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第三章 ルカ平原の戦い
封印の箱
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ヴェスカード: 獅子斬りと呼ばれた斧槍使い
パジャ:老人の暗黒魔導師
セバスチャン:騎士風の甲冑剣士
モンド: 侍見習いの若者
セイラ:優男風の野伏。ミーナの恋人
4
(さすがに見張りが二匹……)
導師パジャが物陰から砦の中央に位置する巨大な天幕を伺い呟いた。その後ろには甲冑剣士セバスチャンと侍モンドの師弟が控えている。
天幕の見張りのオークは眠そうだった砦の門番と違い、爛々とした眼を光らせ直立していた。それはどこか催眠的な様子だった。
(あ……あれか、セイラの言っていた祭司のオークとやらは……)
天幕の奥から暗い臙脂色のローブを纏った巨躯のオークが姿を現した。うやうやしく頭を下げる見張りのオーク。祭司は見張りに一言二言声をかけると長いローブの裾を引き摺りながら別の建物へと消えていった。
(ぬう……確かに確かに、オークにして中々の魔力、そして禍々しいオーラを纏っている。彼奴が先導して古代神の復活を目論んでいるのでしょう)
導師が首筋の汗を拭い呟く。同じ魔導に携わる者としてその実力の片鱗を感じ取った様だった。
(祭司が出ていったとなれば天幕の中は誰もおらぬかも知れませぬな。好機かと)
甲冑剣士が後ろからパジャに囁く。
(そうですね、余り時間はかけたくない。行きましょうか)
導師の言葉に若き侍の息を呑む音がした。
彼等はそろりと物陰を出ると抜き足で天幕へと向かった。姿隠しの衣のお陰で僅かな足音などは消え去っている。
だが見えず音もしない事が敵陣の中枢に潜入する事を容易いと感じる事にはならない。彼等は心の臓の鳴る音が聴こえるのではないかという思いで見張り二匹の間を通り抜けていった。
(全くクリラは姿隠しの衣なしに潜入したと言うから大したものです。そしてこの奥の祭壇に……)
(うっ……)
天幕の中は何本もの燭台に据えられた蝋燭が怪しい光を揺らめかせており、薄暗かった。およそ人間には腐ったものでも立ち込めたかの様な香の匂いが香炉から炊かれており、その香の紫炎の中に一直線に黒い絨毯が敷かれていた。
絨毯の先は数段の階段になっており、その先に宝飾の散りばめられた祭壇があった。
祭壇の中央に小脇に抱えられるほどの大きさの古ぼけた、だが古の装飾が施され何枚もの古びた札を貼り付けられた宝箱の様なものが鎮座している。
(……あれだ)
三人の戦士達は周囲を警戒し天幕の中に誰も居らぬことを確認すると祭壇に近づいた。祭壇の周りには幾つもの台座の上に据え置かれたくすんだ黄金色の器があり、その中にはどす黒く変色したひどい臭いの血液やら人骨の様なもの、何かの肉片の様なものが捧げられている。
(これが……封印の箱……そして供物――か……)
パジャが恐る恐る箱に手を触れると指先から手を伝って禍々しい妖気が身体を巡る様な錯覚を覚えた。
(成程……確かに――これは――)
パジャは箱の前方に付いている二つの鍵穴の様な穴と、鍵穴と鍵穴の中央に付いている古い金属板に彫られた古代語を眺めた。
(フィオレが読み解いた古文書によれば、この中に豚鬼らが復活を目論む双子の古神とやらが眠っていると言う――そしてクリラが手に入れた赤の鍵と、ヴェス達が手に入れた青の鍵があれば再び封印の効力を強める事ができると言う事だった筈だ……ヴェス達は解毒剤を手に入れられたでしょうか?我等も早くこれを奪取してバレーナに戻らねば……)
(では、私が……)
パジャが箱を手に取ろうとすると、見えざる別の手が箱に手をかけた様だった。
(お歳の導師様がこの箱を抱えて動くのはお辛いでしょう。これは私が持ちます)
声の主はモンドの様だった。
(……そうですか、私は別に年寄りでもありませんが、ではモンドに任せますよ。年寄りではないですけど)
若い者がそう言ってくれるなら、と導師は箱をモンドに譲った。妖気を感じるので気の持ち様だけは気をつけて、と付け加える。
無言で頷いた風のモンドが封印の箱を手に取り、小脇に抱え込むとそれは瞬く間に姿隠しの衣の魔力によって目に見えなくなった。主人を失った祭壇だけが取り残される……。
(目的は果たした。後はセイラ達との合流地点で落ち合い、このままオーク砦を抜け出しましょう!)
