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本編
第9話 幽霊列車
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俺――番場虎吉が鳳仙神社の社務所に入ると、応接室には既に客人が来ていた。
その客人は、駅員の制服を着た男性だった。
「ん、虎吉か」
店長がちらっと俺を見る。
「お邪魔でしたか」
「いいや、君も一緒に座れ。仕事の依頼だからな、君にも話を聞いてもらいたい」
店長はぽんぽんと自分の隣を叩く。俺はそれに従い、ソファに座った。
しかし、神社に直接お客様が来るのは珍しい。たいていは、電話で依頼が来る。この神社でお祓いらしいお祓いをしたこともない。まあ、『アヤカシ堂』なんて呼ばれてるし不気味な噂もあるし、近寄りたがる物好きな人間もいないのだろう。
「わたくしは、宝船駅で駅員をしている轟と申します」
轟さんはそう挨拶した。
「この度、宝船駅で困ったことがありまして」
「困ったことと言うと……やはり列車関連、ということになるのでしょうか」
店長は訊ねる。
「ええ、実は宝船駅には終電後、毎晩冥界行きの幽霊列車が停まるのですが……」
いや、待て待て待て。
「め、冥界行きの……幽霊列車?」
「ええ、驚かせて申し訳ございません。アヤカシ堂の方なら、この町が特別強い魔力の流れを持っているのはご存知ですね?」
「あ、はい、まあ」
「そのせいでこの町には悪魔や妖怪が集まってきます。その方々のために、あの世とこの世を繋ぐ列車――幽霊列車が運行しているのです」
動揺する俺に、轟さんは流暢に説明する。
「宝船市に住んでるなら常識だろ」
「いや、どんな常識ですか」
すました顔の店長に、俺はツッコミを入れる。
「で、その幽霊列車になにか問題が?」
「ええ、その列車に、地獄行きを拒否する悪霊が取り憑いてしまい、冥界への運行が困難になってしまったのです」
店長の言葉に、轟さんは困った表情を浮かべる。
「幽霊列車は現在、朝まで夜な夜な環状線をぐるぐる回る状態になってしまい、乗客のみなさんがたいへん迷惑しております。そこでアヤカシ堂様になんとかしていただきたく……」
「要は、その悪霊を除霊すればいいのですね」
「さようでございます」
轟さんは礼儀正しく頭を下げる。
「それで、報酬についてなのですが……わたくしの集めた列車関連のコレクションでなんとかなるでしょうか?」
「ええ、大丈夫だと思います。持ち主の心が強く宿ったものは、それだけで価値のある宝物です」
店長は優しい微笑みを浮かべる。轟さんはほっと息をついた。
「良かった。これでわたくしも安心して成仏できそうです」
「成仏、って……?」
轟さんの言葉に、俺は首をかしげる。
「実はわたくしも幽霊なのでございます。まあ、駅員の仕事を続けなければいけないので成仏は半分冗談ですが」
轟さんはそう言って、片足を上げる。
――足先が透き通っていた。本当に、幽霊だ。
「それではよろしくお願いいたします。終電後、またお会いしましょう」
そう言って、轟さんはスーッと滑るように石段を降りて帰っていった。
「でも、終電後の駅ってどうやって侵入するんすか?」
「さすがに轟さんが入れるようにしてくれるとは思うが」
俺と店長は会話を交えながら夜に向けて準備をする。明日が学校休みで良かった。もしかしたら徹夜での仕事になるかもしれないし。
列車内という閉所での戦闘を想定して武器の選定をしようかと思ったが、変幻自在に形を変えられる如意棒なら問題ない気がする。如意棒、便利すぎる。
店長は紙に筆で文字を書き、御札を大量生産している。聞くところによれば、日頃から御札を大量にストックしているらしい。アヤカシ堂の蔵を開いてくれる鈴がいるとはいえ、万が一鈴が再起不能になった場合、自分で戦える武器がないと、非力な店長は一気に不利になる。彼女にとって御札は通常装備であり、最後の切り札である。
さて、準備を済ませた俺達は、宝船駅へと向かう。
店長は車も免許も持っていない。まあ自分で翼を生やしたり、竜となった鈴の背中に乗ったりして飛んで移動できるのでそもそも必要ない。
しかし人間や竜が空を飛んでいたら流石に目立つのでは? と思いもするのだが、
「あらかじめ妨害結界を張っておけば空を見上げる人間がいたとしても視界に映っても脳内には感知されない」
というよくわからない理屈を言われた。魔術の一種……なのだろうか? 便利なものである。
