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第22話 日常の変わる音
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月のない夜だった。
みなが寝静まった城に、甲高い鐘の音が三回、何度も響いた。
わたしの意識はまだ夢の中に置き去りで、眠りに揺られながら、抗うように目を開く。
ユーリ様は少しも無駄のない動きで立ち上がってガウンを肩に羽織り、「ここで待っていて」と囁くと大きな歩幅で部屋を出て行った。
⋯⋯なにかがおかしい。
シイナは慌てた様子で、いつもより少し乱れたメイド服姿でドアから崩れ落ちるように入って来た。
「若奥様、敵襲です⋯⋯」
その声は震えていた。
よく見ると、手も震えている。
黒い闇の中に、溶けるように粘り気のある泥のようななにかを感じる。街中でたまに見る、あれだ。
無意識に握りしめていた手をゆっくりほぐし、シイナの少し荒れた手を、両手で包む。
練習してきたじゃない。聖女ならこういう時にどう振る舞うのか――。
「大丈夫。ユーリ様は余裕を持って部屋から出て行かれたわ。騎士様たちの甲冑の音が聞こえるわね。もうすぐ出陣できるのでしょう。
ユーリ様は無敗の将と名高いお方。わたしにはここを離れないようにと言ったわ。
殿方たちを信じて、ここに居ましょう」
「若奥様」
大きな足音を立ててやって来たパズは甲冑を着けてはいなかった。いつもの服に、厚い皮の軽い防具を着け、腰にはいつものより使い込まれた剣を提げていた。
シイナは彼の声に振り向いた。
「パズ、なにがあったの?」
「ガラテアから魔獣が城に向けて放たれたとの報告です。今、騎士団を中心に偵察隊を放ち、作戦を立てているところです。
魔獣は幸い西の砦をまだ越えてはなく、念の為に国境近くの住民を避難させるとのことです」
「ではユーリ様は?」
「ご出陣となるでしょう。伝言を預かりました。『ここではよくあることなので信じて待っていてほしい。決して城を出てはいけない』」
唇を噛む。
ユーリ様の危機にわたしはなにもすることができない。ただ待つだけの女なら、ヴィルヘルムの嫁は誰でも良かったはず。
真っ赤なグリザが炎のように熱を発し、黒髪が燃え上がるんじゃないかと思うくらい、聖力が身体から放たれようとしている。
「若奥様!」と駆けつけたシイナの腕の中にわたしは崩れ落ち、パズが「失礼します」とわたしをソファに横たえた。
「ロッテ、グリザの反応が辛いのか?」
「大丈夫、ユーリ様にはなにも伝えないで。心配をかけたくないの」
「しかしご主人様にはロッテに異変があったらすぐに連絡するよう、申し付けられているんだ。それからこれを預かった」
パズのグローブを嵌めた掌から、青い、かの人の瞳と同じ色の大きな石が現れた。
これは龍が一生に一度産み出すと言われている、ブルーサファイアだ。
渡されて握りしめると、直に掌から力を感じる。これはユーリ様の力の波動。わたしの暴走する聖力を抑えてくれる。
その石のネックレスを身に着け、夜着のままガウンを羽織り、今では踏み慣れた絨毯の上を裸足で走る。
「ユーリ様!」
騎士に指示を出していた彼はこっちを向いた。見たことのない険しい表情で、あの青い目がわたしを射抜くように見た。
「ロッテ、君は本当に⋯⋯。いいかい、一刻を争うんだ。その石は私の魂と直接繋がっている。そういう回路を開いておいた。
⋯⋯お願いだ、ここにいてくれ。初めてのことじゃないのだから心配は」
「お願いです! 予想を上回る数の魔獣がこちらに向かっているのがわかるんです! グリザがわたしに見せてくれるのは、魔獣を率いる禍々しい邪龍の群れです。ユーリ様おひとりでは」
「それでも私は行く。パズ! なにをしている! ロッテを部屋に。もしもの時には⋯⋯」
「わかっております。さぁ、ロッテ、邪魔をしてはいけない。ご主人様の仰る通り、ここではこんなことは何度もあるんだ」
「ユーリ様! 今夜は――今夜は違うんです! お願いです。わたしも行かせてください。誰かわたしを馬に乗せてちょうだい!!」
わたしの願いも虚しく、力強いパズの腕で部屋まで引き戻されてしまう。
叫び声は廊下を突き抜けて、虚空に吸い込まれるように消えて行く。
ユーリ様のマントを目で探す。あの、ブルーのマント。裾にずっと刺繍を施した。ひと目ひと目、僅かな聖力を込めて。
