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~19 回顧~

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 黒装束の男は禁呪を唱えて、水晶を出現させた。そこにはある景色が映し出されていた。青い綺麗な湖の傍にテントを張って楽しそうに暮らす人々。水晶が映し出す景色は、音は聞こえないが、景色は動いていた。

「遊牧民……」
「そうだ。我らは、嘗ては自由と自然を愛する民であった」

 水晶の景色は燃えゆく森を映し出し、澄み切った青い湖は茶色くなっていく。

「ある日、我らは一人の女により、それらを失う」
「……その人は」
「そう。嘗ての君だ。アリスという一人の少女に敗北し、我らは絶えたと思った。だが我らはまたアリスという少女に生を与えられた。意味が分からなかった」

 水晶の景色は燃えた森、濁った湖の傍で、人々だけが立っている。
 嘗てのアリスは彼らに何をしたのだろうか。アリスの心臓の鼓動が早くなる。何故か、知っている気がするのだ。何も思い出せないが、知っている、そんな不思議な感覚になる。

「何が、あったの?」
「我らにも何があったのか分からない。いや、分からなかったが正しい。今は知っているが、当時は我らがいる場所に一人の少女がやって来て、我らは旅人だと思い、一時の休息を、と思った。だが、名前を名乗った少女は何処からともなく火を繰り出し、あっという間に先ほどの景色を作り上げたのだ」

 水晶には嘗てのアリスが映し出され、火が彼女を取り囲むように渦巻き、辺りを燃やし尽くす。人も森も物も関係ない。無差別であった。その光景はアリスに衝撃を与える。
 嘗てのアリスは人間だったはず。でも映るアリスは火を自在に操り、男の話では蘇生までしたという。それは神のみぞ許された力で、アリスには持ち得ることはあり得ない力だ。だが今のアリスも、恐らく聖女の生まれ変わりではないという説が出ているのにも関わらず、普通の人間が持ちえない結界の力を持つ。

「生き返った我らは、ある事に気が付くのだ。皆の体にあるアザが浮かんでいたのだ」

 黒装束の男は顔まで覆うフードを自ら取った。男は綺麗な顔立ちをしていたが、其処よりも目に着くのは、顔中を覆うアザ。ツタのようなアザがあるのだ。ツタのようなアザは黒く、そのアザはアリスにも何を意味するのか分かった。

「……亡者のアザ」
「そうだ。我らはもう死んでいる、という事だ。生き返ったのではない。死んだ体は腐敗していく。だから我らはアザを隠すように、腐敗した体を隠すように、全身を黒い装束に覆い、それでも愛した自然と自由を取り戻すべく、何時朽ちるかも分らぬ中動こう、と決意した」

 水晶には自然を取り戻そうと、焼けた土地を再生させようとする黒装束に身を包んだ人々が映し出され、彼らはゆっくりとだが着実に取り戻しつつあった。だが、朽ちていく体。いつまでも無限に動くわけではない。一人、二人、と倒れていく。だが体は動かなくても、魂は体に縛り付けられたまま。亡者のアザがツタのような形状をしているのは、縛り付けているのだ。本来、人は死ぬと魂は体から抜け、体はただの物質であり、魂は輪廻転生するという。だがその理から外された彼らは、体は朽ちても、ずっと彼らはそこから動けないだけで、いるのだ。意志もある。
 アリスは彼らがまだこの世にいる意味が分かった。彼らはずっと死ぬことが出来ずに、いたのだ。

「察したか。我らの体は朽ちて、だがそれでも動けないだけで、ずっと魂は、意思はあり続けた。地獄のようであった。死んでいるのに、死にたい、と何度も思う中、我らは作り上げた自然が育ち、大自然となり、急に朽ちたかと思えば、急速に自然が回復する様をずっと眺めていた」