鳳仙神社から駅までは徒歩では遠いので、俺と店長は黒竜と化した鈴の背中に乗り、駅へと飛んでいった。
終電後の駅は電気もついていない。駅の入口ではあの轟さんが待っていた。
「アヤカシ堂様、お待ちしておりました」
そう言って、轟さんは駅のシャッターを開ける。
「ご案内いたしますので、ついてきてください。電気がつけられなくてご不便かとは存じますがご容赦を」
轟さんは足がないためか、スーッと滑るように移動する。
「虎吉、悪いが導いてくれるか? 私は夜目がほとんどきかないんだ」
そう言って、店長は俺の手を握った。何故かドキッとした。
細くて小さくて、華奢な手である。この手で、店長はずっと妖怪と戦ってきたのか。
性格の悪ささえどうにかなれば、本当に引く手あまたの美女である。
そんなことをつらつらと考えながら、俺は店長に歩幅を合わせつつ、轟さんに置いていかれないように歩いていく。
ちなみに俺は吸血鬼の血が流れているせいか、夜でも昼のようにハッキリ見える。店長と手をつなげるなら役得かもしれない。
――いや、役得ってなんだよ。俺は人間に戻りたいのに。
俺はひとりで首を横に振って、気持ちを切り替える。そう、それより今から仕事なんだ。悪霊を早くやっつけて早く帰って寝たい。
轟さんに案内されて、駅のホームにやってくると、そこにはシュー……と煙を上げる機関車があった。なんだか時代錯誤を感じるが、まあ冥界行きと考えるとこのくらいが雰囲気はある。
「悪霊というのはどこにいるのです?」
店長は機関車の先頭部分を見るが、特に変わった様子はない。
「悪霊は機関車の中を自由に移動するのでございます。なかなか尻尾が掴めなくて困っているのです」
轟さんは眉尻を下げ、本当に困っている顔をしている。
「ひとまず、列車に乗り込んで探してみるしかないということか……」
ふむ、と店長はうなずいた。
「でも、冥界に行く列車でしょう? 俺ら、帰ってこれるんですか?」
「環状線を回っている限り、列車が冥界に行くことはないだろう。悪霊を倒したあと冥界に向かったとしても、ちゃんと現世に帰ってこれる便もあるから安心したまえ」
不安をこぼす俺に、店長は冷静に返す。
そうか、言われてみれば妖怪や悪魔が冥界と現世を往復しているのなら、そういう便もあるのか。
俺は納得と安堵を覚えた。
「では、早速乗り込もう」
「いってらっしゃいませ。お気をつけて」
轟さんは制帽に指をかけて、俺たちを見送ってくれた。
俺と店長、そして店長の影に潜っている鈴が機関車に乗り込むと、再びシュー……と音を立ててドアが閉まった。
「さて……悪霊を探さなければならないが、どこから調べるべきか」
「とりあえず運転室を目指す感じですかね」
俺たちが乗り込んだ車両は列車の最後尾。
後ろからひとつずつ車両を調べていけば、運が良ければ途中で悪霊にエンカウントするかもしれない。
一応最後尾の車両のさらに後ろにある車掌室を覗いてみるが、悪霊はいないようだ。ついでに車掌もいないが、列車の見回りをしているのかもしれない。
俺たちはひとつ前の車両に移動することにした。
ガラガラとドアを開けると、向かい合わせの座席が並んでいる。どうやら指定席のようである。幽霊や妖怪がポツポツ座っているのが見受けられるが、俺達に対して敵意はないらしい。
「あら、巫女さんの乗客なんて珍しいわね。しかも生者がこの幽霊列車に乗り込んでるなんて」
着物を着た上品そうなおばあさんが店長に声をかける。彼女は足が透き通っているので幽霊なのだろう。
「つかぬことをお伺いしますが、この列車はいつから悪霊に乗っ取られているのでしょうか」
「私がこの列車に乗って、もう一ヶ月くらいになるかしら。いつまで経っても成仏できなくて困っているの」
一ヶ月ものあいだ、環状線をぐるぐる回り続け、他の乗客に迷惑をかけている悪霊。
地獄に落ちたくない気持ちはわかるが、それで他の霊に迷惑をかけるのは良くない。地獄での罪状が増えるだけだ。
「私たちは悪霊を退治して、この列車を通常通り運行させるためにやってきました。悪霊について、なにか情報は?」
「そうねえ、私はまだその悪霊さんには会ったことないけれど……列車を思い通り操れるくらいだもの、おそらくは運転室にいるんじゃないかしら」
やはり、運転室を目指すしかないらしい。
「それにしても、あなた、なんだか神々しい雰囲気を感じるわ。清らかな気を感じるというか……きっと位の高い巫女さんなのねえ」
そう言って、おばあさんは店長に手を合わせて拝む。位の高い巫女さんってなんだ?
