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◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
重い瞼を開けて広がっていたのは、白い天井だった。
どこだろう――そう思考する前に、腹に鈍い痛みが走る。そして同時に薬品の匂いが鼻腔を掠める。
「いた…」
声を上げると、近くで影が動いた。
「起きたのか」
声が聞こえ、顔を動かすと目の前に居るのが信じられない人がおり、好紀は慌てて身体を起こそうとする。が、その瞬間。ビリリッ、と鋭い痛みが走る。
「い…っ!」
「急に動くな。寝たままでいい」
好紀は痛みに呻く。心配そうに伸ばされた手が、俺の背中を支える。
好紀はベッドに寝かされていた。そしてその様子を見ていたのは、クミヤだった。2人の声を聞いて、男性がカーテンを開ける。
「あぁ、起きたのかい。良かったよ、傷が浅くて。内臓まで達してたら流石にここでは治療出来なかったから」
白衣を着た男性は笑みを浮かべる。
――傷? 治療? この人は一体誰?
好紀はまだ状況が掴めてなかった。首を傾げる好紀に男性は笑みを浮かべた。
「まだ混乱してるようだね。貧血で今まで気を失ってたんだ…無理はない。…ここは医務室だよ。私はここの医者でね。2時間前…君が刺されてクミヤさんがここまで運んでくれたんだ」
医者と名乗った彼の言葉を、好紀は反芻する。
そして徐々に思い出す。自分がクミヤの客に刺されて倒れたことを。
「あ…。あれ? 俺、死んだんじゃ…」
あの痛みは完全に詰み…死んだ、と思ったが――どうやら好紀は生きているらしい。
「勝手に自分を殺すなよ」
好紀の言葉に呆れたようにクミヤが言った。
「傷を針で縫うぐらいですんでよかったよ。ギリギリ内臓には届かなかった。あと数センチ深く刺されてたら救急車行きだったろうね」
医者の言った言葉にゾッとする。
好紀はそっと腹に触れ、シャツをめくる。そこには包帯でまかれた腹部。痛々しい光景に自分が刺されたことが夢ではなく…本当にあったことだと実感した。
「何をともあれ無事でよかったよ」
医者がほっとしたように口を開いた。好紀は捲ったシャツを直してお礼を言う。
「あ、はい! 有難うございます。…クミヤさんも、ご迷惑をお掛けしてすみません。…あの…ここまで運んでくれて…有難うございました」
好紀がクミヤにもお礼を言うと、椅子に座っているクミヤは目を伏せた。その手は握りしめていた。
「いや、お礼を言われる事はしてない。謝るな。むしろ謝るのは俺の方だ。――申し訳ない」
「え?」
クミヤの頭の天辺を見て――好紀はやっとクミヤが頭を下げている事に気付いた。
好紀は驚いた。それは医者にも同じだった。
クミヤが謝った事なんて今まで聞いたことがなかった。いや――客には言っていた気がするが、心からのものではなかった。クミヤの今の謝罪は申し訳ない気持ちが詰まっており、心からの謝辞だということは好紀にも分かった。
「あ、頭を上げてください! クミヤさんが謝ることなんて1つも…!」
好紀は頭を下げ続けるクミヤに必死に言った。クミヤはその状態のまま、首を振った。
「早く…アイツを出禁にすればよかったんだ。そうすればこんな事、起きなかった。俺が『躱せる』と思っていた、怠慢だ。元々アイツは嫉妬心が強くて、お前にも危害を加える可能性はあった。なのに、俺は…放置した。
お前に、大怪我させた」
「そ、そんな…」
クミヤが珍しく長く話して…好紀に謝る。その声には申し訳なさと、後悔、色々な感情が混ざっていた。
