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第三章 ドワーフ国編
思わぬ遭遇者
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一行は順調に行路を進み、ついにドワーフの国境を越えた。
そこはイグレア領のドルマリス──ドワーフ国の玄関口として栄える交易都市であり、各地から商人や旅人が集まる賑わいの街……であるはずだった。
だが、街道を進むにつれ、その常識は打ち砕かれていく。
人々の喧騒はなく、市場の呼び声も聞こえない。街の輪郭が見えるほどに近づいた頃、誰もが異様な空気に気づいていた。高くそびえる城壁の門は固く閉ざされ、荷馬車の列が足止めを食らっている。その周囲を、重装備の門兵たちが物々しく取り囲んでいた。
ティアたちが門前までたどり着くと、緊張はさらに露わになる。
「止まれ!これ以上、近づくな!」
鋭い怒声と共に、門番が槍を構えて睨みつけてくる。旅人の列はざわめき、後ずさる者もいた。
その時だった。
閉ざされた門の内側から、一人の女性が幼子を抱えて、よろめくように門へと向かってきた。ドワーフの母子だ。子どもは顔を赤くし、虚ろな目をしている。
「お願いです、この子を……せめて医者のいる村まで連れていかせてください!」
必死の訴えに、門番は怒鳴り声を返した。
「下がれッ!その子供……まさか、燻熱病かッ!?」
その言葉が引き金となった。周囲に走るざわめきと、怯えの眼差し。
女は怯えたように体をすくめ、子を庇うようにしがみつく。子供は苦しげに息を吐き、唇の端にかすかな吐血の痕が浮かんでいた。
燻熱病──それは魔力の枯渇地帯に生息する「瘴蚊」が媒介する病であった。侵入した瘴気が体内を蝕み、高熱、吐血、黄疸などを引き起こす。
治療法は確立されておらず、神官の祈りも薬師の薬草も効果がない。
本来、この病は人から人への感染は起こらない。
だが、恐怖は理屈を凌駕する。
人々はそれを「忌病」と呼び、罹患者やその家族すら排斥の対象とした。
「このままじゃ……この子が、死んじゃう……!」
女の叫びにも、門番は動じなかった。いや、動けなかったのだ。
「ええい!寄るな!感染をこれ以上広げる訳にはいかない!感染が広がれば暴動になる。こっちはもう手一杯なんだよ……!」
門番の声には怒りよりも、限界まで張りつめた焦りがにじんでいた。
「街にも医者はいるだろう!」
門番が母子に向かって怒鳴るように言い放つ。だがその声は、怒りというより、どうにもならない現状への苛立ちが滲んでいた。
母親は首を振る。涙を堪えるようにして、必死に訴える。
「でも……ほとんどの医者は、貴族様が屋敷に抱え込んでしまっていて……! 金を積んでも、病気が恐いと出てきてくれないんです……!」
街の中にも医者はいる。だが今、この街では勲熱病という名の恐怖がすべてを支配していた。
僅かに残った公の医者たちは、既に多くの患者を抱え、手が足りていない。衛兵や神官たちも次々に倒れ、街は機能不全寸前だった。
「じゃあ……この子は、どうすればいいの……!」
母親の悲痛な叫びに、誰も答えられなかった。
ティアたちは、旅の疲れを癒すはずだった都市に入れず、立ち尽くしていた。
そんな中、ルゥナがそっと前に出て、苦しむ子供をじっと見つめた。
「……助けられないのかな」
ぽつりと漏れたその声は、熱にうなされる子供と、その子を守ろうとする母親の姿に心を動かされた結果だった。
かつて自分も、行き場のない不安の中で、ティアたちに救われた。だからこそ、今度は自分が誰かの支えになりたいと、そう願ったのだ。
ルゥナのその小さな呟きに、ティアたちの胸にも静かに火が灯る。
この街に入れずとも、彼らにはまだ、やれることがあるかもしれない──。
幸い、ティアたちの一行は、通常の旅人とは違っていた。
大規模な商隊である彼らは、遠征用に医師を同行させており、さらに、希少な薬品を積んだ特別な積荷も運んでいた。
それらは、普通の店では手に入らない品ばかりで、もしかすれば、この母子を救える可能性があるかもしれない。
その場にいたエリーとノアは、すぐに一行に帯同している医師のもとへ駆け寄った。
「先生、門の中にいる子供……何とかできませんか?」