甲冑剣士の言葉に、三人は後ろも振り返らずに天幕を後にした――。
*
パジャらが合流地点に身を潜めるとどうやら未だヴェスカードとセイラは戻ってきていない様だった。
(まだか……解毒剤を見つけるのに手こずっているのか……?)
(騒ぎにはなってはいませんから潜入がバレたとは思えませんが、何かしら予期せぬ事があったのでしょうか……)
(ウウム……時間が経てば封印の箱を持ち去った事も瞬く間に知れ渡ってしまうでしょう……いざとなれば最悪誰かが封印の箱だけでも持ち帰らなくてはならぬ)
甲冑剣士の言葉に導師は、
(……ヴェス、セイラ、早く、早く来てください)と呟くしかなかった。
(…………何か、己に言いましたか?)
ふと、パジャとセバスチャンの後方に身を潜めるモンドが言った。
(? いえ、私は何も――)
(私もだ)
(…………そうですか? いえ、すみません……)
そんなやり取りをしていると別の声がした。
(パジャ――パジャ――いるか?)
(ヴェス!ヴェスですか?)
姿は見えぬが山男の小さな声がした。
(ウム、すまぬ、少し時間がかかった)
導師が胸を撫で下ろす。解毒剤の事を問うと、
(ええ、ええ……大丈夫です……クリラさんの解毒剤は恐らくは間違い無いかと)
山男の近くからこれまた姿は見えぬがセイラの声がした。だがどことなく声に力が感じられぬ。
(どうした――セイラ、何かあったのか?)
甲冑剣士の問いに、(いえ、大丈夫です。時間がかかり申し訳ございません。して、封印の箱も手に入れる事ができましたか?)と力を込めて答える野伏。
箱の入手を知らされると安心した様にでは脱出しましょうと言った。
山男は口止めされていた故黙ってはいたが、セイラは十を超える毒入りの瓶と解毒剤と思われる瓶の中身を舐めてはその身と知識をもって解毒剤を探し当てたのだった。知らされたクリラの容体に当てはまる解毒剤はこれだと確信を持っていた。
だが短時間の内に少量ずつとはいえ幾種類もの毒を体内に入れたセイラはその耐性をもってしても万全の状態とは言えなくなっていた。恐らくは解毒剤と思われる薬をも飲んだが、それはつい先程のことですぐに元通りというわけにはいかぬ。だがそれをセイラは周りの者に気遣われぬ様必死に気力を振り絞っていたのだ。
(――よし、では早急に砦を抜けて封印の箱と解毒剤をバレーナに持ち帰ろう)
彼等五人は無言で頷くと、足早に砦の出口を目指したのだった。
*
その日の昼の門番を命じられたオークは眠たい眼を擦りながらカアア……と臭い息を吐きながら欠伸をした。こんな姿が族長のバルフスに見つかれば死刑ものだが、退屈な門番をさせられては仕方もないと言うもの。
どうせ大したことなどあろうはずも無いのだ。早く見張りの時間が終わって思い切り眠りたいとそのオークは考えていた。だが――。
(ん――?)
初めそれは目の錯覚かと思えた。
砦の門を出た先の平原――何も無いはずの平原に奇妙なものが見えたからだった。
眼を凝らしてみると、靴だ。人間の靴の様なものが、靴だけが動いている。何なのだ、一体――と思い注目していると、次第にそれは靴の上へ、太ももが見えた。そして更に、その上に薄青い布のはためく姿――。
門番のオークはヒュウッと、声を出す準備に息を吸い込んだ。その注目の先にはもう、フード付きの布を纏った一人の男が――小脇に古びた箱を抱えた人間の男が、砦南側の森に向かって走ってゆくのがハッキリと見えたからであった!