 暗黒時代、聖女と聖剣士が争ったあの時代を彼らは終結と共に再生するまでを自然だけを見て、生きてきたという事か、とアリスは想いを馳せ、自分の掌を見る。やはり思い出さねばならない。嘗ての聖女はアリスを止められなかったと言っていた。だがアリスは自分はとんでもない過ちを犯していたのだと思っていたが、それは度を過ぎる想像を超えるものなのではないか、と思った。

「ある時、ある女が来て、我らに術をかけた。その女は、体がなかった。魂だけのようで、我らは再度肉体を動かせるようになった。女は我らに術をかけたアリスではないのに、謝罪した。そしてかけた術は、次第にこの亡者のアザを解いてくれるだろう、と言った。感謝しかなかった」

 多分その女は大地に力を吸い取られた嘗ての聖女だと思った。何処か確信めいたものまで感じた。だがそれならば現在も彼らがいる理由はなくなるはずである。暗黒時代から時は大分過ぎた。術がアザを消すのに時間がかかったとしてもかかり過ぎである。

「一人、一人、正しく死んでいった。同胞を失うのは悲しくもあったが、嬉しくもあった。漸く解放されたのかと。だがある時、一人の同胞がある禁呪を読み解いた」
「ある禁呪?」
「時を止める禁呪だ。ある同胞は言ったのだ。『我らのような者をもう、出してはならない。同じような者が現れないようにしてから、眠りにつこうではないか』とな」
「時を止める禁呪なんて、しかも今の時代まで時を止め続けるなんて、あり得ないわ」
「我らにしか出来ないだろう。ある同胞は女がかけてくれた術を、自分で解いたのだ。当然、亡者のアザは消えかかっていたのに復活した。そして同胞は、賛同した者にだけ自分を媒体として、時を止める禁呪をかけたのだ。その同胞は体は朽ちたが、今も魂は縛り付けられたままだ。我らは時を止める禁呪が解ければ、あの女がかけてくれた術で、死んでいくことが出来るが、その同胞だけは叶わぬ。禁呪もリスクがある。分かるだろう」
「……えぇ」

 男の言う同胞は嘗ての聖女の術を解いて、禁呪を使用した。自分の体を媒体とした、ある意味亡者のアザを逆手に取った方法だ。だから何人に禁呪をかけても、本来ならば一人にかけて死んでしまうレベルの禁呪だが、死なないまま、かけ続けられたのだろう。だが禁呪はその同胞の魂を食らいつくしているはずだ。もう、その同胞は輪廻転生にのる事も出来なければ、動くことも叶わないだろう。

「同胞の決意を無駄にしたくなかった。我らは必死に悲願を達成すべく、禁呪という禁呪を消し去るべく、ある時は手を汚した。そしてその時代、時代で普通の人間の手も借り、禁呪を表立って使えるものは消した。そして眠りにつこうか、と話した時に、その同胞を助ける術がないか、という別の目的が出来た」
「……」
「君の無言の通り、方法はなかった。同胞はもう口聞けぬが、我らも一回同じ状況に陥っているからこそ、そこに同胞がいるのは分かった。謝罪して、我らは、一人、一人、その同胞が用意した、時を止める禁呪を解除する禁呪を唱えて、せめて同じ大地に眠ろうと、同胞がいる場所で残りの命ある限り生きて、一人、一人、正しく死んでいった。私もだ」

 水晶に映るのは最初に移された美しい湖の傍で、テントを張り、一人、一人、ある大木の前で倒れては残りの民が傍に埋めていた。その大木には、もう人と思えない黒ずんだ塊があり、恐らく体が朽ちた術をかけた同胞だろうと思う。
 だが男は言った。自分も死んだ、と。つまりはその同胞がかけた禁呪を解いて、死んでいるはずなのに、また男に亡者のアザが浮かんで、今、アリスの目の前にいることになる。
 男はふっと軽く笑った。何処か儚げに。
 アリスは瞬間、何かに頭に過った。アリスは、あの大木に行ったことがある。今までそんな記憶がなかったのに、ふと頭にその光景が映ったのだ。

「思い出したか?」

 アリスは浮かぶ光景に体が震えた。
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