ロマ 〜果ての魔女〜

忍野木しか

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幻想の檻

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 暖かな春の風に揺れて落ちる林檎の実。狼の群れが草原を走ると、花の蜜を運ぶ蜂が、一斉に空へと飛び上がる。
 青と赤の幻想。冬と夏の狭間。ゆっくりと目を開けた魔女ライラは、視界に映る全てに違和感を覚えた。
「幻想かな」
 影の従者が細い髭を地面に揺らす。影の言葉に、慌てて走り出す四つん這いの魔女。異様に小さな自分の体を躍動させて、巨大な狼の間をすり抜ける。柔らかな手足の毛並み。肉球に感じる草原の青葉の冷たさ。
 湖の辿り着いたライラは、陽光を反射させる青い水面を覗き込んだ。頭の上に動く尖った耳。丸い瞳。小さな鼻。柔らかな白い毛に覆われた皮膚。頬に伸びる細い髭が、水面を揺らす春風に反応する。
「幻想……」
 明らかに異様な自分の姿。ライラは呆然と青い空を見上げた。
「愛の神だ。愛の神の幻想の病だ」
「幻想だね」
 影の従者の黒い尻尾が地面に動く。ライラは影を増やそうと肉球で地面を叩いた。だが、魔法が使えない。激しい怒りと強い恐怖が、魔女の胸に湧き上がる。
「どうする」
「呑まれる」
「愛の神を殺せば」
「愛の神は殺せない」
 ライラが右手を上げると、影の従者も右手を上げる。突風が吹くと、巨大な鳥が水辺のライラを見下ろした。
「王だ」
 魔女は、影の従者の黒い顔を覗き込んだ。ライラに合わせるように、影の従者も頷く。
「愛の神の幻想に呑まれる前に」
「始まりの王と合流せねば」
 巨鳥の鉤爪がライラを襲う。間一髪、身を翻した魔女は、白い毛並みを逆立てる。地面に降り立った巨鳥に飛びかかる狼。湖に背を向けたライラは、影の従者と共に走り出した。

 世界の果ての季節の狭間。昼と夜の交わる白い空。流れる世界に佇む小屋。
 果ての魔女ロマは鍬についた泥を落とした。青いハーブの種を蒔くと、鍬を小屋に立て掛ける。訪れた冬に微笑んだ魔女はハーブを収穫した。
「王、始まりの王」
 畑を彷徨く汚れた白い猫。魔女の黒いローブを見上げた白い猫は、震える足を引き摺って、ロマの足元に蹲った。微笑む魔女の赤い唇。黒い帽子に隠れた瞳。老いた猫を抱き上げたロマは、小屋のベッドに白い体を寝かせてやる。
「何だ、それ、は」
「さてね」
 時の王の声に首を傾げる魔女。ハーブティーの香りが部屋を満たすと、窓の向こうの時間が止まった。
 マグカップから立ち昇る白い湯気。香りを味わった時の王は、死にかけの白い猫に視線を向けた。白い猫は弱々しく顔を上げる。
「愛の神が迫っております。始まりの王、力を貸しては頂けませんか?」
「愛の神、だと。始まりの王、だと。お前は、誰だ」
 訝しむ時の王。白い猫は、何もない空間を一瞥した。影の従者の毛が逆立つ。
「お前こそ、何処の誰だ?」
「私は、時、だ」
「時、だと? 王の家来じゃないか? 体はどうした?」
「王の、家来、だと。体、だと。お前は、何を、言っている」
 時の王の次元の声。困惑したようにブレる空間の広がり。白い猫は魔女の黒い帽子を見上げた。
「王よ。愛の神がもたらした幻想の病です。王の力をお貸しください」
「そうか、お前、ライラだね」
「はい。王よ、どうか力をお貸しください」
 弱々しく動く白い尾。悲しそうに微笑むロマ。
「どういう、ことだ。ライラ、とは、誰だ」
「時ごときが私を知らぬだと?」
「知らぬ。愛の神、などと。始まりの王、などと。どういう、ことだ、ロマ」
「ロマだと? 誰の話をしている?」
 白い猫は怒りと困惑に呻いた。影の従者が空間に伸びると、時の王の次元を探す。白い猫の頭を撫でたロマは、ハーブティーを啜った。
「ライラ、いいかい、よくお聞き」
「王、愛の神がここに迫っております。知や、武の神と繋がっておるやも知れません」
「ライラ」
「王よ、幻想が、幻想が近づいております。世界を、お動かしください。また、世界が奴らのものに……」
 恐怖に溺れた白い猫は狂ったように叫び回った。マグカップを落とすと、時間の止まったハーブティーが宙に浮かぶ。
「お聞き、かつての魔女。幻想は来ないよ、ここは、現実なんだ。お前はもう魔女じゃない」
「……何を言っておられるのです? 現に、こうして、私は幻想と戦い。愛の神に囚われている」
「ライラ、そうか、お前はずっと戦ってきたのか」
「王、王よ、どうしたのです?」
「偶然、やっと、ここに辿り着いたってわけかい」
「王、愛の神がすぐそこに」
「ライラ、私の力では、お前を解放することは出来ない。お前自身の力で抜けだすしか、ないのさ」
「王?」
「ライラ、魔女の影よ、よくお聞き。神との戦いはね、一三七億年と少し前に、終わってるんだ。お前が恐れるものは、何もないんだよ」
「そうか……」
 老いた白い猫の最後の怒り。辿り着いた果ての世界で上げる、終わりの叫び。
「貴様も幻想だな!」
 白い猫は最後の力を振り絞ってロマに飛び掛かった。付き従う影の従者。優しく抱きとめたロマの腕の中で、白い猫の息が止まる。
「時の王よ、すまないね」
「かまわない。では、時間を、動かすぞ」
 白い塵となっていく猫の体。果ての世界に流れていく空間。

 ライラは、はっと目を覚ました。
 何も見えない。何も聞こえない。ただ、微かに暖かな風が、体を揺するのを感じた。
 幻想かな。
 見えない影の従者の声。ライラの無数に伸びる腕の先の青葉。
 幻想……。
 幻想だね。
 愛の神だ。愛の神の幻想の病だ。
 山奥の斜面に伸びる一本の木。湧き上がる怒りと恐怖。
 王だ。始まりの王と合流せねば。
 永遠に続く世界。幻想の檻に囚われた魔女。終わらない戦いに果てはない。
 無限の暗闇で、始まりの魔女ライラは、声にならない叫び声を上げた。
 





 
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