山賊姫と若き騎士

茗裡

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山賊姫と若き騎士

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 森を抜け、さらに細い獣道を登った先。
 その日は、朝から天気が崩れる兆しがあった。暗雲が空を覆い、湿った風が木々をざわめかせていた。

 王都から派遣された若き騎士・レオンは、剣も満足に扱いきれぬまま、「山賊討伐隊」の末席に加えられていた。

 前任の騎士たちが何者かに討たれ、山賊の勢力が拡大しているという報せを受けての急派遣だった。

 ──なんで俺が、こんな山の中で……。

 泥に足を取られながらも、レオンは小さく息を吐いた。雨が降り出しそうな空の下、急斜面を踏みしめる。

 しかしその瞬間だった。

 ズルッ──。

 足元が滑った。
 踏み外した岩が崩れ、身体が宙に浮く。

「……ッ!」

 叫ぶ暇もなく、視界がぐるりと回転した。斜面を転がり落ちる感覚と、無数の枝の打撃。
 最後に、鋭い衝撃が背中を打ち、意識が闇に沈んだ──

 #

 雨の音がした。

 ぽた、ぽた……と岩肌を伝って落ちる水音が、静かな空間に響いている。
 薄く目を開けると、濡れた天井の向こうに、仄暗い洞窟の奥がぼんやりと揺れていた。

「……目、覚めた?」

 不意に、傍らから声がした。
 顔を向けると、かすかな火の明かりの中に、一人の少女が座っていた。

 十代半ばほどだろうか。
 茶色の髪は肩で束ねられ、粗末な上着は雨に濡れ、乾ききっていない。頬に泥の跡がありながらも、その瞳は、雨の外にある空のように、まっすぐだった。

「骨、折れてるかもしれないね。……足、変なふうに曲がってた」

 そう言って、少女は脇に置いてあった小さな布包みを開き、香草を煮詰めた独特の匂いが立ち込める軟膏を取り出す。
 レオンの足元に身を寄せ、手際よく塗りつけてから、山で拾ったらしい枝で添え木を当てた。

「君は、誰……?」

 声を絞り出すように問うと、少女は一瞬だけ手を止め、そして小さく答えた。

「……山の子」

 それ以上、名も、素性も語らなかった。
 ただ、洞窟の奥でくゆる焚き火が、少女の横顔を赤く照らしていた。

 数日間、雨は止まなかった。
 レオンは、痛む足を庇いながら、洞窟の片隅に身を横たえるしかなかった。
 湿った空気が衣服に染みこみ、身体の芯まで冷えていくような感覚に、何度も眠りと覚醒を繰り返す。

 けれど、少女は毎日、変わらず現れた。
 雨水を集めた皮袋を手に、山の木の実や茸を抱え、小さな体で薪を運び、焚き火の炎を絶やさなかった。

「お腹、すいてるでしょう。あったかいの、食べないと、傷が治らないよ」

 そう言って、焦げ付き気味の土鍋で粥を煮る少女の背中を、レオンはぼんやりと見つめた。
 彼女の素性も目的も、何ひとつ知らないのに、不思議とその姿は懐かしさすら覚えるほどだった。

