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月波結

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第23話 隣の芝生(肇)

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 隣の芝生はやけによく見える。昔の人は上手いことを言った。
 俺たちΩからしたらいつでもそうだけど、今は尚更、そう思う。

 オトちゃんと男前のことを考えると、俺だって、『運命の番』がいたらなぁと思わずにはいられない。元々、自分がそんなにロマンティックだなんて思ってみたこともなかったけどな。

「武井、今日はベランダで食べようって」 
「なんでもええで」

 三井ちゃんと川口さんは、男Ωの俺やオトちゃんにも他の人と変わらず良くしてくれる、貴重な友だちだ。

 男Ωは避けられる。
 そうじゃなくてもΩは、αを骨抜きにするΩフェロモンを垂れ流すと思われているのに、まして男だ。男Ωが希少なように、女αも少ない。
 だからαを誘惑するような男Ωは嫌がられるっちゅーわけだ。

 中にはオトちゃんみたいに中性的なΩに惚れてまう、αやβもおるけど。この前のオトちゃんに告白してきた女子もかわいそうやったん。
 何しろ、オトちゃんには『榊原秀一郎』という鉄のガードがおる。眉目秀麗。正に絵に描いたα。あんなんおったら、オトちゃんに惚れたかて無理やと思うやろ。

「武井ー、呼ばれてるぞ!」

 おお、と返事をして涼しいと言うより、肌寒さを感じるようになったベランダから立ち上がる。見なくてもわかる。どうせ男前が、今日の面会の時にオトちゃんに届けてほしいっちゅーもんを持ってきたんやろ。

「昼時に悪いな」
「別に構わんで」

 男前、こと榊原くんはほんの少し、照れくさそうに今日もクリアファイルを渡してきた。男前にこんな表情をさせるのはオトちゃんだけや。

「これ、もし今日⋯⋯」
「オトちゃんに渡せばええんやろ。了解。――榊原くん、オトちゃん、昨日、何か言うてた?」

 男前は首を捻った。思い当たる節はないようだ。オトちゃんは男前を心配させないよう、昨日のクリアファイルについての件は、何も話さなかったんやろう。

「なんでもない。気にせんといて。ただ、オトちゃん、寂しそうに見えたから」
「ああ。⋯⋯俺が不甲斐ないから」

 じゃあ、と言って男前は自分のクラスに戻っていった。

 確かに男前は男前やと思う。
 けど、あんまり表情筋は発達していない。
 そんな男前相手にドキドキしっぱなしのオトちゃんを少し気の毒に思う。

 にこりとも笑わない男に、そんなに惚れてしもうたんは一緒にいた年月の長さやろか?
 それともオトちゃんの前では、にっこり笑うんやろか?

 男前がにっこり笑った日には、学年中の女子が熱狂するやろう。
 それなら今のままが、オトちゃんにとってはいいに違いない。

 オトちゃんに悪いな、と思いつつ、透明な薄いプラスチックのクリアファイルをめくって、ルーズリーフの匂いを嗅ぐ。

 昨日、オトちゃんはこれに残った男前のαフェロモンに反応して、微熱を出した。
 男前のフェロモンは紅茶の匂いやって、前に聞いていた。

 匂いなんてしない。
 αの隣を通ると、ふっと柔軟剤のようないい香りがする。どんなαでも薄いαフェロモンは出している。
 このルーズリーフに残されたのは、それと同じ匂い。

 自分でも何を期待したわけでもないけど、俺にとっての特別なαがおってもええんやないか、と思う。

 オトちゃんといると、変に感傷的になる。オトちゃんと男前が羨ましく思えるからや。
 だって俺には多分、一生見つからない。『運命の番』やなんて。

 なんや、ややこしいことになってるみたいやけど、それだけふたりの気持ちが深く繋がってる証拠や。
 羨ましくないわけ、あらへん。

「榊原くん、なんだって?」

 三井ちゃんが、戻ってきた俺に期待の目を向ける。女子っちゅーのは、こういう話に鼻が利く。

「別にいつも通り。オトちゃんに、勉強の要点をまとめたルーズリーフを持っていってほしいって」
「わたしがノート、取ってるのに?」
「それとこれとは別なんだよ。榊原くんにとって、オトちゃんは特別なんだから、ルーズリーフはラブレターみたいなものなんだよ」