「でも、そんなの、分かりっこないですよ! 出禁にしたらむしろクミヤさんに危害があったかもしれないし、」
「――それはない。アイツは…俺を恋人のように見てたから」
好紀の言葉を遮りクミヤが顔を上げて俺を見詰める。
その綺麗な目に、好紀はこんな状況にも関わらずドキッとした。
「…それに、アイツを警察に引き渡せなかった」
「え?」
クミヤの言葉に俺は目を丸くする。
「あぁ、刺した犯人……木崎(きさき)っていうんだけど。ちゃんと、ここで拘束はしてるけど、警察は呼んでないんだ。――ここがディメントじゃなければもっと良かったんだけど…」
「それって…」
医者は目を細め息を吐く。
「……ここがディメントの敷地内でなければ、警察を呼べたんだけどね」
「あぁ…、なるほど」
医者のため息交じりの言葉に好紀は頷く。騒ぎは大きくしたくない――、そういう事なのだろう。警察にディメントの存在を知られたくない――、そう思う気持ちは分かる。
「小向らしい判断だな。反吐が出る」
クミヤによって吐き捨てられた言葉に好紀は目を剝く。クミヤは小向に対し良く思っていないようだった。そんなクミヤの様子に医者は慌てた。
「ちょ、ちょっと…クミヤさん、誰かに聞かれたらまずいですよ」
「ここに来る奴なんて滅多にいないだろ。それに聞かなかったことにすればいい」
「…っ、それはそうですけど」
クミヤの脅しとも思える発言。好紀はハラハラしつつ2人を見詰める。
「まぁ、仕方ないっすよ。騒ぎを大きくしたくないだろうし…、俺も取り敢えず無事だったわけで…。俺も警察とかそんな所わざわざ行きたくないし…」
好紀は「別に大丈夫」という意味を含めてクミヤに話す。言わなかったが、警察なんて行ってもし裁判…ということになったら母にディメントで働いている事がバレてしまうだろう。それだけは避けたかった。
――だから…これで良かったのだ。
そんな好紀にクミヤは目を見開いている。だがすぐに、いつもの無表情に戻った。
「お前……。いや、いい。…――木崎には、これからディメントの制裁が下るから多分会う事は今後ないと思うが…気をつけろよ」
「あ…はい!」
何かを言いかけたクミヤが気になりつつ、好紀は頷く。ディメントの制裁。どんな制裁なのか…考えるだけ…聞いているだけで背筋が寒くなる。
しばらく誰も話さなかったが、不意にクミヤが言った。
「お前に話がある。…俺の部屋に来てもらっていいか? 無理なら別の日でもいい」
「――え」
クミヤの言葉に好紀は間抜けな声を上げる。
話――?クミヤの部屋に――?
いや、それよりも気になったのは…言葉の節々にある好紀への気遣いだった。普段の傍若無人ぶりの態度からは、考えられない様子に好紀だけでなく医者も驚いている。腹は痛むがクミヤの話は聞けないことはない。好紀は頷いた。
「分かりました。ええっと、じゃあそろそろ行くっすかね?」
「…有難う」
「――」
――この人、本当に俺が知ってるクミヤさん? なのか?
謝るだけでなく、お礼も言われてしまった。クミヤのお礼に好紀は頭が混乱する。ベッドから降りようと身体を動かすと、医者も動いていたがクミヤが先に好紀のことを支えた。優しい気遣いに胸が高鳴り、好紀は禄にクミヤの顔を見れない。
それから――。
ドッキリと言われても信じられる程、クミヤは優しかった。医者と医務室で別れた後――ディメントの寮に戻るまで、クミヤの部屋に行くまで終始好紀を支えてくれた。時間が22時だったのが幸いし、メンバーたちに見られることはなかったがもしも見られたら一気に噂が広がっただろう。
――ナンバー2、同伴と密着! どういう関係?!