ノアが焦ったように言うと、年配の医師は門の向こうにかすかに見える子供の様子に目を細める。
しばし観察したのち、静かに首を振った。
「無理だ。あの症状……高熱に意識混濁、吐血の痕……間違いなく燻熱病だろう。直接診察はできんが、あれは見間違えようがない」
「じゃあ、助ける方法は?」
エリーの問いに、医師は重く息を吐いて答えた。
「残念だが、燻熱病に効く薬も治療法も、今のところ存在しない。神官の祈りも通じず、薬草も効果を示さない……厄介な病だ」
「じゃあ、どうしようもないの?」
「ただ、熱を下げて少しでも苦しみを和らげる程度のことはできる。助かるかどうかは、あとは本人の体力次第だ」
門の向こうで子供を抱きしめる母親。その姿を見つめながら、エリーとノアは言葉を失った。
ティアは門の向こうの子供を見つめながら、静かに呟いた。
「燻熱病ってことは、侵入した瘴気が体内を蝕んでいるのが原因なんですよね?」
その問いに、医師は眉根を寄せつつも頷いた。
「そうだ。瘴蚊に刺されたとき、体内に入り込んだ瘴気が五臓六腑を腐らせる。しかも、外から浄化しようにも、魔力の干渉を拒むような性質がある」
「……そういうことなら、もしかしたら……」
ティアは何かに思い当たったように顔を上げ、団長に視線を向けた。
その視線と沈思の意味を、団長はすぐに読み取った。無言で頷くと、足早に商隊の荷へ向かい、しばらく探ったのち、ひとつの小瓶を手に戻ってきた。
「これを使って……何とか出来んか?」
団長が差し出したのは、淡い蒼色の液体に包まれた、透き通るような果実だった。
皮は霧のようにかすんでおり、実体があるのかさえ曖昧に見える。
その瞬間、医師の目が見開かれた。
「こ、これは……霧晶果!?まさか、こんな貴重品を……!」
震える手でそれを受け取った医師は、目を伏せて低く息を吐き、そしてぽつりと漏らした。
「……なるほど、確かに。霧晶果なら……希望がある」
「効くんですか?」とノアが声を上げる。
医師は頷き、果実を陽にかざしながら語り始めた。
「これは、水気を取り戻した土地でしか育たない幻の果実。霧のような皮を持ち、一見実体がないように見えるが……」
「口に含むと、肺に魔力を帯びた霧が広がって、体内を浄化するんですよね」
とティアが続けた。
「……その通りだ。瘴気を取り込み、封じる力がある。完治は望めんが、高熱と吐血を一時的に抑え、命を繋ぐ時間は稼げるはずだ」
医師は真剣な眼差しでティアたちを見やった。
「ただし、使用は慎重に行わねばならん。子供の体力が落ちすぎていれば、その霧の魔力に体が耐えられない可能性もあるからな……」
沈痛な空気が流れる中、ティアが団長の顔を見上げた。
その瞳には、ただ目の前の命を救いたいという純粋な思いが宿っていた。
団長はその視線を静かに受け止め、ふっと息を吐くと、一歩前へ出た。
「それでも……やる価値はある。命を救える可能性があるなら、見過ごす理由はない」
落ち着いた口調の中に滲む、揺るぎない信念。
仲間たちが信頼を寄せるのも当然だと思わせる、そんな言葉だった。
「俺たちも手伝うぜ」
声を上げたのはカイだった。すぐにレイがそれに続き、商隊の面々が次々に集まってくる。
「門番と話をつけてくる。準備を頼む」
団長は短く言い残し、門の方へと向かっていった。
その時だった。
列の後方からざわめきが広がる。
人々がざわざわと騒ぎ、周囲に緊張が走っている。
「……何だ?」
ティアたちが目を向けると、列の奥から格式高い馬車がゆっくりと進んできていた。
前後を囲むのは鎧姿の騎士たち、そして威厳ある紋章を掲げた旗持ちの従者たち。
一目で分かった。他の一団とはまるで違う、王侯貴族のそれだ。
ティアはその旗印を見た瞬間、全身がこわばった。
馬車の側面に刻まれた紋章──それは、ミレナ王国の王家のもの。
「……なんで、ここに……」
胸が締めつけられる。心臓が、早鐘を打っていた。
まさかとは思う。こんな場所に、あの人がいるはずがない。
そう自分に言い聞かせようとした、その時──
「何をしている。通れぬ道理があるものか。手間取らせるな」
よく通る、冷ややかな男の声が響いた。
ティアが声の方へと目をやる。
馬車の横で、騎士たちを従えた一人の男が姿を現していた。
その姿を見た瞬間、ティアの血の気が引く。
── ジークハルト・ヴァレンティア。
