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花言葉は、恋の予感

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 男女の友情って、成立しないらしい。

「俺、メグのことが好きなんだ」
「は?」

 葛西恵、21歳。
 親友だと思っていた男友達である大久保知幸に告白された瞬間である。


(ど、どうする……!?)

 瞬時に脳内で二人の私が緊急会議を始める。
 
 トモとはこの大学で知り合った。
 友達期間は確かに長くない……が、それでも彼といるのは心地よく、まるで昔からずっと一緒に過ごしていたと錯覚するほど一気に親しくなった。

(きっと後にも先にもこんなに仲良くなれる人なんていないかもしれない)


『だからこそ友達という壁を超えるなんて!』
 一人目の私がそう震える。

 わかる。
 その通りだ。

『じゃあ、断るの? 断った後、友達に戻れる保証なんてないのに?』
 もう一人の私がそう質問する。

 確かに。
 そんなに都合よく今まで通り、なんてきっとない。


「メグ?」
「え!? あ、えっと……!」
「ごめん、驚かせたよな」

 少しタレ目の彼の目尻が更に下がる。
 悲しそうな、そしてどこか諦めたような表情をパッと笑顔で隠したトモにヒヤリとした。


『このまま行かせていいの?』
『でも引き留めてどうするの?』
『取り返しがつかなくなっちゃうかも!』

(あぁっ、もう!)

 二人の私が口々に騒ぎ煩くて堪らない。
 どうしたらいいのかの答えも出ない。

 わかるのは、友達ではいられなくなってしまったのだという事実だけ。

(受け入れても断っても友達じゃいられないなら)

「つ、付き合う!」
「え?」
「だから、付き合う!」

 告白したのはトモなのに、唖然とした表情をするのは何故なのか。

 けれど、彼を失うよりはずっといいから。
 ――だから。
 
「これからもよろしく、ってことで」


 こうして私は親友だと思っていた男友達の、彼女になった。




「メグ、この講義のノート取ってるか?」
「あー、どれ? ん、あるよ。あるある」

 がさりと鞄からノートを取り出しトモに渡すと、慣れた様子でページを捲りだす。

「トモがノート借りるとか珍しいね。ノート取り忘れたの?」
「や、次はこの教授の講義取ろうと思ってさ。だから予習」
「予習!?」
「そ。授業の進め方とかわかれば、理解度もあがるからな」

 さらりと告げられるその理由に愕然とする。
 どうしてこんなに意識の高いトモが私と友達なんてやっているのか――……と、そこまで考えてハッとした。

(違う、私彼女だった)

 彼女、と意識すると少しまだむず痒い。
 そんな私の本心を察しているのか、トモとの距離感は友達だった頃と何一つ変わっていなかった。


「メグ?」
「あ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「駅前のカフェの新作スイーツのことだろ」

 ははっと笑い飛ばすトモに釣られて私の頬も緩くなる。
 こういう軽口も、付き合う前と何一つ変わらなくて……


「良かった、顔強張ってたから心配した」
「!」

 ふわりと私の頬をトモの指先が撫でてドキリとする。
 この距離感は――


(恋人の距離感……!)


 そう意識したせいか、撫でられた頬が異常に熱い。
 バクバクと速くなる心臓も苦しくて、いつも側にいたはずなのにどう接していたのかが思い出せなかった。

 
「わ、私、ちょっと飲み物買ってくる!」
「あ、ちょっ、メグ!?」


 わたわたと立ち上がりトモをテラスに置いたまま自販機まで走ると、一人になったからかやっと一息。

 久しぶりに酸素がちゃんと吸えたような気がして、なんだかホッとした。


「戻りたく、ないかも」

 トモといるのは相変わらず楽しい。
 けれど、友達だった頃のようにリラックスは出来なくて。

 息が詰まるせいか、あんなに居心地が良かったはずのトモの近くがなんだか苦痛だと感じる。

「よろしく、って言ったのに」


 失うくらいなら、と関係性を変えたが、その判断は間違っていたのかもしれない。

 そう思うと、なんだか私を酷く落ち込ませた。



 どんなに落ち込んで避けても、講義があればすぐに顔を合わせてしまうというのが大学生の難である。
 
 出席さえしていれば単位を取るのが簡単と噂の講義をトモと揃って取っていた私は、さっき私が逃げ出したことに気付いているはずなのに平然と隣に座ろうとしているトモに苦笑しつつも少し安堵した。

(良かった、トモは普通だ)

 いつも通り振る舞ってくれるトモにホッとしつつ、それでもトモの座っている右側がやたらと気になる。


 普段からこんなに近くに座ってたっけ?
 それとも恋人の距離感ってやつなのかな。


 講義時間の90分がやたらと長く感じ、そしてやっぱり息が詰まる。

 出席さえしていれば単位は貰えるのに、そんな授業でもちゃんとノートを取り教授の話に耳を傾けているトモをチラリと盗み見た私は、気付かれないようにため息を吐いた。


(本当、なんでこんなことになっちゃったんだろ)

