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【第一部:王位継承者】第三章
意外な客
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開始の鐘が鳴り、舞台はいつものように進んだ。演目も後半に入り、舞台裏では出番を控える者たちが緊張した面持ちで体を動かしている。
ナイシェは舞台の裾で火の踊りを見ていた。それは踊りというより手品だった。口から火を吐いたり、松明をくるくると回したり。技が決まるたびに、観客から大きな歓声と拍手がわき起こる。しかし、それらはナイシェの目にはただ映るだけだった。彼女の頭の中は、月の精の踊りでいっぱいだ。六分間の短い時間に凝縮された緻密な踊りが、脳裏を駆け巡る。知らないうちに、ナイシェはぶつぶつと何か呟きながら小さく足先を動かしていた。
「ナイシェ」
耳元でリューイの声がして、ナイシェは我に返った。
「大丈夫? そろそろ準備して。天井へはそこの階段でいけるから」
『天井』。そう、自分は月の精なのだ。あそこから跳び降りなければならない。
ナイシェは息を呑んだ。鼓動が聞こえる。
深呼吸二回。
……大丈夫、きっとできる。
ぽん、とリューイが肩を叩いた。
「このあたしが保証したげる。あんた、踊れるわ。びびんなくてもいいの。あんたの思うように踊っといで。役を、自分のもんにするのよ」
「……はい」
ナイシェはゆっくりとうなずくと、階段に向かった。途端に、足と手につけた大きな鈴ががらんと鳴る。
「……っと」
ナイシェは全身に神経を集中させた。そして、階段を駆けあがる。鈴はしゃらんしゃらんと心地よい音色を響かせながら揺れていた。
見えなくなるナイシェを見つめながら、リューイは苦笑した。
「これは、あたしもうかうかしてられないね……」
ナイシェは天井で待機していた。あと一分ほどで暗転だ。うまくタイミングを合わせて跳ばないと、照明とずれてなんとも無様になってしまう。ナイシェは舞台に神経を集中した。前の演技が終わり、ふっと舞台が暗くなる。
ナイシェは数えた。
一、二、三、ジャンプ!
彼女は三メートルを越える高さにある天井の足場から、ふわりと舞い降りた。光が、その姿を映しだす。出だしは上々だ。そしてナイシェは第一の難関、着地へと入った。足の先まで神経を張り巡らし、足首だけは柔らかくする。そして、月の精になる――。
とんっ。
軽やかな、小さな足音。
観客は息を呑んだ。
手足につけられた、微動だにしない、鈴。
流れるような曲に合わせて、少女はくるくると踊り始めた。ナイシェは体いっぱいに喜びを表した。
満月の夜、初めて地に足を触れた、この喜び!
しゃらん、しゃらん。人々を夢の中へといざなうような鈴の音は、誰をも魅了した。
舞台に初めて上がれた喜びが、初めて地上に降りることを許された月の精の喜びと重なる。人々は瞬きするのも忘れて月の妖精の踊りに見入っていた。複雑なリズムを刻む足。滑らかに動く指先。そして揺れる鈴。
ニーニャ一座に、新しい花形が生まれた夜だった。
幕が下りたあとも、拍手は鳴り止まなかった。衣装室でその音を遠くに聞きながら、ナイシェは力が抜けたように座りこんでいた。
この拍手は、私に向けられているものなんだ……。
実感のわかない中で、それでもどこか奥のほうから少しずつ生まれてくる喜びを、ナイシェは感じていた。そのとき、入り口の幕が持ち上がり、何の予告もなしに突然リューイが息を切らして入ってきた。
「最高だったよ、ナイシェ! このあたしが惚れ惚れしちゃった」
ナイシェはあわてて立ち上がった。
「ありがとうリューイ。でも私、その……やっぱり裏方のほうがいいような気が……」
「なにいってんの!」
リューイは勢いよくナイシェの背中を叩くと、目配せしていった。
