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【第一部:王位継承者】第十二章

心当たり

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 全身汗まみれで、エルシャは飛び起きた。そしてゆっくりあたりの様子を確認し、ため息をつく。

「夢か……」

 薄いカーテンを通して朝陽が優しくエルシャの体を包む。

 ……懐かしい夢だった。だが、最後のはいったい……。

 だるそうに体を起こすと、気を取り直すように顔を洗う。一通り身支度が終わったところで、ちょうどフェランが入ってきた。

「エルシャ様、朝食をお持ちいたしました」

 侍女の姿のフェランが、二人の女性を室内へ案内する。今朝はこの四人で朝食をとることになっていた。

「昨夜は眠れたか?」

 何気ないエルシャの問いに、ナイシェが口を開いた。

「そう、エルシャにたくさん報告があるのよ。まず、私の夢の中の少年なんだけど……。彼を閉じこめている人が、どうやらこの宮殿の中にいるらしいの」

 ナイシェは、アシュレーとのことだけ伏せ、昨夜南の草原で起きた出来事を事細かに話した。エルシャは驚きつつも情報の断片を素早くつなぎ合わせた。
 少年を夢の中に閉じ込めた犯人が、宮殿にいる。
 その情報は、昨日エルシャがひとつの可能性として考えた突拍子もない推察を裏づけるものだった。

「ひょっとしたら……その人物は、フェランの記憶やナリューン語の知識を封じ込めることもできるのかもしれない」
「……つまり、宮殿にいるひとりの人物が、私の中に少年を閉じ込め、フェランの記憶を封じ込めた、ってこと?」

 驚くナイシェに、エルシャはうなずいた。

「突飛な推理だとは思うが、それなら、フェランが不自然な時期に記憶を失った理由も説明できる。まあ……人間を夢に閉じ込めるとか、記憶を封じるとか、そんな芸当ができる人間がいるとするならば、という前提だがね」
 エルシャ自身、ひとつの推論としていってみたものの、自信はないようだ。
「まだわからないが、この宮殿内に俺たちと敵対する人間がいるかもしれない、ということは覚えておいたほうがよさそうだ。宮殿ここでは、あまりうかつにサラマ・アンギュースの話をしないほうがいいだろう。それから……ナイシェのいう地下室というのも、心当たりがある」

 話しながら、エルシャは昨夜の夢を思い出していた。

 間違いない。ジュノレはあそこにいる。あの夢は、ジュノレからの信号だったんだ。

「昼、ジュノレもサルジアも宮殿にいる間に、そこを見てくる。ナイシェとディオネは休んでいてくれ」
「でも、あそこには簡単には入れないんじゃ?」
「いや。抜け道が、あるはずなんだ」

「でも……」
 ディオネが口を開いた。
「もし、万が一、そこに誰かいたら……」

 エルシャは笑っていった。

「大丈夫、ちゃんと剣は持っていくよ。それに、大人数で行っても身動きがとりにくいだろう。まずは様子を見るだけだ。すぐ、戻るから」
「うん……」
 それでもディオネは不安そうだ。だが、エルシャの意志は固く、ほかにいい案も思いつきそうにない。
「無茶だけは、しないでよ」

 そういうので精いっぱいだった。

 朝食を終え四人が部屋を出たときだった。不意に、エルシャの表情が険しくなった。その視線の先にあるのは、こちらに向かって歩いてくる二人の人間。
 四人は、無言で二人を見つめた――漆黒の長髪をきれいに束ねた青年と、その後ろを行く、同様に美しい黒髪の女性。青年の瞳は怖いほどに冷たく、女性は――その口元に、うっすらと笑みを浮かべている。
 二人はエルシャの前で立ち止まった。

「お久しぶりですね、伯母上」

 エルシャが無表情にいう。サルジアは微笑しながらそれに応えた。

「こんなに早く神託期間が終わるとは思っていませんでしたわ」
「理由は、ご存じなのでしょう?」

 彼女は口元を手で覆うようにして笑った。

「こちらも、ジュベールの予定を早めなければならなくなるかしら」
「私としては、ご遠慮いただきたいですけどね……。前にも、無理な日程でジュベール殿はお体を害されたようですし。それとも――もう、害されておいでですか?」