そんな噂が立つのは必至だった。クミヤは見られることも気にせず堂々と好紀を支えていた。たまに痛む腹部を感じながら、好紀はクミヤの部屋に入った。前回入った時と同じ綺麗な玄関、何も変わらないリビング、部屋が、妙に落ち着いた。ほっとするが、内心ではクミヤが話す内容が気になった。
医務室には人が居た。だがクミヤの部屋は誰も居ないし、会話を聞かれる心配はない。ここにしたということは、聞かれたくないプライベートの話をするということだ。好紀はクミヤの寝室に通され、腹部だけでなく心臓までも痛くなってきた。
クミヤは好紀にここに来るまで「平気か?」「辛くないか?」と心配した声をかけてくれた。それ以外は話すことはなかった。好紀はクミヤに連れられ、ベッドに座らされた。自分からかなり近い距離のクミヤが隣に座っている。
――妙な雰囲気が部屋に流れていた。甘いような、重いような…――独特の雰囲気だ。
緊張しながらベッドの淵にいるとクミヤが口を開く。
「お前、小向の事どう思ってる?」
クミヤからの急な問いに不思議に思う。きっとこれが話したかったことなのだろうと考えて、好紀はなるべく自分の気持ちを偽りなく伝えた。
「どうって…、俺なんかをディメントに入れて貰えて感謝してるっすよ。どうしても寮に入りたいって言った俺を受け入れて、寮に入れて貰ってマジで足を向けて寝れないっていうか…」
「…小向に恩を感じてるのか」
「うーん。恩…、確かにそうかもしれないです」
「コウぐらいだな。そんな風に思ってるのは」
「―――! こ、ここ、…いや、なんでもないっす!」
いつも『お前』呼びで言われているのに、急に『コウ』と呼ばれて好紀は顔がカァーッと熱くなる。からかうように笑われて心臓が飛び出そうな程ドキドキした。
――やっぱり、今日のクミヤさん何かおかしい…!
そう思いつつ、何でですか?とは聞けなかった。聞けるはずがなかった。それは好紀が答えを聞いて自分を保っていられる自信がなかったからだ。今でも普段通りに見えるように振舞うのに必死だというのに。
「…青の蝶と同じ部屋にされたのに何も思ってないのか」
続けざまに違う質問をされ声が裏返りつつ好紀は答えた。
「え?! あ、あー。確かに初めは…大丈夫かなって思ったっすけど…。イチは初めて会った時からずっと俺に優しかったし…、むしろイチがナンバーファイブ入りして別の部屋に移動するのが寂しいっていうか、何て言うか。あはは、今のオフレコで! 恥ずかしいんで、聞かなかったことに!」
ドキドキし過ぎて、今イチに聞かれたら恥ずかしい本音まで話してしまった。誤魔化そうと好紀が笑っていると、クミヤの目の色が変わった。
「お前…、青の蝶のイチが好きなのか?」
真剣な目。嘘を言ったらすぐに分かってしまいそうな目に好紀は心が揺さぶられる。
「す、好き?! そりゃ、イチは好きですけど、青の蝶だからとか、そういうことじゃなくて、友達としての好きで――…?! って、あ、あああああの、顔が…ちか、近いっす!」
顔を近づけられ問われて好紀は顔を真っ赤にして慌てた。
――息、息がかかる!
