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第9話 謎の家政夫永久保さん

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「――香織さん、香織さん、朝ですよ」
「んん……お母さん……?」
 私は開かれたカーテンから差し込む光に、薄く目を開ける。
「あと五分……」
「香織さん、私です。永久保でございます」
「!?」
 私は耳元で聞こえる男の声に完全に目が覚めた。
「ぎゃああああ!? ちょっと、何勝手に人の部屋に入ってるんですか!」
 そうだ、昨日永久保が、この家に住み込みの家政夫として雇われたんだった。自称家臣のストーカー男を家に住まわせるなんてどうかしている。
「御母堂様が香織さんをお起こしするように、と」
 永久保は私の文句など聞こえないかのように、ニコニコ笑っている。クソッ……朝から顔がいいな……。
「とにかく、もう私の部屋に入らないでください!」
「おや、御母堂様からお掃除もするよう申し付けられているのですが」
「自分で! やりますから!」
 部屋の服とか下着とか漁られたらシャレにならない。
 永久保を部屋から追い出して、急いで着替える。
 居間に降りると、両親が既に食卓についていた。
「ほら、お父さん。永久保さんの作る料理美味しいでしょ?」
「フン……まあ不味くはない」
 ニコニコと父に料理を勧める母と、ムスッとした顔でサンドイッチを食べる父。この父だけが、永久保に対する最後の砦だ。イケメンにコロッと参ってしまった母とは違い、父はぽっと出の男なぞに揺らぐことはないだろう。
「旦那様にお褒めいただき恐縮です」
「……」
 笑顔を絶やさない永久保を横目に見ながら、父は黙ってサンドイッチを口に運ぶ。なんとなく剣呑な雰囲気だ。
「もう、お父さんったら永久保さんのこと嫌いなの?」
「よく知らん奴に好きも嫌いもない」
 父は母の言葉に冷徹に答える。朴訥な性格なのだ。
「ただ、永久保ばかりが料理を作るようになると、母さんの料理が食べられなくなるのが残念だ」
「も、もぉー! お父さんったらそんなことでヤキモチ焼いてたの?」
「別にそんなものは焼いていない」
 父はツンデレというか愛情表現が不器用というか……。
「ふふ、ご夫婦の仲が睦まじくて何よりでございます。それでしたら、奥様もたまにお料理をなされますとよろしいかと」
「お言葉に甘えてそうしようかしら。永久保さんだって他にもたくさんやることあるものね」
 ……永久保さん、意外と家に馴染んでいるな……。
 もともと前世で家臣をやってた(自称)だけあって、人に仕えるのは得意らしい。
「香織さんもお召し上がりください」
 永久保はわざわざ椅子を引いて、私に座るよう促す。
 永久保の作ったらしいサンドイッチは、確かに美味しかった。特に私の好物であるたまごサンドは絶品だ。
「おいし……」
 思わず口から零れた言葉にハッとして永久保を見ると、彼は目を細めてニマリと笑った。悔しい。
「こちら、本日のお弁当です。香織さんの大好きなたまごサンドも入っておりますので」
 永久保は私に弁当箱を渡してきた。最近コンビニ弁当とか社食で済ませていたので、有り難いには有り難い。
 朝食を済ませて、身支度を整える。永久保が早めに起こしてくれたおかげで時間に切羽詰まることもない。クッ……地味にQOLが上がっていく……。
「それでは、香織さんを会社までお送りしてまいります」
「えっ、だから別にいいですって――」
「あら、悪いわねぇ、永久保さん。娘をよろしくね?」
 ……というわけで、私は毎日車で会社まで送迎してもらう羽目になったのである。

 その日の夜。
「そもそも、その永久保という男は何なんだ」
 私たち一家と永久保が夕食を囲んでいた時、不意に父が口を開いた。
 確かに、父からすれば突然家に見知らぬ男が現れたのは疑問しかないだろう。
「家政夫と聞いたが、そこまで家事に手が回らないのか?」
「そうよぉ、大忙しよ。永久保さんが来てくれて助かっちゃったわ」
「そうか……いつも苦労をかけるな」
 永久保擁護派の母の言葉に、少し申し訳なさそうな父。
「しかし、うちには家政夫を雇う金などないと思っていた」
「永久保さんはお金なんて要らないって言ってたけど」
「は?」
 父は怪訝そうな顔をする。それはそうだろう。ボランティアで一家庭に奉公する家政夫などなかなかいない。
「永久保、君はタダ働きして何かメリットがあるのか」
「はい、ございます」
 父の単刀直入な物言いに、永久保は余裕のある笑顔を見せる。
「私は香織さんにお仕え出来れば、それで幸せですので」
「…………?」
 永久保が妙なことを口走ったせいで、変な空気が流れる。だから嫌なんだよ、コイツ。
「香織の……知り合い? なのか?」
「知り合いっていうか……」
 父に話を振られ、私も挙動不審になってくる。
「とあるきっかけで香織さんと知り合いまして、それ以来惚れ込んでおります」
「んなっ……」
 永久保の物言いに噎せそうになるのをこらえる。
「そ、そうなのか……」
 父は僅かに動揺する。
「結婚も視野に考えております」
「考えてないよ!?」
「ふふ、香織さん、そんなに恥ずかしがらなくとも」
 寝耳に水すぎてハァ!? と叫びたい。
「そ、そうかぁ……」
 父は動揺を通り越し、情報過多で目が死んでいる。
「しかし、そんな男をひとつ屋根の下に入れていいのだろうか。俺が留守の間に母さんや香織を家に置いておくのは心配だな」
「私を信用できない、というのは最もでございます。むしろそのような判断が出来る旦那様は素晴らしい」
 永久保は芝居がかった口調で父を褒めちぎった。
「現在は和室を間借りしておりますが、旦那様が出て行けと仰るならば車でも犬小屋でも、私は外で野宿致します。野宿は慣れておりますのでご心配なく」
「いやいやいや」
 それは流石に家族総出で止めた。
「君、自分の家は?」
「マンションに住んでおりますが、流石にそこからお宅までは遠いので……」
「ちなみに、家政夫の仕事はタダ働きと聞いたが、他に仕事はしているのか?」
「不動産会社を経営しております。とはいえ、運営は部下に任せておりますので、私は自由人というわけですな」
 時間に自由がきくってそういうことか。
 父の尋問で、やっと謎多き永久保の秘密が明かされていく。
「意外とちゃんとした身分なんだな……まあ、そこまで言うなら家政夫、やってもらうか……」
「そうねぇ。永久保さん、家事スキル高いから助かってるし」
 両親は永久保に信頼感を抱き始めているようだ。一会社の社長、という身分が大きいのだろう。どこまで本当か知らないが。
「それでは、これまで通り和室をお借り致します。食器、片付けさせていただきますね」
 私たちが夕食を終える頃には、夜の八時を回っていた。永久保のことで、随分白熱してしまった気がする。
 お風呂入らなきゃ、と席を立ったところで、台所の永久保をチラリと見る。
 永久保は私と目が合うと、また目を細めてニマリ、と笑うのであった。

〈続く〉 
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