お願いします。少しでもわたしの力が彼を守りますように――。
みなが寝静まった城に、甲高い鐘の音が三回、何度も響いた。
わたしの意識はまだ夢の中に置き去りで、眠りに揺られながら、抗うように目を開く。
ユーリ様は少しも無駄のない動きで立ち上がってガウンを肩に羽織り、「ここで待っていて」と囁くと大きな歩幅で部屋を出て行った。
⋯⋯なにかがおかしい。
シイナは慌てた様子で、いつもより少し乱れたメイド服姿でドアから崩れ落ちるように入って来た。
「若奥様、敵襲です⋯⋯」
その声は震えていた。
よく見ると、手も震えている。
黒い闇の中に、溶けるように粘り気のある泥のようななにかを感じる。街中でたまに見る、あれだ。
無意識に握りしめていた手をゆっくりほぐし、シイナの少し荒れた手を、両手で包む。
練習してきたじゃない。聖女ならこういう時にどう振る舞うのか――。
「大丈夫。ユーリ様は余裕を持って部屋から出て行かれたわ。騎士様たちの甲冑の音が聞こえるわね。もうすぐ出陣できるのでしょう。
ユーリ様は無敗の将と名高いお方。わたしにはここを離れないようにと言ったわ。
殿方たちを信じて、ここに居ましょう」
「若奥様」
大きな足音を立ててやって来たパズは甲冑を着けてはいなかった。いつもの服に、厚い皮の軽い防具を着け、腰にはいつものより使い込まれた剣を提げていた。
シイナは彼の声に振り向いた。
「パズ、なにがあったの?」
「ガラテアから魔獣が城に向けて放たれたとの報告です。今、騎士団を中心に偵察隊を放ち、作戦を立てているところです。
魔獣は幸い西の砦をまだ越えてはなく、念の為に国境近くの住民を避難させるとのことです」
「ではユーリ様は?」
「ご出陣となるでしょう。伝言を預かりました。『ここではよくあることなので信じて待っていてほしい。決して城を出てはいけない』」
唇を噛む。
ユーリ様の危機にわたしはなにもすることができない。ただ待つだけの女なら、ヴィルヘルムの嫁は誰でも良かったはず。
真っ赤なグリザが炎のように熱を発し、黒髪が燃え上がるんじゃないかと思うくらい、聖力が身体から放たれようとしている。
「若奥様!」と駆けつけたシイナの腕の中にわたしは崩れ落ち、パズが「失礼します」とわたしをソファに横たえた。
「ロッテ、グリザの反応が辛いのか?」
「大丈夫、ユーリ様にはなにも伝えないで。心配をかけたくないの」
「しかしご主人様にはロッテに異変があったらすぐに連絡するよう、申し付けられているんだ。それからこれを預かった」
パズのグローブを嵌めた掌から、青い、かの人の瞳と同じ色の大きな石が現れた。
これは龍が一生に一度産み出すと言われている、ブルーサファイアだ。
渡されて握りしめると、直に掌から力を感じる。これはユーリ様の力の波動。わたしの暴走する聖力を抑えてくれる。
その石のネックレスを身に着け、夜着のままガウンを羽織り、今では踏み慣れた絨毯の上を裸足で走る。
「ユーリ様!」
騎士に指示を出していた彼はこっちを向いた。見たことのない険しい表情で、あの青い目がわたしを射抜くように見た。
「ロッテ、君は本当に⋯⋯。いいかい、一刻を争うんだ。その石は私の魂と直接繋がっている。そういう回路を開いておいた。
⋯⋯お願いだ、ここにいてくれ。初めてのことじゃないのだから心配は」
「お願いです! 予想を上回る数の魔獣がこちらに向かっているのがわかるんです! グリザがわたしに見せてくれるのは、魔獣を率いる禍々しい邪龍の群れです。ユーリ様おひとりでは」
「それでも私は行く。パズ! なにをしている! ロッテを部屋に。もしもの時には⋯⋯」
「わかっております。さぁ、ロッテ、邪魔をしてはいけない。ご主人様の仰る通り、ここではこんなことは何度もあるんだ」
「ユーリ様! 今夜は――今夜は違うんです! お願いです。わたしも行かせてください。誰かわたしを馬に乗せてちょうだい!!」
わたしの願いも虚しく、力強いパズの腕で部屋まで引き戻されてしまう。
叫び声は廊下を突き抜けて、虚空に吸い込まれるように消えて行く。
ユーリ様のマントを目で探す。あの、ブルーのマント。裾にずっと刺繍を施した。ひと目ひと目、僅かな聖力を込めて。
お願いします。少しでもわたしの力が彼を守りますように――。
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