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第二章 鍵の行方
一夜
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ヴェスカード: 獅子斬りと呼ばれた斧槍使い
フィオレ: かつて王立図書館で働いていた女魔法剣士
8
朱の街ベルクフリートの最も大きな広場、ダンティノ広場からトレノ通りを抜けて十字に交差するファンジミーナ通りは王都で一番の若者の流行の発信地である。
流行のデザイナー仕立ての服屋やスイーツ店が並ぶ通りの中でとりわけフィオレが気に入っているのは大盛りパフェの店『エレファントパフェ』だ。
人にはあまり言えないがスイーツは好きである。よく知り合いに見られない様に気をつけながらこっそり店に入ると、名物の大盛りパフェを堪能する。
今回フィオレの前に出てきたのは『キング桃のエレファントパフェ』だ。糖度の高い水晶球サイズのキング桃を丸ごと一個使った豪華なパフェで大ぶりにカットされた桃がパフェグラスの上にこぼれんばかりに飾られていた。
ごくりと喉を鳴らしキング桃をワンカット口に入れると芳醇な甘さと高貴な香りが口の中を包んだ。続いてパフェの内部にスプーンを進めると桃のソルベ、チーズのソース、生クリームとダイスカットされたキング桃が渾然一体となって脳を突き抜けた。
「ああ……幸せ……」
フィオレはうっとりとした顔をしながら更にスプーンを進めようとすると、何故かパフェは滑る様にテーブルの奥へと移動した。
「あれ?」
手を伸ばしてパフェを手繰り寄せようとするが、余計にパフェは奥へと行く。
「なんで、どうして奥へ行っちゃうのよ~……!」
フィオレは目の端に涙を貯めながら必至にパフェに手を伸ばした。
*
「ん…………」
パチパチという火のはぜる音に薄ら眼を覚ます。
ボーッとした頭がユラユラと揺れる炎と伝わる熱に少しずつ覚醒してくる。
「起きたか、フィオレ」
火の向こうに鎧を纏わぬ布着のみのヴェスカードが座ってこちらを見ていた。
「ヴェスカードさん……キング桃のパフェがね、食べたいのに遠くに行っちゃうんですよ……どうしてでしょうか……」
横になっていた身体をゆっくり起こしつつ眼をこすりながらフィオレが呟く。
「……??……?……うん、そ、そうか、それはまぁ……残念だったな……」
山男がひどく曖昧な顔をして言った。
どうしてこの人は私の悔しさをわかってくれないのだろう。あんな美味しいパフェが食べられないのに、食べ……?
「……!!!やだ!」
瞬間覚醒しきった女魔法剣士は上半身を起こした。よだれの出ている気がする口元を拭う。何かさっき凄く馬鹿げた事を口にしてしまった気がする。耳が赤くなるのを感じた。
「すっスミマセン!私ったら変な夢を見ていて……」
「あ、いや別に構わんよ。俺もたまに見るぞ美味いものを食べている夢は」
そう言うと山男はそっと眼を逸らした。
起き上がった時ガサリと音がしたので膝下を見ると、下半身が大量の葉に包まれているのがわかった。布団がわり……?
