9 / 9
頑張れ私 アンリミテッド 【番外編】
しおりを挟むイノベーションという言葉には人の心を鼓舞する力強い響きがある。
新たな価値の創造。この激しく流動を続ける現代社会においては、イノベーションなくして繁栄なし、という言葉が言い過ぎとはならないであろう。資本主義の世を生きる我々現代人は皆、その研ぎ澄まされた本能で革新を追い求め続けているのだ。
例えばこの蒸し暑い夏の午後の授業などはまさにイノベーションが必要な案件の一つだ。窓辺の席に座っている私などはもはや死の瀬戸際にあり、授業などはそっちのけで今日この時間を生き残る術を必死に探していた。
もしもカーテンを閉めてしまえば蒸し風呂地獄となった教室で、一人また一人と生徒たちが命を落としていくことになるだろう。ならばとカーテンを開け放てば多少の涼しさを感受出来る代わりに、直射日光という名の灼熱地獄が私を襲うことになる。窓を開けてカーテンを閉じれば良いではないかという凡人たちの愚かな声も聞こえてくるが、その行為はカーテンと窓の両方を開け放った場合とメリットにおいて遜色がなく、むしろ風に動くカーテンが直射日光と共に私の頬を攻撃してくるといったデメリットの方が大きいのだ。
教育のイノベーション。これこそが現代日本における最重要課題であり、夏の授業革新こそが生徒たちの学習意欲を向上させ日本の未来を明るくする光となるだろう。
別に難しい話をしているつもりはない。例えばそうだな、全教室にクーラーを完備するだとか、夏休みを6月から10月までとするだとか、もういっそのこと全てオンライン授業にしてしまうだとか方法は色々とある。だが、伝統主義とでも呼ばれるべきこの日本の傾向がそれらの改革を難しくさせているというのもまた事実なのだ。
まったく、伝統だの常識だのと、それらが社会を停滞させている諸悪の根源だという事にいいかげん気付きたまえ。世界は常に動き続けているのだ。もう日本人は子供から大人までクーラーの涼しさに慣れ親しんでしまっているのだ。スポ根などもはや過去の遺物。真夏の直射日光を浴びながら授業など受けられるはずなかろうに。
なぁ松田よ、お前に言っているのだ。現代文教師の松田克夫よ。お前はこの状況で生徒たちが授業に集中出来ていると本気で思っているのか。お前のその遠くの蝉の鳴き声より小さな声が私たちの耳に届いていると本気で思っているのか。
今の私を支えてくれているものは私の左手に掲げられた黒い下敷きのみである。こいつは時に影を生み出し、そして風も生み出してくれるという優れもので、夏の間は私の相棒とも呼べるような頼もしい存在だった。
本来ならばノートの下に挟む為に文具なのだが、このクソ暑い授業中にシャーペンを動かすなど愚の骨頂であり、夏の間はこいつがノートに挟まる事などないだろう。そもそも松田の授業はその九割がただひたすら教科書を読み続けるのみであり、ノートの余白が埋まっていくことなど殆どないのだ。春からずっと現代文の時間は教科書を読み続けているせいか、私などはもはや教科書を見ずともその内容が分かってしまっており、そんな同じ内容を毎度毎度たらたらと読み耽る松田に対して言いようのない怒りを感じてしまうほどに、この現代文の時間は私にとって苦痛そのものであった。
なぁ松田よ。お前の授業は本当につまらないのだ。頼むからイノベーションしてくれ。もっと面白いものを読ませてくれ。新しい話を聞かせてくれ。つまらない上に暑いという二重苦で私のストレスは溜まっていくばかりなのだ。
因みに言っておくが、別に私は現代文の授業が嫌いではない。むしろ好きな部類にあると言ってもよく、私は文学少女とも呼べるような愛読家だったのだ。そんな読書家の私がなぜ今の時間を苦痛に感じているのかといえば、それはやはり夏の暑さのせいであり、繰り返される同じ文章に飽きてしまったというせいある。
そもそも私はすぐに終わりを迎えてしまう短編小説があまり好きではない。広大でかつ終わりの見えない長編小説こそが私の好みであり、明るい未来を夢見て歩く長い長い旅の途上にこそ幸福を感じるのだ。
私は終わりが嫌いである。短編は寂しい。楽しいことはずっとずっと続いていって欲しいのだ。