 ある日の夕暮れ、洞窟の入り口から雨音が遠く聞こえる中で、少女がふと口を開いた。

「ねえ。……騎士様も、山賊を討伐しに来たの?」

 投げかけられた声は、静かだった。
 けれどその一言には、どこか試すような──それでいて怯えるような、微かな色が滲んでいた。

 焚き火の火が、ぱちりと小さくはぜた。
 湿った空気に、焚きしめた草の香りがわずかに漂っていた。

 レオンは少しのあいだ、答えを探すように沈黙した。

「……ああ。俺は、王都の命で来た。山に巣くう山賊の討伐が任務だった。けど……結局、落ちてしまって、隊からもはぐれた」

 それは、嘘のない事実だった。
 けれど語るほどに、自分が何を討ちに来たのか、その確信は霧のように曖昧になっていく気がした。

 少女は、ふっと目を伏せた。
 焚き火の明かりが、その横顔の影を濃くする。

「……そう。じゃあ、きっともう、戻れないね」
「え?」
「隊はもう……いないよ。きっと全部、山に呑まれた」

 さらりと、雨の音と同じくらい自然に少女は言った。
 その言葉が何を意味しているのか、レオンはすぐには理解できなかった。

「な、なにを……?」
「たまにいるんだ。山のことも、山の者たちのことも知らずに入ってきて、帰れなくなる人。──騎士様は、その中ではまだ運が良い方だったんだと思う」

 レオンは、少女の瞳をじっと見た。
 そこには涙も怒りもない。ただ、長くこの山で生きてきた者の静けさだけがあった。

「君は……一体、何者なんだ?」

 そう問えば、少女は小さく首を横に振った。

「“山の子”って、言ったでしょ」

 それ以上、彼女は何も語らなかった。
 焚き火がまた小さく爆ぜて、ふたりの間の沈黙を埋めた。

 朝が来た。

 幾日も降り続いた雨が、ようやく止んでいた。
 湿気を孕んだ空気はまだ重く、森の葉からはしずくが静かに落ちていたが、洞窟の外には柔らかな光が差し込んでいた。

「今日は診療所まで運んであげる」

 少女はそう言って、いつものように淡々と荷物をまとめた。
 レオンは驚いたように彼女の顔を見たが、彼女は目を合わせなかった。

「君ひとりで、俺を……?」
「何度も通った道だから。問題ない」

 そう答えながら、少女は自然な動作でレオンのそばに屈み込んだ。
 肩に腕を回すように促す手つきだった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 レオンは慌てて声を上げた。
 顔が少し赤くなる。

「それは……さすがに。いい大人が君みたいな子の背に負ぶさるなんて、騎士の名折れだ……っ。ほら、それに──」

 彼はそばに立てかけてあった木の枝を取って掲げた。

「君が拾ってきてくれたこの枝、杖代わりに使えば、俺ひとりでも何とかなる!少し時間はかかるかもしれないけど……!」

 そこには、騎士としての意地と、少女への負担を気遣う気持ちがあった。
 だが少女は、枝と彼の足元を一度見て、ふっと表情を緩めた。

「そう?」

 少女は一瞬だけ立ち上がり、レオンの言葉を受け止めるように首を傾げた。
 そして、洞窟の入り口に立てかけていた木の枝──彼女が山で拾って削った即席の杖を手に取り、すっと差し出した。

「じゃあ、立ってみて」

 その声はどこまでも平坦で、けれどどこかくすぐったいような含みがあった。
 言われるまま、レオンは腹筋に力を込めて身体を起こし、少女の助けを借りて慎重に立ち上がった。

 痛みはあるが、支えればなんとか歩ける。そう思った、──その瞬間。

「うわっ……!」

 ぐらりと体が傾いだ。
 力が入りきらず、杖に体重をかけすぎてバランスを崩す。

「ほら、言った通り」

 あっさりと、少女はレオンの腕を取り、自分の肩にまわした。

「背負うよりは、これで行こっか。これなら騎士様のプライドも守れるでしょ?」

 そう言って、小さく笑ったその顔に、レオンは何も言えなくなった。
 照れ臭さと悔しさが混ざって喉元まで込み上げたが、不思議とその温かさが、心にしみた。

「君、妙に世慣れてるというか……」
「この山で生きてるからね。大人の真似事くらい、できるよ」

 ふたりは肩を並べて洞窟を出た。
 森の中は、雨に洗われたばかりで、すべてが静かに輝いていた。

 小鳥のさえずりが戻り始め、ぬかるんだ山道を慎重に下っていく。
 少女は何も言わず、ただ必要なときにそっと手を貸してくれる。
 言葉より、その背中があたたかかった。

