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第二章 魔ノ胎動編
別れと始まり
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巨躯が沈む音が静寂を破ったその瞬間、張り詰めていた空気が、ふと緩む。
カイは、槍の柄を杖のように突いて立っていた。
深く、荒く、肺の奥から空気を吐き出す。
「っはぁ~……」
だが、もう身体が限界だった。足がもつれ、前に倒れかける。
「っと……!」
咄嗟に駆けつけたグラドが、その身体を支える。カイの腕を背中に回し、しっかりと受け止める。
「よくやった、カイ……!お前、ほんとに勝ったんだな!」
グラドの隣には、ゼルクとライガが駆けつけていた。カイの傷だらけの姿に、二人とも目を見張る。
「まさか、あのバルザを倒すなんて!」
「信じらんねぇ。でも……本当に、勝ったんだな!」
獣人たちが顔を見合わせたあと、感情を抑えきれないように吠えた。
「うおおおおぉっ!!カイ、よくやったぁ!!」
その声に、カイの唇がふっと綻ぶ。
「……あんたらの仲間の仇……ちゃんと、とってやったぜ……!」
グラドの腕に体を預けたまま、カイはにやりと笑った。
血と汗にまみれたその顔に、確かな光が宿っていた。
カイはすぐに顔を上げ、声を上げた。
「ティアとルゥナはどうなった!?」
カイの脳裏に、戦いの直前に見たティアとノワールの交戦がよみがえる。
仲間の安否を思い出し、顔を上げる。
と、その時。
「カイーっ!!」
叫び声が響いた。
少し離れた場所、ティア、レイ、ルゥナの三人の姿が見えた。ルゥナの両親が付き添い、彼女たちの肩を支えている。
ふたりとも、満身創痍。髪は乱れ、服は焼け焦げ、血と煤にまみれていた。
「勝ったのね、カイ!」
駆け寄ってきたティアが、涙を滲ませながらそう言う。
「そっちも……無事で、よかった……」
カイは、思わず目を細めた。
どれだけの不安と恐怖の中で、彼女たちがこの戦いを乗り越えたのか。その姿だけで、すべてが伝わる。
ルゥナが、ぽろぽろと涙を流しながらカイの前に立つ。
「ありがとう……ありがとう……本当に……っ!」
その小さな体から溢れ出す感情は、言葉以上のものを物語っていた。
ルゥナの両親もまた、静かに、深く頭を下げる。
「……ルゥナを守ってくれて……感謝してもしきれません……」
仲間たちは勝利の余韻に浸りながらも、互いの無事を喜び、束の間の平穏を噛みしめる。
だが、まだ終わりではない。
「あとは、奴隷商の屋敷に忍び込んで、首輪の鍵を見つけて、仲間たちを逃がすだけだ」
ゼルクが険しい顔で言うと、ライガがすぐさま頷く。
だが、その言葉に、ルゥナの父がそっと首を振った。
「……もう、それ以上は必要ありません」
「……え?」
ルゥナが小さく息を呑む。
「私たちは、ここで終わりにします。これ以上、あなたたちを危険に巻き込むわけにはいかないのです」
母は、優しくルゥナの髪を撫でながら言った。
「屋敷には、まだ護衛や雇われた戦士たちが残っています。あなたたちまで“犯罪者”の烙印を押されるわけにはいきません」
「そ、そんな……!」
ルゥナの顔がくしゃりと歪む。必死に叫んだ。
「一緒に逃げようよ!みんなで、自由になろうよっ!!」
しかし──
「ルゥナ。私たちの希望。あなたには……何者にも縛られず、生きてほしいのです」
母は、そっとルゥナの額に口付けた。
「生きてさえいれば、またいつか会える。だから──行きなさい」