クミヤの匂いを間近に感じ、好紀はどもりつつ大きな声を出して逃げようとする。逃げようと動いた手をクミヤに掴まれて、好紀は自分の顔を取り繕うことが出来なかった。好紀の今の顔はまさに好きな人と手を繋いでしまった、どうしよう――、そんな表情が丸わかりだった。
好紀の爆発しそうな心臓の音は、繋がったクミヤにバレているだろう。
「…本当に?」
真剣な表情から一変――クスリ、と笑ったクミヤに好紀は目が離せない。
「本当です! え、えっと、だから手、は、あのっ」
「あぁ、ごめん。痛かったか」
「い、痛いとかではなく! 急でビックリしたっていうか、何て言うか…! だから、つまり、その!」
あわあわとしている好紀を観察し、満足したのか…それとも別の理由なのかクミヤは手を離した。好紀は見るからにほっとし、息を吐き出す。
「あり、がとう…ございます」
――どっと疲れた…。
からかわれた――、それは分かっているが。だとしても、身が持たない。そんな好紀の考えはお見通しなのだろう。クミヤは笑うが――すぐに真面目な顔に戻る。
「どういたしまして。…お前が『青の蝶』に対して心を許すことがあまり信じられなくてな」
「え…、っと。それは…、その」
クミヤの言葉に何と答えていいか分からず口をまごつかせる。
「だって、お前はセックスに対して…というか、それよりも…セックスをしてる人を嫌悪してるからな」
「…!」
図星だった。好紀はセックスというよりも、セックスをする人間の方が気持ち悪かった。まるで怪物のようなおぞましい存在だと、母を凌辱する父を見て思ってしまった。
『セックスをする人間は気持ち悪い、性的な話をする人も気持ち悪い。性的なモノ全てが気持ち悪い』――それは好紀にとって消えないものとして残り――固定観念としてこびりついた。
「どういう過去があってそうなったのか、まぁだいたいは想像付く。親っていうのは、呪いのように付いて回ってくるな」
「――ッ」
――お父さん。
好紀はクミヤの前で言った言葉を思い出す。あれは媚薬を飲まされて、介抱された時だった。意識を失う直前、好紀は言った。――お父さん、と。
母と離婚して父が今どこで何をしているか――それすらも分からない。だが、確実に好紀の中に傷跡として残っている父親の存在。
明らかに動揺している好紀に、クミヤは笑みを浮かべる。
「昔話をしようか。もしかしたら…お前の腹の傷が万が一にも良くなるかもしれないし」
「――」
クミヤがクミヤらしくない言い方で好紀に対し提案をする。
好紀は唾をごくりと鳴らして飲み込み――ゆっくりと頷いた。
それから好紀は――昔話…クミヤのディメントの中で…いや誰も知らない生い立ちを聞いたのだった。
重い瞼を開けて広がっていたのは、白い天井だった。
どこだろう――そう思考する前に、腹に鈍い痛みが走る。そして同時に薬品の匂いが鼻腔を掠める。
「いた…」
声を上げると、近くで影が動いた。
「起きたのか」
声が聞こえ、顔を動かすと目の前に居るのが信じられない人がおり、好紀は慌てて身体を起こそうとする。が、その瞬間。ビリリッ、と鋭い痛みが走る。
「い…っ!」
「急に動くな。寝たままでいい」
好紀は痛みに呻く。心配そうに伸ばされた手が、俺の背中を支える。
好紀はベッドに寝かされていた。そしてその様子を見ていたのは、クミヤだった。2人の声を聞いて、男性がカーテンを開ける。
「あぁ、起きたのかい。良かったよ、傷が浅くて。内臓まで達してたら流石にここでは治療出来なかったから」
白衣を着た男性は笑みを浮かべる。
――傷? 治療? この人は一体誰?