 やがて麓の村が見えてきた。
 坂を降り、道が平坦になってからは、レオンが杖を突きながら一人で歩いた。

「この道を真っ直ぐ行って、突き当たりを左に曲がったら……診療所があるから」

 少女がぽつりと道を指し示した。

「おぉ、ありがとう。本当に、君のおかげで助かったよ!」

 そう言って、レオンは嬉しげに振り返る。
 けれどそこには、もう──

 少女の姿はなかった。

 まるで最初から幻だったかのように、森の緑だけが静かに揺れていた。

「……名前、聞きそびれたな」

 レオンはぽつりと呟き、もう一度だけ森の方を見やった。
 雨の匂いが、まだかすかに風に残っていた。

 診療所に辿り着いたレオンは、すぐに町医者の手当てを受けた。
 診断は思いのほか良好で、傷も骨折も丁寧に処置されており、安静にしていればすぐに治るだろうとのことだった。

 ──あの少女が、すべてやったのか。

 野山で育ったからといって、薬草に詳しくなければあれほど正確な処置ができるなど、尋常ではない。
 彼女はいったい何者なのか。どこでそんな術を──。

 その後、町に残っていた伝達役の兵と合流した。
 彼の話によると、レオンが所属していた討伐隊は、あの夜──全滅したという。

 生き残ったのは、レオンただひとり。
 今は本隊の倍の兵力を有する第二部隊が、すでにこの町へ向かっているという。

 レオンの心に、不安が募った。
 彼女は「山の子」だと言っていたが、近くに集落があるのかもしれない。
 であれば、次に山賊が掃討されたとき、その渦中に巻き込まれる可能性がある。

