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本編
第3話 宝石強盗と怪異対策課
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鳳仙神社――『アヤカシ堂』の社務所では、穏やかな時間が流れていた。
静かな音楽がラジオから流れ、店長・天馬百合は湯呑でコーヒーを飲みながらゆったりと椅子に座って雑誌を読んでいる。ちなみにこの人は常に巫女服である。他に服持ってないんだろうか。
妖怪の幼女、烏丸鈴はいつも持ち歩いている黒い竜のぬいぐるみをいじっている。破れやほつれがないか確認し、ぬいぐるみの腕を上げたりなどして一人でごっこ遊びをしているようだ。微笑ましい。
そして俺、番場虎吉は……店長の肩を揉んでいる。
「てんちょー、俺もう休みたいんですけど……」
「まだ30分も経ってないぞ」
店長は雑誌を読みながら俺の話に取り合ってくれない。
以前、蜘蛛の呪いから助けてもらう条件に肩揉み三時間を要求され、それを否応なく飲んでしまったのが運の尽き。
半妖となった俺は疲れに強い身体にはなっているのだが、肩揉みというのはどうしても腕が痛くなる。
「っていうか店長、そんなに肩凝ってないと思うんですけど……」
店長の肩に食い込む俺の指。彼女の肩は存外柔らかい。ほとんど自分で肉体労働をしないし、姿勢もきれいなものなので肩がこる要素がないのだろう。
「女の肩を揉めて嬉しくないのか?」
「は?」
店長の言葉がうまく理解できず、俺は素っ頓狂な声を上げる。
「……いや、なんでもない。しかし、タダほど高いものはない。条件を提示されただけ有り難いと思うんだな」
「はあ……」
店長はときどき俺にはよくわからない難しいことを言う。
そこへ、電話の呼出音が鳴る。
「鈴、出てくれ」
「はあい」
竜のぬいぐるみを抱えたまま、鈴は受話器を取る。
「はい、鳳仙神社です……あ、こんにちは。……はい、店長に替わります」
鈴は受話器を持って店長に歩み寄る。
「鬼怒川さんからお電話」
「鬼怒川さんが? なんだろう」
店長は受話器を受け取り、愛想よく話し始める。
「お電話替わりました。……ああ、なるほど。すぐそちらへ向かいます」
店長が電話機に受話器を置いてこちらを振り返ると、金色の目は鋭い光を放っていた。お仕事モードだ。
「虎吉、肩揉みはとりあえず保留だ。残り二時間と三十分は仕事後にとっておく。依頼が入った。先方に君をついでに紹介しておきたいからついてきてくれ」
「はあ、それはいいですけど」
俺を紹介って、どういうことだろう。
頭に疑問符を浮かべながら、出かける準備をする。
学ランよし。武器として持ち歩いているネックレスも首にかけた。日焼け止めも簡単に塗っておく。
……この身体になってから、日を浴びて灰になることはないけれど、少し日焼けしやすくなった。吸血鬼の身体というものは、その強大な力とひきかえに案外不便である。
「準備はできたか? それでは、行こう」
店長は巫女服のまま、俺と鈴と共に社務所を出た。
やってきた場所は、宝船市の中心地にある、結構賑わった地域の宝石店。男子高校生の俺にはあまり縁がないような場所だ。
そこに着いたときには、人だかりとパトカーが何台も停まっていた。
「なんか事件起こってません?」
不安を覚えた俺をよそに、店長は警察官のいるほうへ歩いていく。
「怪異対策課の鬼怒川夜鷹警部補はいらっしゃいますでしょうか?」
「ん? なんですかあなたは」
巫女服を着た怪しい女に訊ねられて、警官は不審な目を向ける。……巫女服から着替えてくればよかったのに、やっぱり他に服持ってないのかな……。
そもそも、『怪異対策課』ってなんだ?
「あ、天馬さーん! こっちです!」
突然店長を呼ぶ声がして、俺たちアヤカシ堂の三人は声のした方を向く。
車椅子を押しながら、女性が俺たちの方に向かってくる。車椅子には、若い男が座っていた。
「鬼怒川さん、お疲れさまです」
「天馬さんこそ、ご足労いただいてすみません」
どうやらこの女性が鬼怒川という人らしい。警察官らしからぬ、美しいブロンドの長いストレートヘア。店長とはタイプの違う、外国的な美女といった感じだ。
「ほら、警部もご挨拶してください」
鬼怒川さんは、車椅子に座った男性に話しかける。
「……」
警部と呼ばれた男は何も答えない。口がきけないというより、しゃべるのが億劫と言った感じである。
「警部」
「……はあ、テレパシーが使えればいいのに……」
鬼怒川の強い口調に、警部はため息交じりに嫌々といったふうに口を開く。
「増田よ、私たちを呼び出したということは、あの中にいるのか?」
店長は立入禁止のテープの向こうにある宝石店を指差す。
「気配はある」
増田警部は短くそれだけ答えた。
そこへ、
「おいおい、なんでこんなとこに怪異対策課がいるんだよ!」
大声を上げてスーツ姿の刑事と思われる中年男性が近づいてくる。
「これは宝石強盗の立てこもり事件だ、お前らオカルト課の出る幕じゃないだろうが!」
「めんどいのが来た」
「聞こえてるぞ増田ァ!」
中年の刑事は苛立った様子で増田警部を睨みつける。
「ったく、何が怪異対策課だ、要はやる気がないから左遷されただけだろうが。そもそも現代日本に怪異なんてあるか、科学は魔法を否定したんだよ」
「宝石店の中に、アヤカシの気配がある」
中年刑事の言葉を無視して、増田警部はそう言い放った。
「アヤカシぃ? それで巫女さんを呼んでお祓いでもしようってか?」
中年刑事は増田警部と店長を交互に見ながら鼻で笑う。