「分かる人には分かるものだな」
店長はふふん、と鼻を鳴らす。
自称女神の店長は、なかなか自分の正体に気づかれないので、気づく人がたまに現れると調子に乗る。
「とにかくここには悪霊はいないようだ、次の車両へ行こう。ご婦人、貴女を必ず成仏させてご覧に入れよう。来世でまたお会いしましょう」
「ええ、ありがとう。お気をつけて」
おばあさんに見送られて、俺達は次の車両へ移動した。
「冥界弁当、ひとつ三百円でございまーす。いかがですかー」
足の透き通った弁当売りのお姉さんが、ガラガラとカートを押しながらスーッと滑るようにこちらに向かって進んでくる。
「弁当かあ……そういや、ちょっと小腹が空いてきたかも……」
俺は空腹で切ない胃袋を押さえる。
「ここの食べ物を食べるのはやめておけ。生きた人間が冥界の食べ物を口にすると二度と現世に帰ってこれないぞ」
「げっ、マジすか」
俺は店長の言葉にぎょっとする。
「冥界弁当、いかがですかー」
いつの間にか弁当売りのお姉さんが近づいて耳元で囁く。
「い、いえっ、いりません!」
「そうですかー」
そして、お姉さんはさっき俺たちが通った後ろの車両へとカートを押して行ってしまった。
「ここにも悪霊はいなさそうだな。次行こう」
そう言って、次の車両へのドアを開ける。
また向かい合わせの座席が並んだ指定席の車両だ。同じような光景が並んでいる。
すると、前の車両のドアが開いて、車掌らしき男が俺たちを目視した。車掌も足がない幽霊らしい。
「ちょっと、お客さん。あんたら、切符持ってないだろう。困るよ、ちゃんとお金を払って乗ってくれないと」
「え? いや、俺達は轟さんに頼まれてこの列車に乗ったんですけど……」
「轟、だとぉ? あの野郎、俺のことを退治させるつもりか……! お前ら、何者だ!」
車掌の様子がおかしい。
「な、なんか変ですよ、この車掌さん……」
「悪霊が取り憑いているようだな」
「は? 霊に霊が取り憑くとかあります?」
「お前ら、見たところ生者だな。妖怪退治屋かなにかか? クソが……」
俺たちの会話に関知せず、絞り出すような声で呟く車掌。
「我々はアヤカシ堂だ。観念して地獄に落ちろ」
「店長、もう少し言い方」
「アヤカシ堂だかなんだか知らねえが、地獄なんてクソくらえだ!」
そう叫んで、車掌はくるりと向きを変え、運転席の方へと戻っていく。
「待て!」
俺たち三人が車掌を追って次の車両のドアを開けると、
「うわ!」
幽霊たちがひしめきあっていた。
どうやら電車のように吊り革につかまって立つスタイルのようである。幽霊たちがすし詰めのギュウギュウ詰めだ。
その霊たちの中を、車掌がぎゅうぎゅうになりながら奥へと向かっていく。
「追うぞ!」
幽霊とは言ってもまるで実体があるかのようだ。普通の人間の満員電車のように、押しつ押されつしながら進んでいく。息苦しい。
たまに尻を触られて、「ギャッ!」と悲鳴を上げる。俺が。
「もはやこの電車自体が地獄なのでは……?」
なんとか混雑を抜けて、俺はそう呟いた。
何両か車両をくぐり抜けて、やっと運転室にたどり着いた。
鍵がかかっていたので、俺がバンっとドアを蹴り破る。
悪霊に取り憑かれた車掌が、俺たちを見て顔を歪めた。
「クソッ、もう追いついてきやがったか……」
「もう諦めろ。今なら閻魔に紹介状を書いてやるから情状酌量くらいは出来るかもしれんぞ?」
閻魔大王に紹介状を書ける店長、何者だよ。
「黙れ黙れ黙れ! クソクソクソ…………」
悪霊は車掌を離れ、運転席に乗り移った。
運転席と悪霊が一体化していく……。
「させるか!」
店長が素早く御札を飛ばす。
悪霊と運転席に貼り付いた御札はバチバチと火花を放つ。
「うっ……ぐうぅ……」