父の声は、穏やかで、それでいて揺るぎなかった。
「お願いです。ルゥナを……どうか、頼みます」
両親は、ティアやカイたちに向かって、深く、深く頭を下げた。
「いやだ……やぁだぁあああああっ!!」
ルゥナが母親に抱きついて泣き叫んだ。涙で濡れた頬をくしゃくしゃにし、駄々をこねるその姿は、どうしようもないほど子どもらしく、そして切実だった。
「いっしょにいるって言ったじゃないっ……!また離れるなんてやだっ……!!」
「ルゥナ……」
母はその小さな身体をそっと抱きしめる。
父は、何度も言葉を飲み込みながらも、やがて静かに語りかけた。
「ルゥナ……私たちは、もともと“戦闘種族”だった。戦い、傷つけ合い、自分たちの手で、仲間の数を減らしてきた……。だからこそ──」
彼は一瞬、言葉を切り、娘の瞳をまっすぐ見つめた。
「……お前には逃げてほしい。一族の希望として、生き延びてほしいんだ」
「うそつき……っ!一緒に逃げようって言ったじゃん!!やだよ!パパとママと一緒にいる!!」
ルゥナが声を震わせて叫ぶ。張り詰めた声に、感情がにじむ。
「ルゥナ……お願いだ。お前が笑って、空を見上げて、自由に、どこへでも行ける人生を歩んでくれたら……。それだけで、私たちは救われる。……それが、私たちにとって、一番の希望なんだよ」
言葉の一つ一つが、静かに胸に刺さる。
そのとき、ティアがそっとルゥナの肩に手を置いた。
「ルゥナ、私たちと一緒に行こう。あなたを一人になんてしない。だから……信じて」
ルゥナは、堰を切ったようにティアの胸に顔をうずめる。
細い肩が震えていた。声にならない嗚咽が、空気を揺らす。
そして両親は、もう一度深く、静かに頭を下げた。
「……どうか、娘を託します」
──その時だった。
突如として、空気が凍りついた。
倒れていたバルザとノワールの身体が、漆黒の炎に包まれる。炎は柱となり、空高く立ち昇った。
「な、なに……!?」
その異様な光景に、全員が動きを止めた。
空間が揺れる。
そして、上空に二人の影が現れた。
まるで兄弟のように顔立ちの似た二人の男。長く流れる黒髪、紅い瞳の中には、高位魔族の証たる魔紋が浮かんでいた。だが、雰囲気はまったく異なる。
一人は鋭い眉を吊り上げた威圧的な男。見る者すべてを黙らせるような、冷たく峻厳な空気をまとっている。
もう一人は、穏やかな微笑みを湛えながら、怖そうな男の肩にもたれかかるように立つ。しなやかな立ち姿と、どこか気だるげなタレ目が印象的だった。
凄まじい“圧”が辺りを覆う。
遠くにいるはずの存在から、まるで刃のような魔力が突き刺さる。皮膚が焼けるような感覚に、空気が震え、空すら軋むようだった。
獣人たちは息を呑み、カイたちも本能的に身構える。
タレ目の男が、ふとカイたちに目を向けた。
その視線だけで、心臓が掴まれるような錯覚が走る。
「おや……あれは、ヴァルゴイアを倒した人間か……」
彼は面白そうに目を細める。
その視線の先では、ノワールとバルザが、黒炎に呑まれ、静かに崩れていく。
「それにしても……僕らを倒し得る“武器”を持った者が、ただの人間に負けるとはねェ。皮肉な話だ」
楽しげに微笑みながら、淡々と語るその様子に、血が冷える。
「──持ち主が弱かった。ただそれだけだ」
隣に立つ男が冷たく言い捨てる。
吊り上がった眉と鋭利な眼差し。感情の見えない声が、場の空気をさらに凍らせる。
タレ目の男が、つまらなそうに目を伏せた。
「君は……ほんと、変わらないねぇ」
揺るがぬ“静”と“狂気の穏やかさ”が並び立つ異様な光景に、カイが叫んだ。