好紀はまだ状況が掴めてなかった。首を傾げる好紀に男性は笑みを浮かべた。
「まだ混乱してるようだね。貧血で今まで気を失ってたんだ…無理はない。…ここは医務室だよ。私はここの医者でね。2時間前…君が刺されてクミヤさんがここまで運んでくれたんだ」
医者と名乗った彼の言葉を、好紀は反芻する。
そして徐々に思い出す。自分がクミヤの客に刺されて倒れたことを。
「あ…。あれ? 俺、死んだんじゃ…」
あの痛みは完全に詰み…死んだ、と思ったが――どうやら好紀は生きているらしい。
「勝手に自分を殺すなよ」
好紀の言葉に呆れたようにクミヤが言った。
「傷を針で縫うぐらいですんでよかったよ。ギリギリ内臓には届かなかった。あと数センチ深く刺されてたら救急車行きだったろうね」
医者の言った言葉にゾッとする。
好紀はそっと腹に触れ、シャツをめくる。そこには包帯でまかれた腹部。痛々しい光景に自分が刺されたことが夢ではなく…本当にあったことだと実感した。
「何をともあれ無事でよかったよ」
医者がほっとしたように口を開いた。好紀は捲ったシャツを直してお礼を言う。
「あ、はい! 有難うございます。…クミヤさんも、ご迷惑をお掛けしてすみません。…あの…ここまで運んでくれて…有難うございました」
好紀がクミヤにもお礼を言うと、椅子に座っているクミヤは目を伏せた。その手は握りしめていた。
「いや、お礼を言われる事はしてない。謝るな。むしろ謝るのは俺の方だ。――申し訳ない」
「え?」
クミヤの頭の天辺を見て――好紀はやっとクミヤが頭を下げている事に気付いた。
好紀は驚いた。それは医者にも同じだった。
クミヤが謝った事なんて今まで聞いたことがなかった。いや――客には言っていた気がするが、心からのものではなかった。クミヤの今の謝罪は申し訳ない気持ちが詰まっており、心からの謝辞だということは好紀にも分かった。
「あ、頭を上げてください! クミヤさんが謝ることなんて1つも…!」
好紀は頭を下げ続けるクミヤに必死に言った。クミヤはその状態のまま、首を振った。
「早く…アイツを出禁にすればよかったんだ。そうすればこんな事、起きなかった。俺が『躱せる』と思っていた、怠慢だ。元々アイツは嫉妬心が強くて、お前にも危害を加える可能性はあった。なのに、俺は…放置した。
お前に、大怪我させた」
「そ、そんな…」
クミヤが珍しく長く話して…好紀に謝る。その声には申し訳なさと、後悔、色々な感情が混ざっていた。
「でも、そんなの、分かりっこないですよ! 出禁にしたらむしろクミヤさんに危害があったかもしれないし、」
「――それはない。アイツは…俺を恋人のように見てたから」
好紀の言葉を遮りクミヤが顔を上げて俺を見詰める。
その綺麗な目に、好紀はこんな状況にも関わらずドキッとした。
「…それに、アイツを警察に引き渡せなかった」
「え?」
クミヤの言葉に俺は目を丸くする。
「あぁ、刺した犯人……木崎(きさき)っていうんだけど。ちゃんと、ここで拘束はしてるけど、警察は呼んでないんだ。――ここがディメントじゃなければもっと良かったんだけど…」
「それって…」
医者は目を細め息を吐く。
「……ここがディメントの敷地内でなければ、警察を呼べたんだけどね」
「あぁ…、なるほど」
医者のため息交じりの言葉に好紀は頷く。騒ぎは大きくしたくない――、そういう事なのだろう。警察にディメントの存在を知られたくない――、そう思う気持ちは分かる。
「小向らしい判断だな。反吐が出る」
クミヤによって吐き捨てられた言葉に好紀は目を剝く。クミヤは小向に対し良く思っていないようだった。そんなクミヤの様子に医者は慌てた。
「ちょ、ちょっと…クミヤさん、誰かに聞かれたらまずいですよ」
「ここに来る奴なんて滅多にいないだろ。それに聞かなかったことにすればいい」
「…っ、それはそうですけど」
クミヤの脅しとも思える発言。好紀はハラハラしつつ2人を見詰める。
「まぁ、仕方ないっすよ。騒ぎを大きくしたくないだろうし…、俺も取り敢えず無事だったわけで…。俺も警察とかそんな所わざわざ行きたくないし…」
好紀は「別に大丈夫」という意味を含めてクミヤに話す。言わなかったが、警察なんて行ってもし裁判…ということになったら母にディメントで働いている事がバレてしまうだろう。それだけは避けたかった。
――だから…これで良かったのだ。
そんな好紀にクミヤは目を見開いている。だがすぐに、いつもの無表情に戻った。
「お前……。いや、いい。…――木崎には、これからディメントの制裁が下るから多分会う事は今後ないと思うが…気をつけろよ」
「あ…はい!」
何かを言いかけたクミヤが気になりつつ、好紀は頷く。ディメントの制裁。どんな制裁なのか…考えるだけ…聞いているだけで背筋が寒くなる。
しばらく誰も話さなかったが、不意にクミヤが言った。
「お前に話がある。…俺の部屋に来てもらっていいか? 無理なら別の日でもいい」
「――え」
クミヤの言葉に好紀は間抜けな声を上げる。
話――?クミヤの部屋に――?