「鬼怒川さん、立てこもりということですが、人質などはいますか?」
「いえ、人質はいません。中にいた客と店員は全員脱出して、強盗だけが立てこもっています」
「ふーん……じゃあ、ちょっとくらいは思い切っても大丈夫かな」
中年刑事の言葉をよそに、店長と鬼怒川さんは情報共有をする。
店長が、不意に宝石店の方を向いて、右腕を前に突き出す。
――巫女服の袖から、真っ白い蛇が出てきた。
警察官たちがぎょっとした顔で蛇を見る。
白蛇は地面に着地すると、ニョロニョロと蛇行しながら宝石店の中へ入っていった。
宝石店内。
「ダメだ、警察に囲まれてる……」
「も、もうおしまいだよ兄貴、投降しよう……?」
「うるせえ! クソッ……」
宝石強盗の三人組は完全に諦めムードだった。
持ち物は奪った宝石を詰めた袋と、店員を脅す際に使った包丁だけ。拳銃を持った警官にはとても敵いそうにない。人質も確保しそこねたから完全に丸腰。絶望的な状況。
お金が必要だった。お金が欲しかっただけだった。ギャンブルで借金をして返せなければひどい目にあわされる。この奪った宝石さえ換金できれば借金は返せる。
どうすれば。どうすれば逃げられる。武器が包丁だけじゃ拳銃には勝てない。かといって宝石店に拳銃に勝てる武器などあるはずがない。
その時だった。
「お前、随分困ってるみたいだな」
そんな声が聞こえた。
「だ……れだ……?」
宝石強盗のリーダー格の男は周りを見回すが、自分たち以外に人間などいるはずがない。全員逃げたのだから。
「こっちだ、こっち」
声のする方を見ると、宝石を詰めた袋の中に、妖しい光を放った大きな赤い宝石があった。
「助けてやろうか?」
宝石から声がする。
「……俺、とうとう幻聴まで聞こえるようになったのかな……」
強盗は額を押さえて呻く。追い詰められすぎてストレスで幻聴をもよおしたとしか思えない。宝石がしゃべるわけないだろう。
「あ、兄貴、俺も聞こえる……宝石がしゃべってる……」
「マジか」
強盗の弟分が怯えた顔でリーダーを見る。
「助けてほしいのか、俺の助けが要らないのか、はっきりしろよ」
宝石は妖しい光を放ちながら強盗たちに問う。
「ほ、宝石に何が出来るんだよ……」
「お前らのうち誰かの身体を貸してくれるなら人間の警察なんて俺が始末して逃げおおせてやれるぜ」
「ほ、本当に?」
強盗たちは半信半疑で宝石の言葉に耳を傾ける。
「やめておけ、お前たちのためにならんぞ」
突如、女の声が別の方向から聞こえた。
「今度は誰だ!?」
振り向くと、そこには金色の目をした真っ白い蛇がいた。
「こ、こいつ、店の隙間から入ってきたのか!?」
「おとなしく投降しろ。その宝石を手放さないと魔に魅入られるぞ」
蛇は口を開いてシャーッと威嚇する。
「うう……宝石やら蛇やらがしゃべるし、今日はなんなんだ……」
「兄貴、怖いよぉ……」
弟分はすっかり怯えている。
「お前、投降しろってことは警察側の使い魔だな? まさか警察がアヤカシに頼るとは、時代も変わったもんだ」
宝石が蛇に向かって話しかける。
「そうだな、お前みたいなのがいるから『怪異対策課』なんてものを結成する羽目になったのさ。私は『アヤカシ堂の聖なる魔女』……といえばわかるよな?」
「ハッ、アヤカシ堂まで絡んでるのかよ。ますますぶっ潰したくなってくるぜ」
宝石は炎のように妖しい光を強める。まるで怒っているようだった。
「ひっ……! あ、兄貴、蛇が、蛇がどんどんわいてくるよぉ……!」
「なにぃ!?」
弟分の指差す方を見ると、店の奥側から大量の白蛇が強盗たちの方へ向かってくる。
「投降しろ」
「投降しろ」
「投降しろ」
「投降しろ」
呪文のように繰り返しながら、蛇の群れはどんどん近づいてくる。
「も、もう無理だぁ! 助けてぇ!」
リーダー格以外の宝石強盗たちは一目散に店の入口から外へ飛び出す。
「助けてくださぁい!」
「逮捕してもいいから保護してぇ!」
「あ、おい、お前ら!」
リーダーは仲間に裏切られ、途方に暮れた。
――こうなったら、俺ひとりでも逃げおおせてやる。
「おい、石っころ! 身体を貸すってどうやればいい!?」
「俺を飲み込め。お前は一時的に眠ることになるが、まあ起きた頃には全部終わってるだろうさ」
強盗は震える手で宝石を掴む。
「おい、よせ!」
白蛇の忠告を無視して、男は――宝石を飲み込んだ。
ところ変わって、宝石店の前に戻る。
爆発音がして、宝石店の壁が吹っ飛んだ。
「な、なんだぁ!?」
増田警部に嫌味を言っていた中年刑事が目を剥く。
「まずいぞ。宝石強盗が魔石に乗っ取られた。蛇も全部吹っ飛ばされたか」
「魔石?」
俺――番場虎吉は店長の言う聞き慣れない言葉に首をかしげる。
「宝石の中にはまれに魔力を宿した『魔石』と呼ばれるものが紛れている。お守りや魔除けに使えるものもあるが――今回のはちょっと邪悪すぎるな」
「俺が感じたアヤカシの気配はそれか」
増田警部は店長の言葉にうなずく。
俺も今なら感じる。敏感な鼻がプンとアヤカシの匂いを感じ取っている。
「クク……」
店の奥の暗がりから、何かが歩いてくる。
ズシン、と重みを感じさせる足音とともに、ソレが店から出てきた。
真っ赤な石、というかもはや岩を鎧のように身体にまとわせた怪人。顔は赤い宝石でできたドクロのようだった。
「おいおいおい、なんじゃありゃ!?」
中年刑事は信じられないものを見る目で怪人を視界に捉える。
「一般人を退避させろ! 急げ!」
店長は警官たちに向かって怒鳴る。警官は巫女さんに怒鳴られたということにも気にする余裕なく、店長の言葉に従い、スマホで撮影しようとする大衆を押して避難させる。
