俺のものになりなさい

にしだてえま

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番外編

She said to me ! (OH MY BABY / 親友のお見合い6)

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「それで、これがおじいちゃんでしょ? ……じゃあ、これはだぁれ?」
 香夏子は写真を指差した。隣にちょこんと座った女の子は質問の意味を考えているのか、黙ったまま、立てた人差し指を空中で動かす。だが、いつまで経っても彼女の声が聞こえてこない。
 じれた香夏子は「じゃあ、おばあちゃんはどーれだ?」と質問を変えた。すると女の子の目がキラッと光り、得意げに写真の上に小さな指を置く。そして香夏子の顔を見てニッと笑った。
「あらぁ! 舞桜(まお)ちゃん、すごいじゃない! おばあちゃんの顔がわかるの?」
 舞桜と呼ばれた女の子は反対側を向く。
「あーぎ!」
 返事をしたつもりなのだろう。それにしても「あーぎ」の意味がわからない、と香夏子は密かに首をひねった。
「もう二歳だから、もうちょっと意味のある言葉を話してもいい頃なんですけど、舞桜はまだ『パパ』も『ママ』も言えなくて……」
「そう? でもこっちの言うことはかなり理解しているでしょ」
「はい。たぶん九割はわかっていると思うんですけど」
「それなら何も心配することないわよ」
「でも他の子よりも言葉が遅いので……」
 香夏子は小さくため息をついた。
 この頃公園で遊んでいても、同じくらいの月齢の子どもたちが、母親と大人顔負けの会話を交わす場面を見ると、ひどくショックを受け、暗い気持ちになってしまう。個人差のあること、と頭では理解していても、実際それを目の当たりにすると、我が子と比較せずにはいられないのが母親の性だ。
 舞桜は予定日より約一ヶ月早く生まれている。出産自体はスピード安産だったが、母子手帳には「自然分娩」とともに「早期産」の文字が書き込まれた。
 低体重ではなかったものの、予定日前後に生まれた乳児と比べると一回り小さく、体力もないため、体重が増加に転じるまで約一ヶ月を要した。ちなみに正期産では一週間で生まれた時点の体重に戻るとされている。
 今のところ、どこにも異常はない。だが「普通」と呼ばれる発達の基準と比較して、遅れが生じる可能性は高い、と香夏子は覚悟していた。
 顔を上げると、困ったように目尻を下げる義母と目が合った。

