き取れなくていい独り言よ、気にしないで」
もう、同じアイドルグループの性悪メンバーも、変態なファンも、どうだっていい。
――鞘香の傍にいるために、そして鞘香の望みを叶えるために、刀子はトップアイドルになる決意を固めたのである。
〈続く〉
新人でありながらわずか三ヶ月でグループのセンターにまで出世した彼女が、音楽番組の本番中に足を捻挫したのが二週間前。
その頃には捻挫もすっかり治って、ダンスレッスンにも再び参加できるようになった。
刀子がレッスンを終えて、ロッカールームのドアノブに手をかけたときである。
「――結城のやつさあ、ホントうざいよね」
ピク、と刀子の手が止まった。
声はロッカールームの中から聞こえる。……同じ『スターライトガールズ』の、メンバーの声。
「『高校卒業までの遊びのつもり』とか言ってたけど、私達よりあとから来たくせにセンター横取りしていってさ。ドン引きするほどレッスンしてるし、やる気あるのかないのかハッキリしろって感じ」
「今日ダンスレッスンしてたの見たから、もう捻挫治っちゃったんだね。いっそ骨折でもすればよかったのに」
「アンタ、もっと強く突き飛ばしたほうが良かったんじゃないの?」
「わ、私、わざとやったわけじゃ……」
臆病な性格のメンバーは、悪口を言っているアイドルに強く言えないらしい。
「あーあ、早く芸能界辞めてくんないかな、アイツ」
言葉の刃は、何度も何度も刀子の心を突き刺した。
――彼女自身、周りのメンバーから鬱陶しがられているだろうとは思っていた。
ただ、実際にそれを聞いてしまうと、刀子の背筋になにか冷たいものが走った。
刀子は、ドアノブにかけた手を離して、そっとその場を立ち去った。
普段の刀子なら、そのままロッカールームに殴り込んで、メンバーと言い争いもできたかもしれない。
しかし、刀子は鞘香にも悪口を言われたことを相談できず、自分の胸の中にしまうことしか出来なかった。
プロデューサーに迷惑をかけたくない。プロデューサーの大好きなアイドルがこんなにも醜いものだとは知られたくない。
刀子は、トイレの中で少し泣いた。
***
それから数日後のことである。
刀子は沈んだ気持ちで学校の教室に入った。
「あ、刀子!」
刀子が芸能界入りする前からの親友が、刀子を見た途端大声を出す。
「おはよ。……どうしたの?」
「見てよこれ! アンタ盗撮されてるよ!」
「え……?」
親友が突きつけてきたスマホの画面に映っているのは、アイドル関連のまとめサイトのようだった。
そこに表示されている写真は、グラビアやブロマイドの仕事で撮られたものではなく――おそらく体育の時間の、体操着姿の写真。
「は!? 何これキモッ!」
「ねー! 気持ち悪いよね! 有名税とかよく言うけどこれはないわ!」
しかもそのサイトには、ファンたちの心無い下品な言葉が並べられていた。
――……吐き気がする。
刀子はもはやアイドルもファンも信じられなくなった。
次の日から、彼女は不登校になり、アイドルとしての仕事もすべて拒絶した。
そんなに私が嫌いなら、もうアイドルなんて辞めてやる、という意思表示のようであった。
だから、刀子を心配して家を訪ねてきた鞘香のことも、一度は「帰って」と追い返した。
それでも毎日家を訪れる鞘香に根負けして、刀子は彼女を家に上げた。
「……そっか。辛い思いさせてごめん」
刀子から事情を聞いた鞘香は沈痛な面持ちで謝罪した。
「別に太刀川さんが謝ることじゃないでしょ。メンバーに嫌われてたの知ってたし、アイドルってこんな汚くてドロドロしたものだと思ってなかった。もっとキラキラしたものだと勝手に夢見てたのは私なの」
鞘香にそんな顔をしてほしくなくて、刀子はわざとあっけらかんとした態度を取る。
しかし、そんな演技はドラマの仕事では通用しても、プロデューサーを欺くことは出来ないらしい。
「刀子。刀子はファンに勇気を与える存在になりたいんじゃなかったの?」
「……あんなキャッチフレーズ、自己紹介のために言わされただけだもん。ファンなんかどうだっていいよ」
それは本心だった。あの写真を撮ったのがファンかどうかはわからないが、まとめサイトに下品な書き込みをしたのは一部のファンであろう。しかし、一部とはいえ嫌悪感をもよおすには充分であった。