 普段、大人しい川口さんがゆっくり微笑んだ。

 そういう風に考えたことはなかったけど、それが正解のような気がしてくる。
 ルーズリーフのラブレター。
 配達人は俺。
 まったく、やってられんわ。

 三井ちゃんがまだ腹の虫が治まらないと見えて、ウインナーを刺したフォークを振り回す。

「大体、持ってくなら武井に頼まなくたって⋯⋯あ!」
「できることなら、そうしてるやろ」

 三井ちゃんは、ごめん、と小さく言った。素直なところが三井ちゃんの美徳や。俺は三井ちゃんに笑顔を見せた。

「オトちゃん、榊原くんに会えなくなっちゃったなんて、どうしたのかな? この間まで、登校も毎日一緒で羨ましかったのに」
「他人にはいろいろ事情があるもんや」

 川口さんはそうだね、と悲しそうな顔をした。彼女の真っ黒いストレートの髪が、風に揺れた。

 ◇

 オトちゃんの入院してるのは、俺と同じ病院や。病院あるあるで、坂道の上に建ってる。だから病院にはバスで行く。知り合いはひとりもいない。
 バスの揺れは、ほんの15分ほどのものなのに、眠気を誘う。昨日はよく寝られんかった。
 寝る前に紅茶を飲んだからかもしれへん。紅茶のカフェインは多い。

「武井くん、今日も来てくれたの? 静川くん、喜ぶわよ。だって朝からひとりでずっと、難しい数式とにらめっこしてるんだもん。入院中くらいは、ゆっくりしたらいいのにねぇ」

 ナースの高田さんは朗らかでゆったりした性格のようで、センシティブなオトちゃんとは相性が良さそうに見えた。
 高田さんは忙しそうで、足早にどこかに向かっていった。

 ノックをすると「はーい」と思ったより元気な声がする。なんや心配いらへん、と思って、三井ちゃんのノートと、男前のクリアファイルを渡す。
 オトちゃんはうれしそうにそれを受け取った。そしてまた36.8度くらいの微笑みを見せた。

「今日もお見舞いに来てくれてありがとう!  病院て、何したらいいのかわからなくて」
「確かにそうやな。特にオトちゃんの場合、どこか痛いとかあらへんしな」
「そうそう。あ、母さんがケーキ、買ってきてくれたから一緒に食べよう」と、オトちゃんは書きかけのノートを広げたまま、冷蔵庫に向かった。

「オトちゃん、三井ちゃんのノートと、榊原くんの、どうする?」

 オトちゃんは不意に足を止めて、振り向いた。そして再び冷蔵庫に向かった。

「イチゴのショートケーキと、モンブラン、どっちがいい?」
「ショートケーキもろうてもいい?」
「もちろんだよ」

 オトちゃんはケーキを箱ごと持ってくると、紙皿にそれをのせた。

「肇くん、郵便屋さん、ありがとう。みんな、変わりはない?」
「いつも通り」

 そっか、と言いながら紅茶を入れる。芳しいアールグレイの香りが、部屋中に広がる。それでもオトちゃんは顔色一つ変えずに、席に着いた。

「飲み物まで紅茶?」
「あー、なんて言うか、秀ちゃんの香りに慣れちゃって、コーヒーだと落ち着かなくて。コーヒーが良かった? 変えようか?」
「そういうんとちゃうんよ」

 オトちゃんはそっと三井ちゃんのノートを手に取ると、「ここまで進んじゃったんだ」と焦った声を上げた。オトちゃんは休みが多い。よく勉強についていけてるな、と俺でも思う。

「大丈夫だよ、教科書の内容なら、秀ちゃんがノートにまとめてくれてるし。さっきもそれ見て、勉強してたんだ」
「入院中くらい勉強しなくてもええねん」
「そういうわけにはいかないよ。秀ちゃんの婚約者なのに、恥ずかしい成績ではいられないよ」

 オトちゃんは、少し窮屈そうに笑った。
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