いや、それよりも気になったのは…言葉の節々にある好紀への気遣いだった。普段の傍若無人ぶりの態度からは、考えられない様子に好紀だけでなく医者も驚いている。腹は痛むがクミヤの話は聞けないことはない。好紀は頷いた。
「分かりました。ええっと、じゃあそろそろ行くっすかね?」
「…有難う」
「――」
――この人、本当に俺が知ってるクミヤさん? なのか?
謝るだけでなく、お礼も言われてしまった。クミヤのお礼に好紀は頭が混乱する。ベッドから降りようと身体を動かすと、医者も動いていたがクミヤが先に好紀のことを支えた。優しい気遣いに胸が高鳴り、好紀は禄にクミヤの顔を見れない。
それから――。
ドッキリと言われても信じられる程、クミヤは優しかった。医者と医務室で別れた後――ディメントの寮に戻るまで、クミヤの部屋に行くまで終始好紀を支えてくれた。時間が22時だったのが幸いし、メンバーたちに見られることはなかったがもしも見られたら一気に噂が広がっただろう。
――ナンバー2、同伴と密着! どういう関係?!
そんな噂が立つのは必至だった。クミヤは見られることも気にせず堂々と好紀を支えていた。たまに痛む腹部を感じながら、好紀はクミヤの部屋に入った。前回入った時と同じ綺麗な玄関、何も変わらないリビング、部屋が、妙に落ち着いた。ほっとするが、内心ではクミヤが話す内容が気になった。
医務室には人が居た。だがクミヤの部屋は誰も居ないし、会話を聞かれる心配はない。ここにしたということは、聞かれたくないプライベートの話をするということだ。好紀はクミヤの寝室に通され、腹部だけでなく心臓までも痛くなってきた。
クミヤは好紀にここに来るまで「平気か?」「辛くないか?」と心配した声をかけてくれた。それ以外は話すことはなかった。好紀はクミヤに連れられ、ベッドに座らされた。自分からかなり近い距離のクミヤが隣に座っている。
――妙な雰囲気が部屋に流れていた。甘いような、重いような…――独特の雰囲気だ。
緊張しながらベッドの淵にいるとクミヤが口を開く。
「お前、小向の事どう思ってる?」
クミヤからの急な問いに不思議に思う。きっとこれが話したかったことなのだろうと考えて、好紀はなるべく自分の気持ちを偽りなく伝えた。
「どうって…、俺なんかをディメントに入れて貰えて感謝してるっすよ。どうしても寮に入りたいって言った俺を受け入れて、寮に入れて貰ってマジで足を向けて寝れないっていうか…」
「…小向に恩を感じてるのか」
「うーん。恩…、確かにそうかもしれないです」
「コウぐらいだな。そんな風に思ってるのは」
「―――! こ、ここ、…いや、なんでもないっす!」
いつも『お前』呼びで言われているのに、急に『コウ』と呼ばれて好紀は顔がカァーッと熱くなる。からかうように笑われて心臓が飛び出そうな程ドキドキした。
――やっぱり、今日のクミヤさん何かおかしい…!