 トモと出会ったのもまさにこの講義だった。
 話しかけたのは私から。

 だって気になったのだ、『出席さえしていればいい』この講義に必死でノートを取っていたトモが。


 為になる? なんて、今思えばなかなかに失礼な言い回しで声をかけたが、そんな私に苛立つこともなくトモは『面白いよ』と教えてくれた。

(結局いまだにその面白さはわからないけれど)

 それでも、トモのその穏やかなところが居心地良くて、それからなんとなく一緒にいることが増えた。

 親しくなれば共通点も案外見つかり、映画の好みだとか食事の好みだとかで話題も盛り上がって。

(最初はただの真面目クンかと思ったのに)

 気付けば互いの家で延々と漫画を読むだけの日々を過ごしたりもしたのに。

 
「なに、俺の顔になんかついてる?」

 小声で話しかけられビクリと肩が跳ねる。
 講義中なのだから声を抑えるのも、そして小声だからこそ顔が近付くのも当たり前なのだが……


 そのキスしそうな距離感、に狼狽えた。


 だって今付き合っているのだ。
 
 ずっとただ駄弁ってきたこの唇と、私の唇が触れ重なる可能性があることを考えると、気恥ずかしくて堪らない。

(高校の時にも彼氏くらいいたのに!)

 その彼氏とは出来たことが、トモ相手だと途端に焦ってしまうのは、やっぱり私の中で恋人としてではなく『友達』という印象が強いからなのかもしれないと思った。
  
 
 
「メグ、駅前のカフェ行かないか?」
「カフェ?」

(そういえば新作スイーツが出るんだっけ)

 思わず逃げ出してしまう少し前にそんな話があったなと思い出す。

 確かに、案外甘いものが好きなトモといつも新作スイーツは試しに通っていた。

 けど。

 
「ごめん、先にえりなに誘われちゃってさぁ」
「ん、了解。また感想聞かせて」

 嘘をついたせいか胸がチクリと痛む。

(けど、今は……)

 なんだかこの距離感がしんどい今は、トモといるのか苦しくて。
 嘘を吐いたことに対する罪悪感と、そして近くにトモがいないことで落ち着いた心臓に安堵する。


『こんなのよくないよ』
 私の中の私が首を振り

『でも、仕方なくない?』
 なんて、もう一人の私が肯定する。


「結局は、甘えだよなぁ……」

 付き合うことを了承したくせに、上手く出来ない私はいつも通り振る舞ってくれているトモすら避けて、自分のことながら情けなさすぎて泣きそうだった。



「メグ、今日何にすんの」
「えっ!? あーっ、と……さばの味噌煮定食」
「美味いもんなぁ、じゃあ俺は豚のしょうが焼きにするかな」

 待ち合わせている訳ではないのに、いつもの習慣で合流してしまう。

 別に嫌だとまでは言わないが、やっぱり私は少し気まずいままで。


「なぁ、一口交換しようぜ」

 トモが口にしたその提案に、じわりと汗が滲む。

(別に、いつものことじゃん)

 学食メニューの交換なんて、友達だったころから何度もしていた。
 むしろ私から提案してきた。

 付き合い始めた今なら、尚更おかしなことではなく、むしろ付き合う前からしていたのだから断る方がどうかしてる。


「も、もちろんいいよ」

 何故か震えそうになるお箸に冷や汗をかきつつ、必死で鯖を取り分けた私はなるべく平静を装いながらそっとトモのお皿に乗せて。


「あーんしてくれても良かったのに」
「なっ!」

 さらっとそんなことを言われてドクンと心臓が一際大きく跳ねた。

 ぎょっとした顔をしてしまったのか、固まった私の表情を見たトモが何故かニッと頬を上げて。


「なに、意識した?」

 くすりと笑いながらそんなことを言われ、ムッとしてしまう。

「したに決まってるでしょ!? だ、だって付き合ってるんだから……っ!」

 思わずそう声を荒げた私は慌てて両手で口元を押さえた。

(何言ってんの私は!)