「舞桜はすごくいい子に育っていると思うけどな」

 その一言で、急に香夏子の目頭が熱くなる。
「そうでしょうか」
「そうよ。好奇心旺盛で、お友達と遊ぶのが大好きで、癇癪を起こすことも少ないし、たくさん食べて、よく寝る! 何も悩むことはないでしょ。私の自慢の孫娘だもの。ママは胸を張っていいと思うな」
 聖夜の母親は還暦を過ぎているとは思えない若々しい表情で香夏子の顔を覗き込んだ。
 香夏子も慌てて涙を拭い、笑顔を見せる。舞桜はその間も写真に夢中で、汗ばんだ指で親族の顔をぽちぽちと押しては、キャッキャと喜んでいた。
 遠くでドアが開く音がして、まもなく聖夜がリビングルームへやって来た。途端に舞桜は写真を放り投げ、聖夜めがけてダッシュする。
「来てたんだ」
 自分の母親にそっけない挨拶をして、舞桜を抱き上げた。舞桜は興奮して聖夜の頬を両手でぺちぺちと叩く。
「毎度お邪魔しまくりですよ」
「これ、また買ってきたの?」
 聖夜はテーブルの上に広げられた女児のワンピースを手で摘み上げた。タグを見て一瞬眉に皺を寄せたが、そのピンク色のワンピースを舞桜の身体にあてがうと、たちまち相好を崩した。
「かわいいなぁ。舞桜にすごく似合うね」
「でしょう? 私も『もう買わないぞ』と思っていたんだけど、これ見たらどうしても我慢できなくて買っちゃった」
 香夏子はその様子を見て、先ほどとは違うため息をついた。
 聖夜がチラッとこちらに視線をよこす。
「でも、もういらないよ。カナの楽しみがなくなるだろ?」
 棘を含んだ言葉がポンと飛び出した。聖夜の母親は寂しそうな表情をしてそっぽを向く。
「あ、いえ、あの……いつもたくさん、しかも高価でかわいい服をありがとうございます!」
 香夏子は慌てて頭を下げた。
 しかし聞こえてきたのはテンションの低い声だ。
「そうよね。香夏子ちゃんのお買い物の楽しみがなくなっちゃうものね。わかったわ」
「あの、お義母さん、私は別に……!」
 更に取り繕おうと、香夏子は大きく手を振った。そこにチャイムが鳴り、同時に「お邪魔します」と玄関のドアが開く。
 すると舞桜は聖夜の腕から滑り落ち、玄関へ消えた。ほどなく香夏子の母親に抱っこされて戻ってくる。
「こんにちは」
「この前は大根をたくさんいただいてしまって、ありがとうございました。すごく美味しかったわ」
 舞桜の祖母同士が世間話をかしましく展開させている隙に、香夏子はキッチンへ向かい、全員分の茶を淹れる。舞桜専用のマグカップには麦茶を注ぎ足した。
 リビングルームに戻ると、舞桜はすっかり興奮状態になってしまったようで、同じところを意味もなくぐるぐると回り、大人三人が各々「目が回るからやめなさい」と大声を張り上げていた。
 しかし舞桜は怒られても、むしろ嬉々として回転を早め、最後は本当に目が回ってドスンと尻餅をついた。それを見て一同がドッと笑う。
「舞桜は名前のとおり、くるくると舞うのが好きなんでしょう」
「なるほどねぇ」
 祖母同士が和やかに会話していると、舞桜はスクッと立ち上がって、今度は二人の膝の上を往復し始めた。ドンと腰をおろして一息ついたかと思うと、今度は向かい側の祖母の膝上に移動するのだ。
「そういえば香夏子ちゃんのお兄ちゃんの新居、完成したんですってね」
「そうなのよ。今月の初めに引越しで、やれやれというところですよ」
「寂しいでしょう? あんなににぎやかだったのに、突然夫婦二人だけになったら」
 香夏子は実母の隣で苦笑した。兄夫婦が引っ越した後の実家は、本当に住人がいるのかと不安になるほど静かになってしまったのだ。
「でも、お隣がにぎやかだから寂しくないですよ」
「あら、澤田家でも舞桜が一番の人気者になっちゃったのね。ふふ、だけどそれも今のうちだけよ」
 聖夜の母親は膝の上に座っている舞桜の頭を撫でる。その手から逃れた舞桜が香夏子の背中に飛びつき、よじ登った。うっ、と声を上げたが、その程度で怯む子どもはいない。舞桜が落ちないよう頭を下げて前屈みの姿勢を取ると、背中から突然彼女の気配が消えた。
「舞桜、ママには優しくしないとダメだよ」
 ひょいと聖夜が舞桜を抱き上げていた。
「そうよ、舞桜ちゃん。ママのお腹にはね……」

 ピンポーン!

 玄関のチャイムが鳴ったので、聖夜の母親は口を噤む。
「誰かな?」
 立ち上がって玄関へ向かう間もチャイムは連打されていた。
(もしかして……)
 香夏子は来客の顔を想像しながらドアを開けた。

「香夏子ちゃん! 生まれたっ! 生まれたのよ!」

 ドアの外にいたのは、大きな目をこれでもかと更に大きく見開いた秀司の母親だ。香夏子の顔を見るなり、両肩をガシッとつかんで揺さぶる。
「わぁ! おめでとうございます!」
「昨夜から入院しているって聞いていたけど、なかなか進まなかったみたいで、もう心配で心配で……!」
「そうだったんですね」
 秀司の母親の声を聞きつけて、玄関に全員が集まって来た。
「おめでとう。安産だったんでしょ?」
「それが、ちょっと危ない場面もあったみたい。でも母子ともに元気だって電話があったわ。これから病院に行ってきます!」
 一気にまくしたてると、秀司の母親は上品な笑みを見せて手を振った。
「いってらっしゃーい」
 ドアが閉まる。
 リビングルームに戻る途中、聖夜の母親が何かに気がついたように「あら」と言った。

