月は隠れ魔女は微笑む

椿屋琴子

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神の深慮と巫女の浅慮

女神と最大の感謝

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ゾンガがネネと卵拾いをしながら過去に思いを馳せている頃、大樹の根元の家では幾つか壁に設えられた明かり採りの窓から、暖かく柔らかな光が室内を照らしている中で、女が暖炉に併設されている竈にかけられた鍋の中身を木匙でかき混ぜていた。

食べ良く切られた野菜や、森の恵みであるキノコや野草などが煮込まれたそれは、胃の腑を刺激する良い香りを放っていた。竈の上には扉が着いており、何かを焼いているのか香ばしい匂いが漏れている。

足元のふいごのようなものに片足を乗せ、かまどの中に空気を送り込んでは火力を調節しているようで、気の抜けるようなブフォンという音が聞こえてくる。


そんな香りと音に包まれながら、部屋の片隅にある寝台に男は横たわっていた。枕元には水差しやカップなどが置かれており、男の顔色は良いわけではないが、それでも枕に寄りかかりながら静かに窓から見える外の風景を眺めていた。

外には二人の少女が鶏の卵を集めながら、こちらに気がついたのであろう、手を振るのに優しい表情で小さく手を振り返す。

その男の名前はジルキニス。ゾンガ達が<ジイジ>と呼んでいた人物だった。

年の頃は50代前後か、濃いオリーブ色に少々白いものが混じった肩までの髪を後ろに括った、その顔つきはよく言えば渋みのある精悍な顔、悪く言えば目つきの悪い威圧感のある悪人顔のその男の左足の膝から先はなかった。


「あの子達が帰ってきたら食事にしましょうか。気分はいかがです?食欲の程は?」

「あ、ああ、申し訳ない。魔女殿のおかげで大分調子は戻ってきているように思えるが、まだそこまで食欲は…。」

「まあ、無理に食べる必要はないですよ。ただ、少しでも腹が減ったと感じるなら食べたほうが良い。さ、食事の前に薬を飲みましょう。」


魔女と呼ばれた食事の用意をしていた女が、男に話しかけてその脈を測りながら調子を尋ねる。ジルキニスは話しかけてきた女性に答えながら申し訳なさそうに食欲のない旨を伝えると、女はさして気にした様子もなく煎じ薬を男に差し出した。


(ああ、女神よ。貴女の導きに感謝を。)


それを疑うこともなく受け取り、甘苦く、そしてどこか辛いそれを飲み下しながらジルキニスはここに至るまでの過去に思いを馳せ始めた。


彼はゾンガ達を洞窟の奥へ先に向かわせてから、彼女が戻ってくるまでに少しでも体力を回復させようと、ゾンガが用意してくれた食事を済ませてから身体を横にして休ませていた。

齢も50になろうというこの体が、足の1本をなくしたことでこれほど弱くなるものだとは思いもしていなかった。守護騎士という役目という以上、いつ何時命を落とすことになってもおかしくはないと覚悟を決めてはいたものの、こうやって都を追われて障害を抱えて生きていくことがこれ程難しいとは思いもしなかった。

たまたま出会ったネネも、着の身着のままで都へと通じる門の外で座り込んでいたところを拾ったに過ぎない。顔に負った裂傷を布で覆い、ぼんやりと景色を眺めていた少女を、どうしても放っておくことができずに己が乗っていたロバに乗せたのだ。


聞けばまだ片手で数えられるほどの年齢、まだ親の庇護から離れては生きていけない幼子。そんなネネを勢いで連れてきてしまったのだが、ある意味それは運が良かったのかもしれない。

なんとかたどり着いた村の外れに住んでいたゾンガが、二人を家に招いてくれたのだから。

都から追われたヒトが、都の外で生き延びる確率は1割にも満たないと言われているのに、ゾンガと出会ったことでその1割の幸運を手にすることができたのだ。

村にたどり着いても助かるという保証はない。虐げられてきた憎き相手が己たちと同じところに転がり込んできたら、それはまさに飛んで火にいるなんとやら。忽ち怒りの矛先を向けられてしまう。

ゾンガの両親も騎士に連れて行かれてしまったのだから、当然何かしらの対応をするのではと思ったものの…実際の彼女はこちらの世話を甲斐甲斐しくしてくれるばかりで、逆に申し訳なくなってくるほどだった。


