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【第一部:王位継承者】第十三章

復讐の始まり

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 窓もカーテンも閉め切った暗い自室で、エルシャはひとり、小さな椅子に座っていた。頭を垂れたまま、動かない。うつろな目で、豪華な装飾の施された絨毯をどこともなく見つめていた。

 覚悟は決めていたはずだった。テュリスにいわれ、結局は自分本位な悩みだったのだと気づいてから、自分に選べる道はひとつしかないと悟った。サルジアを野放しにし、ジュノレを操り人形のままでよしとすることなど、できるはずもない。ならば、自分がどう思われようと、サルジアを退け自力でジュノレを救うしかない。それで二人の間に決定的な溝が生まれようと、それがジュノレのためになるならば甘んじて受け入れよう――そう、覚悟を決めたはずだった。
 それでも、頭の中とは裏腹に、あれから心は深く沈んだままだ。
 エルシャはうなだれて頭を抱えた。

 彼女に意識はなかったように見えた。だが、見えているものは理解していたとしたら? 目をふさぐこともできず、逃げることもできず、目の前で母親が凄惨に殺され、手を下したのは……。

 深いため息をつく。

 結局俺は、また自分のことを考えている。俺は彼女の心ではなく、彼女の幸せを望むのだと、あんなに誓ったのに。あれは彼女のためにやったことだ――それは間違いではないはずのに。

 扉の叩かれる音で、エルシャは我に返った。

「……どうぞ」

 喉からかすれた声が出る。入ってきたのはジルバだった。

「ああ、お若い方がこんなに閉め切って……。さあ、窓を開けて新しい風を心にお迎えなさい」

 エルシャは無理をして微笑んだ。

「お気遣いは無用です」

 ジルバはほっほっと笑った。

「無理をなさるのは、お若い方のくせじゃのう」
 そういいながら、特に断りも入れずエルシャの向かいに座る。
「今回のこと……エルシャ殿には少々、負担が大きすぎたようじゃな。急を要したとはいえ、申し訳ないことをした」

「いえ……自分で、決めたことですから」

 伏し目がちに答える。

「ジュノレ殿は、自室にいらっしゃる。いろいろな術師や医師を呼んでいるが、いっこうに改善の兆しがない。やはり、サルジア殿の言葉は正しかったようじゃ」

 エルシャは顔をあげた。

「薬草のことですか? ……薬草が効くということは、あれは呪術の類ではなく、毒薬か何かなのかもしれませんね……。だとしたら、術者が死んでもその効果が解けないのは当たり前だ」
「ふむ。それも一理ある。精神を麻痺させる毒薬など、聞いたこともないがのう」

 ジルバはあごをさすりながら答えた。

「あれから三日……。まだ、ジュノレ殿にはお会いになっておらぬのかね?」

 エルシャは力なく笑った。

「ええ……まだ、自信がありません……」

 ジルバは何度かうなずくと、席を立った。部屋を出ようとして、ふと振り返る。

「エルシャ殿……そなたが会えば、ジュノレ殿の中でも、何か変わるかもしれぬぞ」

 返事を待たずに、ジルバは出ていった。

 自分が会えば、ジュノレが変わる?

 エルシャには、そうは思えなかった。今会っても、いたずらにジュノレを苦しめるだけだ。それよりも、術者や医師が手を尽くしてもジュノレの様子に改善が見られないことのほうが気になった。薬草のことだけではない。サルジアの最後の言葉が、ずっとエルシャの中で引っかかっていた。

 ――私を殺しても、もう遅い。いつか必ず、私を殺したことを後悔する――

 死に際の戯言として片づけられない何かを、エルシャは感じていた。





 嫌な夢で目が覚めた。まだ午前五時だ。エルシャはベッドの上で頭を抱えた。

 あれからよく眠れない。残る望みは、サラマ・エステの頂上にあるという薬草を手に入れることだけだ。誰も到達したことのないあの山へ、挑まなければならないのに。その体力をつけなければならないのに……。

 不意に、廊下が騒がしいのに気づいた。数人の走る足音と、小さな叫び声。エルシャは耳を澄ました。

 男の叫ぶ声が聞こえた。

「……れた!」

 悪い予感がし、エルシャは飛び起きて再び耳を澄ました。今度は、はっきりと聞こえた。それは、王族のみの居住する曙宮全体に響き渡った。

「国王陛下が――アルマニア六世陛下が崩御された!」
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