しかし悪霊はその痛みに耐える。恐ろしいタフさだ。
「畜生……畜生……嫌だ……嫌だ……地獄に落ちたくねえよう……」
悪霊はグスグスとすすり泣いた。
「これ以上罪を重ねたら、あなたはもっと重い罰を受けることになる。今ならまだ来世でやり直せる。おとなしく冥界へ逝き、裁きを受けてくれ」
店長は一転、優しい声音で悪霊に語りかける。
「う……うるせえ! こうなったらみんなまとめて地獄に道連れだ!」
悪霊は逆上し、運転席に火花が舞う。
ガシャンと線路の分岐器が切り替わる音がして、環状線を走っていた列車は一ヶ月間の果てしない輪廻を抜ける。
――その先は、崖だった。
「はは……ハハハ……! 先に地獄で待ってるぜ、アヤカシ堂!」
悪霊は御札の攻撃にやっと負けたらしく、黒い煙のように消えてしまった。
「チッ、操縦が完全に壊れている」
「店長が御札で攻撃したからでしょ」
「仕方ないだろう、アレは」
「それよりどうするのお姉ちゃん、このままじゃ崖の下に真っ逆さまだよ」
「わかってる! くそ、どうする……」
俺と店長と鈴は混乱の中、対策を考える。もう時間はあまりない。
――ふと、俺は昔読んだ小説を思い出した。
俺は身体を縮めて、拳を突き出し思い切りジャンプする。
運転車両の屋根をぶち抜き、俺は列車の上に立った。
「虎吉――何を、するつもりだ?」
困惑する店長に、
「店長、あとは任せます」
俺は、列車の前に身を投げた。
***
目が覚めると、そこは冥界――ではなく、鳳仙神社の見慣れた天井だった。
助かった、のか。
全身の痛みをこらえて、なんとか身体を起こす。
ちょうど店長が水を持って入ってきたところだった。
「――」
店長は身を起こした状態の俺にツカツカと歩み寄り――バシッと平手で頬を打った。
「なんであんなことをした」
店長の目は赤く腫れていた。
「半妖でも流石に死ぬぞ、アレは」
「でも、生きてるじゃないですか」
「咄嗟にミノタウロスを召喚して電車を止めさせたんだ」
以前、御札に封印した、アイツか。
「お前は馬鹿か!? 身体のパーツがばらばらになって無残な死に方をするところだったんだぞ!」
バカ、バカ、と罵りながら俺の頭を叩く店長の手は、しかし力がこもっていなかった。
「本来なら不老不死の私がああいう役目をするんだ」
「でも、不死だって痛いもんは痛いでしょ」
俺がそう言うと、また「バカ」と呟いて店長は涙の粒をポロポロと布団に落とす。
――ああ、俺はこの人が好きなんだなあ。
山から湧き水が湧き出るように、自然と俺はそう自覚してしまったのだった。
〈続く〉
その客人は、駅員の制服を着た男性だった。
「ん、虎吉か」
店長がちらっと俺を見る。
「お邪魔でしたか」
「いいや、君も一緒に座れ。仕事の依頼だからな、君にも話を聞いてもらいたい」
店長はぽんぽんと自分の隣を叩く。俺はそれに従い、ソファに座った。
しかし、神社に直接お客様が来るのは珍しい。たいていは、電話で依頼が来る。この神社でお祓いらしいお祓いをしたこともない。まあ、『アヤカシ堂』なんて呼ばれてるし不気味な噂もあるし、近寄りたがる物好きな人間もいないのだろう。
「わたくしは、宝船駅で駅員をしている轟と申します」
轟さんはそう挨拶した。
「この度、宝船駅で困ったことがありまして」
「困ったことと言うと……やはり列車関連、ということになるのでしょうか」
店長は訊ねる。
「ええ、実は宝船駅には終電後、毎晩冥界行きの幽霊列車が停まるのですが……」
いや、待て待て待て。
「め、冥界行きの……幽霊列車?」
「ええ、驚かせて申し訳ございません。アヤカシ堂の方なら、この町が特別強い魔力の流れを持っているのはご存知ですね?」
「あ、はい、まあ」
