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【第三部:とらわれの舞姫】第六章

新たな旅の仲間

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 夜はきしむ音が心地よい木の扉も、昼間はその音を寂しげに店内に響かせるだけだ。中は真っ暗で、人の気配はなかった。

 ……やっぱり、まだ家にいるんだわ。

 ナイシェはしばらくあたりを見回すと、小さなため息をついて外へ出ようとした。そのとき、背後からかすかな声が聞こえた。

「……ナイシェ?」

 ナイシェは目を凝らしてもう一度周りを見、気がついた。カウンターの角のほうに、膝を抱えて丸くなっている少女がいる。

「……サリ? どうしたの、そんなところで……」

 サリは顔だけあげて動かない。

「もう行くのね」
「え……え、それでお別れをいいに来たのよ」

 ナイシェはそういいながら慎重にサリへ近づいた。そして、そっとその肩に触れる。わずかに、震えた気がした。

「サリ……? 大丈夫?」
 サリが何もいわずに再び顔をうずめる。ナイシェは隣に腰を下ろした。
「ねえ、顔をあげて。何があったの?」

 サリはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「……どこに行くの?」
「え……エルスライだけど……それから西へ回るつもり」

 サリはきゅっとナイシェの袖口をつかんだ。

「――一緒に行かせて」
「え?」

 サリは、顔をあげてもう一度いった。

「私も、一緒に行かせて。もう、ここにはいたくない」

 ナイシェは何かいいかけて、言葉を飲み込んだ――サリの左の頬と唇が、青く腫れているのを見たからだ。

「……おうちで?」

 ナイシェに問われ、サリは乱暴に頭を抱えた。

「もういやだ。我慢できないよ。どうしてあんな扱いを受けなきゃいけないの? もう戻らない。二度と、戻らないんだ……!」

 ナイシェはサリの小さな体を静かに抱いた。

「大丈夫。大丈夫よ……一緒に行きましょう、あなたが本当に望むのなら」

 サリは小さく体を震わせながら、ゆっくりとうなずいた。ナイシェはしばらくの間サリを抱いたあと、彼女の背中を軽く叩いた。

「さあサリ、いつもの元気を出して。私がいい人を紹介してあげる。きっと助けになるわ」

 そしてサリの手を引く。ナイシェが扉を開けると、サリは眩しそうにナイシェのうしろに隠れながら、ゆっくりと店の外へと足を踏みだした。

「紹介するわ。エルシャとフェラン、それに私の姉のディオネよ」

 ナイシェがそういったが、サリはナイシェの肩越しにちらりと三人を見ただけで、黙っていた。

「君がサリだね。ナイシェから話は聞いていたよ」

 エルシャが声をかけるが、サリは顔を隠すようにナイシェのうしろに隠れたままだ。

「サリが……私たちと一緒に行きたい、っていってるの。いいでしょう?」

 一瞬怪訝な表情をしたエルシャだったが、ナイシェの思いつめたような顔を見て、おおよその事情を察する。

「サリ、隠れてないで顔を見せて。妹がお世話になったお礼をいいたいの」

 ディオネの言葉に、それでもサリは戸惑っていた。ナイシェがそんなサリにそっと囁く。

「サリ、大丈夫だから。エルシャに傷を見せて」

 サリはナイシェに肩を抱かれておそるおそる前へ出た。やや鋭い目をした、幼さの残る少女。その頬と唇が、腫れている。説明などなくても、エルシャにはそれが何を表すのかすぐにわかった。

「……すぐ、治るよ」

 エルシャはそういって、ゆっくりと彼女の左の頬へ右手を伸ばした。一瞬、サリが身構える。しかし、彼の温かい手のひらが頬に触れた瞬間、サリは不思議な感覚に襲われた。エルシャの口が何かを呟くと同時に、彼の手のひらから何かが流れ込んでくる。その感覚にふと我を失い、気づいたときには彼の手は離れていた。そして、昨夜からじんじんとうずいていたあの痛みも、なくなっていた。

「あ……あなた、誰……?」

 初めて発した言葉は、それだった。エルシャが微笑む。

「普通の人間だよ。ただ、白魔術が使える神官ってだけさ」
「……ありがとう」

 エルシャをじっと見つめるサリの横顔を見て、ナイシェはほっと胸を撫でおろした。その光景は、自分が初めてエルシャと出会ったときと重なる。怪我を負い、心も折れかけていた自分を、エルシャの大きな手のひらと笑顔が、いとも簡単にすくい上げてしまったのだ。

 サリをあの絶望的な両親のもとから引き離し、エルシャやフェランの力を借りれば、自分のときのように、きっとサリにとってよりよい道が拓けるに違いない。ナイシェはそう思っていた。
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