王子の苦悩

忍野木しか

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第一章

見えない真実

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 朝の校庭の活気。七時を知らせるチャイムが青空を震わせる。
 軽快にグラウンドを駆けるサッカー部を尻目に、吉田障子は校内に飛び込んだ。頬を伝う汗。通学路を走り続けた障子は、久しぶりの運動に肩で息をした。外と比べて静かな校舎。校庭を揺らす声は遠い。
 階段を駆け上がった障子は袖で汗を拭うと教室の扉を開けた。
「あ、おはよう、吉田くん」
 窓辺に座っていた三原千夏が長い黒髪を風に靡かせながら障子に微笑む。
「お、おはよ……」
 障子は動揺した。教室にいたのは彼女だけだった。いったん引いた汗が、再び首筋を伝う。手で顔を煽いだ障子は、おずおずと、千夏の斜め後ろの自分の席に向かった。雨上がりの花のような匂いが障子の鼻の奥をくすぐる。
「珍しいね、吉田くん」
「う、うん、ちょっとね」
「運動してたの?」
「いや、その、学校まで走ってきたら汗が出て……」
「ふーん」
 開け放たれた窓から流れ込む風。多少、落ち着きを取り戻した障子は、姫宮玲華の机を横目で見る。その視線の動きを千夏は見逃さない。ニヤリと笑った彼女は、立ち上がると障子の机に両手を置いた。
「玲華ちゃんと待ち合わせてたんでしょ?」
「えっ? ち、違うよ! な、なんであんな奴と」
「吉田くんと玲華ちゃん、最近、仲がいいって皆んな噂してるよ?」
「違うって! アイツが付き纏って来るだけだよ」
 顔を赤くした障子は必死に両手を横に振る。千夏は驚いたように口を開いた。
「へぇ、意外、やっぱりそうなんだ。吉田くんって結構モテる?」
「いや、ち、違う、そうじゃなくてさ」
「どう違うのかな?」
 千夏はニヤニヤと笑った。赤い唇から白い歯が覗く。形のいい眉の下で千夏はタレ目を細めた。その妖美な表情に見惚れながらも、何処か冷たいものを障子は背中に感じた。
「その、あの人、ちょっと変なんだ。なんか部活を作りたいとか言い出して、ほら、僕、帰宅部だからさ、誘われてるだけなんだ」
「ふーん、玲華ちゃん、たくさん居る帰宅部の中で吉田くんを選んだんだ、へー」
「いや、ほんと、違うってば! アイツにそんな変な感情はないって、占いとか本気で信じてるような奴なんだよ?」
「ほー、あたしも知らない玲華ちゃんを知っていますと? いやはや、ほー」
「もう、違うってのに……」
 楽しそうな千夏の笑い声。およそ高校に入学して初めての、まともなクラスメイトとの会話に障子の頬が緩む。それも相手は初恋の人である。障子は高まる鼓動を抑えようと深く息を吐いた。
「それで、吉田くんは、なんでこんな早くに学校来たの?」
「それは……」
 障子は下を向いて、もじもじと指を弄った。
 もう、話してしまおうか。
 顔を上げた障子は「王子」というあだ名をつけた人を見つめる。
 むろん、小学生の頃のことなど千夏は覚えていないだろう。だが、障子は聞いてみたかった。自分の人生を狂わせた「王子」というあだ名を、彼女がどう思っていたのかを。
「そのさ、実は姫宮さんと話があったんだ……」
 千夏は飛び上がった。ワクワクと肩を揺すった彼女は、障子に顔を近づける。
「やっぱり! え、え、もしかして、告白とか?」
「違う! それは絶対にありえないから! ちょっと、姫宮さんに相談したいことがあったってだけ」
「ほんと? 相談って、何の? ねぇ、恋の悩みとか?」
 徐々に近づく千夏の顔。障子の頬をくすぐる吐息。甘い匂いに目が回った障子は、グッと身を後ろに引いた。見開かれた千夏のタレ目。ドギマギと彼女の瞳を見上げた障子の背中にスッと冷たいものが走った。壁に掛かっていた時計の針が七時で止まっていたのだ。
「あ……あれ? あのさ、時間が……」
「ねぇ、恋の悩みだよね? え? あんなに可愛い玲華ちゃんを差し置いて、吉田くん、別の人に恋してるの? やっば、あたし、吉田くんの印象変わってきちゃった」
「あの……」