「ったく、スマホで撮ってる場合か馬鹿どもが」
店長は吐き捨てるように言った。
「てか、撮影されてそれがSNSとかで拡散されたらヤバくないっすか……?」
俺はそんな疑問を差し挟む。
妖怪の存在はなるべく周知されないに限る。余計な混乱は避けるべきだ。
「その点はご安心を。予め妨害結界を張っておいたので、スマホやカメラで撮影してもアヤカシは写らず真っ黒な画像になります。あとは特撮の撮影とでも言っておけばいいでしょう」
「鬼怒川さん有能ぅ……」
俺は思わず舌を巻いた。
「ここからは怪異対策課の仕事だな。あとは頼んだぞアヤカシ堂」
鬼怒川さんに押されて、車椅子に乗ったまま増田警部は下がった。
「怪異対策課少しは働けよ」
一から十まで私がやってるじゃないか、と愚痴を吐きながら、店長は御札を広げて戦闘態勢に入った。俺も首に下げたネックレスを手に握り、棍棒くらいの大きさに変化させる。
「ここで遭ったが百年目だアヤカシ堂ォォォ! 警察から逃げるついでにお前らもぶっ潰してやる!」
宝石の怪人は唾を吐き散らすように吠えた。
「ハハ、アヤカシ堂は随分妖怪から恨みを買ってるご様子で」
「昔、いろいろあったからな」
俺と店長はそんな話をしながら、突進してくる怪人を避ける。
パトカーが怪人の突進をまともに食らってぐしゃぐしゃに大破した。
「う、撃て撃て!」
中年刑事や警官たちが拳銃を発砲する。
キンキンと金属音がするが、鎧のような宝石の岩はヒビすら入らない。
「ああん? なんだぁお前ら、邪魔なんだよ!」
怪人は鎧から岩を剥がし、警官たちへ投げつける。
「う、うわわ!」
しかし、鈴が影に潜り込み、黒い盾となって岩を防ぐ。
「余計なことしないで……おじちゃんたちも逃げてください、邪魔だから」
鈴が棘のある言い方をして、警官たちを退避させた。
「オラッ!」
俺は飛び上がって、怪人の頭めがけて棍棒を振り下ろす。
ガキィン、と音がして、振動が棍棒を伝わり、マトモに俺に響く。
「か……ってぇ……」
全身がダイヤモンドで出来てるのかってくらい硬い。しかも叩いた感じかなり分厚い。鎧がマジで岩になってるんだろうな。
「効かねえなあ、ボウズ」
赤いドクロがニヤリと笑う。
「――おらよっ!」
逆に怪人の振り回す腕をまともに食らい、俺の身体はパトカーに激突する。ボンネットが大きく凹んだ。
「……っつう~……効くわ……」
半妖の俺は多少身体が頑丈になっているので死にはしないが、痛いものは痛い。
「硬い岩、か。岩って何が効くんだ……?」
店長は手持ちの御札を広げながら、対策を考える。
「まあ、とりあえず燃やしてみるか。水と塩以外はみんな燃えるっていうし」
「おいおいおい、こっちには取り憑いてる人間っていう人質がいるんだぜ?」
怪人は自らの胸を親指で指してケタケタ笑う。
「いや、知らんがな」
店長は一切迷うことなく御札を投げつける。
御札は怪人の身体に貼り付くと、メラメラと燃え上がり怪人の身体は炎に包まれる。
「うあっちゃーーー!?」
「店長ーーー!?」
俺は思わず叫ぶ。これ中の人死ぬんじゃないのか!?
「いや、だって犯罪者だし良くないか別に」
「良くないですよ!?」
この人の倫理観が怖い。
「冗談冗談。熱したあとに、これだ」
店長は再び御札を投げる。
今度は炎の御札ではないようだ。炎に触れた瞬間、怪人の身体がまるごと凍りついた。
「あ……が……」
怪人の岩が急激な熱と冷却によりボロボロと崩れていく。
「鈴! 蔵を開いてくれ!」
「はーい」
鈴が店長の影に飛び込むと、店長は自らの影にちゃぽんと手を沈める。
鈴の潜った影はアヤカシ堂の蔵に繋がっている。店長はその蔵から様々な魔道具を取り出し、武器とするわけである。
店長が今回取り出したのは――刀の柄の部分しかない謎の道具。
それを水たまりに浸ける。
水たまりから柄を引き抜くと――水が刀身となり、水の刃が出来た。
「ウォータージェットカッターって知ってるか?」
店長はそう言って水の刀を閃かせる。
「――水は、岩も斬れるんだ」
斬。
水の刃は中の男を避けてキレイに岩を斬り剥がした。頭を覆うドクロがパカッと割れて、白目をむいた男の顔が顕になる。
「やった!」
「いえ、まだです」
歓声を上げる俺に、鬼怒川さんが冷静に近づく。
「魔石を吐き出させないと、また宝石の魔人が目覚めてしまいます」
そう言って、ドスン、と男のみぞおちを殴る。
「グッ……オエェ……」
男は白目をむいたまま、宝石が出てくるまで嘔吐させられる。
「ひ、ひえぇ……」
俺は思わず悲鳴をもらした。容赦がなさすぎる。
「鬼怒川くん、手加減しないとそいつ死ぬぞ。まったく君は鬼だな……」
「鬼ですから」
声をかけた増田警部にそう返して振り向いた鬼怒川さんの額には――二本の角が生えていた。
「えっ!? 鬼怒川さんもアヤカシだったんですか!?」
俺は驚いた。鬼怒川さんからそんな匂いはしなかったから全く気付かなかった。
「匂いを隠すための専用のスプレーというものがあるのですよ。君はあまり鼻に頼りすぎないほうがいい」
鬼怒川さんは冷静な口調でそう言って、白手袋をはめ、男の吐瀉物の中から魔石を拾い上げた。それを透明な証拠品収納袋の中にしまう。
「現場の収拾は他の課の方に任せて、我々は一旦引き上げましょう。アヤカシ堂の新人君にも色々説明が必要でしょうし」
「そうですね、虎吉のことも紹介したいし」
「お、そうだな、帰るか」
そう言って増田警部は車椅子からあっさりと立ち上がった。――ん?