「お前ら……何者だッ!?」
ティアも、呆然としたまま声を震わせる。
「あれは……間違いない、魔族……!」
肌に突き刺さる魔力の刃。名も知らぬその存在に、全員が恐怖を覚える。
だが、カイは足元の力を振り絞って立ち上がった。満身創痍の身体を無理やり支え、槍を構える。
ティア、レイ、ゼルク、ライガ、グラドたちも、痛む身体を奮い立たせて構えた。
……しかし。
厳しい顔つきの男は一瞥すらしなかった。
「貴様らに用は無い」
男が、指をひとつ、ほんの少しだけ動かす。
それだけで、バルザの黒鎧とノワールの銃が、音もなく空を裂いて飛来し、まるで見えない糸に引かれるように男の元へと吸い寄せられた。
男が、その指先でそっと武器に触れた、その刹那。
ガラガラと音を立てて、鎧も銃も、まるで砂のように崩れ落ちた。
「……これで、“俺たちに届きうる武器”は二つ、壊した」
その声だけが、場に残響のように響いた。
二人の魔族が、同時にティアを見た。
タレ目の男が微笑み、厳しい男はわずかに目を細める。
一瞬の静寂。
「行くぞ」
厳しい男が静かに告げると、タレ目の男がにこりと笑い、小さく手を振る。
「バイバイ。……また、ね?」
次の瞬間。
二人の魔族は、黒の火柱とともに掻き消えた。
圧し掛かっていた魔力が、まるで嘘だったかのように、一気に霧散する。
「っは……っはぁ……」
誰かが、息を吐いた。
カイたちは、その場に崩れ落ちるように座り込み、荒い呼吸を繰り返す。
まるで、呼吸することすら忘れていたかのように。
そして──
「……っ……!」
限界を越えていた身体が、ようやく安堵に支配された瞬間。
カイは、膝を折り、そのまま意識を手放した。
──あのふたりは、何だったのだろう。
圧倒的な力を見せつけ、何の未練もなく去っていった異形の存在。
誰もが、その“正体”に言葉を失ったまま、ただ、静かにその場に立ち尽くしていた。
そのとき。町の方から、複数の気配がこちらへと迫ってくるのを感じ取った。
足音と気配の数からして、逃げ延びた賊が仲間を連れて戻ってきたのだと、面々は直感した。
「ここは私たちに任せてください」
「あなた方は、すぐにこの場を離れて」
ルゥナの両親が、真剣な眼差しで告げた。
「しかし──」
言い募ろうとするゼルクたちに、父が重ねて言う。
「バルザたちは“魔族に滅ぼされた”ことにします。そして、ルゥナは……魔族に連れ去られたということに」
ルゥナの父は、覚悟を込めた声で続けた。
「私たちのことは心配しないでください。私たちや村の仲間たちの願いはただ一つ。雪豹族最後の子供であり、希望でもあるこの子が、自分の意思で自由に生きること。未来を紡ぐことです」
「ママ! パパ!」
ルゥナが泣きながら叫ぶ。
「早く行きなさい、ルゥナ!!」
母の叱責が、涙声で響いた。
「ルゥナが自立できるようになるまで、何があっても守ってみせます」
ティアが涙を堪えながら言うと、ルゥナの両親はそっと目を細め、涙を浮かべて深く頭を下げた。
ティアとレイは、獣化したゼルクとライガの背に跨り、気を失ったカイをグラドが背負う。
ルゥナは、振り返りながらも必死に涙を堪え、名残惜しげに両親を見つめつつ、獣化して森へと駆け出した。
草原に、ルゥナの両親だけが残った。
「ルゥナ……どうか、健やかに、幸せになってね……」
母は、遠ざかる娘の背に手を伸ばすようにして、涙を流しながら呟いた。
父がその肩に手を添え、そっと寄り添う。
「生きてさえいれば、この空の下……私たちは、いつまでも繋がっているよ」
その言葉に、母は小さく頷き、涙を拭った。