かつて、彼女の婚約者だった男。
今はもう、決して会うはずのない存在。
その人が、目の前にいた。
そこはイグレア領のドルマリス──ドワーフ国の玄関口として栄える交易都市であり、各地から商人や旅人が集まる賑わいの街……であるはずだった。
だが、街道を進むにつれ、その常識は打ち砕かれていく。
人々の喧騒はなく、市場の呼び声も聞こえない。街の輪郭が見えるほどに近づいた頃、誰もが異様な空気に気づいていた。高くそびえる城壁の門は固く閉ざされ、荷馬車の列が足止めを食らっている。その周囲を、重装備の門兵たちが物々しく取り囲んでいた。
ティアたちが門前までたどり着くと、緊張はさらに露わになる。
「止まれ!これ以上、近づくな!」
鋭い怒声と共に、門番が槍を構えて睨みつけてくる。旅人の列はざわめき、後ずさる者もいた。
その時だった。
閉ざされた門の内側から、一人の女性が幼子を抱えて、よろめくように門へと向かってきた。ドワーフの母子だ。子どもは顔を赤くし、虚ろな目をしている。
「お願いです、この子を……せめて医者のいる村まで連れていかせてください!」
必死の訴えに、門番は怒鳴り声を返した。
「下がれッ!その子供……まさか、燻熱病かッ!?」
その言葉が引き金となった。周囲に走るざわめきと、怯えの眼差し。
女は怯えたように体をすくめ、子を庇うようにしがみつく。子供は苦しげに息を吐き、唇の端にかすかな吐血の痕が浮かんでいた。
燻熱病──それは魔力の枯渇地帯に生息する「瘴蚊」が媒介する病であった。侵入した瘴気が体内を蝕み、高熱、吐血、黄疸などを引き起こす。
治療法は確立されておらず、神官の祈りも薬師の薬草も効果がない。
本来、この病は人から人への感染は起こらない。
だが、恐怖は理屈を凌駕する。
人々はそれを「忌病」と呼び、罹患者やその家族すら排斥の対象とした。
「このままじゃ……この子が、死んじゃう……!」
女の叫びにも、門番は動じなかった。いや、動けなかったのだ。
「ええい!寄るな!感染をこれ以上広げる訳にはいかない!感染が広がれば暴動になる。こっちはもう手一杯なんだよ……!」
門番の声には怒りよりも、限界まで張りつめた焦りがにじんでいた。
「街にも医者はいるだろう!」
門番が母子に向かって怒鳴るように言い放つ。だがその声は、怒りというより、どうにもならない現状への苛立ちが滲んでいた。
母親は首を振る。涙を堪えるようにして、必死に訴える。
「でも……ほとんどの医者は、貴族様が屋敷に抱え込んでしまっていて……! 金を積んでも、病気が恐いと出てきてくれないんです……!」
街の中にも医者はいる。だが今、この街では勲熱病という名の恐怖がすべてを支配していた。
僅かに残った公の医者たちは、既に多くの患者を抱え、手が足りていない。衛兵や神官たちも次々に倒れ、街は機能不全寸前だった。
「じゃあ……この子は、どうすればいいの……!」
母親の悲痛な叫びに、誰も答えられなかった。
ティアたちは、旅の疲れを癒すはずだった都市に入れず、立ち尽くしていた。
そんな中、ルゥナがそっと前に出て、苦しむ子供をじっと見つめた。
「……助けられないのかな」
ぽつりと漏れたその声は、熱にうなされる子供と、その子を守ろうとする母親の姿に心を動かされた結果だった。
かつて自分も、行き場のない不安の中で、ティアたちに救われた。だからこそ、今度は自分が誰かの支えになりたいと、そう願ったのだ。
ルゥナのその小さな呟きに、ティアたちの胸にも静かに火が灯る。
この街に入れずとも、彼らにはまだ、やれることがあるかもしれない──。
幸い、ティアたちの一行は、通常の旅人とは違っていた。
大規模な商隊である彼らは、遠征用に医師を同行させており、さらに、希少な薬品を積んだ特別な積荷も運んでいた。
それらは、普通の店では手に入らない品ばかりで、もしかすれば、この母子を救える可能性があるかもしれない。
その場にいたエリーとノアは、すぐに一行に帯同している医師のもとへ駆け寄った。
「先生、門の中にいる子供……何とかできませんか?」
ノアが焦ったように言うと、年配の医師は門の向こうにかすかに見える子供の様子に目を細める。
しばし観察したのち、静かに首を振った。
「無理だ。あの症状……高熱に意識混濁、吐血の痕……間違いなく燻熱病だろう。直接診察はできんが、あれは見間違えようがない」