いや、いやいやいやいや、そうではない。それどころでなない。そんな事はどうでもいい。重要な事は、何故か上下の下着姿の、自分だった……。
「な、な……な……――」
ばつが悪そうにする山男を見て咄嗟に左手で胸を隠す。右手は地面を探った。
「濡れたままだと余計体調が悪化すると思ってな、已む無く――本当は濡れた衣服全て脱がせた方がよかったのだが、それはまあさすがにできぬと思ってな――ブッ!」
山男の鼻柱に小さな枯れ枝が飛んで当たった。
「キャ、キャアアアァァアアッッ!!」
己の髪が逆立つのがわかった。フィオレはそのへんの小石やら枯れ枝などを探っては山男に投げつけた。
「ば、馬鹿やめろ。だって仕方が無かろう、あのままではお前、体調が余計に悪くなって――いやだからそう言う意味でやったのでは、あ――詠唱するな火球の魔導は危なッ」
手に取るものがなくなり涙目で山男を睨みながら火球の詠唱を始めるフィオレ――だがその途中でクラっとすると詠唱は途絶えてしまった。
「見ろ、まだ体調が万全ではないのだ。無駄に魔力を使うな」
山男の言う通り体を巡る魔力の循環が今一つだった。消耗しているのだと感じた。
「ちょ、ちょっと待っていろ――もうそろそろ大丈夫だと思うのだが……」
山男は自身の横から黒いドレスを手繰り寄せた。フィオレのものだ。手で色々な部分を確かめると火を避けてフィオレに手渡す。
「ほぼ乾いた。もう着てもよかろう」
「……あっち向いててください」
「ム……わかった」
山男が向こうを向くと女魔法剣士は冒険者用のドレスに袖を通した。そうしながら急速に現状を思い出していた。濁流に呑まれたはずのドレスは確かに乾いていた。
*
「ここ……どこですか?」
周りを見渡すと天井の高い洞窟のようであった。穴は縦にも横にも十分な広さがあり、三十メートルほど向こうに外界が見える。外は真っ暗になっているがどこからか濁流の流れる音が聞こえた。
「あの上に流れる濁流にしばし流された後なんとか川辺に這い出してな、その近くにこの洞窟を見つけたのよ。この次元界はどうやら一日のサイクルが現実世界より早い様だ。じきに暗くなってきたし、気を失ったお前を介抱しなくてはならぬと思ってな」
「よ、よくあの濁流から装備そのままに這い上がれましたね……」
「だろ?手前味噌だが今回ばかりは俺は凄いと感じたぞ。その代わり野営用の毛布は流されてしまったし俺も相当消耗してしまったがな」
「そうだったんですね……思い出しました。さっきはその、ありがとうございました」
石巨人の一撃を避けることが出来ずにいたフィオレを守ってこの男は濁流に落ちたのだ。それを引き上げ、火を起こし毛布の代わりとなる葉を集めてフィオレを暖めた山男の体力の消耗は想像を絶するものだったに違いなかった。
「すまんな、結局は俺達はフィオレを酷使させていたようだ。疲れからか微熱を出すまでに消耗していたのにすぐ気づいてやれなんで申し訳なかった」
山男は頭を僅かに下げた。
「いえ……私も自分の体調を把握しきれてなかったのですわ。大きな依頼は初めてだったからその全てに自分が関わりたくて……そう言えばミーナ達は?」
「いや、濁流に呑まれてから会ってはおらんよ。ただスパがいるから多分無事ではいるだろうと思うがな。外は暗いし恐らくは暗がりの中初見の場所での探索はせず、奴等もどこかでキャンプを張っているのではないかと思う」
山男が外を見ながら言った。
「……ヴェスカードさんはスッパガールさんのこと、心から信頼なさっているのね」
「?ウム、そうさなあ……。彼奴も俺がギルドを抜けてからティルナノーグに入った口だから実は一緒に依頼に出た事はないがな。木樵りをやっている時によく共に仕事をしていたり、奴が経た依頼の話を聞いたり、軽くだが手合わせもした事があるからな。よく知っているのよ」
「……ヴェスカードさんとスッパガールさん、どちらが強いのですか?」