 彼女はそんな鋭い言葉を受け流すようににっこりと笑った。

「さあ、どうでしょう? ジュベールの、気の持ちようだと思いますけど」
 そしてちらりと、黙っているジュベールを見やった。みな一斉に息をのむ。ジュベールは表情を変えずにいった。

「私は大丈夫です、母上」

 とうとう堪えきれずに、ディオネが叫んだ。

「ちょっと! あんたね――」

 しかし、それをエルシャがそっと制した。サルジアが勝ち誇ったような顔をして笑う。

「それでは、そろそろ失礼しますわ。このあとも、予定が詰まっていますので。ねえ、ジュベール?」

 言葉に詰まる四人を一瞥してから、ジュベールはサルジアについて去っていった。





「許せない、あの女!」

 部屋に戻るなり、ディオネはこぶしを壁に叩きつけてそう叫んだ。

「自分の娘をなんだと思っているのよ! 何かの術にまでかけて!」
「姉さん、落ち着いて。そんなふうに怒ったって、何も解決しないわ」

 ナイシェがなだめる。

「じゃあどうすりゃいいのよ!」

 ナイシェは黙りこんでしまった。
 剣を砂に変えてしまうほどの術に、何で対抗するというのか。ディオネの破壊の力だけで、ジュノレを救うことができるのか。
 思案のあげく、彼女はいった。

「姉さん。私の……パテキアの力、何かの役に立つかしら……」

 驚いたように、ディオネが妹を見つめる。

「私……まだ、この力の使い方がわからないの。何のために使うのかも、どうやって使うのかも……。ジュノレを助けたのも、そう強く望んだけど意識的に力を使ったわけではないし」

「強く望む……ね」
 ディオネはうなずいた。
「そう。それが一番大事なことなのよ。強く望み、できると信じること。そして、なるべく具体的に、創りたいものを思い描くこと。集中すれば、ちょっとしたものなら創れるはずだよ。やってごらん」

 集中して、信じて、強く望む。

 ナイシェは深呼吸をすると、手を組んだ。

 そう、例えば、この部屋にお花を飾るのはどうかしら。花瓶に入った、かわいらしい花を。

 不意に、ナイシェの目の前の小さな机が、光を放ち始めた。胸が高鳴るのを感じながら、彼女は心の中で念じ続けた。光の珠はみるみるうちに大きくなり、しばらくして突然消えた。そして、代わりにそこにあったのは、薄桃色の花瓶に入った色とりどりの花。

 ナイシェは息をのんだ。

「……頭の中で、想像したとおりだわ」

 ディオネはにっこりと微笑んだ。

「そう、それでいいのよ。それで、いろんなものが創れるはず。でもね、大きなものを創るだけ体力を使うから、気をつけて。それと……あたしはいえた立場じゃないんだけど……必要なとき以外は、使わないように」

 ナイシェは強くうなずいた。

「それからね」
 ディオネは諭すようにいった。
「いい? あなたがパテキアの力を認め、それを使うということはね……ほかの人たちの軽蔑の目に、耐えるということなんだよ」

 ナイシェは笑っていった。

「大丈夫。だって、ほかの人がどう思ったとしても、私はそんなんじゃないってこと、知ってるもの」

 ディオネは愛おしそうに妹の髪を撫でた。

「本当に……あんなに小さかったナイシェが、しばらく見ないうちに、ずいぶんと強くなったんだね……。あたしがいなくても、ずっとひとりでがんばってきたんだもんね」

 ナイシェは首を横に振った。

「違うわ。姉さんがいるから、強くいられるのよ。ニーニャ一座にいたときだって、ずっと姉さんのことを思ってがんばってたの。姉さんを、頼りにしてる」

 ディオネは妹の体を優しく抱きしめた。
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