 どうにかして、彼女に伝えたい。
 逃げてくれ、とまでは言えなくても、せめて山を離れていてくれと。

 そう思ったレオンは、怪我を押して、再びあの山へ向かった。
 杖を突きながら、彼女と出会った洞窟を目指す。
 道中、とある光景にレオンは足を止めた。

 雨上がりの森は、前よりも少し明るく、どこか穏やかに見えた。
 けれど、洞窟に辿り着くと、そこには誰の気配もなかった。

「……やっぱり、約束してたわけでもないし。そうそう会えるわけないか」

 肩の力が抜ける。
 ぽつりと独り言のように呟いたときだった、 

 ガサッ

 背後の茂みが揺れた。
 レオンは驚いて振り返る。

「……騎士、様……?」

 そこに立っていたのは、あの少女だった。
 泥のついた裾を揺らし、少しだけ息を切らしている。
 けれどその瞳は、再会の喜びよりも、戸惑いの色を濃く湛えていた。

「君……」

 レオンは言葉を失い、一歩踏み出しかけた足を止めた。

 少女は、ほんの少しだけ微笑んだように見えた。
 そして、静かに首を傾げる。

「どうして、戻ってきたの?」

 その問いには、責める色も、喜びの色もなかった。
 ただまっすぐに、レオンの胸の奥を見透かすような声だった。

「きちんと、お礼を言えてなかったし……君の名前も、聞きそびれちゃったからね」

 レオンの返事に、少女は少し驚いたように目を見開いた。
 その瞳が、わずかに揺れる。

「お礼なんて、いらないよ。私が勝手にやったことなんだから」
「いいや。君がいなかったら、俺は間違いなく死んでた。君は、俺の命の恩人だ!」

 思わず食い気味に返したレオンの真剣な声に、少女はぽかんと口を開け、そして、ふっと吹き出した。

「命の恩人って……そんな大袈裟な」

 くすくすと、肩を揺らして笑う少女。
 その姿に、レオンはバツが悪そうに目をそらし、顔を赤くした。

 そしてふと、何かを思い出したように、肩にかけた鞄をごそごそと探りはじめる。

「そうだ……これ、君に渡したくてさ」

 そう言って、差し出したのは──小さな花冠だった。
 レオンはそれを、そっと少女の頭に乗せる。

「これは?」

 少女が花冠を手に取り、きょとんとしながら尋ねる。

「ここに来る途中、綺麗な花が咲いてるところがあって……そこで摘んで編んだんだ。……こんなの、お礼になるかわからないけどさ」

 レオンは頬をかきながら、照れくさそうに笑う。

「ごめん、やっぱちゃんとしたお礼、今度改めて持ってくるよ。今日はこれが精一杯だったけど……」

 少女は、しばらく黙って花冠を見つめていた。
 やがて、その頬にふわりと花のような笑みが浮かぶ。

「ううん。すごく、嬉しい。……ありがとう、騎士様」

 その笑顔に、レオンは思わず見惚れた。
 無意識に、言葉が口をついて出る。

「レオンだ」
「へ?」
「“騎士様”じゃなくてさ。……名前で呼んでくれると、嬉しい」 

 少女は目を丸くし、すぐに目を伏せた。
 一度、口を開きかけて、躊躇するように閉じる。
 そして、意を決したように、静かに口を開いた。

「……レオン」

 その控えめな声が、自分の名を呼ぶ──
 たったそれだけで、レオンの胸には、じんわりと温かいものが広がった。

「ありがとう。君の名前も、聞いていい?」
「私は……フィオナ」

 フィオナは一瞬逡巡したあと、小さく名乗った。

「フィオナ、か。いい名前だな」

 だが、その静けさの中で、レオンの表情にふと影が差した。 

「……フィオナ」 

 その声は、先ほどまでの柔らかさとは少し違っていた。
 彼女が顔を上げると、レオンは真剣な目で彼女を見つめていた。

「近々、この周辺は……戦になる可能性が高い。もし、この近くに集落があるなら、今のうちに避難してくれ。必要なら、避難誘導も手伝う」

 フィオナの瞳が、大きく揺れる。 

「……戦、が?」

 その声は、小さく、かすれていた。

「ああ。先日、先行していた討伐部隊が──全滅した。それを受けて、王都から新たな部隊が派遣された。前の倍の人数だ。今はまだ王都を出たばかりだが……数日もすれば、ここに到着する」

 静かな森に、重たい言葉が落ちた。
 フィオナは俯き、手の中の花冠をそっと握りしめる。

「わかった。皆にも伝えておくね!」

 ぱっと顔を上げて、フィオナは明るく笑った。
 その笑顔はまるで、さっきの沈黙なんてなかったかのように無邪気で──どこか、少しだけ張り詰めて見えた。

「ねぇ、レオンはもう、王都に戻っちゃうの?」
「いや。しばらくこの町で傷を癒しつつ、部隊の到着を待つようにって命じられてる」
「そっか……。じゃあ、明日も会えないかな?」