そして次の瞬間、ふたりは顔つきを引き締め、迫り来る賊たちを迎えるため、静かに立ち上がる。
カイは、槍の柄を杖のように突いて立っていた。
深く、荒く、肺の奥から空気を吐き出す。
「っはぁ~……」
だが、もう身体が限界だった。足がもつれ、前に倒れかける。
「っと……!」
咄嗟に駆けつけたグラドが、その身体を支える。カイの腕を背中に回し、しっかりと受け止める。
「よくやった、カイ……!お前、ほんとに勝ったんだな!」
グラドの隣には、ゼルクとライガが駆けつけていた。カイの傷だらけの姿に、二人とも目を見張る。
「まさか、あのバルザを倒すなんて!」
「信じらんねぇ。でも……本当に、勝ったんだな!」
獣人たちが顔を見合わせたあと、感情を抑えきれないように吠えた。
「うおおおおぉっ!!カイ、よくやったぁ!!」
その声に、カイの唇がふっと綻ぶ。
「……あんたらの仲間の仇……ちゃんと、とってやったぜ……!」
グラドの腕に体を預けたまま、カイはにやりと笑った。
血と汗にまみれたその顔に、確かな光が宿っていた。
カイはすぐに顔を上げ、声を上げた。
「ティアとルゥナはどうなった!?」
カイの脳裏に、戦いの直前に見たティアとノワールの交戦がよみがえる。
仲間の安否を思い出し、顔を上げる。
と、その時。
「カイーっ!!」
叫び声が響いた。
少し離れた場所、ティア、レイ、ルゥナの三人の姿が見えた。ルゥナの両親が付き添い、彼女たちの肩を支えている。
ふたりとも、満身創痍。髪は乱れ、服は焼け焦げ、血と煤にまみれていた。
「勝ったのね、カイ!」
駆け寄ってきたティアが、涙を滲ませながらそう言う。
「そっちも……無事で、よかった……」
カイは、思わず目を細めた。
どれだけの不安と恐怖の中で、彼女たちがこの戦いを乗り越えたのか。その姿だけで、すべてが伝わる。
ルゥナが、ぽろぽろと涙を流しながらカイの前に立つ。
「ありがとう……ありがとう……本当に……っ!」
その小さな体から溢れ出す感情は、言葉以上のものを物語っていた。
ルゥナの両親もまた、静かに、深く頭を下げる。
「……ルゥナを守ってくれて……感謝してもしきれません……」
仲間たちは勝利の余韻に浸りながらも、互いの無事を喜び、束の間の平穏を噛みしめる。
だが、まだ終わりではない。
「あとは、奴隷商の屋敷に忍び込んで、首輪の鍵を見つけて、仲間たちを逃がすだけだ」
ゼルクが険しい顔で言うと、ライガがすぐさま頷く。
だが、その言葉に、ルゥナの父がそっと首を振った。
「……もう、それ以上は必要ありません」
「……え?」
ルゥナが小さく息を呑む。
「私たちは、ここで終わりにします。これ以上、あなたたちを危険に巻き込むわけにはいかないのです」
母は、優しくルゥナの髪を撫でながら言った。
「屋敷には、まだ護衛や雇われた戦士たちが残っています。あなたたちまで“犯罪者”の烙印を押されるわけにはいきません」
「そ、そんな……!」
ルゥナの顔がくしゃりと歪む。必死に叫んだ。
「一緒に逃げようよ!みんなで、自由になろうよっ!!」
しかし──
「ルゥナ。私たちの希望。あなたには……何者にも縛られず、生きてほしいのです」
母は、そっとルゥナの額に口付けた。
「生きてさえいれば、またいつか会える。だから──行きなさい」
父の声は、穏やかで、それでいて揺るぎなかった。
「お願いです。ルゥナを……どうか、頼みます」
両親は、ティアやカイたちに向かって、深く、深く頭を下げた。
「いやだ……やぁだぁあああああっ!!」