「そのせいでこの町には悪魔や妖怪が集まってきます。その方々のために、あの世とこの世を繋ぐ列車――幽霊列車が運行しているのです」
動揺する俺に、轟さんは流暢に説明する。
「宝船市に住んでるなら常識だろ」
「いや、どんな常識ですか」
すました顔の店長に、俺はツッコミを入れる。
「で、その幽霊列車になにか問題が?」
「ええ、その列車に、地獄行きを拒否する悪霊が取り憑いてしまい、冥界への運行が困難になってしまったのです」
店長の言葉に、轟さんは困った表情を浮かべる。
「幽霊列車は現在、朝まで夜な夜な環状線をぐるぐる回る状態になってしまい、乗客のみなさんがたいへん迷惑しております。そこでアヤカシ堂様になんとかしていただきたく……」
「要は、その悪霊を除霊すればいいのですね」
「さようでございます」
轟さんは礼儀正しく頭を下げる。
「それで、報酬についてなのですが……わたくしの集めた列車関連のコレクションでなんとかなるでしょうか?」
「ええ、大丈夫だと思います。持ち主の心が強く宿ったものは、それだけで価値のある宝物です」
店長は優しい微笑みを浮かべる。轟さんはほっと息をついた。
「良かった。これでわたくしも安心して成仏できそうです」
「成仏、って……?」
轟さんの言葉に、俺は首をかしげる。
「実はわたくしも幽霊なのでございます。まあ、駅員の仕事を続けなければいけないので成仏は半分冗談ですが」
轟さんはそう言って、片足を上げる。
――足先が透き通っていた。本当に、幽霊だ。
「それではよろしくお願いいたします。終電後、またお会いしましょう」
そう言って、轟さんはスーッと滑るように石段を降りて帰っていった。
「でも、終電後の駅ってどうやって侵入するんすか?」
「さすがに轟さんが入れるようにしてくれるとは思うが」
俺と店長は会話を交えながら夜に向けて準備をする。明日が学校休みで良かった。もしかしたら徹夜での仕事になるかもしれないし。
列車内という閉所での戦闘を想定して武器の選定をしようかと思ったが、変幻自在に形を変えられる如意棒なら問題ない気がする。如意棒、便利すぎる。
店長は紙に筆で文字を書き、御札を大量生産している。聞くところによれば、日頃から御札を大量にストックしているらしい。アヤカシ堂の蔵を開いてくれる鈴がいるとはいえ、万が一鈴が再起不能になった場合、自分で戦える武器がないと、非力な店長は一気に不利になる。彼女にとって御札は通常装備であり、最後の切り札である。
さて、準備を済ませた俺達は、宝船駅へと向かう。
店長は車も免許も持っていない。まあ自分で翼を生やしたり、竜となった鈴の背中に乗ったりして飛んで移動できるのでそもそも必要ない。
しかし人間や竜が空を飛んでいたら流石に目立つのでは? と思いもするのだが、
「あらかじめ妨害結界を張っておけば空を見上げる人間がいたとしても視界に映っても脳内には感知されない」
というよくわからない理屈を言われた。魔術の一種……なのだろうか? 便利なものである。
鳳仙神社から駅までは徒歩では遠いので、俺と店長は黒竜と化した鈴の背中に乗り、駅へと飛んでいった。
終電後の駅は電気もついていない。駅の入口ではあの轟さんが待っていた。
「アヤカシ堂様、お待ちしておりました」
そう言って、轟さんは駅のシャッターを開ける。
「ご案内いたしますので、ついてきてください。電気がつけられなくてご不便かとは存じますがご容赦を」
轟さんは足がないためか、スーッと滑るように移動する。
「虎吉、悪いが導いてくれるか? 私は夜目がほとんどきかないんだ」
そう言って、店長は俺の手を握った。何故かドキッとした。
細くて小さくて、華奢な手である。この手で、店長はずっと妖怪と戦ってきたのか。
性格の悪ささえどうにかなれば、本当に引く手あまたの美女である。