 少しだけ声を弾ませて、フィオナが聞いた。

「……別に、構わないが」

 レオンはわずかに目を細めた。
 その問いが何気ないようで、何かを隠しているようにも感じられた。

「ふふ、よかった。じゃあまた、この場所で」

 そう言って、フィオナは踵を返し、森の奥へと歩き出す。
 振り返らずに手を振るその背に、レオンはしばらく声をかけられなかった。

 それからの日々。
 次の部隊が到着するまでの間、レオンとフィオナの逢瀬は続いた。

 何気ない会話。森を歩きながらの花摘み。岩陰での魚釣り。
 特別なことは何もない、けれど確かに満ち足りた時間だった。

 そして、ついにその日が訪れた。
 伝令が告げたのは、「明日、後続の部隊がこの地に到着する」という報せ。

 ここ数日続いていた晴れ間が嘘のように、この日は朝からしとしとと雨が降っていた。

 湿った空気を胸に吸い込みながら、レオンはいつもの場所へ向かう。
 最後になるかもしれないという思いが、心の奥を静かに締めつけていた。

 そして、木々の合間にフィオナの姿が見えた。
 レオンは、ゆっくりと歩み寄り、まっすぐに彼女を見つめた。

「明日、後続の部隊がこの地に到着する。恐らく、雨が上がったらここ一帯は戦場になる。……君も、早く避難してくれ」

 雨音だけが、ふたりの間に降り続いていた。
 レオンの言葉を聞いたフィオナは、ほんの短い沈黙ののち──静かに頷いた。

「……わかった」

 その声に揺れはなかった。ただ、静かに受け止めるような響きだった。 

「じゃあ、会えるのは……今日でお終いだね」

 微笑みながらそう言ったフィオナの表情に、レオンは胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。
 その笑顔は、いつもと変わらぬ優しさをたたえていて──けれど、どこか遠くに感じられた。

「レオン。あなたが話してくれた、“弱い者を守れる騎士になりたい”って夢。……すごく素敵だと思った。だから、絶対に出世してね──」

 そう告げたフィオナの声は、確かに笑っていた。
 けれど、どこか泣いているようにも見えた。それが雨のせいだったのか、涙だったのか。レオンには分からなかった。
 なぜなら、フィオナはすぐに背を向け、そのまま森の奥へと駆け出してしまったからだ。

「フィオナッ!」

 レオンの叫びは、降りしきる雨音にかき消されていった。
 届いたのかさえ、分からないまま。

 ──翌日。
 予定通り、王都から派遣された討伐部隊が到着した。
 雨は上がり、空には晴れ間が広がっていた。

 山へ向かった部隊は、山賊の本拠を突き止め、頭領を討ち取った。
 生き残った山賊たちは散り散りに逃げ、数日間にわたって残党狩りが続けられた。

 任務を終えた部隊は、王都への帰還を命じられた。

 出立までの数日間、レオンは何度か、あの“いつもの場所”──
 フィオナと出会い、過ごしたあの森の中の小さな空間を訪ねた。

 けれど、彼女に再び会えることはなかった。

 #

 二年後──

 レオンは目覚しい活躍で騎士団の副団長にまで出世していた。
 王都では、彼の名を知らぬ者はいないほどであり、縁談話も山のように舞い込んでいたが、彼はすべて断っていた。