そんな本好きの私なのだが、最近私はあることに気が付いてしまった。恐らくこれに気が付いた人はほんの一握りだろう。それ程までに微細な変化であり、それが社会に及ぼしている影響というものはごく小さなものである。
なんと小説のタイトルが長くなってきているのだ。
シンプルイズベスト。単純素朴。質素な生活の中でも勤勉を怠らない我々日本人の中には侘び寂びという名の独特の美意識が息づいている。昔から日本人は慎ましさと呼ばれるものに美徳を感じてきたのだ。
ではなぜ、決して簡潔とは言えないようなタイトルを持った小説が現代日本で流行しているのだろうか。なんと100文字をゆうに超えてしまっているようなタイトルの小説すらも存在しているのだ。シンプルなタイトルにこそ美しさが宿るというのに、いったいなぜ長いタイトルの小説が当たり前と呼ばれるような時代が訪れてしまったのだろうか。もはや文章ではないかと思えるようなタイトルの小説が本屋の店頭に並んでいたりするのだ。いったいなぜ……。何かとんでもない事態がこの日本で起こっているのではあるまいか……。日本人全体の感性を動かしてしまうような、とんでもない何かが………。
なぜ小説のタイトルは長くなったのか。
その答えは至極単純だった。長いタイトルもまたイノベーションという概念の内にあったのだ。
イノベーションが先か、需要が先か。イノベーションが需要を生むのか、需要がイノベーションを生むのか。
読んだときに響きの良い短文。かつての日本では短いタイトルにこそ需要があり、そして、それこそが日本人の好みであると誰もが信じて疑わなかった。だが、とある小説の登場によりそんな常識が覆される。なんと16文字のタイトルを持ったライトノベルが世間の注目を集め、大ヒットしてしまったのだ。つまり長いタイトルの小説に需要が生まれたのである。
16文字など今の感覚からすれば短いと思えるかもしれない。だが、その当時はそれが革新的であった。兄妹の恋愛を描いたそのライトノベルは内容もさることながら、そのタイトルもまた見た者に分かりやすい説明口調で、明らかに今までの小説とは一線を画すものだったという。いわば花より団子である。日本人は時に質素な美しいよりも派手な面白さを好むのだ。
その成功を皮切りに業界はこぞって長いタイトルの小説を出版し、そうしてやがて説明型のタイトルが世間一般の常識として受け入れられるようになったそうだ。現在ではビジネス書ですらも説明型のタイトルが主流となっており、やがては1000文字、2000文字を超えるタイトルが当たり前となる時代が訪れるのかもしれない。
いやはや、1000文字、2000文字などと、それではまるでプロローグではないか。そんな事が本当にあり得るのだろうか。いや、もしかしたらあり得るのかもしれないな。
イノベーション。常識とは革新を前に覆されていくものなのだ。
因みにだが、プロローグ、つまり序章とはその作品の前置きのような部分であり、だいたい400文字から4000文字の間が基本であると言われている。もしも小説のタイトルが1000文字を超えるようになれば、プロローグなど必要なくなるのではないかという疑問が当然生まれてくるだろう。だが、あくまでもタイトルとは小説全体を表す標題であり、作品の意図を示す前置きとはならないのだ。つまり、いくら小説のタイトルが長くなろうとも、その作品を彩るうえでプロローグはなくてはならない存在なのである。
しかしである。それほどまでに作品にとって重要なプロローグも、それがあまりにも長くなってしまえば読む側が飽きてしまう可能性があり、作品自体をぶち壊しかねない猛毒ともなり得るのだ。つまり書き手はプロローグの文字数に注意せねばならず、それが5万文字を超えてしまうようなことなど決してあってはならないのだ。
おや。「本当にそうなのか」という声が何処からか聞こえてくる。
松田の声だろうか。それとも暑過ぎて幻聴を聞いているのだろうか。
