上 下
10 / 32
第一章 依頼〜大空洞

高層部〜現れたもの

しおりを挟む
9
高層部~現れたもの


登場人物:

グラウリー:大柄な斧戦士ウォーリアー
ラヴィ:女性鍛治師ブラックスミス
バニング:暗殺者アサシン
マチス:老練な短槍使いフェンサー
トッティ:若い鈍器使いメイサー
ボケボケマン:オークマスクの魔導師
エイジ:蒼の魔導師ブルーメイジ
トム:商人
ギマル:部族出身の斧戦士ウォーリアー



 彼等はとうとう前人未到の地を踏みしめた。
そこは呪われしバルティモナ山の高層地帯。
あの忌まわしい鏡の呪いの間を無事抜ける事ができた一行は、鏡の間の奥の階段を登った。

 長い階段を上りきると洞窟の壁面に恐ろしく重い鉄製の扉があり、開けると高層である山頂付近の寒々しい山肌が広がっていた。扉はサビがひどく、ここまで辿り着いた者が久しくいないという事を如実に語っていた。
闇の王の呪力が聞き及んでいるからなのか、茶色い体毛を持つルゥのハーピー族や自我を失い堕落したストーン族ハーピーもここにはいない。時折バッサバッサと遠くで羽の音を響かせる巨鳥――ロック鳥――が曇天の灰色の空の中不吉な鳴き声を上げているだけだった。

「ここが伝説の…バルティモナの高層…そう言うには、あまりにも――」
マチスが禿げた頭にかぶった帽子を押さえながらそう言った。語尾は風にかき消されてしまった。

「………」グラウリーは一人歩み出て、静かに辺りを見回していた。
 思えばバルティモナ山攻略のきっかけとなったのはルナシエーナの豪商・リドルトの『バルティモナの秘宝を持ち帰ってきて欲しい』という依頼によるものだった。難攻不落のバルティモナ山だったがその高い戦闘力、分析力を評価され、商人トムを通じて請け負いギルド『ティルナノーグ』に白羽の矢が立ったのだった。

 その中で様々な事があった。低層部のハーピーの大増殖、ハーピーの罠。迷宮に彷徨いこみブラウン族のハーピーとの出会い、中層の鏡の呪いの間、そこで明かされたメンバー達の秘められた過去…。それらを乗り越えて、彼等は今この山頂付近に立っている。

 実際の時間よりも恐ろしく――そう恐ろしく長い時間が――経っているように感じられていた。
それほどまでに彼等に襲い来る出来事の密度が重く、その緊張感は折り重なるようにして彼等の中に蓄積していたのだ。
「秘宝は…山頂…かな?」
エイジは腕を組んで呑気そうに上を見上げた。実は彼も平静を装ってはいるが立て続けの大魔法に疲弊してきていたのだ。ボケボケマンも同様であった。

「闇の王が守っているんやろーか…。よく御伽噺ではあるよね…見た事もないような秘法を、悪魔が隠し持っている…とか」
「やめろよぉ、昔ハーピーが一族総出で向かって行っても適わなかった…そんな魔王なんだぞ…」
トッティが心底嫌そうな顔と声を出した。
「バーカ、またオメーはビビリーになってんのかぁ?リーダーが行く気なんだから、行くに決まってんだろ?それに必ずしも秘宝の場所に魔王がいるとは限らねーじゃねーか」
「な、何だとぉ――!」
「とにかく山頂まで行ってみよう」
グラウリーは後ろを振り向くとそう言った。

                             *

 高層部に出てから小一時間ほど登り道を登った所で彼等は束の間の休息を取った。鉛のように感じられた脚は腰をおろすと根が生えたように動かせなくなっていた。早朝にハーピーの里を出てから実に十時間近くが過ぎていて、もう三時間もすれば日が暮れると思われた。

「いかにも最後の関門という趣きだな」
 ギマルが干し肉と葡萄酒をやりながら見上げた先には山の頂があり、その頂に半ば埋もれるようにして朽ちかけた神殿があった。
 所々が砕け異形の彫像が彫られた神殿には清らかな神の意思を感じる事はできない。そこにあるのはただ人を不安にさせるような禍々しいたたずまいだった。

「ここでしっかりと最後の回復を図って神殿に挑みましょう」
 トムが仲間の脚に疲れを癒す薬草を張りつけ傷口に特殊な軟膏を塗りこんで手馴れた手つきで包帯を巻いた。僅かに医術の心得があった。ボケボケマンとエイジは禅を組み精神力、魔法力の回復を図っていた。

「ラヴィ、刀をバニングにあげたのですか?困りましたね…丸腰では危険だ」
「――これを使え」
バニングが黒いマントの間に手を入れて腰の後ろから何かを外した。彼が手にしたのは短剣というにはやや長い、ショートソードに近い一振りの剣だった。