そのおかげか、ずっと虚空を見つめるばかりであった少女ネネもゾンガを姉と慕うようになり、笑顔が時折みれるようになっていた。

例えゾンガ以外の村人から疎まれようとも、それは仕方のないことだと理解をしているし、世話をしてくれている彼女の方が珍しいのだと思えば腹も立たない。


「ありがとう、ゾンガ。」

そう言葉にするだけで、無口な彼女は小さく首を振って困ったように笑顔を浮かべる。

確かに常人とは異なり大きくどもりもひどく、あまり話すことが得意ではないのだろうが、それでもその人間性は偽ることなど出来ない。優しく慈愛に満ちたゾンガに彼は感謝の言葉を紡ぐしかできない。


この洞窟へ来るまでの記憶はあまりないが、あの元部下達の言った通りここへ来たのであればこの洞窟はあの、<月隠れの大森林>へ至る洞窟なのだろう。


あの元部下が本当に自分たちを逃がすつもりだから、ここへいけと言ったのだろう。

此処に行けということは、後で追手が此処に来るということだ。大森林は魔境と呼ばれる程下界とは生態系が異なる為、普通の人間が入り込めば命などあっという間に飲み込まれてしまう。


過去に幾度となく聖都が派遣した探索隊のほとんどが消息をたったと言われるのだから、いくら腕に自身があろうとも成すすべもなく殺されるのがおちだ。


正直、これは賭けに近い。上手く隠れられれば、追手は魔境に飲み込まれ、自分たちも死んだことにされ生き延びられる。

失敗すれば死ぬだけだ。


「ジ…イジ!」


そんなことを考えていればゾンガが戻ってきた。ネネがいないところを見ると安全な場所を見つけたのだろう。荷物を器用にまとめてから彼をまるでちょっとした荷物のように担ぐと、辺りの砂を適当に均して痕跡を消す。その手際に感心しつつ、ゾンガに抱えられながら洞窟の奥へと進んでいった。


「じいじ!」


洞窟の中を進んでいくと、そこにはネネがお菓子をかじりながら待っていた。ゾンガ達が見えると、笑顔で手を振っている。熱で具合が悪いはずだが、そこは子供の回復力でなんとかなっているのかもしれない。


「ネネ、いい子にしていたんだな。えらいぞ。」

「うん!ねね、いいこにしてたよ!」


ジイジに頭を撫でられて嬉しいのか、ゾンガの足にしがみついて顔を隠すネネに、ジイジとゾンガは思わず顔を見合わせて微笑んだ。


「じ…じい、ジイジ、こ、ここ、どう、どうした、らいいか。」

「ああ、どこに行くかで判断に私が必要だったんだな。いい判断だ。」

「う、う…うん。」


この道が多い場所でゾンガは、ジイジに判断を委ねようと迎えに来たのだろう。

本当に12歳とは思えないほどに頭が回るゾンガに、ジイジは無事生き延びられたらこの少女に勉学を教えようかと思い出した。


(いや、まずは生き延びることが最優先だ。後のことはまた、後で考えればいい。)


そう考えてこれからどこに進むべきかを考えたところで、ネネが不思議な事を言い出した。


「あのね、まんなかじゃないとだめなんだって。ほかはおみじゅでびしょびしょになっちゃうの。」

「ネネ?」

「もうしゅぐおみじゅがしゃがってくるんだってー。ねねとおしょろいのおねえちゃんがいってたー。」


あっちいっちゃったのー。と指を指す方向は下へと下る急勾配の坂。それを言われてゾンガが慌てたように周りを見渡す。確かに水が通っているかのように、ある程度の高さの石が削れた跡が残っている。足元も湿っており、所々には水溜りも出来ていた。


「じ、ジイジ、こ、ここ、ぬ、ぬれ、ぬれて、る。ネ…ネネのほ、ほんと、かも。」


そう言ったかと思えば、ネネの言った真ん中、周りよりも2m程高いそこにジイジを乗せると、ネネを抱え上げて同じように真ん中へと持ち上げる。ジイジがネネを受け取ると、ゾンガが腕力だけで入口に這い登り奥へと二人を促す。

すると、ほかの4つの道からだんだんと水が流れ込んできたのが見える。それは見る間に激流となり、先ほどの下へ向かっていた穴へと吸い込まれてゆく。ネネの話がなければ3人は水に流されていたかもしれない。


「お姉ちゃんが教えてくれたと言っていたね。どんな人だったかな?」

「しゅっごくやせてて、からだとおかおにへんな<え>をかいてたのー。ねね、けがしてるのかとおもったら、いれじゅみっていうんだっておしえてくれたのー。」

「刺青を全身に…?いや、まさか…な、なにか、他に言ってなかったかい?」

「おなまえきいたら、いいにゅんって。」

「そうか!そうだったのか。」


そうネネがいうのに、ジイジはただ俯き消えていったという方向を見て祈りを捧げた。


(女神ウィウィヌン、やはり貴女はここにいらっしゃったのですね。ああ、古の女神に感謝を…)


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