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【第四部:神の記憶】第二章

エルミーヌとエドール~台所女たちのたわごと⑤

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 エルミーヌはバルコニーの椅子の上に座って編み物をしていた。数週間前から編み始めた黄色の小さな上着は、もう一方の袖を編めば完成というところまで来ている。彼女の膝の上には、ほかにも小さな黄色の靴下や手袋が乗っていた。すべて、これから生まれてくる新しい命のためのものだ。

「今帰ったよ、エルミーヌ」

 夫の声を聞き、エルミーヌは首だけ回して返事をした。

「おかえりなさい、あなた」

 立ち上がって迎えることはできなかった――お腹が、あまりにも大きかったから。代わりに、夫のエドールがバルコニーまで出てきてエルミーヌの頬に口づけをする。そして、彼女のお腹をやさしくさすった。

「いい子にしてたかい?」
 お腹の子供にも口づけをすると、エドールはそっとエルミーヌの体を抱き寄せた。
「君は気が早いね。それで何着目だい?」

 するとエルミーヌが楽しそうに笑う。

「あら、この子が三歳になったらダンスを習わせるといっていたのは誰?」

 エドールは笑いながら再びエルミーヌに口づけた。

「一人目は女の子がいいな」
「私はどちらでもいいわ。健康に生まれてさえくれれば」
「どちらにしても、生まれてくる子はこれ以上ないほど幸せ者だ」
「どうして?」

 エルミーヌの問いに、エドールが微笑む。

「これ以上ないほど幸せな夫婦の間に、望まれて生まれてくるんだ。この子は、これ以上ないほど果報者だよ」





「ねえ、聞いた? いよいよ下級貴族がお引越しですって」

 厨房の裏口から箱の中にたくさんの野菜を乗せて入ってきた女が、開口一番そういった。途端に、仕事をしていた女たちが口々に参加し始める。

「知ってるわよ、あの建物が来月中にも完成するんでしょ」
「そしたらいよいよ下級貴族付き従者たちも昇格ってわけね」
「一年後には、あたしはもうこんな薄汚いところで野菜なんて切ってないのかもしれないのね」
「あたし、ナティーユ子爵付きの侍女になりたいわ。うまく行けば、そのまま玉の輿も夢じゃないし」
「馬鹿だね、台所女が貴族付きの侍女になれるわけないじゃないか」

 女たちは、他愛もない会話に夢中になる。

「それにしても、国王陛下のやる気には脱帽よね」
「本当、身分制の廃止なんて到底できそうにないことをやってのけるんだから」
「でも、かえってそれが気に入らない人もいるみたいよ」
「それって、上級貴族ってこと?」
「というか、一部の王族とか、ね」

 そういうと、彼女は人差し指を唇に当てた。

「今の、絶対内緒よ。王族の耳に入ろうものなら、あたしたちクビになっちゃうんだから」
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