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【第一部:王位継承者】第五章

ジュベール

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 アルマニア宮殿の一角を、一人の女性が歩いていた。漆黒の髪を肩まで垂らし、身にまとっている服は金銀を散りばめたシルクのドレス。彼女はひとつの部屋の前で立ち止まると、扉をノックした。

「ジュベール、入りますよ」

 中から、男性のわりには高い、よく響く声が返ってきた。

「どうぞ、母上」

 彼女は部屋に入りジュベールの身なりを見ると、満足そうにうなずいた。

「そう、いい服ね。とても似合うわ。支度はできているわね」
「はい、母上」

 ジュベールは無表情に髪を整える。母に似て真っ直ぐなその黒髪も、彼の魅力のひとつだ。

「いいですか。今日の会議での発言は、次期国王を選ぶのに大いに参考にされます。くれぐれも細心の注意を払うのよ。今のところテュリスの方が優勢らしいけど、あなたも少しずつ考慮され始めている。今日の会議を逃す手はありません。いうことはわかっているわね」
「……ええ、母上」

 彼女はうっすらと微笑みを浮かべた。

「よろしい。さあ、あと二十分で会議が始まるわ。行きますよ」

 ジュベールは彼女について自分の部屋をあとにした。

「母上」
 会議室のある紅玉宮へ向かう途中、ジュベールが口を開いた。
「エルシャ殿は、最近会議どころか会食の席にもいらっしゃいません。どうかなさったのでしょうか」

 母、サルジアは前を向いたまま淡々といった。

「神からそう神託を受けたそうよ。あなたは彼のことより自分のことを考えなさい。何も気にせず遊んでいられたのはとうに昔のこと。いとこ同士といえども、今はともに王位を狙う立場ですから私情を挟むのはおよしなさい」
「……わかりました」

 ジュベールは母のあとを歩きながらふとうつむいた。

 まだ国王陛下はご健在なのに、母上は次の王位のことばかり……。ご自分の父君なのに、健康を気遣ったりはしないのだろうか……。

「さあ、入りますよ。会議中はあなたに何かを教えることはできません。精一杯やるのよ」
「――ええ、わかっています」

 二人は会議室の扉を開けた。中央の席にアルマニア六世が座していた。王は穏やかに微笑んだ。

「どうぞお座りなさい、サルジア、ジュベール」

 二人はそれぞれの席へ腰掛けた。
 あと十五分で始まる。
 ジュベールは頭の中で王が喜ぶであろう意見を整理した。そんなことをしている自分が、嫌になった。





 翌日の朝、ジュベールは宮殿の裏庭を散歩していた。黄昏宮の庭園から続く、何もない原っぱだ。ひとりになりたいとき、ジュベールはいつもこの草原を訪れていた。

 昔はエルシャやリキュスとともにここで追いかけっこをしていた――表の庭では衛兵や母上にすぐ見つかってしまい、お叱りを受けるから。あの頃は自然と笑っていられた。それが、大人になるにつれ宮廷に渦巻く大人たちの思惑が見えてきて、それとともにエルシャたちと離れていった……。

 ジュベールは木々を掻き分けて、草原を囲む林へと足を踏み入れた。途端に「きゃっ」という高い声。そこには薄い桃色のドレスを着た美しい女性が立っていた。

「あ……っと、これは失礼、エルミーヌ嬢」

 ジュベールはびっくりして一歩後ずさった。

「いえ私の方こそ、驚かせてしまってすみません、ジュベール様。お散歩ですか」

 エルミーヌはにっこりと微笑んでジュベールに近づいてきた。

「ええ、木々に囲まれると落ち着くので」

「私も、心を休めるために参りましたの」
 彼女はそういうと、ゆっくり芝生の上に腰を下ろした。
「私ももう十七歳。母が、早くお嫁に行かないと行き遅れてしまいますよ、とうるさいんですの」

 彼女はいいながらくすくすと笑った。ジュベールは彼女の隣りに腰を下ろした。

「あなたのような女性は珍しいのでは? 普通は、母親のいうとおり好きでもない男と結婚して、夫のいいつけどおりの生活をするのでしょう。あなたは、しっかりした考えをお持ちなのですね」
「いえ……私、わがままなだけですのよ」

 彼女は恥ずかしそうに苦笑した。ジュベールの顔に自然と笑みがこぼれる。

「あなたは魅力的な方だ。あなたの心を射止めるのはいったいどんな男性なのだろう」
「ジュベール様……」

 エルミーヌが頬を紅潮させる。

「何かおかしなことをいいましたか」

「いえ、ただ……」
 エルミーヌはいいにくそうに続けた。
「ジュベール様の笑顔って、初めて拝見しましたから……。宮殿でよくお見かけするときは、あの……少し、近寄りがたい方だな、と……」

 ジュベールはふふふと笑った。

「そうですね……私も、宮殿では心を休める暇がなくて。こういう自然の中では、ありのままの自分をさらけ出せる。日ごろの鬱憤も含めてね」
 そしてみずみずしい緑の上にごろんと横になった。
「う……ん、草が柔らかくて気持ちがいい」

「まあ……ふふ、ジュベール様って、宮中での印象とだいぶ違いますのね。これを知ったら、みんなもっとジュベール様のことを好きになっちゃいますわ」

 エルミーヌが微笑む。ジュベールは目を閉じて風の音に耳を傾けていた。心地よい沈黙が流れる。ふいにエルミーヌが口を開いた。

「ジュベール様こそ……サルジア様から、縁談などは勧められませんの?」

 ジュベールは目を閉じたままいった。

「……ありませんね……。毎日忙しくて」
「そうですの……。でも、たまには仕事を休んで今のようにありのままのお姿になられたら、きっと恋のひとつやふたつしてみたいって思われるのではないでしょうか。私は、笑顔の似合う今のジュベール様の方が素敵だと思います」

 そこまでいって、エルミーヌははっとしたように口をつぐんだ。みるみる頬が紅潮する。

「あっ、あの、失礼致します」

 彼女はあわてて立ち上がると足早に去っていった。

「……?」

 ジュベールはゆっくりと起き上がった。木々のざわめきと小鳥のさえずりが、心に気持ちよかった。

 ――私は、笑顔の似合う今のジュベール様の方が素敵だと思います――

 エルミーヌの最後の一言が、ふと頭をよぎった。
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