「………」
 ラヴィはあっけに取られたような顔をしてバニングの顔を口を開けて見ていた。
「…毒など塗ってはいやしない」
バニングは短剣?をラヴィの手に強引に押し込むと頭を落として下を向いた。
「…抜いてみても…ええ?」
「ああ――」
キン――と小さな音がすると、鈍い光が漏れた。「これは…」魔法銀ミスリルで出来た短剣だった。刀身、柄の作りも見事だったが、ぼおっと白い光を放つその短剣には魔力が込められているように見えた。刀身の真ん中に ”Selinofoto” と刻まれている。ラヴィはその言葉を頭の中で反芻して、その音が何か力を秘めたルーンなのだと直感的に感じた。

「”Selinofoto”…古代語の月光を意味する言葉です。なかなかいいものですね、これは」
トムが眼鏡をずり上げた。
「こんなものもらっちゃ――」
「お前が持ってくれ」バニングは低く呟くと、日輪ひのわを肩に引き寄せた。
 ラヴィとトムが短剣に眼を落としていると、「親友が愛用していたものだ」という小さな声が聞こえた。

「――――…そう…わかった…大事にするわ」
 ラヴィは短剣とバニングをしばらく交互に見ながら、静かに腰に短剣をかけた。きっとバニングは親友を殺めた時から今までずっとこの短剣を使った事、使おうとした事はなかったんだろうな。そんな気がした。そしてこれはもう過去にとらわれまいとする、この不器用な男なりのメッセージなのだろうな。と、そう感じた。
 バニングはそれきり誰とも口を聞かず、刀を片手に薄く眼を閉じていた。

                             *

 小一時間ほどの休息を取った彼等は誰が言うともなく一路頂の神殿を目指した。

 あの神殿に秘宝があるのか、または魔王が巣くっているのか、どちらにせよこのバルティモナ山遠征がこれで終わるのだと言う予感が誰の胸にもあった。
 しばらくして彼等は神殿の前にたどり着いた。
トッティは嫌な胸騒ぎがしてならない。重くのしかかるような灰色の空がこの神殿にはひどく似つかわしいように思えた。彼の戦士としての勘が告げている。ここは負の力場、本来生ある者が踏み込むべき場所ではない事を。

そしてトッティと同じ事を誰もが感じていた。戦士にとっては見えざる勘とも言うべきもの、魔導師連中は場に漂う残留オーラとよべる負の気配を。

「アンデット…かもしれないな…。ここの神殿の主は」
 エイジが門を見据えて言った。彼の顔には常日頃のような余裕がなく張り詰めた雰囲気があった。「中に入ればもう少しハッキリとするが」彼の隣にいる、異形の仮面をかぶった魔導師もエイジに同調している。パーティーの中で1、2を争うだろう実力の持ち主がこうまで緊張しているとなると、他の連中達も自分の勘を疑う者はいなかった。

『なにかよくないものが、ここにいる』
それはこの時、彼等の共通意識だったのだ。

 あるいは彼等はここから引き返してもよかったのかもしれない。危険を察知し回避する能力、それも冒険者にとってなくてはならない能力の一つだったから。
だが彼等はそれをしようとは思わなかった。もはや依頼者の為だけではなかった。グラウリーはかつて失った仲間との目的を果たす為、ラヴィはルゥとの約束の為、そして彼等を突き動かす最大の力、好奇心と探求心。前人未到の高層までやってきて引き返すことなどもう彼等には、いや冒険者達にはできなかったのであった。

「開門する」
 初歩的なロックのかかった扉を開門の魔法で解除するボケボケマン。各々は一斉に得物を強く握り締めるのだった。
重く錆びた音を立てて、外界の空気が吸い込まれるようにしてなだれ込んでいった――。


 その神殿は暗く、内部までもが朽ち果てていた。崩れ落ちて小山のように積み重なっている石、倒れた石柱。辺り一帯を覆っている重苦しい重圧の他は彼等の他に誰もいないようであった。
 神殿は石造りの高い天井を規則正しく並んだ幾本もの石柱で支えられており、その並んだ二本の石柱列が神殿のシンプルな動線を表している。すなわち入り口正面の部屋への、長い一本道。
「わ、わかりやすくていいな…」
マチスが少しおどけたような口ぶりで言った。だが、誰もその言葉に愛想笑いもする事ができなかった。

「俺さ、感じた事があるよ、この雰囲気」
エイジは正面の部屋に歩きながらつぶやいた。
「そう…あれは魔導学院で修行していた頃の話。外界の情報は全てシャットアウトされた聖域にいた頃だ。師匠の一人が『今外界で珍しい事が起こっている。後学の為に見ておけ』と、珍しい事を言い出したんだ」
そうつぶやくエイジの方をボケボケマンが向いた。そのマスクの表情を読み取ることができぬ眼がギラリと輝いて見えた。

「ある時地方の小さな町が何者かによって『腐り落とされた』事があった。町は、まるで洪水にでも押し流されたように人は死に絶え、草木はくず折れて、家々は半壊していた。その全てが『腐食』していた」
 無機質な石作りの床に彼等の靴音と声だけがやけに響く。