「増田警部って足が不自由とかじゃないんですか……?」
「ん? 単に歩くのが面倒だったから鬼怒川くんに車椅子を押してもらってただけだが」
「警部は極度の面倒くさがりで、家に帰るのが面倒だから警察署に寝泊まりするレベルなんです……」
「えええ……」
角を引っ込めて恥ずかしそうな顔をする鬼怒川さんに、俺は唖然とした顔を向ける。最初の頃の態度はしゃべることすら面倒だったってことか。なんか合点がいった。
「行きの車は車椅子に乗ったまま来たが、車椅子だと車が揺れて気分が良くないからな。帰りは車椅子を後ろにしまって普通に乗ることにする」
「ご勝手になさってください」
鬼怒川さんは呆れた顔で車の鍵を取り出す。
「じゃあ、皆さんごきげんよう。あとはよろしく~」
俺たちアヤカシ堂と怪異対策課の面々は車に乗り込み、店長は車の窓を開けて警官たちに挨拶した。
中年刑事と警官たちはぽかんとした顔で見送ってくれたのだった。
宝船警察署。
「怪異対策課」と書かれた札のついた小さな部屋で、俺は自己紹介と、これまでの経緯を語った。
「なるほど、半吸血鬼か」
増田警部は椅子の背もたれにもたれかかっている。
「怪物に襲われて半妖となり、人間に戻る方法を探している――と」
「怪異対策課に、そういった情報はないでしょうか」
俺は不安に駆られながら増田警部に訊ねる。
「残酷なことを言うようだが」警部は前傾姿勢になり、机の上で指を組む。
「人間が妖怪になってしまう事例は多々あるものの、妖怪が人間になれたという話はほとんど聞かない。ほぼ不可逆だ」
「……そう、ですか」
「でもまあ、可能性はゼロじゃない。アヤカシ堂はどんな願いも叶えるお店だ。そこの店長さんが助けてくれるっていうんなら、きっとその願いも叶うだろうさ」
「いい話っぽくしてこっちに問題を丸投げするんじゃない」
店長は苦虫を噛み潰したような顔で警部を睨む。
「もともと君が引き受けたんだろう? こっちでも情報は一応集めておくが、自分で引き受けたものは自分でなんとかしたまえ」
警部は涼しい顔で言う。
「そもそもアヤカシ堂と警察はどういう関係なんですか?」
俺はかねてから抱いていた疑問を呈する。
「そうですね、その説明をしていませんでした」
鬼怒川さんは落ち着いた口調で俺の質問に答える。
「怪異対策課というのは、文字通り怪異――妖怪に関する事件を扱う部署です。とは言っても、普通警察に妖怪関連の相談をする人なんてなかなかいませんし、署内の問題児を左遷するための口実として存在するだけの部署ですね」
鬼怒川さんは増田警部を見ながら説明した。問題児って、明らかに警部のことだよな……。
「でも、増田警部はともかく、鬼怒川さんは問題児には見えませんけど」
「番場くんも案外容赦ないな……」
「私はアヤカシ――鬼ですから。怪異と闘うのは実質私なのでスカウトされた側です」
増田警部のぼやきを無視して、鬼怒川さんは話を続ける。
「それで、アヤカシ堂さんとの関係でしたね。怪異対策課は現在私と増田警部の二人しかいません」
「二人!? 二人で回せるものなんですか!?」
「先に言ったとおり、警察に妖怪の相談なんてほとんど来ません。仮に来てもだいたいデマだったり。そもそも当たり前の話ですが警察の人間自体がアヤカシに対して懐疑的です。そんな怪しい部署に人員を割けません。左遷用の部署ですから」
「それで、民間の妖怪退治屋としてアヤカシ堂を傘下に加えているわけだ」
増田警部はあくびをしながらそう言った。
「俺にはアヤカシに対する戦闘能力はないが、なんでか知らんがアヤカシの気配を察知する能力がある。で、俺が察知したらアヤカシ堂を呼んでサクッと退治してもらうわけだ。鬼怒川くんもいるし俺は何もしなくていいから楽だ」
「そういう勤務態度だからこんなところに左遷されるんですよ、あなたは」
増田警部の言葉に鬼怒川さんはため息をつく。
「ま、そういうわけでまた何かあったら呼ぶから、これからよろしくな、番場くん」
「あ、はい」
なんかこの増田さんって人、頼りになるのかな……と思いながら、俺はペコリと頭を下げる。
「おい、増田いるか?」
ノックもなしにドアが開かれ、あの宝石強盗の現場にいた中年刑事が入ってくる。その手にはどっさりと書類が積まれている。
「いません」
「じゃあ目の前のお前は誰だよ。ほらよ」
増田警部の机に書類が山積みになる。
「なんだこれは」
「報告書、始末書、その他諸々だ。お前さんがた、色々やり放題だっただろう。上の方からお前に書かせろってうるせえんだよ」
「ええー……」
増田警部はいかにも嫌そうに顔をしかめる。
「ええーじゃねえんだよ。俺らに書類作成を頼まれても困る。俺らの部署で『岩人間がパトカーと宝石店をぶっ壊しました』なんて書けねえだろうが」
たしかにそんな報告書を提出したら精神科の受診を勧められるだろう。
「じゃあ、頼んだからな。……あー、それとよ」
中年刑事は背中を向けたまま、言いよどむ。
「……オカルト課とか言って悪かったよ。本当にああいう化け物がこの世にいるんだな」
「世間にそれを知られないようにするのが我々怪異対策課の仕事ですから。お気になさらず」
鬼怒川さんの言葉を受けて、中年刑事は黙って出ていった。
「そういえば、まだ名前を名乗ってなかったかな? 俺は増田穂村。階級は警部だ」
「私は鬼怒川夜鷹。階級は警部補です。よろしくね、番場くん」
たった二人の怪異対策課は、そう挨拶した。
「結局、人間に戻るための手がかりはなしかー……」
俺は頭の後ろで手を組みながら夜空を見上げて歩く。
「まあ、焦ることはないさ。時間はたっぷりある」
店長はのんきなことを言う。