そんなことをつらつらと考えながら、俺は店長に歩幅を合わせつつ、轟さんに置いていかれないように歩いていく。
ちなみに俺は吸血鬼の血が流れているせいか、夜でも昼のようにハッキリ見える。店長と手をつなげるなら役得かもしれない。
――いや、役得ってなんだよ。俺は人間に戻りたいのに。
俺はひとりで首を横に振って、気持ちを切り替える。そう、それより今から仕事なんだ。悪霊を早くやっつけて早く帰って寝たい。
轟さんに案内されて、駅のホームにやってくると、そこにはシュー……と煙を上げる機関車があった。なんだか時代錯誤を感じるが、まあ冥界行きと考えるとこのくらいが雰囲気はある。
「悪霊というのはどこにいるのです?」
店長は機関車の先頭部分を見るが、特に変わった様子はない。
「悪霊は機関車の中を自由に移動するのでございます。なかなか尻尾が掴めなくて困っているのです」
轟さんは眉尻を下げ、本当に困っている顔をしている。
「ひとまず、列車に乗り込んで探してみるしかないということか……」
ふむ、と店長はうなずいた。
「でも、冥界に行く列車でしょう? 俺ら、帰ってこれるんですか?」
「環状線を回っている限り、列車が冥界に行くことはないだろう。悪霊を倒したあと冥界に向かったとしても、ちゃんと現世に帰ってこれる便もあるから安心したまえ」
不安をこぼす俺に、店長は冷静に返す。
そうか、言われてみれば妖怪や悪魔が冥界と現世を往復しているのなら、そういう便もあるのか。
俺は納得と安堵を覚えた。
「では、早速乗り込もう」
「いってらっしゃいませ。お気をつけて」
轟さんは制帽に指をかけて、俺たちを見送ってくれた。
俺と店長、そして店長の影に潜っている鈴が機関車に乗り込むと、再びシュー……と音を立ててドアが閉まった。
「さて……悪霊を探さなければならないが、どこから調べるべきか」
「とりあえず運転室を目指す感じですかね」
俺たちが乗り込んだ車両は列車の最後尾。
後ろからひとつずつ車両を調べていけば、運が良ければ途中で悪霊にエンカウントするかもしれない。
一応最後尾の車両のさらに後ろにある車掌室を覗いてみるが、悪霊はいないようだ。ついでに車掌もいないが、列車の見回りをしているのかもしれない。
俺たちはひとつ前の車両に移動することにした。
ガラガラとドアを開けると、向かい合わせの座席が並んでいる。どうやら指定席のようである。幽霊や妖怪がポツポツ座っているのが見受けられるが、俺達に対して敵意はないらしい。
「あら、巫女さんの乗客なんて珍しいわね。しかも生者がこの幽霊列車に乗り込んでるなんて」
着物を着た上品そうなおばあさんが店長に声をかける。彼女は足が透き通っているので幽霊なのだろう。
「つかぬことをお伺いしますが、この列車はいつから悪霊に乗っ取られているのでしょうか」
「私がこの列車に乗って、もう一ヶ月くらいになるかしら。いつまで経っても成仏できなくて困っているの」
一ヶ月ものあいだ、環状線をぐるぐる回り続け、他の乗客に迷惑をかけている悪霊。
地獄に落ちたくない気持ちはわかるが、それで他の霊に迷惑をかけるのは良くない。地獄での罪状が増えるだけだ。
「私たちは悪霊を退治して、この列車を通常通り運行させるためにやってきました。悪霊について、なにか情報は?」
「そうねえ、私はまだその悪霊さんには会ったことないけれど……列車を思い通り操れるくらいだもの、おそらくは運転室にいるんじゃないかしら」
やはり、運転室を目指すしかないらしい。
「それにしても、あなた、なんだか神々しい雰囲気を感じるわ。清らかな気を感じるというか……きっと位の高い巫女さんなのねえ」
そう言って、おばあさんは店長に手を合わせて拝む。位の高い巫女さんってなんだ?