「じゃあ、助ける方法は?」
エリーの問いに、医師は重く息を吐いて答えた。
「残念だが、燻熱病に効く薬も治療法も、今のところ存在しない。神官の祈りも通じず、薬草も効果を示さない……厄介な病だ」
「じゃあ、どうしようもないの?」
「ただ、熱を下げて少しでも苦しみを和らげる程度のことはできる。助かるかどうかは、あとは本人の体力次第だ」
門の向こうで子供を抱きしめる母親。その姿を見つめながら、エリーとノアは言葉を失った。
ティアは門の向こうの子供を見つめながら、静かに呟いた。
「燻熱病ってことは、侵入した瘴気が体内を蝕んでいるのが原因なんですよね?」
その問いに、医師は眉根を寄せつつも頷いた。
「そうだ。瘴蚊に刺されたとき、体内に入り込んだ瘴気が五臓六腑を腐らせる。しかも、外から浄化しようにも、魔力の干渉を拒むような性質がある」
「……そういうことなら、もしかしたら……」
ティアは何かに思い当たったように顔を上げ、団長に視線を向けた。
その視線と沈思の意味を、団長はすぐに読み取った。無言で頷くと、足早に商隊の荷へ向かい、しばらく探ったのち、ひとつの小瓶を手に戻ってきた。
「これを使って……何とか出来んか?」
団長が差し出したのは、淡い蒼色の液体に包まれた、透き通るような果実だった。
皮は霧のようにかすんでおり、実体があるのかさえ曖昧に見える。
その瞬間、医師の目が見開かれた。
「こ、これは……霧晶果!?まさか、こんな貴重品を……!」
震える手でそれを受け取った医師は、目を伏せて低く息を吐き、そしてぽつりと漏らした。
「……なるほど、確かに。霧晶果なら……希望がある」
「効くんですか?」とノアが声を上げる。
医師は頷き、果実を陽にかざしながら語り始めた。
「これは、水気を取り戻した土地でしか育たない幻の果実。霧のような皮を持ち、一見実体がないように見えるが……」
「口に含むと、肺に魔力を帯びた霧が広がって、体内を浄化するんですよね」
とティアが続けた。
「……その通りだ。瘴気を取り込み、封じる力がある。完治は望めんが、高熱と吐血を一時的に抑え、命を繋ぐ時間は稼げるはずだ」
医師は真剣な眼差しでティアたちを見やった。
「ただし、使用は慎重に行わねばならん。子供の体力が落ちすぎていれば、その霧の魔力に体が耐えられない可能性もあるからな……」
沈痛な空気が流れる中、ティアが団長の顔を見上げた。
その瞳には、ただ目の前の命を救いたいという純粋な思いが宿っていた。
団長はその視線を静かに受け止め、ふっと息を吐くと、一歩前へ出た。
「それでも……やる価値はある。命を救える可能性があるなら、見過ごす理由はない」
落ち着いた口調の中に滲む、揺るぎない信念。
仲間たちが信頼を寄せるのも当然だと思わせる、そんな言葉だった。
「俺たちも手伝うぜ」
声を上げたのはカイだった。すぐにレイがそれに続き、商隊の面々が次々に集まってくる。
「門番と話をつけてくる。準備を頼む」
団長は短く言い残し、門の方へと向かっていった。
その時だった。
列の後方からざわめきが広がる。
人々がざわざわと騒ぎ、周囲に緊張が走っている。
「……何だ?」
ティアたちが目を向けると、列の奥から格式高い馬車がゆっくりと進んできていた。
前後を囲むのは鎧姿の騎士たち、そして威厳ある紋章を掲げた旗持ちの従者たち。
一目で分かった。他の一団とはまるで違う、王侯貴族のそれだ。
ティアはその旗印を見た瞬間、全身がこわばった。
馬車の側面に刻まれた紋章──それは、ミレナ王国の王家のもの。
「……なんで、ここに……」
胸が締めつけられる。心臓が、早鐘を打っていた。
まさかとは思う。こんな場所に、あの人がいるはずがない。
そう自分に言い聞かせようとした、その時──
「何をしている。通れぬ道理があるものか。手間取らせるな」
よく通る、冷ややかな男の声が響いた。
ティアが声の方へと目をやる。
馬車の横で、騎士たちを従えた一人の男が姿を現していた。
その姿を見た瞬間、ティアの血の気が引く。
── ジークハルト・ヴァレンティア。
かつて、彼女の婚約者だった男。
今はもう、決して会うはずのない存在。
その人が、目の前にいた。
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