「もしかして、同じ学年!?」

 香夏子の腹部を指差している。つい苦笑いが漏れた。
「順調であれば、そうなりますね」
「まぁ! 何だか楽しくなってきたわねぇ」
「何が楽しいって?」
 聖夜の冷めた声が後ろから聞こえてくる。すると彼の母親は聖夜に見えないように舌を出した。
「こっちの話よ」
 澄ました顔の義母を見て、香夏子は小さく噴き出した。
 それからそっと腹部に手を当てる。一度伸びきった皮膚はもう元には戻らないのだろうか。出産を経験する前の体型が懐かしいが、これも人の営みの一部なのだから、どうということはない、と思い直す。
 日々は立ち止まることをしない。しかし非情なわけでもない。
 だから時々、こんな陽だまりのような一日をプレゼントしてくれるのだろう。
「ほら! たかいたかい!」
 聖夜の腕を離れて宙を舞う我が子は、興奮が頂点に達し、甲高い声を上げた。楽しくて嬉しくて仕方がないというように。
 やがて地面に着地すると、今度は香夏子めがけて一直線に駆け出した。

「ママぁ!」
 
 キラキラと目を輝かせ、満面の笑みを浮かべた小さな天使は、しゃがんだ香夏子の首に飛びついてきた。その柔らかくてふっくらとした身体をしっかりと抱きしめて、それから言った。

「舞桜、上手に言えたね。私が……ママだよ」

 香夏子の頬にこぼれた涙を、愛らしい小さな指が掬い取る。不思議そうな顔で香夏子の目を覗き込んでくる天使の頬が、丸くてすべすべして、とても美味しそうだ。食べてしまいたいくらいだが、なくなると困る。仕方がないので、香夏子はそのほっぺたの両方に素早くキスをした。胸から溢れ出しそうな想いを目いっぱい込めて――。
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みんなの感想(2件)

224
2019.04.20 224

30話まで一気に読んじゃいました!
最初は正直イケメンに言い寄られるありふれな恋愛ものだなって高くくってたんですけど、途中から面白くて感情移入しちゃって
とりあえずなんか元気もらった気がします!おもしろかったです、なんかありがとうございました!

にしだてえま
2019.04.24 にしだてえま

224さま、拙作をお読みいただきありがとうございます。
楽しんでいただけたようで私もとても嬉しいです!
私自身、読書でたくさんの勇気や元気をもらってきましたので、「元気をもらった」とのお言葉は書いたものとして光栄に思います。
登場人物たちはみんな不器用なところがありますが、そこをちょっとだけでもいとおしいと思ってもらえたら最高に幸せです。
長い話にお付き合いくださった上、素敵な感想までいただけましたこと、心より感謝いたします。

解除
ひなた
2017.03.17 ひなた

金輪際の使い方が間違えいるような気がします。
金輪際を使うときは、そのあとに否定の言葉を使わなければならないと思います。

にしだてえま
2017.03.17 にしだてえま

ひなたさま、拙作をお読みいただきありがとうございます。
「金輪際」を使用した部分ですが、#05の会話文
「そんなことないよ。だいたい生まれてから金輪際告白とかされたことないし」
でしたら、直後の【告白されたことがない】という意味の言葉が続き、否定のつもりで書いておりました。
しかし、私自身読み返してみてしっくりこないので、先ほど
「そんなことないよ。だいたい生まれてこのかた告白とかされたことないし」
へ改めました。
文章・表現等いたらぬところが多い点、深くお詫びいたします。
読みやすい文章になるよう今後も一層努力してまいります。
ご指摘ありがとうございました。

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