「そりゃ半妖は寿命が長いから時間はたっぷりあるでしょうけど……俺イヤですよ、香澄や周りの人間がどんどん年老いていく中で俺だけ老けないとか」
「君が女性だったら最高の条件だったんだろうけどね」
店長は口に手を当てて微笑む。
そういえば、と俺はあることが気になった。
「――店長は、人間なんですか? 妖怪なんですか?」
アヤカシ堂の聖なる魔女。みんな彼女をそう呼ぶ。
魔女とは果たして人間なのか、妖怪なのか。
「私は……女神だよ」
「は? またまたご冗談を」
俺は思いっきり変な顔をしてしまい、店長にこめかみをぐりぐりされた。
「あいたたた」
「本当にっ、お前はっ、素直な男だなっ」
「ごめんなさいごめんなさい」
それを見て鈴はクスクスと笑う。
星のきれいな夜だった。
〈続く〉
静かな音楽がラジオから流れ、店長・天馬百合は湯呑でコーヒーを飲みながらゆったりと椅子に座って雑誌を読んでいる。ちなみにこの人は常に巫女服である。他に服持ってないんだろうか。
妖怪の幼女、烏丸鈴はいつも持ち歩いている黒い竜のぬいぐるみをいじっている。破れやほつれがないか確認し、ぬいぐるみの腕を上げたりなどして一人でごっこ遊びをしているようだ。微笑ましい。
そして俺、番場虎吉は……店長の肩を揉んでいる。
「てんちょー、俺もう休みたいんですけど……」
「まだ30分も経ってないぞ」
店長は雑誌を読みながら俺の話に取り合ってくれない。
以前、蜘蛛の呪いから助けてもらう条件に肩揉み三時間を要求され、それを否応なく飲んでしまったのが運の尽き。
半妖となった俺は疲れに強い身体にはなっているのだが、肩揉みというのはどうしても腕が痛くなる。
「っていうか店長、そんなに肩凝ってないと思うんですけど……」
店長の肩に食い込む俺の指。彼女の肩は存外柔らかい。ほとんど自分で肉体労働をしないし、姿勢もきれいなものなので肩がこる要素がないのだろう。
「女の肩を揉めて嬉しくないのか?」
「は?」
店長の言葉がうまく理解できず、俺は素っ頓狂な声を上げる。
「……いや、なんでもない。しかし、タダほど高いものはない。条件を提示されただけ有り難いと思うんだな」
「はあ……」
店長はときどき俺にはよくわからない難しいことを言う。
そこへ、電話の呼出音が鳴る。
「鈴、出てくれ」
「はあい」
竜のぬいぐるみを抱えたまま、鈴は受話器を取る。
「はい、鳳仙神社です……あ、こんにちは。……はい、店長に替わります」
鈴は受話器を持って店長に歩み寄る。
「鬼怒川さんからお電話」
「鬼怒川さんが? なんだろう」
店長は受話器を受け取り、愛想よく話し始める。
「お電話替わりました。……ああ、なるほど。すぐそちらへ向かいます」
店長が電話機に受話器を置いてこちらを振り返ると、金色の目は鋭い光を放っていた。お仕事モードだ。
「虎吉、肩揉みはとりあえず保留だ。残り二時間と三十分は仕事後にとっておく。依頼が入った。先方に君をついでに紹介しておきたいからついてきてくれ」
「はあ、それはいいですけど」
俺を紹介って、どういうことだろう。
頭に疑問符を浮かべながら、出かける準備をする。
学ランよし。武器として持ち歩いているネックレスも首にかけた。日焼け止めも簡単に塗っておく。
……この身体になってから、日を浴びて灰になることはないけれど、少し日焼けしやすくなった。吸血鬼の身体というものは、その強大な力とひきかえに案外不便である。
「準備はできたか? それでは、行こう」
店長は巫女服のまま、俺と鈴と共に社務所を出た。
やってきた場所は、宝船市の中心地にある、結構賑わった地域の宝石店。男子高校生の俺にはあまり縁がないような場所だ。
そこに着いたときには、人だかりとパトカーが何台も停まっていた。
「なんか事件起こってません?」
不安を覚えた俺をよそに、店長は警察官のいるほうへ歩いていく。
「怪異対策課の鬼怒川夜鷹警部補はいらっしゃいますでしょうか?」
「ん? なんですかあなたは」
巫女服を着た怪しい女に訊ねられて、警官は不審な目を向ける。……巫女服から着替えてくればよかったのに、やっぱり他に服持ってないのかな……。
そもそも、『怪異対策課』ってなんだ?
「あ、天馬さーん! こっちです!」
突然店長を呼ぶ声がして、俺たちアヤカシ堂の三人は声のした方を向く。
車椅子を押しながら、女性が俺たちの方に向かってくる。車椅子には、若い男が座っていた。
「鬼怒川さん、お疲れさまです」
「天馬さんこそ、ご足労いただいてすみません」
どうやらこの女性が鬼怒川という人らしい。警察官らしからぬ、美しいブロンドの長いストレートヘア。店長とはタイプの違う、外国的な美女といった感じだ。
「ほら、警部もご挨拶してください」
鬼怒川さんは、車椅子に座った男性に話しかける。
「……」
警部と呼ばれた男は何も答えない。口がきけないというより、しゃべるのが億劫と言った感じである。
「警部」
「……はあ、テレパシーが使えればいいのに……」
鬼怒川の強い口調に、警部はため息交じりに嫌々といったふうに口を開く。
「増田よ、私たちを呼び出したということは、あの中にいるのか?」
店長は立入禁止のテープの向こうにある宝石店を指差す。
「気配はある」
増田警部は短くそれだけ答えた。
そこへ、
「おいおい、なんでこんなとこに怪異対策課がいるんだよ!」
大声を上げてスーツ姿の刑事と思われる中年男性が近づいてくる。
「これは宝石強盗の立てこもり事件だ、お前らオカルト課の出る幕じゃないだろうが!」
「めんどいのが来た」
「聞こえてるぞ増田ァ!」
中年の刑事は苛立った様子で増田警部を睨みつける。
「ったく、何が怪異対策課だ、要はやる気がないから左遷されただけだろうが。そもそも現代日本に怪異なんてあるか、科学は魔法を否定したんだよ」