「玲華ちゃんって彼氏とかいないよね? あの子、少し変わってるもん、あたしもあんまり話した事ないしさ。でも、やっぱりあの子ってモテるから、だから吉田くんと玲華ちゃんの関係って、今、めっちゃ熱々なんだよ?」
「へ、へぇ」
「もしかして、三角関係とかじゃないよね? あ、それだったら玲華ちゃんに直接相談なんてしないか。え、どうなの? 吉田くんって……」
 止まらないトーク。障子は困惑した。止まった時計の針は気になるが、会話を挟める隙がない。
 白いカーテンを靡かせる風。窓の外をチラリと見た障子は、運動部の声が聞こえないことに気がつく。
「ね、ねぇ!」
 障子は立ち上がった。わっと驚いた千夏は口を丸める。だが、彼女のトークは止まらない。
「ど、どうしたの? あ、もしかして吉田くんが恋してるのって……。きゃっ、やだ、そんな、ダメだよ吉田くん。あ、そっか、だから今日こんなに早く登校したんだ?」
 うしし、と笑う千夏。障子は恐怖を忘れて顔を真っ赤に染めた。
「違う! 違うから」
「え? じゃあ、あたしのこと、嫌い?」
「いや、そうじゃなくて」
「あー、じゃあ好きなんだぁ。あたし、フリーです」
 敬礼する千夏に障子は混乱した。友達の少ない彼は、冗談やノリに上手く答えることが出来ない。
 どうでもいい事実を伝えて、一番大事な事実を揉み消そう。
 決意を固めた障子は大きく息を吸った。
 玲華と話すようになった理由。王子というあだ名。彼女が亡霊かもしれないと疑った出来事の数々……。
 千夏は腹を抱えて笑った。下敷きを取り出した障子は、恥ずかしさに火照る顔を煽った。
「玲華ちゃんってそんな子だったんだ」
「そうだよ、変でしょ? でもね、二人っきりだと本当に怖いんだよ」
「確かに暗がりだと怖いかも。そうだ、今度みんなで肝試し行こーよ」
「絶対にいやです」
「あはは、それで、何だっけ? 王子? そんなのあったねぇ」
「うん、恥ずかしいけど……」
「恥ずかしくないよ、別に。そっか、なんか懐かしいね。あたしも吉田くんの事、また王子って呼んでいい?」
「ええ? それはちょっと……。もう高校生だし」
「でも、玲華ちゃんはそう呼んでるんでしょ?」
「そうだけど、アイツが変なだけだよ。アイツさ、王子ってあだ名を最初につけた人を探すって、息巻いてるんだ。絶対おかしいって」
 チラリと障子は千夏の瞳を見た。もしも、千夏が小学生の頃の事を覚えていれば何か反応してくれるかもしれないと、障子は期待したのだ。
「あはは、玲華ちゃん、めっちゃ面白いね。誰がつけたか気になるんだ?」
「そうなんだよ、覚えてないって言うのに、アイツ全然諦めないから大変でさ。……その、三原さん、何か覚えてないかな?」
 障子は手を握り締めた。キョトンと口を半開きにした千夏は首を傾げる。
「あれ、覚えてないの? 障子くんだよ、君が王子ってあだ名を作ったの」
「……え?」
「ほら、一年生の時、一緒の班だったじゃん。障子くんが何か、王子の役がどうたらこうたらってよく騒いでてさ、それで皆んな王子って呼ぶようになったんだよ」
「そ、そうだっけ?」
「うん、昔の事だもんね、気にしなくていいよ」
 そう言って千夏はニッコリと微笑んだ。混乱しながらも障子は必死に笑顔を作る。記憶力のいい方ではない彼は、それでも千夏に王子と呼ばれた記憶だけは鮮明だという根拠のない自信を持っていたのだ。
 あれは、王子というあだ名が出来た後の記憶なのだろうか?
「障子くん、大丈夫?」
 障子の混乱を察したのだろうか、千夏は少し心配そうに首を傾げてみせる。障子は苦い笑いを続けたまま「大丈夫だよ!」と大きく頷いてみせた。
「ねぇ、あんまり背負い過ぎないでね」
 千夏の言葉が初夏の風に流れる。そんな千夏に向かって満面の笑みを浮かべた障子は、記憶を掘り起こそうと目を瞑った。何やら携帯の着信音が騒がしい。多くの声が遠くに響いては消えていく。
 ダメだ、やっぱり思い出せない。
 諦めた障子は目を開いた。およそ数秒の出来事。だが、千夏の姿は既にそこには無かった。
 夕暮れの赤い影が教室を包み込む。
 
 


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