友人のフリ

月波結

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第26話 女の子がなんでも知ってる

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 速い、歩く速度が。
 一歩が普通の女の子の歩幅じゃない。
 彼女は怖い顔をして、僕の隣を真っ直ぐに歩いていく。
「ねぇ、速くない? 怒ってるから?」
「怒ってなんかないよ。これで晴れて理央のことを忘れてくれるなら万々歳だわ。だからわたしは次の女に藤沢くんを盗られないように、防御することにしたの」
「······そんなもの必要なくないか?」
「あるの!」
 絶対、怒ってる。
 発散されないなにかが辺りに漂っていた。
 そんなに急がなくても、彼女には誰も近づきそうになかった。

「あのさ······」
「なに?」
 素早く振り返った彼女の細い髪が円を描く。
 白い肌とのコントラストが美しい。
「今更なんだけど、友だちなんだし付き合いもそこそこ長くなってきたから名前で呼んでいいよ」
 廊下の真ん中で僕たちは見つめ合う形になった。彼女の瞳はいつも以上に情熱的だった。
「奏」
「うん」
「敬称略でいいの?」
「別に。洋も同じだし」
 そう、と彼女は少し考え込んだ。
 廊下の真ん中だ。通り過ぎる生徒たちがチラチラ見ていく。
 なんと言っても彼女は美貌の持ち主だし。皆、彼女の外側を見て、内側を知りたいと思ってる。
 僕は知ってる。彼女はとても気のいいやさしい子だ。
「聡子」
「え? えっと、聡子ちゃんでいい?」
「今更『ちゃん』はないんじゃないの? 苗字だって呼び捨てだったのに。――それに、理央は呼び捨てだった」
「あー。そうだね、仲のいい友だちだから呼び捨てだよな。じゃあ、聡子、これからもよろしく」
 ぺこっと軽く形だけ頭を下げると、元バスケ部で背の高い彼女は、学年でもトップクラスに入る背の高い僕の頭を撫でた。
 ぽん、としたようにも感じたけど、あれは撫ぜたと言えると思う。
 彼女は時として慈悲深く非常に母性的だった。

「ここ、アンダーライン引いて。わたし、キスしたなんて知らなかったなぁ」
 聡子はカフェテーブルの向かいの席で、いつもの上品さをすべて投げ打ったかのようにバーンと座っていた。
 頼んだコーヒーはまだ届いてなかった。
「······いや、普通、他人には話さないことじゃないかな?」
「他人じゃない、友だち」
「うん、友だち」
 店員がタイミングよく現れて、彼女のソフトクリームたっぷりのクリームソーダをテーブルに置いた。
 彼女はコースターの代わりにペーパーナプキンを敷いた。水がこぼれるから嫌なの、と以前言っていた。
 たしかに今日もいい感じに結露していた。
 大きな口を開けると、パクッと真っ赤なチェリーを放り込んだ。

 なんだか叱られているような気分になる。
 でも一体なにを叱られているんだろう?
 キスしたことを話してなかったから?
 理央に告白したから? それともされたから?
 でなければ······。
「ねぇ、そんなにオドオドしないでよ。別になにも怒ってないんだから。第一まだ友だちというファーストステージにいるわたしに、藤······奏になにか言う権利があると思う!?
 残念だけどまだわたしにはそんな切り札的なものはないの。どちらかと言うとアドバンテージを握ってるのはそっちでしょう?」
「なんで僕?」
 彼女は僕を睨むように見ながら、チェリーの種を口から取り出した。
 ちらりと見えた舌先は真っ赤だった。

「忘れたの? わたしは奏に片想いなんだよ、今も」
 真っ赤なのは舌先だけじゃなくなった。
 さっきまでバーンと座っていたのに、今は小さくなって細長いスプーンでソフトクリームを食べている。
 元々なにもつけなくても真っ赤な唇に、そっとクリームが触れる。
 一度、どうしても不思議に思って聞いたことがある。唇にはなにか塗ってるのって。彼女は僕を振り返って斜めの視線で「なにも」と答えた。
 僕は多分、最初に声をかけられたあの日から、聡子に対して好意的だった。
「付き合って」と言われたのはいきなりだと思って処理落ちしたけど、彼女の本質的なものに関してはどこにも嫌悪感はなかった。
 でなければこんなに一緒にいないだろう。
 竹岡を始めとするバスケグループのやつらには定期的に「付き合えよ」と他人事なのにやや高圧的に言われてたけど、それはちょっと違うと頭のどこかのチャンネルが言っていた。

 ソフトクリームは順調に口に運ばれて、次第に底が見えそうになる。と、そこで彼女は緑色のソーダ水と残ったクリームをぐちゃぐちゃにかき混ぜた。
「嫌いなの。クリームの底が凍っちゃうの。じゃりってするのよ。言っておくけどほかの男の子の前では絶対やらないから」
 ぽかんとして、事の成り行きを見ていた。
 透き通ったソーダ水は、今は濁ってメロンシェイクのようだ。
「ああもう! 奏も嫌だって言うなら、もう奏の前ではやらない」
「そんなこと言ってない」
「目が呆れてるもん」
「呆れてないよ。そういうところがあってもいいと思う。聡子は完璧主義に見えるから、安心するよ」
 ストローをグラスに刺そうとしていた聡子の手が止まった。不思議に思って声をかける。
「ヤバい、ヤバい、ヤバい。わたしはまだ友だちでいるって決めてるのに、天然のたらしがここにいる!」
 笑うところじゃないかもしれないけど声に出して笑ってしまった。
 それは僕を指しているのかもしれないけど、そんなに何人もの女の子を虜にできるなら、恋の悩みなんて生まれないだろう。

「あの子、バカね。ていうか、勇気がない。奏みたいな男を手放すなんてさ。わたしなら誰になにを言われてもしがみついて離さないよ」
 なんだかうれしかった。
 聡子は確かに口が悪いところがあるけど、それを補って余りあるものがあった。
 僕は汗をかかないコーヒーカップを手に、まだ熱いコーヒーに口を付けた。和やかな気持ちになる。
「愚痴っても泣いてもいいんだよって、言うつもりだった。でも考えが変わった。今日はなにも言わないで。わたしだって傷心みたいなの。なにも言わないで、いつもみたいにしてて」
 彼女の瞳の中にいつも見える光が、今日は曇って見えた。
 そうだ、僕は少なからず彼女を傷付けた。
 失恋の苦しみは嫌ってほど履修したばかりなのに。
 女の子はいつもなんでも知ってる。僕たちより斜め上を歩く。
 でも忘れたらいけない。彼女たちは傷つきやすく、か弱いんだってことを。
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