「宝石店の中に、アヤカシの気配がある」
中年刑事の言葉を無視して、増田警部はそう言い放った。
「アヤカシぃ? それで巫女さんを呼んでお祓いでもしようってか?」
中年刑事は増田警部と店長を交互に見ながら鼻で笑う。
「鬼怒川さん、立てこもりということですが、人質などはいますか?」
「いえ、人質はいません。中にいた客と店員は全員脱出して、強盗だけが立てこもっています」
「ふーん……じゃあ、ちょっとくらいは思い切っても大丈夫かな」
中年刑事の言葉をよそに、店長と鬼怒川さんは情報共有をする。
店長が、不意に宝石店の方を向いて、右腕を前に突き出す。
――巫女服の袖から、真っ白い蛇が出てきた。
警察官たちがぎょっとした顔で蛇を見る。
白蛇は地面に着地すると、ニョロニョロと蛇行しながら宝石店の中へ入っていった。
宝石店内。
「ダメだ、警察に囲まれてる……」
「も、もうおしまいだよ兄貴、投降しよう……?」
「うるせえ! クソッ……」
宝石強盗の三人組は完全に諦めムードだった。
持ち物は奪った宝石を詰めた袋と、店員を脅す際に使った包丁だけ。拳銃を持った警官にはとても敵いそうにない。人質も確保しそこねたから完全に丸腰。絶望的な状況。
お金が必要だった。お金が欲しかっただけだった。ギャンブルで借金をして返せなければひどい目にあわされる。この奪った宝石さえ換金できれば借金は返せる。
どうすれば。どうすれば逃げられる。武器が包丁だけじゃ拳銃には勝てない。かといって宝石店に拳銃に勝てる武器などあるはずがない。
その時だった。
「お前、随分困ってるみたいだな」
そんな声が聞こえた。
「だ……れだ……?」
宝石強盗のリーダー格の男は周りを見回すが、自分たち以外に人間などいるはずがない。全員逃げたのだから。
「こっちだ、こっち」
声のする方を見ると、宝石を詰めた袋の中に、妖しい光を放った大きな赤い宝石があった。
「助けてやろうか?」
宝石から声がする。
「……俺、とうとう幻聴まで聞こえるようになったのかな……」
強盗は額を押さえて呻く。追い詰められすぎてストレスで幻聴をもよおしたとしか思えない。宝石がしゃべるわけないだろう。
「あ、兄貴、俺も聞こえる……宝石がしゃべってる……」
「マジか」
強盗の弟分が怯えた顔でリーダーを見る。
「助けてほしいのか、俺の助けが要らないのか、はっきりしろよ」
宝石は妖しい光を放ちながら強盗たちに問う。
「ほ、宝石に何が出来るんだよ……」
「お前らのうち誰かの身体を貸してくれるなら人間の警察なんて俺が始末して逃げおおせてやれるぜ」
「ほ、本当に?」
強盗たちは半信半疑で宝石の言葉に耳を傾ける。
「やめておけ、お前たちのためにならんぞ」
突如、女の声が別の方向から聞こえた。
「今度は誰だ!?」
振り向くと、そこには金色の目をした真っ白い蛇がいた。
「こ、こいつ、店の隙間から入ってきたのか!?」
「おとなしく投降しろ。その宝石を手放さないと魔に魅入られるぞ」
蛇は口を開いてシャーッと威嚇する。
「うう……宝石やら蛇やらがしゃべるし、今日はなんなんだ……」
「兄貴、怖いよぉ……」
弟分はすっかり怯えている。
「お前、投降しろってことは警察側の使い魔だな? まさか警察がアヤカシに頼るとは、時代も変わったもんだ」
宝石が蛇に向かって話しかける。
「そうだな、お前みたいなのがいるから『怪異対策課』なんてものを結成する羽目になったのさ。私は『アヤカシ堂の聖なる魔女』……といえばわかるよな?」
「ハッ、アヤカシ堂まで絡んでるのかよ。ますますぶっ潰したくなってくるぜ」
宝石は炎のように妖しい光を強める。まるで怒っているようだった。
「ひっ……! あ、兄貴、蛇が、蛇がどんどんわいてくるよぉ……!」
「なにぃ!?」
弟分の指差す方を見ると、店の奥側から大量の白蛇が強盗たちの方へ向かってくる。
「投降しろ」
「投降しろ」
「投降しろ」
「投降しろ」
呪文のように繰り返しながら、蛇の群れはどんどん近づいてくる。
「も、もう無理だぁ! 助けてぇ!」
リーダー格以外の宝石強盗たちは一目散に店の入口から外へ飛び出す。
「助けてくださぁい!」
「逮捕してもいいから保護してぇ!」
「あ、おい、お前ら!」
リーダーは仲間に裏切られ、途方に暮れた。
――こうなったら、俺ひとりでも逃げおおせてやる。
「おい、石っころ! 身体を貸すってどうやればいい!?」
「俺を飲み込め。お前は一時的に眠ることになるが、まあ起きた頃には全部終わってるだろうさ」
強盗は震える手で宝石を掴む。
「おい、よせ!」
白蛇の忠告を無視して、男は――宝石を飲み込んだ。
ところ変わって、宝石店の前に戻る。
爆発音がして、宝石店の壁が吹っ飛んだ。
「な、なんだぁ!?」
増田警部に嫌味を言っていた中年刑事が目を剥く。
「まずいぞ。宝石強盗が魔石に乗っ取られた。蛇も全部吹っ飛ばされたか」
「魔石?」
俺――番場虎吉は店長の言う聞き慣れない言葉に首をかしげる。
「宝石の中にはまれに魔力を宿した『魔石』と呼ばれるものが紛れている。お守りや魔除けに使えるものもあるが――今回のはちょっと邪悪すぎるな」
「俺が感じたアヤカシの気配はそれか」
増田警部は店長の言葉にうなずく。
俺も今なら感じる。敏感な鼻がプンとアヤカシの匂いを感じ取っている。
「クク……」
店の奥の暗がりから、何かが歩いてくる。
ズシン、と重みを感じさせる足音とともに、ソレが店から出てきた。
真っ赤な石、というかもはや岩を鎧のように身体にまとわせた怪人。顔は赤い宝石でできたドクロのようだった。
「おいおいおい、なんじゃありゃ!?」
中年刑事は信じられないものを見る目で怪人を視界に捉える。