「に、人間だぁッ!! 人間が忍び込んだぞォォ!!」
その門番のオークは声の限りに叫び声を挙げた。
瞬く間にその声を聞いたオーク共が砦の建物の中から得物を担ぎ出し姿を現す!
「バ――バルフス様ッ!!大変です!!人間が――人間が砦に忍び込んだと――!!」
祭壇の間から別の建物の中にて瞑想を行っていた祈祷師であり族長のバルフスの大きな背中に部下の慌てた声が掛かった。
バルフスはのそりと醜い顔をもたげると、ギラリと眼を輝かせた。その表情は怒りとも、いや、どこか笑みの様な歪んだ表情だった。
「――封印の――封印の箱が盗み出されておりますッ!」
次いで第二の報。
「……ク、クカカ……来たか、人間共……」
バルフスはその巨躯を立ち上がらせると部下共に下知を下した。
「捕らえよ――!我等が古神を奪いし憎き人間共をこのまま返すな――!!」
「――モンド!!」
砦から出て廃墟の砦の馬の所まで逃げ出そうという最中、セバスチャンが伝え人であるモンドに声をかけた。
「お前、姿が――!」
山男も走りながら声をかける。
姿隠しの布の魔力によって透明な姿となったはずの彼等であったが、モンドの姿だけが布の魔力を発揮せぬ姿を現してしまったからであった。
「う――うわあッ……!」
姿を現した自分の手足を見て悲鳴を上げるモンド。ここはまだ敵陣から近しい場所なのだ。もし奴等に捕まったら――祭壇の間で見た供物の事を瞬時に頭に思い浮かべた。
「マズイ……気付かれましたね。砦がにわかに騒がしい!」
導師パジャがそう言いながら何事かのルーンを唱える。
「糞!どうして――兎に角馬の所まで戻り、逃げるしか……!モンド!全力で走れッ!」
セイラが姿隠しの布を脱ぎ姿を現した。他の者も走りながら布を脱ぎ去る。こうなってしまってはもう、お互いの姿が見えなくなってしまうのは逆に逃走をしづらくなってしまうからであった。
(しかし――しかし――ッ!!)
だが――セイラは、皆は走りながら思ってしまう。オーク砦から南の森の廃墟の砦まではそこそこの距離がある。まだオーク砦を出てからそれ程の距離を走ってもいないのに、追手に追いつかれずに逃げ切れるのだろうか――と。
だが、走るしか、脚を動かし続けるしかないのだ。
「クッ、もう追手が現れたぞ!脚の速いオークがいる!」
ヴェスカードがオーク砦を振り返り叫ぶ。言葉通り門から十匹近くの小柄な、脚の速い武装オークが現れたのだった。その後ろには鈍重だが力の強そうなオーク共も血相を変えて得物を振り翳して山男達に追いつかんとしている。
(糞――いやだ!捕まりたく無いッ!これが――これが無ければもっと速く逃げられるのに――!)
モンドは小脇に抱えた封印の箱を手放したいと直感で思った。これのせいで全速で走れない。そのせいで他の皆も、仲間もモンドの走る速度に合わせて走っているのだ。緊急事態だ、仕方の無いことでは無いか――!
モンドは小脇に抱えた箱を手放そうとした……が、どうした事か箱が手から離れない!小脇に抱えた右手が動かせなくなっていたのだった!
「うわ……うわあッ!!」
背筋にゾッとしたものを感じながらモンドは声を上げた。
(いかん――彼奴等我々よりも脚が速い!)
焦るモンドの様子を見、脚の速い追手を見、セバスチャンは暫し思考を巡らせた。そしてズザアッとその脚を止めたのだった――。腰からスラと長剣を引き抜く。
「セバスチャン――何をしているッ!?」
山男が後方に留まった甲冑剣士を見て叫んだ。
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