 友達の時だってしたことがある。
 ならば尚更、付き合いだした今も普通でないとおかしいのだ。
 決して意識するようなレベルのことなんかじゃない。

 じゃ、ない、のに。


「……これ、残りあげる」
「え、メグ?」

 戸惑ったトモの声を背に食堂から飛び出した私は、何故だか無性に泣きたくて泣きたくて堪らない。

(こんなはずじゃなかったのに)

 友達だった時はあんなに毎日楽しくて、一緒にいるのが心地よくて。

 さっきみたいな軽口も、「何バカ言ってんの」なんて笑いながら流したり出来たのに。


 バタバタと目的地なく走り、一目を避けて校舎裏の花壇の近くで止まる。

 あまり手入れされていない花壇は雑草が生い茂っていたが、だからこそここには誰も立ち寄らないのだと安心してその場にしゃがみこみ膝に顔を埋めた。


「もうやだ」

 トモが告白なんてしてこなかったら、今も私は彼の隣で気楽に笑っていたはずなのに。

 こんなに苦しくて辛くなるなら、断れば良かった。

 失いたくないって思ったのに、一緒にいるのが辛くなるなんて本当思ってなかったから。


「も、やめたい……、友達に戻りたいよ」
「それはダメ」
「!」

 うじうじしている私の背後から突然声をかけてきたのは、走って追いかけてきたからか少し息を切らせているトモだった。

 
「な、なんで……」
「だって嬉しいから」

 あっさりと教えられる答えに唖然とする。

 
(こんなに私が辛く苦しんでるのに、嬉しいから……!?)


 そのあんまりな理由に、私の目頭がじわりと熱くなり、ゆらりと視界が滲む。

「っ、ど、して……っ!」
「嬉しいもんは嬉しいんだから仕方ないだろ」

 抗議したいのに上手く言えず言葉を詰まらせていると、トモが私の隣にしゃがみこんだ。

 私ではなく雑草に目線を向けているトモの横顔が、心なしか赤く染まっていてドキリとする。


「動揺して心が乱されてるのって、俺のこと意識してるからだろ」
「え……」
「そんなの、嬉しいに決まってる」

 手持ちぶさたなのか、目の前の雑草をぶちぶちと引っこ抜きながらポツリと呟かれるその言葉にぽかんとしてしまう。

 
(意識、してるから? 私が?)


 ――そうかもしれない、と思った。
 苦しくて辛いのも、息苦しいのも。

(全部全部、意識してるから……)


 だって元々好きだったのだ。
 居心地がよくて、一緒にいるのが楽しくて。

 失いたくないと思うほど、トモの存在が私の中では大きな存在で。


 友達として好きだったけれど。
 ずっと友達としてだと思っていたけれど。


「また逃げるかもしれないよ」
「いいよ。追いかける覚悟なら告白した時からある」
「……ちゃんと自覚するまでは時間、かかるかも」
「あぁ。むしろ嬉しい誤算だから」


 何が嬉しい誤算なのかがピンと来ず、思わず怪訝な顔をしてしまう。
 そんな私に気付いたトモが、雑草を抜くのはやめてこっちを向きふわりと微笑んだ。


「自覚するまで、ってことは、心のどっかで俺のこと少しは好きだと思ってるってことだろ?」


 にこにこと笑いながら言われた言葉に、私も顔が熱くなって仕方ない。

 
「ゆっくりでいいよ、友達として好かれてたことは知ってたし」

 ふふ、と笑うトモは少し意地悪で、そしてどこかはしゃいだような表情をしていて。

 そして告白してくれた時に見た悲しそうな、そしてどこか諦めたような表情じゃないことにホッと息を吐く。


「まだまだ待たせるかもだけど?」

 なんて口にした私だったが、心のどこかでは近い未来かも、なんて考えていた。

(だって、苦しかったししんどいのは変わらないけど)

 嬉しそうにしているトモを見ると、私の胸の奥がふわりと温かいもので溢れる気がしたから。


「これからもよろしくな」
「お手柔らかにね」

 
 こんなところで今さら握手、なんてなんだかちぐはぐな気がしたが、それもなんだか私たちらしくて思わず小さく吹き出してしまう。

 握ったトモの手がやたらと熱かったせいで、私の鼓動が更に速くなったのは想定外だが――……



 そんな変化なら、きっと悪くなんてない。


(最初から全部上手くやろうなんてする必要ないもんね)


 トモが雑草を抜いたからか、少しだけ花壇の土が見え、誰も世話していないだろうに逞しくも生きていた花が顔を出した。

 勝手に花が育つように、私の心もきっと勝手に育つから。


 ――だから、こちらこそよろしくね。
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みんなの感想(1件)

大林和正
2023.12.14 大林和正

話に引き込まれました
トモくんカッコいいし
メグちゃん可愛いですね
楽しかったです
ありがとうございます😊

春瀬湖子
2023.12.14 春瀬湖子

大林和正様
お読みくださりありがとうございます!

二人を褒めてくださり嬉しいです~!
大学生かと疑いたくなるくらいぴゅあなヒロインですが、きっとそんな彼女にはトモくらいしれっとしつつも包み込んでくれる彼氏があっているということで⋯(*^^*)

ポピーの花言葉がまさに「恋の予感」で、ふたりのそんな予感を楽しんでいただけたら嬉しいなぁ、と⋯!

それにしても、トモはこんなに避けられてもめげるどころか喜べるあたりなかなか器が大きいですね笑

感想ありがとうございました!

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