「そんなこと言っちゃダメ。アイドルはファンを何より大事にするべきだよ」
「だって、アイドルオタクって挙動不審で気持ち悪いし、握手会の時の手汗すごいし……」
「それだけみんな緊張してるってことでしょ。ファンにとってアイドルは偶像。ファンの思う理想の姿を常に見せること」
「アイドルってめんどくさいわね」
「そうよ、めんどくさいわよ。でもこの道を選んだのはあなたよ、刀子。アイドルになった以上、その責務を果たしなさい」
「……はぁい」
母親に叱られた子供のように、刀子は身を縮める。
「私は私の責務を果たさなくちゃね。ネットに出回った写真はなるべく削除申請を出すし、盗撮した奴は訴える。一度ネットに晒された写真はそう簡単には消えないけど……」
「ううん、太刀川さんの気持ちだけで充分嬉しい。ありがとう、こんな職務放棄するような奴を心配してくれて」
「だって、刀子は私の大切な子供みたいなものだから」
「何それ、私アンタみたいな親知らないんだけど」
「わはは」
鞘香はおどけたように豪快に笑う。刀子を元気づけようとしている、笑わせようとしている。その心遣いが、刀子は嬉しかった。
「……それに、子供扱いされるの気に入らない」
「刀子?」
刀子は鞘香の手を撫でた。すべすべしている。そのまま恋人繋ぎのように指を絡める。
「太刀川さん……鞘香さん。私、鞘香さんのことが好き」
「え?」
「女同士の恋愛の仕方はよくわからないけど、勉強するから、だから、」
「ちょ、ちょっと待って落ち着いて」
鞘香は顔を寄せてくる刀子の唇に、人差し指を当てる。
「刀子、一時の感情に身を任せて自分を安売りするのは良くない。あなたは落ち込んでるときに優しくされたからほだされただけだよ」
「そんなことない。鞘香さんが私を信じてくれるように、私も鞘香さんのことをいつの間にか好きになってた。今気づいたの」
「あー……」
鞘香は気まずそうに頭をかく。
「……ダメだよ。きっとあなたは後悔する」
「じゃあこの気持ちをどこに向ければいいのよ! 私だってファンに愛想振りまくだけの量産型機械になりたいわよ!」
「刀子……」
「鞘香さん、苦しいよ……この心を捨てたい……」
刀子は精神的に不安定になっていた。しかし、自分が鞘香という女性に恋していることを『気の病』とは思いたくなかった。
アイドルは偶像。しかし、アイドルとはいえ刀子はひとりの人間である。自分だって心は持っているし他人に恋だってするのだ。何人ものアイドルが繰り返し通ってきた道である。
心臓が痛いとでも言うように、刀子は胸を手で押さえて切なげな目で鞘香を見る。
その顔に、鞘香も心を痛めているような苦悶の表情を浮かべた。
「……ごめん。刀子の気持ちには応えられない」
「私が、アイドルだから……?」
「私は、刀子をトップアイドルにしたいって夢がある。刀子ならきっとなれるし、そのためなら私は刀子の盾にだってなる」
「トップアイドルなんて私は望んでないよ。高校生の間のバイトみたいなもんだと思ってたし。それは鞘香さんのエゴでしょ」
「……そう、だね」
刀子の言葉に、痛いところを突かれた、という顔をする鞘香。
刀子は、芸能界の頂点などどうでもいい。鞘香の傍にいられればそれでいい。
しかし、自分が芸能界を辞めたら鞘香との接点が無くなってしまうのもまた事実であった。
「……ま、付き合ってあげてもいいけど」
「いいの?」
刀子の申し出に、鞘香は意外そうな顔をする。
「ただし、本当にトップアイドルになれるかどうかは保証しないわよ。それは鞘香さんのプロデューサーとしての腕次第なんだから」
「もちろん! 私も頑張るよ」
「……それに……アイドルとしてなら鞘香さんの近くにいられるし……」
「なんか言った? 声が小さくてよく聞き取れなかったんだけど」
「別に聞き取れなくていい独り言よ、気にしないで」
もう、同じアイドルグループの性悪メンバーも、変態なファンも、どうだっていい。
――鞘香の傍にいるために、そして鞘香の望みを叶えるために、刀子はトップアイドルになる決意を固めたのである。
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