フィオレはなんだか急に意地の悪い質問をしてみたくなった。だが山男は特に気にせず、
「フム……軽くだけだからなんとも言えぬがな、もしお互いが本気でやり合えば、どちらも無事では済まないだろうとは思うよ。奴は女だがあの巨躯から繰り出される豪斧は凄まじいものがある。判断力もあると俺は見ている。だから奴のことだ、余程の大事がなければ共にいるヴァントとミーナも無事だとは思うのだが」
「いいなあ……」
二の腕を摩りながらフィオレが下を向き呟いた。
「ウン?」
「スッパガールさんは戦闘力もあるし、ヴェスカードさんや皆さんにも信頼されているし……私とは違うなあと思って……」
「……」
「私は女魔法剣士と言ってはいますけど、剣ではヴァントにも劣りますし、魔導はミーナやパジャさんにも敵わないんですもの。それに、このところ色々失敗を重ねてしまって……」
「……ミーナのことか」
山男が火に枯れ枝をくべた。フィオレは口をキュッと結ぶ。
「……あの時、どうしてすぐに動けなかったんだろうって。仲の良いミーナが目の前で半魚人に噛みつかれているのに、私は動けなかったんです……
それに、私の古文書の解読が不完全だったから皆さんを次元界に迷い込ませてしまって、更に、石巨人の一撃を避けることが出来ずにヴェスカードさんにもこんな迷惑をかけてしまって――」
カタカタと肩が震え出した――。頭に微熱を感じて少しボウッとしてしまう。
フィオレは王立図書館で勤務していた時の事を思い出していた――疎まれ、人々の輪から爪弾きにされていたフィオレはそうする人々に絶対に隙は見せまいと、弱い所を見せまいと常に、常に気を張っていた。
それはいつしかフィオレの生き方の指針の一つのようにもなってしまっていた。
我が身を王立図書館から冒険者ギルド・ティルナノーグに移してからでさえも、同じギルドの同胞に対してうまくいかぬところを見せたくない、見られたくないという気持ちがあった。もう王立図書館のあの時のように同僚に陰口を叩かれるのは嫌だった。フィオレはその時のことを思い出すと今でも、時折僅かに体が震えるのだった。
「…………フム、そろそろかな」
フィオレがそんな思いでいるのをよそに、山男が枝で火の様子を見ると座る後ろから何かを取り出した。それは枝を串と見立てて下準備された四匹の魚であった。
「え?――あ、魚……?一体どこで……」
不意を突かれて眼をパチクリさせると、山男はニヤリとした。
「いやな、携帯食も流されてしまったしどうしようかと考えていたら濁流を魚が泳いでいるのを見てな」
「で、でも釣竿なんか……」
「フッフッフ、俺くらいの斧槍使いになるとな、こうよ」
ヴェスカードは両手で斧槍を持つ仕草をし、横から掬い取るような動作をした。
「あ、ああ――」
熊が川辺でやるやつか、と口に出そうになった。
「もっと採りたかったがさすがにあの濁流では成功率は低くてな……火の周りに立てて焼こう。ホレ手伝ってくれ」
「は、はあ……」
そう言うと山男はどこか楽しそうに魚を焼き始めた。
「…………」
(私はもっと話をしたかったのに……きっとこの粗野な熊さんは私の悩みよりも自分が好きな料理をしたいのだわ……)
それきりフィオレは少しむくれたような顔をして黙ってしまって、しばし少しずつ焼ける魚を見ていた。魚の脂の焦げるいい匂いが立ち込める。思わず、グウゥと腹がなってしまった。
「腹が減ったよなあ」
聴こえないで欲しかったのに、しっかりと聴かれていた。山男はハハハと笑って魚の様子を確かめて、一本を赤面するフィオレに焼けたぞと手渡す。
「……い、いただきます……」
「おう、食べよう」
串を持ちガブリとよく焼けていそうな魚の身に齧り付くと、パリッと焼き上がった皮と脂の乗った身、そしてきちんと塩味もついていた。
「……美味しい、塩振ってあるのですね」
フィオレの言葉に山男は笑うと、腰から何か小さな瓶を取り出した。
