決して飼いならされたりしませんが~年下御曹司の恋人(仮)になります~

北館由麻

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妄想と現実のあいだ(中)

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「そんな不安そうな顔しないで。でもさ、笑佳さんからしたんだよ?」
「な、何を……?」
 
「キス」

(あああああ、キス……しました!)
 
 泣きそうな気持ちをこらえて「ごめんなさい」と小声であやまった。
「酔ったらキス魔になるの?」
「違います!」
 笑佳は力いっぱい否定した。響也がクスクスと笑う。
 
「だよね。酔ったら寝ちゃうもんね、笑佳さんは」

(あっ、やっぱり……寝ちゃったんだ、私)
 
 響也の言葉で、笑佳は心底安心した。キスをしたところで眠ってしまったのだ。
 
「じゃあなんでキスしたの?」
「そ、それは……罰ゲームで?」
「それなら1回じゃ全然足りないよ」
「え、じゃあ、分割で……」
「この際、リボ払いにしよう。1日1キスね。今日のぶん……」
 
 言うが早いか、響也は笑佳の唇に軽く口づけた。
 何度かついばむようなキスを繰り返しているうちに、響也の唇が笑佳の唇を優しく挟みこむ。撫でるように柔らかく甘噛みされ、その心地よさにうっとりしてしまう。
 どのくらいの時間そうしていたのか――響也の唇の感触を完全に覚えた頃、笑佳はこらえきれなくなって彼の胸に顔を埋めた。
 深く息を吸い込むと、爽やかで懐かしい森の匂いがする。
 胸の高鳴りが落ち着いてくるのと同時に、幸せな気分が心の中に満ちてきた。
 
「ねぇ、笑佳さん。このまま結婚しようか」
「け、けっこん……⁉︎」
「うん。笑佳さんと結婚したい」
 
 響也は笑佳の頭に顎をのせた。
 彼の胸に閉じ込められた笑佳は、言葉に詰まり、口を開けたり閉じたりする。
 
「何も言わなくていいよ」
 
 優しい声が聞こえてきて、胸がいっぱいになる。心臓がドクンドクンと脈打ち、顔が熱い。
 
「私……今、とても幸せ」
「うん。俺もだよ。今はそれだけ聞けたら満足」
 
 これ以上、安全で満ち足りた気持ちになれる場所はない気がする。
 このまま幸せになりたいという願望が、笑佳の中にむくむくと芽生えているのは、隠しようのない事実だった。他人の目はごまかせても、自分の心を偽ることはできない。
 同時に、響也と笑佳のカッコカリの恋人関係が終わるときも着実に近づいてきていた。
 

 ライブ旅行から帰って来た笑佳は、気持ちも新たに、日常業務と社内コンペの仕上げに精を出した。
 朝晩は冷え込むものの、日中の日差しは徐々に強さを増し、春めいてきている。
 そろそろ昔の実家の周辺も雪解けが進んでくる頃だ。近いうちに一度行かなければならないが、レンタカーで行くか、鉄道を利用するか迷っていた。
(鉄道で行くと買い物に行けないな。やっぱりレンタカーだな)
 月曜の昼休みが終わる5分前、笑佳は自分のデスクの前で響也を待っていた。
 ほどなくホットコーヒーをふたつ持った響也が入室してくる。
 
「あの、響也さん。今週土曜は空いていますか?」
 
 響也は笑佳のデスクにホットコーヒーを置き、美しい笑みを見せた。
 
「もちろん、暇ですよ。何かする?」
 
 社内なので言葉づかいは丁寧だが、心の距離はグンと近づいたような気がする。
 笑佳はドキドキしながら言葉を選ぶ。
 
「えっと、よかったら一緒に……私の田舎に行きませんか?」
「笑佳さんの本宅だね。行ってみたいな」
 
 心の中でガッツポーズを取りながら笑佳は「じゃあ、そういうことで」と話を切り上げた。
「楽しみだなー」
 響也はコーヒーに口をつけ、目尻を下げて微笑んでから支社長室へ向かう。
 その姿を笑佳は名残惜しそうに見送った。


 事態が急変したのは翌日のことだ。
 朝、出社してきた響也の顔がこわばっているので、笑佳は内心ハラハラしながらコーヒーを出した。
 今まで見たこともないような厳しい顔つきで響也はノートパソコンのキーボードを叩いている。
 
「笑佳さん、急だけど本社に行ってくる。数日間戻れないかもしれない」
 
 目が合ったので、笑佳は精一杯微笑みながら首を縦に振った。
 響也は焦りをにじませた頬を少しだけ緩める。
 
「土曜は絶対笑佳さんの家へ一緒に行くから。勝手にひとりで行かないように」
 
 まるで子どもに言い聞かせるように響也が念を押すので、笑佳はクスッと笑う。
「わかりました。早く戻ってこられたらいいですね」
「うん。すぐ帰ってくる」
 そう言うと響也は素早くノートパソコンを閉じて鞄にしまう。席を立つや否や、風のように支社長室を後にした。
 

 昼休み、女性社員が集まっているミーティングスペースで、萌美が突然悲鳴を上げた。
「えっ、今日の15時から緊急取締役会が招集されて社長解任されるかも!?……」
 本社にいる萌美の友達からの情報らしい。スマホの画面を食い入るように見つめる萌美を、その場にいる全員が見守る。
 
「つまり対抗勢力が存在するということだよね」
 
 今日も一糸乱れぬおかっぱに黒縁眼鏡の内村が、ぽつりとつぶやいた。
 笑佳は今朝の響也の様子を思い出し、気がふさいだ。彼の深刻な表情は緊急取締役会の連絡を受けてのものに違いない。
 
「社長が解任されたら、響也さんはどうなるんでしょう。心配ですね」
 
 萌美が笑佳に気遣うような視線を送ってきた。
 笑佳は無理に笑顔を作る。
 
「響也さんはどうなっても大丈夫だと思う。肩書があってもなくても、自分の力で何とかできちゃいそう」
「信じているんですねー!」
 
 胸の前で手を組んだ萌美が高い声を出すと、内村が冷ややかな笑みを浮かべた。
 
「創業家の人間だって会社から追い出されたら稼ぎがなくなるんだから、あっという間に没落するかもしれませんね」
 
 なかなか辛らつな言葉だ。内村に悪気はないのかもしれないが、周囲の空気は凍り付く。
 笑佳はフフッと笑いを漏らした。そして負けじと言い放つ。
 
「内村さんは響也さんの落ちぶれた姿が見たいの?」
「そういうわけでは……」
 
 内村が一瞬たじろいだのを見て、少しやりすぎたかと思ったが、響也の言うように笑佳には負けず嫌いなところがある。だからこれ以上言われっぱなしで黙っているわけにはいかなかった。
 とはいえ、内心では笑佳も心配と不安でいっぱいだ。
 結局その日の夜まで誰からも何の連絡もなく、笑佳は不安な気持ちのままベッドに入った。
 明かりを消す前にスマホの画面を眺める。
 思い切って響也に「おやすみなさい」とメッセージを送ってみた。
 すぐに「ゆっくり休んで」と返信が来る。
 笑佳は返信が来たことに心の底から安堵し、部屋の明かりを消した。
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