「その『腐食』の元凶を師匠達は知りその場所を突き止めた。世界が漆黒の闇に覆われて夜の世界になった時にしかそれらは動かない。昼間はどこぞの闇に紛れて決して活動しないんだ。さしずめそれは、闇という名の洪水だった。
よく見晴らしの利く崖の上から俺はそれを師匠に見せられた。漆黒の森の中を移動するより暗い塊。その暗い塊が移動していくと、その軌道上にあった木々はみな腐り落ちていった。それを見た俺は恐怖に震えていたよ。世の中にそんな恐ろしいものがあるなんて、知らなかった時代だ。もしあの黒い塊に気付かれたら、必ず死ぬ。圧倒的な絶望感があった。
――学院に帰ったあと、黒い塊がなんだったのか師匠は教えてくれた。『黒い塊』は、不死者リッチ率いるアンデット軍団だった…と」

 不死者リッチ!
その言葉は彼等冒険者にとっては衝撃的であった。
魔術、禁術を極めた導師だけが転生できるとされる、不死身の肉体を持つ超越者。
 数多くのアンデットを従え生物を腐食させる能力を持つアンデット系では最強クラスのモンスターである。冒険者達はその伝説を伝記や口伝、物語を通じて知る。が、実際にその姿を見た者は非常に数少ないとされる。リッチの多くは彼等独自の地下迷宮や、危険なダンジョンの最深部に巣食うからである。または何らかの目的や理由で彼等が地上に姿を表す事もあり、運悪く彼等と遭遇してしまった者には等しく死が訪れるのだった。

「無論俺がその時に見たリッチとここの奥にいるのが同じリッチだとは言わない。リッチにも個体差があるからな…あんまりすごいのでなければいいんだが」
 そして彼等は奥の部屋の門の前に着いた。
門を開ける役目のエイジとボケボケマンが門の前に立ち、二人を後ろから囲むように他の者が武器を構えた。

「………」
 ボケボケマンとエイジは後ろをぐるりと見回すと頷いて手を扉にかけた。
彼等の手が緑色に発光し、やがてカチリ…という音が鳴り響いた。ギマルとグラウリーは素早く門を押し開けると、中の部屋になだれ込んで行った。

 手に持ったカンテラで部屋の中をくまなく照らす!しかし奇妙な事にそれほど広い部屋では無いにも関わらず、カンテラの光は部屋の中央部分の闇に吸い込まれるようにして遮断されていたのだ。
「気をつけろ!何かが奇妙だ!」
続いてトッティやマチス、バニングといった後続が部屋に入る。彼等も一斉にカンテラを部屋の中央に向けるが、やはりカンテラの光は中央には届いていなかった。

「――どういう事なんだこれは…何かの仕掛けか…?」
「な――なんか、出てくるんじゃ…ないの!?」
トッティは部屋を見回した。
 部屋は入り口付近と同じく天井の高い石造りの部屋であった。その壁の所々がやはり崩れ落ち瓦礫の山をいくつもなしている。石柱は部屋の四方にそびえ立ち天井を支えていた。
中央部分を覆うダークゾーンには火の光が届かないがそれは球形の闇を成していて、球形の下の部分――丁度すねの高さくらいの所は僅かに光が届くのだった。

 カンテラの火に照らされて、中央部分の床が階段状になっている事がわかった。
それはトッティに何かを連想させる。

――あれはトッティがまだ小さい頃、ベルクダイン卿の即位二十年記念式典の最後の日。
 この日だけ平民にも王の玉座の間を見る事が許された。
といっても玉座に王はいなかったし、見る事ができたのも広い玉座の間の遠くからだけであった。それでも玉座の間はトッティの心にワクワクする何かを与えるのであった。
紅い絨毯が一直線に伸びる。五段の階段を登った先にプラチナで作られた王の玉座――この世界で最も正統な王の玉座があるのだった。

  ” いつか、おうさまをごえいするきしになるんだ。 "

トッティは幼い時に母の手に引かれて見た、あの光景をずっと忘れない。

「――――玉座……?」
 知らず、トッティは呟いていた。
その時、最後に部屋に入ったエイジとボケボケマンが光ゴケを触媒にする魔法の光を浮かび上がらせた。その薄蒼い光はカンテラの光では照らせなかった無限の闇を照らし出すのだった。


そこに、現われたもの――――。

















「ギャ、ギャァァアァァ――――――ッッ!!!」

 部屋に悲鳴が鳴り響いた。
誰のものかさえよくわからない、人が真の恐怖にさらされた時に出す悲鳴。
トッティの耳がキーンと鳴ったような気がした。音が聞こえているのか、そうでないのか自分でもわからなかった。
無意識に、自分でも叫び声を上げていた。

 漆黒の闇を照らす蒼い光、そこに浮かび上がったもの――それは――。



絶望の恐怖にさらされて醜く歪んだ、干からびた一人の老人のデスマスクだった。
しおりを挟む

処理中です...