 その胸の奥には、今も忘れ得ぬ面影があったからだ。

 そんな折、王都より勅命が下る。
 北部の山道──かつて彼が命を救われた、あの山で再び山賊による襲撃事件が多発しているという。

 貴族や商隊の荷が狙われ、被害は甚大。
 山賊は民を襲わず、標的は決まって王都の富と権威を担う者たち。だが、それが王を怒らせるには十分だった。

 討伐命令は即日発令され、レオンはその鎮圧部隊の隊長として、現地指揮を任されることとなった。

 山に入った部隊は、数日間の偵察の末、山賊の根拠地を突き止める。
 各隊が包囲を固め、いよいよ総攻撃の合図が鳴った。

 戦の火蓋が切って落とされる。
 霧の立ち込める山中、剣戟と怒号が響き渡る中、レオンは自ら先頭に立って敵陣へと斬り込んでいく。
 この日もまた、雨だった。

 レオンは自ら剣を抜き、先陣を切って駆ける。
 背後に続くのは百名を超える精鋭部隊──この討伐のために王都から選りすぐられた騎士たちだ。

「構わず進め!本陣はこの奥にあるはずだ!」

 叫ぶ声に、部隊が応じて一気に斜面を駆け上がる。
 濡れた土を踏みしめ、樹々の隙間を抜けていく。
 その時、奥の方から、複数の足音が迫ってきた。

「敵が来るぞ、構えろ!」

 レオンの警告と同時に、木々の間から無数の矢が放たれた。
 数名の騎士が矢に倒れるが、即座に盾兵が前へ出て防陣を築く。

 矢の雨が止んだ刹那、今度は剣を手にした山賊たちが突撃してくる。

「迎え撃て!」

 号令とともに、鉄と鉄が激突した。
 悲鳴、怒号、刃の擦れる音が入り混じる。
 深い森の奥、冷たい雨の下で、静かな大地が戦火に飲まれていった。

 冷たい雨に煙る中、ひときわ異質な気配が現れた。

 赤いマントに身を包んだ影が、戦場の混乱を縫うように突き進む。
 信じがたい速さと正確さで敵味方の間を駆け抜け、ただ一直線に、レオンのもとへ──。

 刃がぶつかる。
 鋼と鋼が火花を散らし、衝撃が空気を震わせた。

「……貴様、頭領だな」

 レオンが低く問いかける。

「いかにも──」

 応じたのは、意外にも女の声だった。
 雨に濡れたフードの奥から響くその声に、レオンは一瞬目を見張る。

 ──女?山賊の頭領が?