「分かる人には分かるものだな」
店長はふふん、と鼻を鳴らす。
自称女神の店長は、なかなか自分の正体に気づかれないので、気づく人がたまに現れると調子に乗る。
「とにかくここには悪霊はいないようだ、次の車両へ行こう。ご婦人、貴女を必ず成仏させてご覧に入れよう。来世でまたお会いしましょう」
「ええ、ありがとう。お気をつけて」
おばあさんに見送られて、俺達は次の車両へ移動した。
「冥界弁当、ひとつ三百円でございまーす。いかがですかー」
足の透き通った弁当売りのお姉さんが、ガラガラとカートを押しながらスーッと滑るようにこちらに向かって進んでくる。
「弁当かあ……そういや、ちょっと小腹が空いてきたかも……」
俺は空腹で切ない胃袋を押さえる。
「ここの食べ物を食べるのはやめておけ。生きた人間が冥界の食べ物を口にすると二度と現世に帰ってこれないぞ」
「げっ、マジすか」
俺は店長の言葉にぎょっとする。
「冥界弁当、いかがですかー」
いつの間にか弁当売りのお姉さんが近づいて耳元で囁く。
「い、いえっ、いりません!」
「そうですかー」
そして、お姉さんはさっき俺たちが通った後ろの車両へとカートを押して行ってしまった。
「ここにも悪霊はいなさそうだな。次行こう」
そう言って、次の車両へのドアを開ける。
また向かい合わせの座席が並んだ指定席の車両だ。同じような光景が並んでいる。
すると、前の車両のドアが開いて、車掌らしき男が俺たちを目視した。車掌も足がない幽霊らしい。
「ちょっと、お客さん。あんたら、切符持ってないだろう。困るよ、ちゃんとお金を払って乗ってくれないと」
「え? いや、俺達は轟さんに頼まれてこの列車に乗ったんですけど……」
「轟、だとぉ? あの野郎、俺のことを退治させるつもりか……! お前ら、何者だ!」
車掌の様子がおかしい。
「な、なんか変ですよ、この車掌さん……」
「悪霊が取り憑いているようだな」
「は? 霊に霊が取り憑くとかあります?」
「お前ら、見たところ生者だな。妖怪退治屋かなにかか? クソが……」
俺たちの会話に関知せず、絞り出すような声で呟く車掌。
「我々はアヤカシ堂だ。観念して地獄に落ちろ」
「店長、もう少し言い方」
「アヤカシ堂だかなんだか知らねえが、地獄なんてクソくらえだ!」
そう叫んで、車掌はくるりと向きを変え、運転席の方へと戻っていく。
「待て!」
俺たち三人が車掌を追って次の車両のドアを開けると、
「うわ!」
幽霊たちがひしめきあっていた。
どうやら電車のように吊り革につかまって立つスタイルのようである。幽霊たちがすし詰めのギュウギュウ詰めだ。
その霊たちの中を、車掌がぎゅうぎゅうになりながら奥へと向かっていく。
「追うぞ!」
幽霊とは言ってもまるで実体があるかのようだ。普通の人間の満員電車のように、押しつ押されつしながら進んでいく。息苦しい。
たまに尻を触られて、「ギャッ!」と悲鳴を上げる。俺が。
「もはやこの電車自体が地獄なのでは……?」
なんとか混雑を抜けて、俺はそう呟いた。
何両か車両をくぐり抜けて、やっと運転室にたどり着いた。
鍵がかかっていたので、俺がバンっとドアを蹴り破る。
悪霊に取り憑かれた車掌が、俺たちを見て顔を歪めた。