「一般人を退避させろ! 急げ!」
店長は警官たちに向かって怒鳴る。警官は巫女さんに怒鳴られたということにも気にする余裕なく、店長の言葉に従い、スマホで撮影しようとする大衆を押して避難させる。
「ったく、スマホで撮ってる場合か馬鹿どもが」
店長は吐き捨てるように言った。
「てか、撮影されてそれがSNSとかで拡散されたらヤバくないっすか……?」
俺はそんな疑問を差し挟む。
妖怪の存在はなるべく周知されないに限る。余計な混乱は避けるべきだ。
「その点はご安心を。予め妨害結界を張っておいたので、スマホやカメラで撮影してもアヤカシは写らず真っ黒な画像になります。あとは特撮の撮影とでも言っておけばいいでしょう」
「鬼怒川さん有能ぅ……」
俺は思わず舌を巻いた。
「ここからは怪異対策課の仕事だな。あとは頼んだぞアヤカシ堂」
鬼怒川さんに押されて、車椅子に乗ったまま増田警部は下がった。
「怪異対策課少しは働けよ」
一から十まで私がやってるじゃないか、と愚痴を吐きながら、店長は御札を広げて戦闘態勢に入った。俺も首に下げたネックレスを手に握り、棍棒くらいの大きさに変化させる。
「ここで遭ったが百年目だアヤカシ堂ォォォ! 警察から逃げるついでにお前らもぶっ潰してやる!」
宝石の怪人は唾を吐き散らすように吠えた。
「ハハ、アヤカシ堂は随分妖怪から恨みを買ってるご様子で」
「昔、いろいろあったからな」
俺と店長はそんな話をしながら、突進してくる怪人を避ける。
パトカーが怪人の突進をまともに食らってぐしゃぐしゃに大破した。
「う、撃て撃て!」
中年刑事や警官たちが拳銃を発砲する。
キンキンと金属音がするが、鎧のような宝石の岩はヒビすら入らない。
「ああん? なんだぁお前ら、邪魔なんだよ!」
怪人は鎧から岩を剥がし、警官たちへ投げつける。
「う、うわわ!」
しかし、鈴が影に潜り込み、黒い盾となって岩を防ぐ。
「余計なことしないで……おじちゃんたちも逃げてください、邪魔だから」
鈴が棘のある言い方をして、警官たちを退避させた。
「オラッ!」
俺は飛び上がって、怪人の頭めがけて棍棒を振り下ろす。
ガキィン、と音がして、振動が棍棒を伝わり、マトモに俺に響く。
「か……ってぇ……」
全身がダイヤモンドで出来てるのかってくらい硬い。しかも叩いた感じかなり分厚い。鎧がマジで岩になってるんだろうな。
「効かねえなあ、ボウズ」
赤いドクロがニヤリと笑う。
「――おらよっ!」
逆に怪人の振り回す腕をまともに食らい、俺の身体はパトカーに激突する。ボンネットが大きく凹んだ。
「……っつう~……効くわ……」
半妖の俺は多少身体が頑丈になっているので死にはしないが、痛いものは痛い。
「硬い岩、か。岩って何が効くんだ……?」
店長は手持ちの御札を広げながら、対策を考える。
「まあ、とりあえず燃やしてみるか。水と塩以外はみんな燃えるっていうし」
「おいおいおい、こっちには取り憑いてる人間っていう人質がいるんだぜ?」
怪人は自らの胸を親指で指してケタケタ笑う。
「いや、知らんがな」
店長は一切迷うことなく御札を投げつける。
御札は怪人の身体に貼り付くと、メラメラと燃え上がり怪人の身体は炎に包まれる。
「うあっちゃーーー!?」
「店長ーーー!?」
俺は思わず叫ぶ。これ中の人死ぬんじゃないのか!?
「いや、だって犯罪者だし良くないか別に」
「良くないですよ!?」
この人の倫理観が怖い。
「冗談冗談。熱したあとに、これだ」
店長は再び御札を投げる。
今度は炎の御札ではないようだ。炎に触れた瞬間、怪人の身体がまるごと凍りついた。
「あ……が……」
怪人の岩が急激な熱と冷却によりボロボロと崩れていく。
「鈴! 蔵を開いてくれ!」
「はーい」
鈴が店長の影に飛び込むと、店長は自らの影にちゃぽんと手を沈める。
鈴の潜った影はアヤカシ堂の蔵に繋がっている。店長はその蔵から様々な魔道具を取り出し、武器とするわけである。
店長が今回取り出したのは――刀の柄の部分しかない謎の道具。
それを水たまりに浸ける。
水たまりから柄を引き抜くと――水が刀身となり、水の刃が出来た。
「ウォータージェットカッターって知ってるか?」
店長はそう言って水の刀を閃かせる。
「――水は、岩も斬れるんだ」
斬。
水の刃は中の男を避けてキレイに岩を斬り剥がした。頭を覆うドクロがパカッと割れて、白目をむいた男の顔が顕になる。
「やった!」
「いえ、まだです」
歓声を上げる俺に、鬼怒川さんが冷静に近づく。
「魔石を吐き出させないと、また宝石の魔人が目覚めてしまいます」
そう言って、ドスン、と男のみぞおちを殴る。
「グッ……オエェ……」
男は白目をむいたまま、宝石が出てくるまで嘔吐させられる。
「ひ、ひえぇ……」
俺は思わず悲鳴をもらした。容赦がなさすぎる。
「鬼怒川くん、手加減しないとそいつ死ぬぞ。まったく君は鬼だな……」
「鬼ですから」
声をかけた増田警部にそう返して振り向いた鬼怒川さんの額には――二本の角が生えていた。
「えっ!? 鬼怒川さんもアヤカシだったんですか!?」
俺は驚いた。鬼怒川さんからそんな匂いはしなかったから全く気付かなかった。
「匂いを隠すための専用のスプレーというものがあるのですよ。君はあまり鼻に頼りすぎないほうがいい」
鬼怒川さんは冷静な口調でそう言って、白手袋をはめ、男の吐瀉物の中から魔石を拾い上げた。それを透明な証拠品収納袋の中にしまう。
「現場の収拾は他の課の方に任せて、我々は一旦引き上げましょう。アヤカシ堂の新人君にも色々説明が必要でしょうし」
「そうですね、虎吉のことも紹介したいし」
「お、そうだな、帰るか」
そう言って増田警部は車椅子からあっさりと立ち上がった。――ん?