 驚きはしたが、すぐに戦意を取り戻す。今はただ、この戦いを制することだけが任務だ。

 互いに一歩も退かず、剣が交差する。
 彼女は驚くほど強かった。無駄のない動きと、読みの早さ。何より、何のためらいもなく剣を振るう覚悟があった。

 幾度となく刃が交錯し、雨が濡らす中、ついにレオンの剣が彼女の顔すれすれを掠めた。
 寸でのところで躱した頭領のフードが、はらりと風に舞う。

 その瞬間、彼女の素顔が露わになった。
 その瞳を見た瞬間、レオンの身体が硬直する。

「まさか……!」

 凍りつくような思いが、胸の奥を走る。
 この雨、この瞳、この面影──

 記憶の奥に刻まれた、あの雨の日が蘇る。

 頭領もまた、レオンを見つめたまま、わずかに動きを止めた。
 そして、ぽつりと、名を呼ぶ。

「……レオン……」

 掠れるような声だった。
 だがその一言で、全ての疑念が確信へと変わる。

 頭領は、ハッとして慌てて口を塞ぐ。

「やっぱり……フィオナ、なのか……?」

 雨音の中、レオンの声が震える。

 フィオナの瞳が揺れる。
 彼女は剣をわずかに下げ、唇をかすかに噛みしめながら、言葉を吐き出す。

「なんで……あの頃みたいに呼ぶの……あなたは騎士で、私は……」

 雨が二人の間を隔てるように降り続ける。

「どうして、山賊の頭なんて……!」

 レオンが叫ぶと、フィオナは静かに答えた。

「……父のあとを継いだの。あの討伐の時、父は殺された。……残されたみんなを、生かすには、私が……こうするしかなかった」

 彼女の声には、怒りも、悲しみもなかった。
 あるのは、ただ受け入れてしまった者の静けさ。

 レオンは、ぐっと剣を握りしめる。
 だがそれは、怒りのためではない。

「君が……生きていてくれて、本当に……よかった」

 思わずこぼれたその言葉に、フィオナは一瞬だけ目を見開いた。

「でも……どうして俺に、何も言わなかったんだ……!」
「言えるわけない。……私とあなたは、住む世界が違う」

 ふたりの間に沈黙が落ちる。
 雨は絶え間なく降り続けていた。

 レオンは剣を構えたまま、息を飲むように言った。

「フィオナ……戦いたくない」

 一瞬、世界が静止したようだった。
 雨音さえも遠のいたかのように、沈黙が降りる。

 はっ、とフィオナが息を吐く。

「隊長ともあろう者が、とんだ腰抜けね」

 乾いた声だった。
 その言葉は挑発のはずだったのに、どこか自嘲めいていた。

 フィオナはゆっくりと剣を構える。
 いつものように無駄のない所作。けれど、その瞳は苦しげに揺れていた。

「あなたは、王都から山賊を討伐しに来た部隊の隊長。──そして私は、その山賊たちを束ねる頭目。互いに、上に立つ者として……引けない立場にいるのよ」

 剣を持つその手が震えていた。
 だが、フィオナは一歩、前に出た。
 ──それが彼女なりの覚悟なのだと、レオンはすぐに察した。

 だからこそ、彼もまた、剣を下ろすことはできなかった。

 剣戟の音が、再び森に響いた。

 雨が二人の足元を叩き、視界を煙らせる中、レオンとフィオナは幾度も刃を交えた。
 互いに本気で──けれど、どこかで躊躇いを残したまま。

「本気で来なさい、レオンッ!」

 フィオナの叫びに、レオンは歯を食いしばった。
 剣を振るたび、心が軋む。守りたい者を傷つけるための剣に、意味などあるのか。

「なぜだ……!生きて、罪を償えばいい。君は、もう誰も殺していないんだろう!?」
「生きて、どうやって?捕まれば、皆は路頭に迷う。私が、頭でなくなったら、居場所を失う子がまた増えるだけよ」

 レオンが刃を止めたその瞬間、フィオナが自ら一歩、踏み込んできた。

「やめろ、フィオナ!俺は──っ!」

 だが、その叫びを遮るように、彼女は駆けた。
 迷いも、躊躇いも、すべてを振り切るように。
 その瞬間、レオンの身体が反射的に動いた。

 刹那──鋼の感触が、腕を通して確かに伝わる。

「っ……!」

 フィオナの動きが止まった。
 胸元に、レオンの剣が深く突き刺さっていた。

「な、ぜ……動いた……」

 レオンの声が震える。
 振るうつもりなど、なかった。
 ただ、反射的に──命を守るために動いた手だった。

 フィオナはゆっくりと顔を上げた。
 唇の端に、うっすらと笑みを浮かべる。

「そっか……」

 その目には涙とも雨ともつかない雫が浮かんでいた。

「……やっぱり……好きな人は……殺せないやぁ……」

 その声は、どこか晴れやかで。
 剣を、最後まで振るうことなく。
 フィオナは、レオンの腕の中に崩れ落ちた。

「フィオナ……っ、なぜ……なぜだよ……!」

 レオンの叫びが、冷たい雨に掻き消されていく。
 空は容赦なく降り続け、まるで世界までもが涙しているようだった。

 彼の腕の中で、フィオナの身体は静かに、音もなく力を失っていた。
 温もりが、指の隙間から少しずつ零れ落ちていく。

「こんな終わり、望んでなんか……っ!」

 レオンはその小さな骸を抱きしめた。
 泥にまみれ、血に染まり、冷たくなっていく彼女を、それでも腕の中に閉じ込めようとする。

 まるで、そうすればまだ彼女がそこにいてくれるような気がした。

 嗚咽とともにこぼれ落ちる涙が、フィオナの頬に一滴、静かに落ちた。
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​「新しい従者を雇うことにした。おばさんはもう用済みだ。今すぐ消えてくれ」  ​かつて婚約破棄され、実家を追放された元公爵令嬢のレアーヌ。  その身分を隠し、年下の冒険者たちの身の回りを世話する『メイド』として献身的に尽くしてきた彼女に突きつけられたのは、あまりに非情な追放宣告だった。  ​レアーヌがこれまで教育し、支えてきた若い男たちは、新しく現れた他人の物を欲しがり子悪魔メイドに骨抜きにされ、彼女を「加齢臭のする汚いおばさん」と蔑み、笑いながら追い出したのだ。 ​ 地位も、居場所も、信じていた絆も……すべてを失い、絶望する彼女の前に現れたのは、一人の美少年だった。 ​「僕とパーティーを組んでくれませんか? 貴方が必要なんです」  ​新米ながら将来の可能性を感じさせる彼は、レアーヌを「おばさん」ではなく「一人の女性」として、甘く狂おしく溺愛し始める。  一方でレアーヌという『真の支柱』を失った元パーティーは、自分たちがどれほど愚かな選択をしたかを知る由もなかった。  ​やがて彼らが地獄の淵で「戻ってきてくれ」と泣きついてきても、もう遅い。  レアーヌの隣には、彼女を離さないと誓った執着愛の化身が微笑んでいるのだから。

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