そう思いつつ、何でですか?とは聞けなかった。聞けるはずがなかった。それは好紀が答えを聞いて自分を保っていられる自信がなかったからだ。今でも普段通りに見えるように振舞うのに必死だというのに。
「…青の蝶と同じ部屋にされたのに何も思ってないのか」
続けざまに違う質問をされ声が裏返りつつ好紀は答えた。
「え?! あ、あー。確かに初めは…大丈夫かなって思ったっすけど…。イチは初めて会った時からずっと俺に優しかったし…、むしろイチがナンバーファイブ入りして別の部屋に移動するのが寂しいっていうか、何て言うか。あはは、今のオフレコで! 恥ずかしいんで、聞かなかったことに!」
ドキドキし過ぎて、今イチに聞かれたら恥ずかしい本音まで話してしまった。誤魔化そうと好紀が笑っていると、クミヤの目の色が変わった。
「お前…、青の蝶のイチが好きなのか?」
真剣な目。嘘を言ったらすぐに分かってしまいそうな目に好紀は心が揺さぶられる。
「す、好き?! そりゃ、イチは好きですけど、青の蝶だからとか、そういうことじゃなくて、友達としての好きで――…?! って、あ、あああああの、顔が…ちか、近いっす!」
顔を近づけられ問われて好紀は顔を真っ赤にして慌てた。
――息、息がかかる!
クミヤの匂いを間近に感じ、好紀はどもりつつ大きな声を出して逃げようとする。逃げようと動いた手をクミヤに掴まれて、好紀は自分の顔を取り繕うことが出来なかった。好紀の今の顔はまさに好きな人と手を繋いでしまった、どうしよう――、そんな表情が丸わかりだった。
好紀の爆発しそうな心臓の音は、繋がったクミヤにバレているだろう。
「…本当に?」
真剣な表情から一変――クスリ、と笑ったクミヤに好紀は目が離せない。
「本当です! え、えっと、だから手、は、あのっ」
「あぁ、ごめん。痛かったか」
「い、痛いとかではなく! 急でビックリしたっていうか、何て言うか…! だから、つまり、その!」
あわあわとしている好紀を観察し、満足したのか…それとも別の理由なのかクミヤは手を離した。好紀は見るからにほっとし、息を吐き出す。
「あり、がとう…ございます」
――どっと疲れた…。
からかわれた――、それは分かっているが。だとしても、身が持たない。そんな好紀の考えはお見通しなのだろう。クミヤは笑うが――すぐに真面目な顔に戻る。
「どういたしまして。…お前が『青の蝶』に対して心を許すことがあまり信じられなくてな」
「え…、っと。それは…、その」
クミヤの言葉に何と答えていいか分からず口をまごつかせる。
「だって、お前はセックスに対して…というか、それよりも…セックスをしてる人を嫌悪してるからな」
「…!」
図星だった。好紀はセックスというよりも、セックスをする人間の方が気持ち悪かった。まるで怪物のようなおぞましい存在だと、母を凌辱する父を見て思ってしまった。
『セックスをする人間は気持ち悪い、性的な話をする人も気持ち悪い。性的なモノ全てが気持ち悪い』――それは好紀にとって消えないものとして残り――固定観念としてこびりついた。
「どういう過去があってそうなったのか、まぁだいたいは想像付く。親っていうのは、呪いのように付いて回ってくるな」
「――ッ」
――お父さん。
好紀はクミヤの前で言った言葉を思い出す。あれは媚薬を飲まされて、介抱された時だった。意識を失う直前、好紀は言った。――お父さん、と。
母と離婚して父が今どこで何をしているか――それすらも分からない。だが、確実に好紀の中に傷跡として残っている父親の存在。
明らかに動揺している好紀に、クミヤは笑みを浮かべる。
「昔話をしようか。もしかしたら…お前の腹の傷が万が一にも良くなるかもしれないし」
「――」
クミヤがクミヤらしくない言い方で好紀に対し提案をする。
好紀は唾をごくりと鳴らして飲み込み――ゆっくりと頷いた。
それから好紀は――昔話…クミヤのディメントの中で…いや誰も知らない生い立ちを聞いたのだった。
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僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
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