ルゥナが母親に抱きついて泣き叫んだ。涙で濡れた頬をくしゃくしゃにし、駄々をこねるその姿は、どうしようもないほど子どもらしく、そして切実だった。
「いっしょにいるって言ったじゃないっ……!また離れるなんてやだっ……!!」
「ルゥナ……」
母はその小さな身体をそっと抱きしめる。
父は、何度も言葉を飲み込みながらも、やがて静かに語りかけた。
「ルゥナ……私たちは、もともと“戦闘種族”だった。戦い、傷つけ合い、自分たちの手で、仲間の数を減らしてきた……。だからこそ──」
彼は一瞬、言葉を切り、娘の瞳をまっすぐ見つめた。
「……お前には逃げてほしい。一族の希望として、生き延びてほしいんだ」
「うそつき……っ!一緒に逃げようって言ったじゃん!!やだよ!パパとママと一緒にいる!!」
ルゥナが声を震わせて叫ぶ。張り詰めた声に、感情がにじむ。
「ルゥナ……お願いだ。お前が笑って、空を見上げて、自由に、どこへでも行ける人生を歩んでくれたら……。それだけで、私たちは救われる。……それが、私たちにとって、一番の希望なんだよ」
言葉の一つ一つが、静かに胸に刺さる。
そのとき、ティアがそっとルゥナの肩に手を置いた。
「ルゥナ、私たちと一緒に行こう。あなたを一人になんてしない。だから……信じて」
ルゥナは、堰を切ったようにティアの胸に顔をうずめる。
細い肩が震えていた。声にならない嗚咽が、空気を揺らす。
そして両親は、もう一度深く、静かに頭を下げた。
「……どうか、娘を託します」
──その時だった。
突如として、空気が凍りついた。
倒れていたバルザとノワールの身体が、漆黒の炎に包まれる。炎は柱となり、空高く立ち昇った。
「な、なに……!?」
その異様な光景に、全員が動きを止めた。
空間が揺れる。
そして、上空に二人の影が現れた。
まるで兄弟のように顔立ちの似た二人の男。長く流れる黒髪、紅い瞳の中には、高位魔族の証たる魔紋が浮かんでいた。だが、雰囲気はまったく異なる。
一人は鋭い眉を吊り上げた威圧的な男。見る者すべてを黙らせるような、冷たく峻厳な空気をまとっている。
もう一人は、穏やかな微笑みを湛えながら、怖そうな男の肩にもたれかかるように立つ。しなやかな立ち姿と、どこか気だるげなタレ目が印象的だった。
凄まじい“圧”が辺りを覆う。
遠くにいるはずの存在から、まるで刃のような魔力が突き刺さる。皮膚が焼けるような感覚に、空気が震え、空すら軋むようだった。
獣人たちは息を呑み、カイたちも本能的に身構える。
タレ目の男が、ふとカイたちに目を向けた。
その視線だけで、心臓が掴まれるような錯覚が走る。
「おや……あれは、ヴァルゴイアを倒した人間か……」
彼は面白そうに目を細める。
その視線の先では、ノワールとバルザが、黒炎に呑まれ、静かに崩れていく。
「それにしても……僕らを倒し得る“武器”を持った者が、ただの人間に負けるとはねェ。皮肉な話だ」
楽しげに微笑みながら、淡々と語るその様子に、血が冷える。
「──持ち主が弱かった。ただそれだけだ」
隣に立つ男が冷たく言い捨てる。
吊り上がった眉と鋭利な眼差し。感情の見えない声が、場の空気をさらに凍らせる。
タレ目の男が、つまらなそうに目を伏せた。
「君は……ほんと、変わらないねぇ」
揺るがぬ“静”と“狂気の穏やかさ”が並び立つ異様な光景に、カイが叫んだ。
「お前ら……何者だッ!?」
ティアも、呆然としたまま声を震わせる。
「あれは……間違いない、魔族……!」
肌に突き刺さる魔力の刃。名も知らぬその存在に、全員が恐怖を覚える。