「今更遅いわよ。今日からあんたはあたしのライバルなんだから。いいね」
「え……」
リューイに認められたのはうれしかったが、ふと頭の隅をよぎったのはニーニャの顔だった。
「あ、そうそう」
リューイは思い出したようにいった。
「そこの入り口んとこでね、すっごい美形の殿方二人、見かけたわよ。あんたのこと知ってるみたいだったけど」
ナイシェはぽかんと口を開けると、反射的に駆け出した。
「ナイシェ、どこ行くの」
ナイシェは満面の笑みでリューイに礼をいうと、急いで幕屋の入り口へ向かった。
エルシャとフェランは、帰る人々の流れに押されながら出入り口に立っていた。
「しかし……ここで待っていて、出てくるのでしょうか」
フェランが呟く。
「やっぱり専用の出口とかあるのか? こういう場所には来たことがないから、どうもわからん」
そのとき、踊り子の衣装のままで、長い髪の少女が手を振りながら駆けてきた。
「エルシャさん! フェランさん!」
ナイシェは息を切らしながら走り寄った。
「い……いらしてたんですね」
息切れのせいか、恥ずかしさのせいか、顔が紅潮している。
「ああ。裏方どころか、主役だったじゃないか。とてもすばらしかったよ」
エルシャの賛辞にナイシェは首を振りながらうつむいた。
「あの、代役だったんです、私」
「代役? もったいないですね」
フェランが驚いたようにいう。そのとき、天幕の中からナイシェを呼ぶ声がした。
「ナイシェ! ニーニャが呼んでるよ」
ナイシェははぁいと返事をすると、二人に頭を下げていった。
「来ていただいてありがとうございました。お礼をしないと……」
「月の踊りが、最高のお礼だよ」
ナイシェの言葉を遮って、エルシャが微笑んだ。ナイシェはうれし恥ずかしそうに笑うと、「じゃあ、さようなら!」と、幕屋の中へ消えていった。声をかけてくれた少女が、通り過ぎざまにナイシェの肩を軽く叩いた。
「よかったよ、あんたの踊り。きっとニーニャも誉めてくれるよ」
「うん!」
ナイシェは喜び勇んでニーニャの元へと向かった。
ナイシェは舞台の裾で火の踊りを見ていた。それは踊りというより手品だった。口から火を吐いたり、松明をくるくると回したり。技が決まるたびに、観客から大きな歓声と拍手がわき起こる。しかし、それらはナイシェの目にはただ映るだけだった。彼女の頭の中は、月の精の踊りでいっぱいだ。六分間の短い時間に凝縮された緻密な踊りが、脳裏を駆け巡る。知らないうちに、ナイシェはぶつぶつと何か呟きながら小さく足先を動かしていた。
「ナイシェ」
耳元でリューイの声がして、ナイシェは我に返った。
「大丈夫? そろそろ準備して。天井へはそこの階段でいけるから」
『天井』。そう、自分は月の精なのだ。あそこから跳び降りなければならない。
ナイシェは息を呑んだ。鼓動が聞こえる。
深呼吸二回。
……大丈夫、きっとできる。
ぽん、とリューイが肩を叩いた。
「このあたしが保証したげる。あんた、踊れるわ。びびんなくてもいいの。あんたの思うように踊っといで。役を、自分のもんにするのよ」
「……はい」
ナイシェはゆっくりとうなずくと、階段に向かった。途端に、足と手につけた大きな鈴ががらんと鳴る。
「……っと」
ナイシェは全身に神経を集中させた。そして、階段を駆けあがる。鈴はしゃらんしゃらんと心地よい音色を響かせながら揺れていた。
見えなくなるナイシェを見つめながら、リューイは苦笑した。
「これは、あたしもうかうかしてられないね……」
ナイシェは天井で待機していた。あと一分ほどで暗転だ。うまくタイミングを合わせて跳ばないと、照明とずれてなんとも無様になってしまう。ナイシェは舞台に神経を集中した。前の演技が終わり、ふっと舞台が暗くなる。
ナイシェは数えた。
一、二、三、ジャンプ!