「クソッ、もう追いついてきやがったか……」
「もう諦めろ。今なら閻魔に紹介状を書いてやるから情状酌量くらいは出来るかもしれんぞ?」
閻魔大王に紹介状を書ける店長、何者だよ。
「黙れ黙れ黙れ! クソクソクソ…………」
悪霊は車掌を離れ、運転席に乗り移った。
運転席と悪霊が一体化していく……。
「させるか!」
店長が素早く御札を飛ばす。
悪霊と運転席に貼り付いた御札はバチバチと火花を放つ。
「うっ……ぐうぅ……」
しかし悪霊はその痛みに耐える。恐ろしいタフさだ。
「畜生……畜生……嫌だ……嫌だ……地獄に落ちたくねえよう……」
悪霊はグスグスとすすり泣いた。
「これ以上罪を重ねたら、あなたはもっと重い罰を受けることになる。今ならまだ来世でやり直せる。おとなしく冥界へ逝き、裁きを受けてくれ」
店長は一転、優しい声音で悪霊に語りかける。
「う……うるせえ! こうなったらみんなまとめて地獄に道連れだ!」
悪霊は逆上し、運転席に火花が舞う。
ガシャンと線路の分岐器が切り替わる音がして、環状線を走っていた列車は一ヶ月間の果てしない輪廻を抜ける。
――その先は、崖だった。
「はは……ハハハ……! 先に地獄で待ってるぜ、アヤカシ堂!」
悪霊は御札の攻撃にやっと負けたらしく、黒い煙のように消えてしまった。
「チッ、操縦が完全に壊れている」
「店長が御札で攻撃したからでしょ」
「仕方ないだろう、アレは」
「それよりどうするのお姉ちゃん、このままじゃ崖の下に真っ逆さまだよ」
「わかってる! くそ、どうする……」
俺と店長と鈴は混乱の中、対策を考える。もう時間はあまりない。
――ふと、俺は昔読んだ小説を思い出した。
俺は身体を縮めて、拳を突き出し思い切りジャンプする。
運転車両の屋根をぶち抜き、俺は列車の上に立った。
「虎吉――何を、するつもりだ?」
困惑する店長に、
「店長、あとは任せます」
俺は、列車の前に身を投げた。
***
目が覚めると、そこは冥界――ではなく、鳳仙神社の見慣れた天井だった。
助かった、のか。
全身の痛みをこらえて、なんとか身体を起こす。
ちょうど店長が水を持って入ってきたところだった。
「――」
店長は身を起こした状態の俺にツカツカと歩み寄り――バシッと平手で頬を打った。
「なんであんなことをした」
店長の目は赤く腫れていた。
「半妖でも流石に死ぬぞ、アレは」
「でも、生きてるじゃないですか」
「咄嗟にミノタウロスを召喚して電車を止めさせたんだ」
以前、御札に封印した、アイツか。
「お前は馬鹿か!? 身体のパーツがばらばらになって無残な死に方をするところだったんだぞ!」
バカ、バカ、と罵りながら俺の頭を叩く店長の手は、しかし力がこもっていなかった。
「本来なら不老不死の私がああいう役目をするんだ」
「でも、不死だって痛いもんは痛いでしょ」
俺がそう言うと、また「バカ」と呟いて店長は涙の粒をポロポロと布団に落とす。
――ああ、俺はこの人が好きなんだなあ。
山から湧き水が湧き出るように、自然と俺はそう自覚してしまったのだった。
〈続く〉
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