「増田警部って足が不自由とかじゃないんですか……?」
「ん? 単に歩くのが面倒だったから鬼怒川くんに車椅子を押してもらってただけだが」
「警部は極度の面倒くさがりで、家に帰るのが面倒だから警察署に寝泊まりするレベルなんです……」
「えええ……」
角を引っ込めて恥ずかしそうな顔をする鬼怒川さんに、俺は唖然とした顔を向ける。最初の頃の態度はしゃべることすら面倒だったってことか。なんか合点がいった。
「行きの車は車椅子に乗ったまま来たが、車椅子だと車が揺れて気分が良くないからな。帰りは車椅子を後ろにしまって普通に乗ることにする」
「ご勝手になさってください」
鬼怒川さんは呆れた顔で車の鍵を取り出す。
「じゃあ、皆さんごきげんよう。あとはよろしく~」
俺たちアヤカシ堂と怪異対策課の面々は車に乗り込み、店長は車の窓を開けて警官たちに挨拶した。
中年刑事と警官たちはぽかんとした顔で見送ってくれたのだった。
宝船警察署。
「怪異対策課」と書かれた札のついた小さな部屋で、俺は自己紹介と、これまでの経緯を語った。
「なるほど、半吸血鬼か」
増田警部は椅子の背もたれにもたれかかっている。
「怪物に襲われて半妖となり、人間に戻る方法を探している――と」
「怪異対策課に、そういった情報はないでしょうか」
俺は不安に駆られながら増田警部に訊ねる。
「残酷なことを言うようだが」警部は前傾姿勢になり、机の上で指を組む。
「人間が妖怪になってしまう事例は多々あるものの、妖怪が人間になれたという話はほとんど聞かない。ほぼ不可逆だ」
「……そう、ですか」
「でもまあ、可能性はゼロじゃない。アヤカシ堂はどんな願いも叶えるお店だ。そこの店長さんが助けてくれるっていうんなら、きっとその願いも叶うだろうさ」
「いい話っぽくしてこっちに問題を丸投げするんじゃない」
店長は苦虫を噛み潰したような顔で警部を睨む。
「もともと君が引き受けたんだろう? こっちでも情報は一応集めておくが、自分で引き受けたものは自分でなんとかしたまえ」
警部は涼しい顔で言う。
「そもそもアヤカシ堂と警察はどういう関係なんですか?」
俺はかねてから抱いていた疑問を呈する。
「そうですね、その説明をしていませんでした」
鬼怒川さんは落ち着いた口調で俺の質問に答える。
「怪異対策課というのは、文字通り怪異――妖怪に関する事件を扱う部署です。とは言っても、普通警察に妖怪関連の相談をする人なんてなかなかいませんし、署内の問題児を左遷するための口実として存在するだけの部署ですね」
鬼怒川さんは増田警部を見ながら説明した。問題児って、明らかに警部のことだよな……。
「でも、増田警部はともかく、鬼怒川さんは問題児には見えませんけど」
「番場くんも案外容赦ないな……」
「私はアヤカシ――鬼ですから。怪異と闘うのは実質私なのでスカウトされた側です」
増田警部のぼやきを無視して、鬼怒川さんは話を続ける。
「それで、アヤカシ堂さんとの関係でしたね。怪異対策課は現在私と増田警部の二人しかいません」
「二人!? 二人で回せるものなんですか!?」
「先に言ったとおり、警察に妖怪の相談なんてほとんど来ません。仮に来てもだいたいデマだったり。そもそも当たり前の話ですが警察の人間自体がアヤカシに対して懐疑的です。そんな怪しい部署に人員を割けません。左遷用の部署ですから」
「それで、民間の妖怪退治屋としてアヤカシ堂を傘下に加えているわけだ」
増田警部はあくびをしながらそう言った。
「俺にはアヤカシに対する戦闘能力はないが、なんでか知らんがアヤカシの気配を察知する能力がある。で、俺が察知したらアヤカシ堂を呼んでサクッと退治してもらうわけだ。鬼怒川くんもいるし俺は何もしなくていいから楽だ」
「そういう勤務態度だからこんなところに左遷されるんですよ、あなたは」
増田警部の言葉に鬼怒川さんはため息をつく。
「ま、そういうわけでまた何かあったら呼ぶから、これからよろしくな、番場くん」
「あ、はい」
なんかこの増田さんって人、頼りになるのかな……と思いながら、俺はペコリと頭を下げる。
「おい、増田いるか?」
ノックもなしにドアが開かれ、あの宝石強盗の現場にいた中年刑事が入ってくる。その手にはどっさりと書類が積まれている。
「いません」
「じゃあ目の前のお前は誰だよ。ほらよ」
増田警部の机に書類が山積みになる。
「なんだこれは」
「報告書、始末書、その他諸々だ。お前さんがた、色々やり放題だっただろう。上の方からお前に書かせろってうるせえんだよ」
「ええー……」
増田警部はいかにも嫌そうに顔をしかめる。
「ええーじゃねえんだよ。俺らに書類作成を頼まれても困る。俺らの部署で『岩人間がパトカーと宝石店をぶっ壊しました』なんて書けねえだろうが」
たしかにそんな報告書を提出したら精神科の受診を勧められるだろう。
「じゃあ、頼んだからな。……あー、それとよ」
中年刑事は背中を向けたまま、言いよどむ。
「……オカルト課とか言って悪かったよ。本当にああいう化け物がこの世にいるんだな」
「世間にそれを知られないようにするのが我々怪異対策課の仕事ですから。お気になさらず」
鬼怒川さんの言葉を受けて、中年刑事は黙って出ていった。
「そういえば、まだ名前を名乗ってなかったかな? 俺は増田穂村。階級は警部だ」
「私は鬼怒川夜鷹。階級は警部補です。よろしくね、番場くん」
たった二人の怪異対策課は、そう挨拶した。
「結局、人間に戻るための手がかりはなしかー……」
俺は頭の後ろで手を組みながら夜空を見上げて歩く。
「まあ、焦ることはないさ。時間はたっぷりある」
店長はのんきなことを言う。
「そりゃ半妖は寿命が長いから時間はたっぷりあるでしょうけど……俺イヤですよ、香澄や周りの人間がどんどん年老いていく中で俺だけ老けないとか」
「君が女性だったら最高の条件だったんだろうけどね」
店長は口に手を当てて微笑む。
そういえば、と俺はあることが気になった。
「――店長は、人間なんですか? 妖怪なんですか?」
アヤカシ堂の聖なる魔女。みんな彼女をそう呼ぶ。
魔女とは果たして人間なのか、妖怪なのか。
「私は……女神だよ」
「は? またまたご冗談を」
俺は思いっきり変な顔をしてしまい、店長にこめかみをぐりぐりされた。
「あいたたた」
「本当にっ、お前はっ、素直な男だなっ」
「ごめんなさいごめんなさい」
それを見て鈴はクスクスと笑う。
星のきれいな夜だった。
〈続く〉
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追記:2025/09/20
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