イノベーション。短いタイトルに美徳を感じていたのも今は昔。100文字をゆうに超えるようなタイトルが当たり前となっている現代において、プロローグは最大でも8000文字までが基本であるなどといった常識が果たして通用するのだろうか。確かに短いに越したことはないだろうが、別にそれが5万文字を超えてしまおうと問題ないのではなかろうか。始めは一話2000文字の三話構成でプロローグを書こうかと思っていたら、あれよあれよという間に5万文字を超えてしまっていた、などというプロローグがあってもいいのではないだろうか。
激しく流動を続ける現代社会。そんな世界に置いて行かれそうになる私たちの疲れ切った心をイノベーションという言葉が鼓舞してくれる。
長いタイトル結構。プロローグが5万文字を超えてもいいじゃないか。私たちに必要なのは革新なのだ。それこそが現代を生きる私たちの……。
「天野さん」
「……はぃ!」
突然の名指しにバッタの如く飛び跳ねた私は、こちらを見つめる松田克夫の皺のよった目尻に恐怖心を抱いた。
なんだ。なぜ私の名を呼んだのだ。なぜこちらを見つめているのだ。まさか私が授業に集中してなかった事を怒ってるのか。でも、でも、そんなの私のせいじゃない。こんな暑さで集中出来るわけがないのだ。絶対に私のせいじゃない。
「天野さん」
「……ぃ」
「二段落目から声に出して読んでみてください」
「……ぇ?」
不意打ちである。生徒の名を口に出すこと事態が非常に稀な松田克夫が、授業中に生徒に指示を出すなどまさに青天の霹靂だった。
「ほら天野さん、立ち上がって」
「……ぅ」
「さあ」
「……ぅぅ」
窓際の一番前の席で、ほんの僅かに腰を上げた私に視線を向ける生徒はいなかった。皆、夏の暑さと午後の気怠さにやられてしまっているのだ。無垢な少年のように瞳を瞬かせた松田のみがその満面の笑みを羞恥に震える私に向けている。
「さあ天野さん、読んでみてください。さあ!」
まさかこれが松田にとっての教育イノベーションなのだろうか。夏の暑さに意識を朦朧とさせる生徒を辱める行為が、こいつにとっての新たな教育スタイルなのだろうか。
「……ぁ……私……を見た……先生……脱いで……するところ……私……」
「うんうん」
「……ぅ……濡れた……上がって……二人……動いて……私……先生……」
「うんうん、ほっほっほ」
「……」
イノベーション、イノベーションと、最近の凡人たちはイノベーションそれ自体に価値が宿っているという幻想を信じてやまない。あまりにも「愚か」で「哀れ」な傾向であり、我々ホモ・サピエンスが本当に重んずるべきものは、過去から受け継がれてきた伝統と全体によって培われた常識なのだ。
伝統なくして進歩なく、常識なくしてイノベーションなし。
伝統と常識を軽んじる革新主義者などは単なる破壊者として分類されるべき野蛮人なのだ。
なぁ松田よ、お前のことだぞ。覚えておけよ、松田。
そんな憤りを胸に、私の声はいつも通り夏の風に飛ばされていった。
0
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
女の子がほとんど産まれない国に転生しました。
さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。
100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳
そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。
当面は2日に1話更新予定!
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
新作おめでとうございます。
こちらの文章(一人称)、すごく好きです。
読めば読むほどに、引き込まれていって。この方をもっともっと、知りたくなります。
いつも応援して頂き本当にありがとうございます!!
アルファポリスさんの方で恋愛小説大賞を開催されるという事で、本当でしたら今書いている長編を完結させてから書く予定だったこの「長谷川くん!頑張って」を書かせていただくことにしました。
ただ、まだ完結していない長編と並行して執筆を進めるため、投稿頻度は遅くなってしまうかもしれません…。