だが、カイは足元の力を振り絞って立ち上がった。満身創痍の身体を無理やり支え、槍を構える。
ティア、レイ、ゼルク、ライガ、グラドたちも、痛む身体を奮い立たせて構えた。
……しかし。
厳しい顔つきの男は一瞥すらしなかった。
「貴様らに用は無い」
男が、指をひとつ、ほんの少しだけ動かす。
それだけで、バルザの黒鎧とノワールの銃が、音もなく空を裂いて飛来し、まるで見えない糸に引かれるように男の元へと吸い寄せられた。
男が、その指先でそっと武器に触れた、その刹那。
ガラガラと音を立てて、鎧も銃も、まるで砂のように崩れ落ちた。
「……これで、“俺たちに届きうる武器”は二つ、壊した」
その声だけが、場に残響のように響いた。
二人の魔族が、同時にティアを見た。
タレ目の男が微笑み、厳しい男はわずかに目を細める。
一瞬の静寂。
「行くぞ」
厳しい男が静かに告げると、タレ目の男がにこりと笑い、小さく手を振る。
「バイバイ。……また、ね?」
次の瞬間。
二人の魔族は、黒の火柱とともに掻き消えた。
圧し掛かっていた魔力が、まるで嘘だったかのように、一気に霧散する。
「っは……っはぁ……」
誰かが、息を吐いた。
カイたちは、その場に崩れ落ちるように座り込み、荒い呼吸を繰り返す。
まるで、呼吸することすら忘れていたかのように。
そして──
「……っ……!」
限界を越えていた身体が、ようやく安堵に支配された瞬間。
カイは、膝を折り、そのまま意識を手放した。
──あのふたりは、何だったのだろう。
圧倒的な力を見せつけ、何の未練もなく去っていった異形の存在。
誰もが、その“正体”に言葉を失ったまま、ただ、静かにその場に立ち尽くしていた。
そのとき。町の方から、複数の気配がこちらへと迫ってくるのを感じ取った。
足音と気配の数からして、逃げ延びた賊が仲間を連れて戻ってきたのだと、面々は直感した。
「ここは私たちに任せてください」
「あなた方は、すぐにこの場を離れて」
ルゥナの両親が、真剣な眼差しで告げた。
「しかし──」
言い募ろうとするゼルクたちに、父が重ねて言う。
「バルザたちは“魔族に滅ぼされた”ことにします。そして、ルゥナは……魔族に連れ去られたということに」
ルゥナの父は、覚悟を込めた声で続けた。
「私たちのことは心配しないでください。私たちや村の仲間たちの願いはただ一つ。雪豹族最後の子供であり、希望でもあるこの子が、自分の意思で自由に生きること。未来を紡ぐことです」
「ママ! パパ!」
ルゥナが泣きながら叫ぶ。
「早く行きなさい、ルゥナ!!」
母の叱責が、涙声で響いた。
「ルゥナが自立できるようになるまで、何があっても守ってみせます」
ティアが涙を堪えながら言うと、ルゥナの両親はそっと目を細め、涙を浮かべて深く頭を下げた。
ティアとレイは、獣化したゼルクとライガの背に跨り、気を失ったカイをグラドが背負う。
ルゥナは、振り返りながらも必死に涙を堪え、名残惜しげに両親を見つめつつ、獣化して森へと駆け出した。
草原に、ルゥナの両親だけが残った。
「ルゥナ……どうか、健やかに、幸せになってね……」
母は、遠ざかる娘の背に手を伸ばすようにして、涙を流しながら呟いた。
父がその肩に手を添え、そっと寄り添う。
「生きてさえいれば、この空の下……私たちは、いつまでも繋がっているよ」
その言葉に、母は小さく頷き、涙を拭った。
そして次の瞬間、ふたりは顔つきを引き締め、迫り来る賊たちを迎えるため、静かに立ち上がる。
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