彼女は三メートルを越える高さにある天井の足場から、ふわりと舞い降りた。光が、その姿を映しだす。出だしは上々だ。そしてナイシェは第一の難関、着地へと入った。足の先まで神経を張り巡らし、足首だけは柔らかくする。そして、月の精になる――。
とんっ。
軽やかな、小さな足音。
観客は息を呑んだ。
手足につけられた、微動だにしない、鈴。
流れるような曲に合わせて、少女はくるくると踊り始めた。ナイシェは体いっぱいに喜びを表した。
満月の夜、初めて地に足を触れた、この喜び!
しゃらん、しゃらん。人々を夢の中へといざなうような鈴の音は、誰をも魅了した。
舞台に初めて上がれた喜びが、初めて地上に降りることを許された月の精の喜びと重なる。人々は瞬きするのも忘れて月の妖精の踊りに見入っていた。複雑なリズムを刻む足。滑らかに動く指先。そして揺れる鈴。
ニーニャ一座に、新しい花形が生まれた夜だった。
幕が下りたあとも、拍手は鳴り止まなかった。衣装室でその音を遠くに聞きながら、ナイシェは力が抜けたように座りこんでいた。
この拍手は、私に向けられているものなんだ……。
実感のわかない中で、それでもどこか奥のほうから少しずつ生まれてくる喜びを、ナイシェは感じていた。そのとき、入り口の幕が持ち上がり、何の予告もなしに突然リューイが息を切らして入ってきた。
「最高だったよ、ナイシェ! このあたしが惚れ惚れしちゃった」
ナイシェはあわてて立ち上がった。
「ありがとうリューイ。でも私、その……やっぱり裏方のほうがいいような気が……」
「なにいってんの!」
リューイは勢いよくナイシェの背中を叩くと、目配せしていった。
「今更遅いわよ。今日からあんたはあたしのライバルなんだから。いいね」
「え……」
リューイに認められたのはうれしかったが、ふと頭の隅をよぎったのはニーニャの顔だった。
「あ、そうそう」
リューイは思い出したようにいった。
「そこの入り口んとこでね、すっごい美形の殿方二人、見かけたわよ。あんたのこと知ってるみたいだったけど」
ナイシェはぽかんと口を開けると、反射的に駆け出した。
「ナイシェ、どこ行くの」
ナイシェは満面の笑みでリューイに礼をいうと、急いで幕屋の入り口へ向かった。
エルシャとフェランは、帰る人々の流れに押されながら出入り口に立っていた。
「しかし……ここで待っていて、出てくるのでしょうか」
フェランが呟く。
「やっぱり専用の出口とかあるのか? こういう場所には来たことがないから、どうもわからん」
そのとき、踊り子の衣装のままで、長い髪の少女が手を振りながら駆けてきた。
「エルシャさん! フェランさん!」
ナイシェは息を切らしながら走り寄った。
「い……いらしてたんですね」
息切れのせいか、恥ずかしさのせいか、顔が紅潮している。
「ああ。裏方どころか、主役だったじゃないか。とてもすばらしかったよ」
エルシャの賛辞にナイシェは首を振りながらうつむいた。
「あの、代役だったんです、私」
「代役? もったいないですね」
フェランが驚いたようにいう。そのとき、天幕の中からナイシェを呼ぶ声がした。
「ナイシェ! ニーニャが呼んでるよ」
ナイシェははぁいと返事をすると、二人に頭を下げていった。
「来ていただいてありがとうございました。お礼をしないと……」
「月の踊りが、最高のお礼だよ」
ナイシェの言葉を遮って、エルシャが微笑んだ。ナイシェはうれし恥ずかしそうに笑うと、「じゃあ、さようなら!」と、幕屋の中へ消えていった。声をかけてくれた少女が、通り過ぎざまにナイシェの肩を軽く叩いた。
「よかったよ、あんたの踊り。きっとニーニャも誉めてくれるよ」
「うん!」
ナイシェは喜び勇んでニーニャの元へと向かった。
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