「アルメル岩塩。コイツだけは残っていたのさ。中々いい塩だぞ。塩があれば肉や魚はとりあえず旨く食べることができるからな。まあライムでもあればもっとよさそうなものだが」
「……ヴェスカードさんはやっぱり料理お上手ですね」
「そうかな?爺さんが結構料理が得意で、一緒に作ったり教えてもらったりしてもらったからかもしれぬな」
続いて二口目、三口目と口に運ぶ。空腹の胃に栄養やエネルギーが運ばれてくる感覚。満たされるような感覚が確かにあった。一匹目を食べ終えると山男は二匹目を差し出す。身体が二匹目も求めていた。
「少しは落ち着いたか?腹が減っていると人間惨めな気持ちになったり、後ろ向きな気持ちになってしまうものさ」
フィオレよりも早く二匹食べきったヴェスカードが言った。
「……少なくともお腹は満たされました」
山男は下を向き優しく笑った。
「なあフィオレ、世の中には一人で冒険する者、数人など少人数で冒険する者も多くいる。ではなぜ俺達はギルドという大所帯でいると思う?」
「?――それは、異なる技量を持つ者同士が結託することで依頼や目的を遂行しやすくする為――でしょうか」
フィオレは少し考えて口にした。
「そうだな、正解に近いよ。前にも話したが今回俺達はお前の能力に助けられたのだ。お前がいなければこうしてオークの野望を食い止める手段すらわかりようがなかったとおもう。それは、お前にしか出来なかったことで、充分に誇っていいことだと俺は思うぞ」
フィオレは話を聞いたまま脚を抱えて座る。膝の上に顔を突っ伏して少し訝しげに上目遣いで山男を見やった。
(誉め殺し……?)
「……それとな、もう一つ。これは俺の考えだが……皆がいるのだから、別に誰かが時に失敗してもいいと思うのだ」
「……」
「依頼の中で時として失敗や上手くいかぬ事なんていくらでもあるさ。俺もよく失敗をするよ。だがな、誰かがもし失敗しても仲間がフォローするし、助けるぞ。
フィオレがもし何か上手くいかぬ時があれば、俺や皆が助ける。よしんば、最悪俺達一行が志半ばで倒れたとしても、きっとギルドの仲間が後を継いでくれる……それでいいのではないかと、それがギルドの仲間というものなのだと、俺は思うのだ」
フィオレのドレスがキュウッと握りしめられる音がした。何かを我慢するように再び口を結ぶ。
「……だから、あまり一人で悩みを抱え込むな。失敗を引きずるな。フィオレ。
このギルドの、少なくとも今の一行の中には――俺もまだ会って間もない者もいるが、お前が失敗をしたからと言って蔑むような者がいるとは俺は思わんぞ。
――とまあ、ギルドを抜けている俺が言うのも変かもしれぬがな……」
……熱い。まだ少し微熱がある。焚き火の熱も、少し熱い。魚を食べたお腹も暖かい。そして……。
フィオレは堪えきれなくて、膝に眼を突っ伏した。
「すまぬ、何だか偉そうに言ってしまった……フィオレ、お前本当に魚、足りたか?俺は正直言うと後二匹は食えそうなのだが……ちょっと追加で取りに行こうかな……」
山男が洞窟の入り口を見やる。
「――くだ――さい……」
か細いような、女魔法剣士の声。
「あ?やっぱりフィオレもいるか?よしでは――」
山男が腰を浮かしかける。
「……そうじゃ――ないです……」
この男は、やっぱり粗野で、熊男。
私の様な若い女の気持ちなんて解さないのだ――。
でも――。
「??」
「もう少し……そこに……その距離にいてください……そこに、いて欲しいです……」
膝の中で瞑った目から温かいものが流れた。
止めようとして鼻を啜るけど、止められなかった。
山男は静かに腰を戻すと、再び焚き火の火加減を見た。
フィオレは溢れるものの中で、顔のボヤッとした図書館の先輩達の声や光景も、一緒に流れていく様な気がした。
洞窟には焚き火のはぜる音と、僅かな嗚咽の声だけが静かに響いた――。
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